4-4
終局。
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父さんのメモ用紙には、とある場所の住所が書かれていた。
僕達は父さんが残してくれたその場所に向かう。
僕達が父さんからもらった情報を元に行きついた所は、住宅街の中にある一軒家だった。
いまどき木造建築で、長屋のように一階しかない。変わった家だった。
誰の所有物かよくわからない。
父さんがどうやってこの家を用意したのかもわからなかった。
そして残念ながらあまり新しくはない。
水道光熱費等は名前の知らない『誰か』からの口座から引き落としがされていた。
恐らく架空の名義人だろう。
家にあったその『誰か』の通帳を見ると一億を超える額が様々な口座に分散されて貯蓄されていた。
一緒にあった箪笥の中には現金もそれなりに置いてあった。
しばらくは生活に困る事はないようだ。
窓からは公園が見え、休日には子供の遊ぶ声が聞こえる。
買い物するにもスーパー等も近く、立地条件は良好といって差し支えなかった。
隠れ家としては目立つ場所にあり過ぎるような気がしたが、木を隠すなら森の中、人を隠すなら人の中、家を隠すなら家の中、という事なのかもしれない。
もっとも木造建築一階建のそれは、住宅街の中にあってなお異彩を放っていたのだが。
父さんは僕と沙夜の編入の手続きまで取っていてくれた。
今まで失った時間を取り戻すべく普通の人達と年相応な生活、学園ラブコメみたいな生活を幼馴染の沙夜と一緒に送ってもかまわない、という事なのだろうか。
他の少女達の編入手続きはなされていないようだったけど、とりあえずみんな家にいるのに寝る時以外は制服を着ていた。
洗濯の関係で楽だからだったからだ。
しかしすぐに学校に通い始めるのはよくないかもしれないかった。
何せ僕達はあの人を人とも思わぬ白い部屋から逃げ出してきたばかりなのだから。
だから僕達はどこのものとも分からぬ制服を着ていながらも、学校には行っていなかった。
一ヶ月後の事だった。
潜伏生活にも慣れて来ていたが、沙夜が風邪を引いたのか一週間ほど寝込んでいた。
「買い出し、お疲れ様」
今日の買い出し当番は音菜だった。
「あのね、私、あなたに聞きたい事があるんだけど」
帰ってくるなり荷物を置いた赤い髪の少女が聞く。
「あなたこれから、どうするつもりなの?」
「え?」
「ここにだっていつまでも隠れられているわけじゃないでしょう」
「そ、そんな事言ったって」
僕達に他に行き場所なんて、ないじゃないか。
急に、どうしたっていうんだ?
「『組織』の人間は、少しでも手がかりがあれば、すぐにあなた達の居場所を突き止めるわよ? いえ、もうすぐそばまで忍び寄ってきているかもしれない」
そして音菜は不敵に笑う。嫌な予感がする。
「音菜。君は何か知っているの」
「うん、実はね、『組織』の人達にね、さっき会ったのよ」
体中を緊張が支配した。
音菜は僕の敵ではない。敵ではないはずだ。だけど今の発言は……。
「そ、そいつらは僕達を連れ戻しに来たの?」
何故嗤うんだ。
寝返った、という事なのだろうか?
理由はわからないけれど、拷問とか、当人の意思に関係なくても色々裏切る理由は考えられる。
「沙夜の端末に発信機が付いていて場所がわかったみたい。でも、連れ戻しに来たわけじゃないみたいよ? あなた達は『組織』にとって価値がなくなったから」
とりあえず音菜が裏切ったわけではないみたいだけど、あまり会話の内容的に良い状況とは思えなかった。
「セカイシステムのデータの復元に成功したのよ。あなた達はもう用済みってわけ」
父さんが、負けたって事か。
殺されて、復讐さえも、する事ができなかった。
「沙夜にはもうリミットが来ているみたいだし、沙夜がいらないならあなたも必要ないし。だからあなた達は野放しにされているのよ」
「なるほど」
「まあ、経過観察はしたいみたいだから、監視が付くみたいだけどね。とりあえず捕まって連れ戻される事はないみたいよ。今のところは、だけど」
「そっか」
一応、本当に用済みになるまでは保管しておくみたいだ。子供の時の写真みたいだな。
「よかったわね」
「経過観察が終了したらどうなるのかな」
「さあ? 国の極秘の情報を持っている人間をそのまま野放しにしておくのと、口封じに殺しておくのと、あなたならどっちが可能性が高いと思う? もちろんあなたの言葉なんて、誰も信用しないとは思うけど」
僕はその質問に、答えなかった。ただ、部屋の中は絶えずきれいにしておいた方がいいだろう、とは思った。
「絵美さんは?」
「死んだわ。両方とも。そう、聞いてる」
「そっか」
窓の外を見ると、まひるが砂場で遊んでいた。
近くには猫がいて、まひるはその猫に砂を投げていた。
そんな事をしたら怖がって猫の方が逃げてどこかに行ってしまいそうなものだが、そうではなかった。
猫は何故か、まひるが投げ終わるとまたすぐに元の場所に戻ってくる。
じゃれ合っているような感じなのだろうか。
すぐそばに佐鳥も立っていた。佐鳥は僕の方を、望むような目で見ている。学生服を着たその姿は儚げで美しかった。
「何やってんだろ」インターネット内でもないのに僕はつぶやいた。
僕の言葉が聞こえたはずはないのだけれど、まひるは僕の姿をちょうどその時認めたようだった。
笑顔。猫みたいな犬歯が覗く。
矛盾している。
生き物は人間は、なんだって矛盾している。
公園の砂場からまひるが手を振っている。
唇が動く。
なんて言っているんだ?
