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【承】2-1

死にかけた事。

死。生。

意味。

わからない……。

【承】

2-1

 目が覚めた。

 変な夢を見たような気もするけどよくわからない。

 枕元で昔から自分が大事にしていた変身ヒーローの人形がバラバラになっていた。

 音菜をバラバラにする夢を見たからだろうか?

 携帯電話を確認すると、音菜からメールが着ていた。

「いつまで休んでいるの? 早く学校出てきなさい♪」

 可愛らしい絵文字付きだ。

 どうやら僕はいつの間にか随分学校を休んでいたらしい。よくないことだ。

 洗面台で手短に準備を済ませると僕は学校に行った。

 教室には誰もいなかった。

しばらく黒板の前に立って時間を潰した後、自分の机で着席していると、紫堂佐鳥がやってくる。

 佐鳥は黙って黒板の文字を消そうとする。

 黒板には幾つもの文字が隙間無くびっしりと書かれており、それでも書き切れない分は上から重ね書きされているくらいだったから、これをきれいに消すのは本当に大変そうだった。

 だから僕は素直に、

 「大変だね」

 クラスメイトとの円滑な交友関係を形作りたくて久しぶりに登校した者として声をかけた。なのに振り返った彼女は、

「……あなたが書いたんじゃない」イラついた声。

「え?」

「私は昨日下校する前に黒板を全部綺麗に消したわ。掃除当番の人の掃除だけじゃ不十分だと思ってるから、きちんと念入りに、雑巾まで使ってね。だけど今はもう、こんなにも汚れてる」

「ぼ、僕じゃないよ!」

「あなた以外に私より先にこの教室に来た人はいないと思うけど?」

 僕じゃない。僕じゃない。それでも、僕じゃないんだ……!

「見てみなさいよ。これ全部、あなたが書いたのよ?」

 黒板の文字の大きさは大体三種類あり、次の言葉がわざわざ、チョークも赤、黄、白の順で使い分けられていた。

 屈辱、反射、思念、言語、厳粛、改造、死体、肉、邪念、殺風、霊気、怪奇、意味、全滅、破損、理屈、心臓、起動、無明、腐敗、咎、絶叫、焦燥、畜生、連鎖堕落、歪曲、狂気、望郷、悪夢、強襲、実存、除去、無明、懸命、敗北、採用、罰、病気、俗世、夢想、皮膚、応酬、影響、視線、破滅、傲慢、涙、絶望、尋常、崩壊、冗談、消失、黴菌、怨嗟、幻弄、逃避行、生物、破壊、逃避、監禁、尊大、虚空、眼球、最小、気奇貴教、無知、乱動、変異、葬送、障害、欺瞞、恐喝、不快、子宮、去来、忘却、幻、化石、悲壮、切断、実体化、自虐、芋虫、怠慢、優位、儀式、思考走破、達磨、次第、言霊、淫乱、解脱、死罪、棄却、欲望、耄碌、超越、矛盾、祭儀、呆然、劣情、天然屍、恋愛、人間、殺戮、双頭憐憫、大人、剛直、覚醒、通路、脊髄、邪念、怨念、火、天使、牢獄、救世主、感覚、錠前、怠慢、入り口、混沌、憧憬、韜晦、緊急、無力、襲撃、監視、殴打、抑圧、太陽、仮想、役割、突然、演技、懇願、車、土地、無明、惨殺、性器、嘆願、平静、抹殺、不浄、形而上暴言、速度、証拠、朝、曖昧、詐称、時流、終身、帰結、脈動、気合、密室、圧倒、呪縛、虚無、連続、今日、本気、刺殺、矮小、余流、死霊、仮想、膀胱、警告、瞑想、理論、奇跡、仮面、溶液、舞神、破滅、樹木、陽光、広大、食物、真紅、曇天、児童、散乱、粘液、昼、悲痛、脳味噌、徘徊、疑念、幻惑、走馬灯、鬼畜、理論、強盗、辛苦、雲、時空、支配、容態、超大、骸、陵辱、超越、死、残留思想、売買、除外、論理的、原罪、恐怖、投下、将来、拷問、言葉、凶悪、陰部、階段、実体化、通過、辞典、施錠、冷厳、不屈、解散、失念、創造、憎悪、断裂、無礼、虚脱斬首、朦朧、拒否、硬直、不信、上昇動悸、願望、皮相、害悪、既視感、姑息、冤罪、至急、疑問、殺人、邪心、損壊、嘘、命令、眼鏡、奇妙、室内、大仏、麻薬、業火、孤独、舞踏、精神、無垢、恥辱、荒唐無稽、常識、欲望、回避、処女、存続、証拠、脳、回路、幻、睡眠、胸骨、潜在意識、読了御苦労様、機械的、認識齟齬、下位、物流、交通、催眠、寝不足、御馳走様、感謝、雑巾、立身出世、存外、呼吸、拍動、動悸、動機、殺人、不幸、腹式、発生、粘着、露骨、悪口、裁判、敗訴、産業廃棄物、秋刀魚、豚肉、鯖味噌、缶詰、勘、六感、死後、相当数、不信心、罰、永劫、改悛、買春、遊戯、王様、偽物、真贋、眼、時計、三千円、四千円、通行人、邪魔、謝罪、拒否、受取、便利屋、街、血、抜本的解決案秘訣、当然、結果、倦怠感、氷、小織、悔悟、介護、思考停止、一身上乃都合、蛙、放置安定、虚偽報告、外見、男性、変化無、女性、変化有、若干焦燥感有、羅列、挫折、完璧、駄目、安全、手順、管理、日常、退屈、たすけてくれたすけてくれたすけてくれたすけて。

 ざっと目に入っただけで、これくらいはあった。

「あ……あ……あ……」

「あなたが」佐鳥は念を押すようにして噛み含めるようにして「書いたのよ?」

「ぼ……僕が……?」

 佐鳥は凍りつくような声で、だけども怒気を含んで徐々に早口に、

「そう。あなたが」

 どうして僕がこんな事を。

「連合弛緩、言葉のサラダって、知ってる?」

 僕はそんな言葉は知らない。

「これはあなたの、そういうもの」

 だからなんなんだよ、それ?!

「言葉のそれぞれの意味のつながりが、とれなくなるの。そこにあるのは無意味な言葉、無意味な単語。……あるいはもっとポジティブにいいかえるなら、心象世界を単語のみで表現したもの、と言ったらわかりやすい? 全部漢字で表現しているのは、あなたのプライドの高さからくる、本能的防御反応みたいなものでしょ?」

 僕には佐鳥が何を言っているのかわからない。

 ただ潜在的な罪の意識が僕に謝罪を要求する。

 ごめんなさい。

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。

「う……うう……」

「全部あなたがやったのよ。私はそれを毎日消してた。毎日毎日毎日毎日。あなたがやったのよあなたがあなたがあなたがあなたがあなたがあなたがあなたがあなたがあなたがあなたがあなたがあなたがあなたがあなたがあなたがあなたがあなたがあなたがあなたがあなたがあなたがあなたがあなたがあなたがあなたがあなたがあなたがあなたがあなたがあなたがあなたがあなたがあなたがあなたが」

 もう、限界だった。

 僕はそれ以上彼女の詰問に耐えられなかった。

「うあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁ!」

 そしてさよなら、理性。

 僕は咆哮の中で無となった。

 教室の後方の扉がガラリと開き、誰かが入ってくる。

 音菜だった。

「彼にこれ以上過度の精神的負担がかかったら、『計画』が思うように進まなくなる可能性があるわ」

 音菜……。

 音菜は、僕の味方なのだろうか……?

 音菜は……音菜はやさしい人間……。

 僕は駆けてきた彼女の背中に隠れて安堵した。

「別にいいじゃない。本当の事を言ったって。どうせもう、何もかも終わりなんだから」

「それは、そうだけど……。でも、『計画』は大事なんでしょう?」

「ええ。大事よ。でも……」

 わからない。

 二人が何を言っているのか、わからない。

 ただ僕は、それがどこかにあるとしたらだけど、「救い」というものを求めた。

 人が生きとし生ける為に存在する原罪、そして僕が生きとし生ける為に存在する原罪、それら一切を引き受けて許しを与えてくれるもの。罪からの救い。

 そんな救いがどこかに落ちていないかと思って教室中を見回してみたけど、どこにも落ちていなかった。

 残念だ。

 佐鳥は黒板よりさらに上で磔となり、グルグルと回っていた。

 黒板の文字はいつの間にか消えていて、音菜はずっとそばにいてくれた。そう、ずっと……。

 他の生徒達が登校してくる。にぎやかになるのだろうか。

 いつもよりも少し派手に見える音菜の横顔を見ながら、僕は近づいてくる雑踏を聞いて恐怖した。


 特に何もなかった。


 特に何もなかった?

 そう、特に何もなかった。

 特に何もなく、夕方になってしまった。

 授業の事は、あんまり記憶にない。

 気が付いたら、クラスメイトはみんないなくなってしまった。

 本当に、生徒達はいたのだろうか?

 僕にはわからない。

 ただ一人残っていた生徒は赤芯音菜だった。

「君は……」

「どうしてここにいるのって、言うんでしょう?」

 全く、その通りだった。

 皆消えてしまったのに、どうして音菜だけはここに姿を留めているのだろう? 僕は音菜が夢でバラバラになる姿を見た。だから余計にそう思った。

 しかしそれよりなによりなにより不思議なのは、

「どうして僕の言いたい事が分かるの?」

 すると彼女はいかにも当たり前のように、

「いつも同じこと言うんだもん。もう、聞き飽きちゃった」

 いつも?

 僕が最近彼女と会ったのは、今日以外にあったのだろうか?

 僕は久しぶりに学校に登校したはずだった。

「彼女は……?」

 すると音菜は僕が名前を出す前から、

「ああ、紫堂佐鳥なら、待ってるよ」

「待ってる?」

「そ。廊下で。あんたと一緒に帰りたいんだって」

 帰る?

 一緒に?

 ……nそうか、佐鳥もいるのか。

 帰る。帰る。帰る。

 よい子は寄り道しないで、まっすぐ帰る。

 集団下校は悪い事じゃないだろうからいいのかもしれないけれど、僕は佐鳥の事はあんまり好きではない。

 いや、どちらかというと嫌いなのだ。

 小さな背、小ぶりな胸、それでいながらも意志の強そうな瞳、両お下げに毎日一ミリのずれもない右前髪のヘアピン、まるで作り物のような無機質で無感情な話し方、そのどれもが今の僕にとっては嫌悪の対象になっている。

 彼女は僕の事を疑うから。

 彼女は僕の事を決めつけて、徹底的に規定してしまう。だから。

 あれから色々考えたけど、やっぱり僕は黒板の文字を書いていない。黒板の文字を書いていない。黒板の文字を書いていない。それだけは厳然たる事実だった。

 僕はやってもいない罪で、疑われたのだ。犯人扱いされたのだ。冤罪だ。

 かくなる上は、どうしてくれようか。

 僕はこうやってあとから怒りが沸いてくる時がたびたびあり、それはふとした拍子に爆発する。

 今がその時なのは明らかだった。

 さて……どうしよう?

 僕は廊下で待っている佐鳥の姿を開け放たれた教室前方の入り口を通して確認すると、脳裏に浮かんだ三つの選択肢を思った。


 一、殴る。

 二、蹴る。

 三、殺す。


 三だな。僕はすぐに結論を出す。殺してしまえば、憎しみは生まれない。僕も仕返しされない。それが一番平和な選択だ。ぶっ殺してやる。僕は教室を出て行った。

「な……なに?」

 今さら気圧されたような声を出した所でもう遅い。

「僕は黒板に何も書いていない。黒板に何も書いていないから、君を殺すんだ!」

 僕は制服の上着、右ポケットに入っていたカッターナイフで、彼女の首、喉仏の下あたりを真一文字に横に切った。

 それだけで彼女はよくわからない奇怪で滑稽で悲しくて寂しい声にならない声を何処からか喉からだろうか口からだろうか喉に傷が付いているのだからやはりその裂傷箇所から発せられたに違いないわけでそういうわけで彼女は全ての苦痛と驚きと悲しみと憎しみとほんの少しの喜びが入り混じった声にならない声を漏らしたわけでそれを聞いて僕は確かな喜悦と達成感を得た。

 彼女の感情は全て僕の脳内で理解されたもので実際はどうだったか知らない。

 人は他人を主観でしか判断できない。

 ああ、悲しいなあ。

 それなのになんだか、面白かった。面白くなってきた。ふふふ。

 僕は……僕はサディストなのだろうか?