サ・ヨ・ナ・ラ?
「好きなんでしょう? 沙夜の事」
音菜が背後から僕に聞く。
驚いて僕は振り向いた。
「え?」
……なんて答えたらいいかわからなかった。
「いいのよ、素直に言って。どうせ私は消えちゃうわけだし」
「ちょっと待ってよ、消えちゃうって?」
「だって私達って、沙夜の思想から生まれてるのよ?」
「いや、うん、それは知ってるけど」
「その条件は?」
「……沙夜がセカイを憎む事?」
「あの子のセカイに対する憎しみは、以前に比べたらずっと弱まってる」
「研究所を出てから、ここで一緒に暮らしていただけなのに。どうして?」
「さあ? あなたなら、理由がわかるんじゃない?」
「で、でも……」
それは、自惚れじゃないのか?
僕は、鈍いのかな?
沙夜が僕に対して『好意』を持っているのか、わからない。
「もう、私に言わせないでよ。私だってあなたの事、好きだったんだから」
「そ、そうなんだ。ありがとう」
「どういたしまして」
恭しく礼を返してくる音菜。
「で、どうなの? あんたは沙夜の事好きなの? 嫌いなの?」
「ぼ、僕は……」
あー、どう答えたらいいんだろう?
わからない。自分の事がわからない。
好きなんだろうか? ……沙夜の事が。
今まで頭の中では守るべき幼馴染としか考えていなかったけど。
言われてみれば僕がなんとしても沙夜の事を守らなきゃと思ってこれたのも、僕が沙夜の事を好きだからなのか?
異性として?
そうか、そうなのかもしれない、そうなのだろう。
オリジナルの三段活用を使わずとも……そうだよなあ。
「でも、沙夜の方が……」
僕の事をどう思っているのか。さっき音菜は遠まわしに、沙夜が僕の事を好きだと言っていたような気もしたけど、それは音菜の言葉でしかない。
本当に沙夜が僕の事を好きかどうかなんて、わかりっこない。
それこそ、本人に確認でもしない限りは。今の状態じゃ確認できないけど。
それじゃ、相思相愛なんて永久に無理じゃないか、どうしたらいいんだ?
そんな心中を見透かしたように音菜は、
「肝心なのはあなたがどう思っているかよ。そうでしょう?」
「そ、そうだけど……」
好きなら相手の気持なんて関係ないってことか。青春だなあ。
僕はそこまではっきり自分の意見を主張するのは、得意ではない。
……だから当然のごとくこの期に及んでも、はっきり、言えなかった。
「まぁ、いいけど」
音菜はそんな意思薄弱な僕を軽く笑うと、急に上目遣いでしっかりと僕の方を見て、
「この子の脳内で作られた人間とはいっても、やっぱり他の子に好きな人を取られるのは、いやなのよ」
音菜はそれから僕の体を急に抱きよせ。
「私も最後に」
なんだ?
どうして音菜の瞳はこんなにも、潤んでいるんだろう?