 わからない。

 僕は自分の事がわからない。

 だけどとにかく、やったぞ。ぶっ殺してやったんだ。

 頭で考えて、それを実行に移す。

 理論と実践が噛み合った、決定的瞬間だ。

 佐鳥はガクンと膝をつき、倒れる。

 鮮血を撒き散らし、うつ伏せになって死へと突き進んでいた。

 機械的反応でただピクピクと蠢いてはいたけれど、じきにそれも止むだろう。僕はその時を待つことにした。だって僕は為すべき困難な事をきっちりとやり遂「ちょっと、何やってるのよ、早く行くわよ?」

 音菜に話しかけられて、僕は我に返る。

 僕はまだ教室から出てさえいなかった。

 妄想に逃げ込んでいたらしい。よくないことだ。

「あ……う、うん……」

 のろのろと、僕は無気力に教室から出て行く……。佐鳥とは、目を合わせられなかった。

 僕達は排気ガスに塗れた歩道を三人で歩いていく。

 三人だと歩道の幅は結構狭くて、僕は少し後方を歩く事になった。

 よかった。

 その方が他人の顔色を窺わないで済むから、少し安心する。

 僕は口を開いた。

「今日は良い天気だね」

「いつも良い天気よ」

 前方から返ってくるにべもない音菜の言葉。また『いつも』か。

「ねえ、どうして『いつも』なのさ」

「別に? それに意味なんてないわよ。空ってのは、大抵晴れているもんじゃない」

 なるほど、言われてみれば空は大抵晴れている。

 何でもかんでも、理由を見つけようとするのは、不毛だ。

 僕の頭はどうかしている。

 もっと考える事を放棄した方が生きやすいのかもしれない。

「音菜、化粧、してる」

 佐鳥が唐突に口を開いた。音菜は気付いてくれた事が嬉しいのか、明るい口調でポニーテールの後ろ髪をかき上げながら答える。

「あ、わかった? ほんのちょっとなんだけどね。ほら、今日、最後じゃない? だから、ね?」

 今頃気付いたが、音菜はうっすらとだが化粧をしていた。朝方に少し彼女の横顔が派手に見えたのは、そのせいだったようだ。

 しかし、何故学校に化粧などしてくるのだろう?

 ……わざわざ学校に化粧をしてくる理由がわからない。

「あなたは、それでいいの?」

「いいも悪いもないわよ。初めから、決まっている事なんだもの」

「だから、その、気持ち、伝えなくていいのって」

「何回も伝えてるわよ。だけど、いっつも次の日になったら、忘れちゃってるんだもん」

「でも……」

「わかってるわよ。私は最後の最後で諦めて終わるようなタマじゃないつもりよ。タマタマも何もあったもんじゃないからね。正義は勝つ! 信じる者は、救われる! 必然として私は目標を達成するわけよ」

 佐鳥は後半の音菜の大演説はまるっきり無視して、

「タマタマタマタマ、卑猥……。女の子には、嗜みが必要……」

「あんたの方が一回タマ多いじゃない!」

 あほだ、こいつら。

 公園の入り口まで来ると音菜は、

「あ、あそこにアイスクリーム屋さんがある! 行ってみようよ」

 駆け出そうとする音菜を、佐鳥が押し止める。

「駄目……今日は彼女がいるから……」

 佐鳥は公園の奥の方、ベンチに座っている少女をそっと示した。

「そんな! あいつはまだ出てこないはずじゃ……!」

「『計画』が何か変わったのかもしれない。とにかく、今彼女と接触する事は得策ではない」

 わからない。二人は何を言っているのだろう?

 あのベンチに座っているのは少女で、僕達と同じ学校の生徒だ。

 授業は既に終わった。寄り道する者だって、いるのだろう。よい子は寄り道しないで真っ直ぐ帰るものだけど、彼女はそうではないらしい。

 あれ?

 ……だとしたら、与えてもいいのだろうか。

 ……罰を?

 ……僕が?

 ……いや、よく考えたらそれは当然の事だ。

 悪い事をする人間には、誰かが罰が与えて然るべきなんだ。

 僕は屋台のアイスクリーム屋さんの前をすり抜け、少女の方へと近付いて行く。音菜と佐鳥は付いて来なかった。

「何をしているんだい?」

「時をね、時が、くるのを、待っているの」

 眠たげなその口調は夢と現とまどろみの中からかろうじて紡ぎ出された大いなる子羊のようで、それは神という名の羊飼いの存在さえも証明しそうなほどだった。

 天使……彼女は、天使なのだろうか?

 日本的汎神論的神ではなく西洋的一神教的な神の一助となるべく存在する……天使。

 舞神市には神だけでなく天使までも存在しているのだろうか。

 いや、そんなわけはない。

 彼女が天使だなんて事は、ありえるはずがない。

 そもそも、神も天使も、存在などしないんだから。

 ……それに、仮に彼女がなんであったにせよ、そう、なんであったにせよだ。僕は、彼女に罰を与えるだけなのだ。

「授業が終わったら、真っ直ぐ帰らないといけない。よい子は寄り道しないで、真っ直ぐ帰らなきゃあいけないよ」

「そんなお説教くさい言葉、聞きたくないなぁ」

「そうかい? お説教くさい言葉を聞くのは、嫌いかい? 僕は君が嫌がる事をするのが、楽しくてしょうがないよ。大抵、そうじゃないか? 人間は他人の不幸を見るのが、大好きなんだ。不幸は、滑稽さに繋がるからね。面白くて、仕方が無いんだ」

 弱さは醜さに繋がり醜さは不幸に繋がり、そして不幸は滑稽さに繋がる。単純だ。

 とっても、単純な事だ。

 少女は僕より年下に見えた。僕は二年生だから、そうなると一年生だろうか。太目の眉毛に、気の抜けた瞳。

 天然? というのだろうか、いや、髪の毛の話ではなく、性格的なものの事なのだが、いや、腰より少し上まである髪の毛はくゆくゆとパーマがかっていて、それは彼女のろくに手入れもされていない眉毛からしておそらくは天然のものであったのだが、とにかく、彼女は、僕に無垢というイメージを想起させた。

 それでいながら、発育した肢体と両の胸を持っており、表情さえ幼くなければ、音菜よりも成熟しているようにさえ見えた。

 実際、体も音菜よりもほんの少しだが、大きかった。

 音菜のしなやかでほっそりとした理想的な肉体に比べると彼女のそれは少し、肉がついている。

 肉体だけならば、むっちりとした肉感的女性だったのだ。

 それなのに顔の表情だけは本当に幼く。

 爛熟した性を無垢というある種の聖なる殻がかろうじて押しとどめているようで、それは僕の繊細でやわらかで凶暴な破壊的衝動を呼び起こす……。

「同じ学園のぉ、先輩さん、ですかぁ?」

「君は後輩のようだね。一年生かい?」

「そうです、けどぉ」

 おっとりした話し方をする少女だった。

「君、名前は?」

「迷異昼まひるですぅ。迷うに異なる、お昼の昼が苗字で、ひらがなでまひる。本当は下の名前も、お昼の昼にする予定だったんですけどぉ、親が直前になってひらがなの方がかわいいって思ったみたいで。先輩の名前はぁ?」

 懇切丁寧な自己紹介に感謝感激。雨あられは降りそうにない。天気は『いつも』晴れだ。

「僕かい? 僕はただの先輩だよ」

 少女は僕が名前を名乗らなかったので小首を傾げていたが、さして追求もせず、ふふと笑い、

「自分で自分に名前を言っちゃったら、おかしいですもんねえ」

 どういう意味なのだろうか。よく、わからない。

 まひるという無垢な少女は僕の凝視がいつまでも続いているので、居心地悪そうにくねくねとした。それを見て僕は本能的に悟った。

 僕は彼女を汚したい。

 真っ白な紙があったら、何かを書き込むのは当然の事じゃないか。黒。黒がいい。僕は彼女を黒く染め上げる。

「な、何見てるんですかぁ。なんか、怖いですよぉ」

「いや、これからどうしようか、考えていてね」

「どうするんですかぁ?」

「これから君を、徹底的に痛めつけるんだ」

「どういう事ですかぁ? 意味が、わかりませんよぉ」

 僕は親切にも説明してあげる事にした。

「具体的に言うなら僕の持っているカッターで君の腹を裂き手を突っ込み内臓をひり出して外気に晒した後、肛門にアイスクリームを塗ってあげるつもりなんだ。乾燥と水分の補給を同時に行う為にね」

 少女は驚くでもなく、

「嫌だなあ。先輩が、そんな事するはず、ないじゃないですかぁ。同じ学校の、生徒なんですよぉ? 仲間じゃないですかぁ」

 信頼。彼女は僕を信頼しきっていて、まるで怯えというものを表さない。それが僕には不快だった。

「嘘、ですよねえ? 本当は、どうするんですかぁ?」

「本当は? 本当はね……」

 僕は逡巡してから答えた。

「これから君を、徹底的に痛めつけるんだ」

「どういう事ですかぁ? 意味が、わかりませんよぉ」

 僕は親切にも説明してあげる事にした。

「具体的に言うなら僕の持っているカッターで君の腹を裂き手を突っ込み内臓をひり出して外気に晒した後、肛門にアイスクリームを塗ってあげるつもりなんだ。乾燥と水分の補給を同時に行う為にね」

 少女は驚くでもなく、

「嫌だなあ。先輩が、そんな事するはず、ないじゃないですかぁ。同じ学校の、生徒なんですよぉ? 仲間じゃないですかぁ」

 信頼。彼女は僕を信頼しきっていて、まるで怯えというものを表さない。それが僕には不快だった。

「嘘、ですよねえ? 本当は、どうするんですかぁ?」

「本当は? 本当はね……」

 僕は逡巡してから答えた。

「これから君を、徹底的に痛めつけるんだ」

「どういう事ですかぁ? 意味が、わかりませんよぉ」

 僕は親切にも説明してあげる事にした。

「具体的に言うなら僕の持っているカッターで君の腹を裂き手を突っ込み内臓をひり出して外気に晒した後、肛門にアイスクリームを塗ってあげるつもりなんだ。乾燥と水分の補給を同時に行う為にね」

 少女は驚くでもなく、

「嫌だなあ。先輩が、そんな事するはず、ないじゃないですかぁ。同じ学校の、生徒なんですよぉ? 仲間じゃないですかぁ」

 信頼。彼女は僕を信頼しきっていて、まるで怯えというものを表さない。それが僕には不快だった。

「嘘、ですよねえ? 本当は、どうするんですかぁ?」

「本当は? 本当はね……」

 僕は逡巡してから答えた。

「これから君を、徹底的に痛めつけるんだ」

「どういう事ですかぁ? 意味が、わかりませんよぉ」

 僕は親切にも説明してあげる事にした。

「具体的に言うなら僕の持っているカッターで君の腹を裂き手を突っ込み内臓をひり出して外気に晒した後、肛門にアイスクリームを塗ってあげるつもりなんだ。乾燥と水分の補給を同時に行う為にね」

 少女は驚くでもなく、

「嫌だなあ。先輩が、そんな事するはず、ないじゃないですかぁ。同じ学校の、生徒なんですよぉ? 仲間じゃないですかぁ」

 仲間。僕は仲間を信じない。僕は仲間を信じられない。

 人間を信じられない。信じ、られない。

 だから僕は彼女のような純粋無垢な存在を、穢したいと望むのだろうか?