「絵美とまひると佐鳥に、そして沙夜に」不意に視界が動いた。
唇を唇に押し当てられる。
いつの間にか彼女が流していた透明な涙のせいで、成熟した大人の雰囲気はみじんもなかったけれど、音菜らしい大人のキスだった。
舌の感触が、伝え触れる涙が、熱かった。
唇を離すと音菜はせいいっぱいに子供っぽい元気いっぱいな声で、
「ぬけがけ!」
無理に笑顔を作って見せる音菜。涙と唇についた透明な糸だけじゃなく、ついでに鼻水まで出てきた。
「あうぅー……」
顔をぐしゃぐしゃにしながら部屋の中にあったボックスティッシュの場所までトコトコと駆けて行き、ずびぃむ、とかやっている。
別れの雰囲気が台無しになってしまった。
いや、案外本当に、一時的なお休みなのかもしれない。
脳休み、みたいな。
だから僕は聞く。
「もう、現れないの?」
だけど使用済みティッシュをゴミ箱に控えめに投擲した音菜はその問いに対してやはり控えめな声で、
「そうね。あの子の憎しみが一定以下になった時に、彼女の中に埋め込まれたセカイシステムの端末は破壊される事になっているから。そしてそれはもう時間の問題。だから。さよなら、よ」
「突然、そんな事言われても、困るよ」
「そんな事言わないの。沙夜の中に世界に対する憎しみが無くなったっていうのなら、それは素晴らしい事じゃない?」
僕のおかげで。
沙夜がセカイを憎む事をやめた。
少なくとも、セカイシステムを維持できなくなるくらいには。
確かにそれは素晴らしい事なのか。
素晴らしい事なのか。
でもこの別れは許容したくない。
許容したく、なかった。
「ごめんなさい。もう、時間だわ」
音菜が僕の方に両手を広げてやってくる。
僕は彼女の事を抱きしめ、受け止めようと思った。
だけど彼女の体は、僕の体をすっと、幻のように突き抜けてしまう。
幽霊みたいだ。
さっきまでちゃんと、実体があったのに。慌てて僕が振り返ると既に音菜の姿はなかった。
「音菜」
窓が見える。
「まひる」
そこから公園の砂場を見る。まひるの姿も既に無かった。
「佐鳥」
佐鳥の姿もまた、無かった。
公園にいまだとどまっていた知的かどうかもわからない三毛ネコと僕の目が合う。
あの猫は何を思っているのだろうか。
水の入った壺に落ちて死ぬ時をじっと待っているような目をしている。
絵美が死に、音菜が消え、まひるも佐鳥も消えた。
もうあの白い部屋で一緒に暮らした人達はどこにもいない。
みんな、みんな消えてしまった。
僕と、金色の髪をした少女を除いては。
「う、うぅん」
ベッドの中から沙夜がうなされたような声をあげる。
はりついた前髪をよけ額に手を当てる。
浮かんだ汗は既に冷えていた。
しかしすごい汗だ。
この分じゃ寝間着も汗で濡れてしまっているに違いない。
……風邪を引いたら困るし、体を拭いてあげた方がいいのかもしれない。仕方ない。僕はまず第一に、沙夜の同居人なんだから。
沙夜が目を覚ましたのは、その日の夜だった。
「寝間着、替えてくれたんだ」
あんまりにも普通に、沙夜が日本語という言語を駆使した。
「ああ、うん、勝手にやって、ごめん」
「いいよ、ありがとう」
「具合は? 大丈夫?」
「うん。大丈夫」
「よかった」
「大丈夫、だけど……」
「だけど?」
「なんだか、頭の中が静かになったみたい。話相手が急に何人もいなくなっちゃったみたいな、そんな変なカンジ……」
「そっか。うん、そっか」
「結構前から夕哉と一緒にいたと思ったんだけど。あの白い研究所みたいな所にいた時から……。でもごめん、あんまりはっきり覚えてないの。全部、夢だったのかな?」
僕は答えなかった。沙夜の経験してきた事を思えば現実だったと言いたくはなかったし、思想から生まれた四人の事を考えると、夢だったとも言いたくはなかった。
沙夜がちいさな手を僕の方に伸ばしてくる。
「寂しいから。手。しばらく、握ってて」
勝手な奴だなと苦笑しながらも僕は両の手で彼女の手を包むようにした。
片手で握ってもよかったのだけれど、多分僕は次の僕の言葉を受け入れて彼女に了承してほしいと、祈るような気持ちだったからだから。
「沙夜。俺さ」
「何?」
つぶらな瞳が僕を見上げてくる。僕は今。
「実はお前の事……」
音菜に聞かれて答える事のできなかった言葉を沙夜に、言うんだ。
あまりにもベタなセリフ。
だけど。言わなきゃ。
これから沙夜と二人で残された時間を一緒に生きていく為にも消えていった礼美さん、まひる、佐鳥、そして音菜の為にも。
「好きなんだ」
沙夜はそれを聞いて涙を流すと、
「わ、わたしもっ……」
きっと彼女にとってみれば、誰かに好かれるどころか嫌われるだけの記憶しかなくて、必死に心を凍らせていたんだろう。
だからこんな風に好意を向けられて溶けた心は、簡単に涙という水を放出させた。
誰からも駒としか思われていなかった僕と、誰からも必要とされていないと思わされた沙夜。
案外、お似合いなのかもしれないな。
そうだったら、いいなあ。
僕はそっと彼女に口付けた。ファーストキスではなかった。
ベッド上で抱き合い口付けたまま二人はしばらく、そのままだった。
了
いかがでしたでしょうか。
荒いところもあったかと思いますが、
少しでもお楽しみいただけたなら幸いです。
次はもう少し簡単で楽しみやすいお話を書こうと思います?
ではまたいつの日か。