 いや違うこれは義務だ。

 僕は彼女を穢さなければいけない。そう、穢さなければ……。

「嘘、ですよねえ? 本当は、どうするんですかぁ?」

「嘘じゃないさ。ほら、こうやるんだよ!」

 僕は彼女の首を左手でわし掴み、そのまま回転の勢いを利用して舗装された地面に引きずり倒すと彼女の衣服を左手で捲り上げ、柔らかな腹部を、ポケットから取り出したカッターナイフで深く突き刺し、真一文字に横に切り裂く。

 返り血を浴び切り裂かれた腹部に顔を近づけ肥料のような匂いを嗅ぎながら、僕は思う。

 ほら、やっぱり臓物の臭いが、ちゃんとするじゃないか。

 天使なんかであるはずがなかったんだ。彼女も人間に過ぎない。そう、醜い人間に……。

 彼女は腹部を裂いてもまだ生きていた。

 虚ろな瞳で、僕の事を見ている。

 僕は腹を裂いたくらいでは人間はすぐには死なないという事を知っていた。

 武士が切腹をするのは自殺をする為ではない。

 苦しみに耐える姿を皆に見てもらう為だ。

 だから、切腹をする人の後ろには大抵、介錯をする人間が立っている。

 切腹で苦しんだ姿を皆に認めてもらった後に、首を切られてようやく死ぬのだ。死ねるのだ。

 そういうわけで、彼女はまだ生きていた。

 ……しかし、妙だ。

 まひるは全く痛がる素振りを見せないのだ。

 どうしてだろう?

 これじゃ介錯人である僕は彼女を殺す事ができない。

「まったくぅ、先輩はぁ、せっかちなんですねぇ。まひるはぁ、もっと先輩とぉ、お話していたかったですぅ」

「僕はこれ以上君とは話をしていたくない気分だけど?」

 だってそうじゃないか。

 何回同じ会話をした?

 この少女は、どこかおかしい。

 まるで時を巻き戻しているかのように、何度も同じセリフを僕に言わせて、楽しんでいる。

 これ以上僕と話をしていたかっただって?

 まったく、どうかしている。僕なんかより、よっぽどどうかしている。手術した方がいいんじゃないだろうか。

「先輩はぁ、私の事が、怖いんですかぁ?」

 ドキッとした。だけど、悟られてはいけない。臆病ものだと、悟られてはいけない。

 僕は鼻で笑ってから、

「どうして、そう思う?」

 僕は両手で拝むような姿勢になって。

 必死に彼女の内臓を引きずり出す事に努めていた。

 何かを黙殺すべく。

「だって先輩、ほとんど私の目を、見ないじゃないですかぁ。私が何を考えているのか、怖くて、仕方が無いんじゃないんですかぁ?」

「違う。違う!」

 呼吸が乱れている。どうしてだろう?

 分からないけどとにかく、

「僕は人間が嫌いなだけなんだ!」

 だから僕は君も含めて、他人との関わりをできるだけ空っぽにしようと努めている。

 それだけなんだ。それだけなんです。

「でも、こうやってあなたは、私の内臓を引きずり出してるじゃないですかぁ。自分勝手に独りよがりに他人と関わっておいて、人間が嫌いで関わりたくないだなんて、それは、傲慢ですよぉ。ちゃんと人とのふれあいを、求めているんじゃないですかぁ」

 嫌だ。嫌だ。

 この少女は、無垢な顔をしているくせに、僕の本質を暴き出そうとする……!

「ぼ……ぼくは……」わかってしまった。

 ああ、そうだ。僕はわかった。

 他人と関わりたいんだ。

 だけど、それが怖くて。

 それでこんな一方的な方法で……。

 うああああ嫌だ。嫌だ、嫌だ、自覚したくない。

 意識したくない。

「わかってますよぉ。先輩だって、本当は、皆と仲良くやりたかったんですよねぇ? だけどそんなことできっこないってわかってるから、そうやって過剰な妄想をして、人間が嫌いだなんて、自分を誤魔化しているだけなんですよぉ」

「そ……そんな……」そんなわけはない。そんなわけは……。

 他人と関わりたいだなんて、それは嘘だ。

 僕は脳内で自分自身を必死に説得するよう努めた。

「嫌な事が、あったんですもんねえ? 仕方が、ないんですよぉ」

 それさえも僕の言い訳、免罪符だ言いたいのか。

「運が、悪かっただけなんですぅ」

「た、助けてよ、やめてよ……」

 頭を抱えてうずくまった僕の耳奥に、変わらずまひるの言葉は突き刺さってくる。

「どこにも、救いなんて、ありはしないんですよぉ」

 僕は何事も自分の思ったとおりにいかなければ気がすまない。

 世界は完璧な調和に落ち着いていなければならないんだ。

 彼女は僕の心を見透かし、僕の過去について言及した。

 こいつは人の嫌がる事を進んでしたんだ。

 罰さなければ……!

「ちょ、ちょっとだけ、待っていてくれよっ!」

 僕はアイスクリームを売っている屋台の所まで歩いて行った。

 彼女の肛門に、アイスクリームを塗りたくってやるのだ。

 それは暴力的なまでに冷たく、そこで得られた彼女の反応はある種の儀式的意味さえ持ちえるはずだった。

 そう、これは儀式なのだ。

「イチゴとバニラのミックスを」

 するとアイス売りのおじさんは顔をしかめ、

「お前さん、返り血だからけじゃねえか。俺はそんな汚らしい奴には売れねえ。俺には、プライドがあるんだ。五年前に会社をリストラされてから、夏はこれだけで食ってきたんだ。お前みたいな汚らしい奴には、俺のアイスは売れねえ」

 なんという事だ。

 無精ひげを生やしたおじさんは僕にアイスを売ってくれなかった。

 おじさんは、おじさんは頑固一徹おじさんだったのだ。

 これでは僕が食い下がったところで、売ってくれるはずもない。

 おじさんにはプライドがあるのだ。

 僕は消沈してまひるの元へ戻る。

 と、様子が変わっていた。

 まひるは既に地面に転がってはいなかった。

 まひるは空を飛んでいた。

 まひるは笑って、空を飛んでいた。

 二メートルくらい上だろうか、それほど、高くはない。

 引き裂いた腹部の傷は治っておらず、臓物を撒き散らしながらゆらゆらと舞い飛ぶまひる。

 幻惑的に、笑いながらくるりと回ってみせるまひる。

 彼女の背中からは白い羽が生えていた。

 そう、そっと夏の制服の上着を突き破るようにして、その二つの羽は生えていた。

「ほらあ、結局他人と関わらなきゃ、アイスさえ手に入らない。だから、ね? 人付き合いってのは、重要なんですよぉ。皆、助け合って、生きているんですからぁ」

 本当にそうなのだろうか?

 皆が皆、助け合って生きているのだろうか?

 すごいもんだ。素晴らしいもんだ。

 多分僕だけがその助け合いの輪から外れているんだろうけど。

 ……なんにせよ、今の僕にはアイスクリームが必要だ。

 この近くにアイスクリームの自動販売機はなかっただろうか?

 人と顔を合わせないでアイスクリームを手に入れるにはそいつが適任だ。

 だが、辺りを見渡してもアイスクリームの自動販売機はなかった。

 僕は絶望的になってまひるの方を見る。

「ぼ……僕は……」

 君の肛門にアイスクリームを……。

 儀式として……。

 罰として……。

「いつまでもそんな事、考えてちゃあ、駄目ですよぉ? 今日は、最後の日なんですからぁ。私は明日、ちゃんとかまってあげますからぁ。今日のは、予行演習みたいな、もんなんですぅ」

 彼女は大きく白いその羽を広げ、何処かに飛び去ろうとする。

「ま……待ってくれ!」

 僕は彼女に罰を与えなきゃあいけないのに……!

「ダーメ。明日になったら、ちゃんと、殺してあげますからぁ」

 彼女はそれで光の差す方へと消えていく。僕は両手を伸ばし叫ぶ。

「ま……待ってくれ!」

「何やってんのよ? あんた」

 振り返ると、音菜がいた。佐鳥も僕の方を見ていた。不思議だ。僕はまだ公園の中に入ってさえいなかった。

「いきなり花壇にいる蝶捕まえて、じっと見てて。ちょっと、気味悪かったわよ?」

「ぼ……僕が? 蝶を?」

 公園への入り口の近くには、花壇があった。

 音菜の話からすると、そこには、一匹の蝶が止まっていたらしい。モンシロ蝶だったそうだ。

 僕はそれをぱっと手で捕まえ、じっとそれを観察していた。

 腹部の部分を、右の指で擦ったり、していたらしい。

 だが、その蝶は僕の手から抜け出し、逃れてどこかへ飛んでいってしまった。そういうことらしい。

 わからない。

 僕はどうしてそんな事をしていたんだろう?

 ……変な事を思い出した。

 何かの本で読んだけどモンシロ蝶の幼虫、まあ、イモ虫の事なんだけど、それによるとモンシロ蝶の幼虫は半分以上、そう、半分以上が、寄生蜂に寄生されて死んでしまうのだそうだ。

 肉体を内側から食い荒らされて、イモ虫は死んでいく。

 どんな気分なのだろう?

 もしその寄生蜂が、イモ虫が成虫に、モンシロ蝶になるまで体内を食い荒らさなかったとしたら。

 いざという時にモンシロ蝶は、自分の内容物を撒き散らしながら、飛ぶのだろうか。

 そうなのかもしれない。

 さっき僕が見た、まひるのように……。

「まひる……まひるは?」

 音菜は怪訝な顔をして、

「はあ? まひるって、今は夕方よ? あんた、何言ってんのよ?」

 おかしい。

 何かがおかしい。

「さっきその公園の奥のベンチで座っていた子は?」

 それを言うと音菜はいっそう眉根を寄せ、

「はあぁ? 公園の奥のベンチになんて、誰もいなかったわよ?」

 ……さっきまで公園奥のベンチに座る女の子の事で何事か議論していたのは、他ならぬ音菜と佐鳥、彼女達じゃなかったのか?

 どういう事だ?

 それさえも、僕の見た白日夢であったというのか?

 その証拠に佐鳥も、

「公園の奥のベンチには、誰もいなかった」

 と何度も言う。

 ……やっぱり、そうなのだろうか?

 公園奥のベンチには、誰もいなかった。

 公園奥のベンチには、誰もいなかった。

 それが、真実なのか。

「で、でも、確かにそこに女の子が……」

 僕は慌てて辺りを見回して見ると、アイスクリーム屋さんが目に入る。

 僕にアイスを売ってくれなかった、頑固一徹おじさんだ。

 彼なら何か知っているんじゃないか?

 ……だが、アイスクリーム屋のおじさんは屋台から少し離れ、暇そうにタバコを吹かして休憩しているだけだった。

 生活に疲れているようにさえ見える。

「何馬鹿な事を言ってるのよ」

 親切に音菜がもう一度教えてくれた。

「誰も、いなかったわよ?」

「そっか。そうだよね」

 それ以上強情は張らなかった。彼女が言うのならきっと、そうだ。

 次の交差点で僕は佐鳥と別れた。

 そして。

 音菜と僕は。

 真っ白な病院の中を僕達は歩いている。真っ白な病院の中を僕達は歩いている。

 真っ白な病院の中を僕達は十分に歩いたので、僕達は目的の場所へ着いた。

 精神科。

 音菜は、心の病気なのだろうか?

 いや、そんなわけはない。

 じゃあどうしてここに来たんだっけ?

 同じ趣味を共有している人間がいるからだったろうか?

 その記憶がどこで手に入れたものなのかわからない。

 僕達は受付を素通りして一つの部屋に入る。

「おお、いらっしゃい。今日も来たのかい?」

 出迎えてくれた女性はタヌキ顔の幼女だった。

「まあね。最後だから」

「化粧なんかしちゃって、めかし込んじゃってるねえ」

「気合入りまくりって感じ? なんせ、今日で最後だからね」

 音菜は嬉しそうにポーズを決めてみせる。

 ……最後?

 何が最後だというのだろう?

 確かこの人は音菜の親戚でタヌキ顔の七色絵美という人だ。

 趣味でお医者さんをやっていて、本業は音菜の研究する民俗学の助手だとか。

 そうだ。そうだ。そうだった。

 タヌキ顔の妖艶な女性は今度は僕に向かって言った。

「あんたも覚悟はできてる?」

「な……何の……」

 それから絵美さんは返答に窮する僕を待たずにすぐに笑い、

「って言ったって、あんたにわかるはずもないか」

 僕は……僕はからかわれているのだろうか?

 だとしたら僕だって、容赦しないぞ。


 ここで、困らせてやろうか。


 大仏のようになって?

 そうだ奈良の大仏のようなポーズを取って、居座ってやる。

 そうしたらきっと絵美さんは困るだろう。

 本当なら、仕事をしていなきゃいけないはずなんだから。

 ……何故絵美さんはこの時間に僕達に会ってくれているのだろう?

 この病院は案外、暇しているのだろうか。

 そういえば患者さんにも先生にも、他に誰にも出会った記憶が無い。

「あんた……さ」

「はい、なんでしょう?」

 気付いたら僕は絵美さんに話しかけられていた。

 絵美さんは椅子に大股開きで座っている。

 もう少しで、黒のスカートの中が、見えそうなくらいだ。

 相変わらず、気だるげ。

「死にかけた事、ある?」

 唐突な質問だった。

「死にかけた事……? ですか……?」

「そ。あ、こりゃもう、絶対死ぬなーって、経験」

「いや、僕にはないですねえ……」

 いきなり何を言っているんだ?

「そっか、まあ、私もないんだけどさ」

「なんだ、先生もないんですか」

 なんなんだ?

 自分語りをしたいわけでもないらしい。

「いや、意識のある状態では、私もないんだけどさ」

 うん?

「でも、死にかけた事はあるよ?」

 うーん。

「一回頭打った事があってね。中学の時くらいだったかな? 自分の住んでる部屋、マンションの三階くらいから、落ちた事があったんだ」

「えええええ、よく死にませんでしたね」

 やっぱり自分語りなのかな?

 しかし急になんでこんな話を。

 なんとなく自分の話を聞いてほしいとか、そんな気持になっているんだろうか。

 そんなナーバスな人には見えないけど。

「そんとき、意識が無くなってね。死ってのを意識はしなかったけど、実際、死にかけたらしい」

「へえ」

「親は、自分の子供が死ぬかもしんないってんで、気が気じゃなかったらしいよ」

「へえぇ」

 相槌ばかり打ってるが、結局何が言いたいんだろう?

 よく、わからない。

「人間、一度死にかけると人が変わるって、聞いた事ある?」

「いえ。そうなんですか?」

 なんだかどんどん話が変わるな。

「そう。全部が全部じゃないんだけどね。そういう人もいるらしいよ。死生観が変わるっていうのかな、なんていうか」

「そういえば、死にかけた時って、自分の姿を上から見ていたりするって、いいますよね」

「ああ、あるねえ。知ってる? それって、親から虐待を受けてた子供とかにもよくある事なんだ。解離性障害、っていうんだけどね。うちにも時々くるよ。そういう子がね」

 それが、僕。へえ。

「それじゃ死にかける事と親から虐待を受ける事は、同じみたいじゃないですか」

 僕は性的虐待しか受けていないぞ。嘘だけど。

「ある部分では同じだね。多分、人間は、自分が許容できないくらいのストレスにさらされると、これは自分じゃない、他人なんだーって、そう思い込むことで、なんとか自分を保とうとするんだろうねえ。だから、その二つ以外にも、過度のストレスが発生する状態なら、大抵起き得るんじゃないかな。妄想に逃げ込んでしまうって事態が。例えばクラスメイトからイジメを受けたとか……黒神様に選ばれた人達ってのも、そういう人達なのなのかもね。ま、それはいいんだけどさ。さっきのその死生観が変わるって話。それって、単に体験によるものだけじゃない可能性もあるんだよね」

「どういうことですか?」

 話の要点が読めない。

「ここだよ、ここ」

 絵美さんは自分の短めの跳ねた髪の付いている頭部を、持っていた右手のボールペンの反対側、ペン先でない方でコンコンやった。

「髪……ですか? タヌキの?」

「なに言ってんだい、殺すよ? 頭だよ。ア・タ・マ! ……脳にさ、傷かなんか物理的障害が発生した事によって性格が変わってしまう。そういう事って、実際にあるんだ。その一環として、死生観が変わるっていうのも、あるんじゃないかなあ?」

「黒神様に選ばれた人達ってのも、そういう人達なのなのかもね」

 と、これは音菜。

「ま……とにかくさ。そろそろ、何もかも終わるって事だよ。あんたのおかげでね。……私は、あの時、死生観が変わってしまった。その時はただ、死にたかったんだ。だけど今は、みんなにそうあって欲しいと思うよ。穏やかに消え去る感覚を共有して欲しいってね」

 絵美さんが以前死にかけた事があったというのは驚きだった。

 彼女が幼女の外見を持っているくせにいつも気だるげで、どことなく何もかも達観しているような表情をしているのは、そのせいなのだろうか?

 ……僕も、そんな風になりたい。

 くだらない人間関係と価値観と義務感に囚われないようにして、生きていけるようになりたい。

 人間、死ぬ時は死ぬんだ。

 僕はその死生観を得たいと、心底願った。

 いや、ひょっとして既にそれは僕のアタマの中にあるのか……?

「さ、今日ももう遅いから、お帰りよ」

 絵美さんの言葉で僕達は退出する。去り際に絵美さんが僕達を呼び止めた。

「ああ、そうそう。私さっき、自宅のマンションから落ちたって言ったじゃん? あれ、事故じゃないんだ」

「え?」

「自分の身体が成長しない病気でね。嫌になっちゃった時があってさ」

 その時絵美さんは初めて心からの笑顔を僕達に見せた。

「自分で飛び降りたんだよ。自殺するために」

 僕は自分の家に帰ってきた。

 一軒家だ。結構、外見は新しい。最近建てたんだ父さんは随分たくさんお金を使ったと言っていた。

 父さんによるとマイホームは男の夢、らしいからしょうがない。

「おなかすいたね」

 玄関から上がる前から、既に音菜はそんな事を言っている。

 なんでも今日は、僕の家に泊まるらしい。

 一応止めたのだが、まるで聞く耳をもたない。

「そうかい? 僕は全然、おなかすいてないけど」

「どうして?」

「食事の匂いは死の匂いだから」

「そうね。そうよね」

 僕は人と違う事を話す事で人に興味を持ってもらおうとする事がある。人付き合いが苦手だから、そうでもして興味をひかないといけないんだ。

 でも、音菜は驚くどころかその考えを簡単に肯定した。結構過激な事を言ったつもりなのに。

 なんで驚かないんだ?

 僕は以前音菜にこの話をしたことがあっただろうか?

 ……いや、そんなわけはない。「食事の匂いは死の匂い」だなんて、誰かに話したらまず忘れるわけはないようなセリフだ。

 おかしいな。

 僕達は居間に向かいながら話した。

 頑張って興味を引こうとする。そうだ頑張ります。頑張ろう。おー。

「人間は、生きてるものを殺して食べてるんだ。他の生き物の死体を食べてうまいうまいだなんて、なかなか言えないよ」

 なんだか今日は何にも食べる気になれない。という気持ちももちろんある。構って欲しいという気持ち以外にも。

 というか、僕はもともと僕が人とのかかわりを求めているだなんて考えは嫌いなのだ。

 それは僕の弱さが求めているだけで、僕自身が求めているわけではない。

 僕自身は別にいつ死んだっていいようにさえ思っている人間なのだから。

 心残りは、あるけど。

「あんたは、もっと生きる気力を持った方がいいわね」

「そうなのかな」

「そうよ」

 困った。死なない気力は持ち合わせていたつもりなんだけどなあ。誤解されたか。

「僕は別に死にたいわけじゃないんだ。ただ、無になりたいだけなんだ。死ぬのは、怖いよ。ボーッとして、何も考えられないのがいいんだ。でも脳死で植物人間になったって、本当は動けない状態で何考えてるか、わかったもんじゃない。動けなくて、頭の中でずっと何か考えていなきゃいけないんだったら、それも嫌だ。もっとちゃんとした、完全なボーッとした状態になりたいんだ。何も考えず、何も感じなくていい状態に、そういう状態に、僕はなりたいだけなんだ……」

「嫌な事があったから?」

「そう。嫌な事があったから……」それは、僕の記憶なのだろうか?

「そんなの欺瞞よ。現状から、逃げてるだけじゃない」

 僕は、何も言えなかった。だってそれが本当に僕の記憶なのか、わからないんだから。

 居間では父さんがテーブルに突っ伏して眠っていた。昨日の仕事の疲れが、たまっていたのだろうか。

 それにしたって平日、朝から晩まで寝ているというのでは、どうにもよくない気がする。

 平日。

 そう、今日は平日だ。

 父さんは今日、仕事に行ったのだろうか?

「起きなよ父さん、もう夜だよ」

 声をかけたのだけれど、反応が無い。

「父さん。どうしちゃったのさ、父さん!」

 眠ってしまっている父さんを両の手で揺する。

 父さんはだらしなくぐねぐねと動くばかりだ。必死に起こそうとする僕を見て音菜は、

「放っておいてあげなさいよ。もう、死んじゃってるんだから」

 僕達は互いの時間を共有していた。

 僕達は居間でいつまでも死んでいる父さんを尻目に、同じテーブルに向かい合うようにして座り、テレビを見ている。

 テレビの電源は入っていなかった。

 僕は他人と目を合わせて会話をするのが得意じゃない。

 だから、電源が入っていないのにそうしていた。

 テレビの音声を情報として自分の脳に仕入れるのさえ苦痛に感じそうだったから。

 音菜がどうして僕と一緒にそうしてくれていたのかは、わからない。

 だけど僕はやがてその沈黙にさえもいたたまれなくなり、

「シャワーを浴びてくるね」

 僕は浴室の前、洗面台のある脱衣所までやってきた。

 すると、浴室からは水の流れる音がする。

 どうも、シャワーらしい。

 僕の家は父さんと母さん、僕の三人だけの家族構成だから、居間に父さんがいた以上、母さん以外に考えられない。

 そういえば母さんは、朝もシャワーを浴びていたっけ。まさか朝からずっとだなんて事は、ないよな。そりゃないか。

「ちょっと母さん。そろそろ僕もお風呂に入りたいんだけど!」

 返事が無い。

 僕は弱ってしまって、仕方なく居間へ戻ろうとする。

 そこで振り返ると、背後に音菜が立っていた。

「開けてみなさいよ」

 なんだか、急に何かがとり憑いたような、不気味な言い方だった。

 僕は音菜の命に従って浴室の扉を開ける。

 中では母さんが這いつくばっていた。

 音菜は笑って教えてくれた。

「大丈夫よ。あんたの母親ももう、死んじゃってるから」

 それを聞いたらもう、母は膨れ上がっているだけのただの死体だった。髪の毛が辺りに広がって、気持ち悪い。

「どうして……」

「あんたはもう、認識と行動が一致していないのよ」

 音菜の笑い声だけがその場所に響いている。

 音菜……音菜……音菜で赤芯。僕は居間に戻り、父さんの死体を尻目に音菜を殺す事にした。

 今日は、いつもより記憶が戻ってくるのが早い。

 どうしたっていうんだろう。

 そして、僕は今日も大した理由も無いのに、音菜を殺さなければいけない。

 いや、今日に限っていえば、全く、理由なんてなかった。

 理由もないのに、音菜を殺さずにはいられない。

 音菜は既に僕に殺される事を事前に予知してか、居間に戻るとすぐに全裸になり、笑う。

「どうせ殺すんでしょう? だったら、余計なものがない方が殺しやすいかと思って」

 不思議だった。

「どうして音菜は死ぬのが怖くないの」

 僕は台所から包丁を持ってきていた。制服のポケットに入っているカッターナイフでもよかったけど、もっと完璧に、殺したかったんだ。

 音菜は寂しそうに、同じセリフを言った。

「私はもう覚悟、できてるから」

 心の臓を貫抜く前に音菜は最後に一言。

「○○○○の事、考えてあげてね」

 音菜は仰向けに力なく倒れる。鮮血が僕の顔や服を染めるけど、いつもの事だ。

 果て、○○○○とはなんなのだろう。前も言われた事がある気がする。思い出した方が良い事なのだろうか。

私が人間に絶望したのはいつだったろう。

別に誰かが嫌いとかじゃなくて。

人は最終的に一人って言葉も最近じゃ当たり前のように流布されているけれど、本当に、人間は構造的に、ダメなのかもしれない。

結局、わがままに、やりたいようにやって死ぬのが正解なのかもしれない、とか。どうせ、わかりあえないんだから、とか。

なんか、アレだな。

前のラノベっぽい作品と大分毛色違うなコレ……。

まあ、コレはコレで気に入ってます。

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