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2-2-5(健康診断結構死んだ)

日本語って言語として破綻してるよねって思う私の書く小説は小説として破綻しているのかもしれない。

2-2-5(健康診断結構死んだ)

 その日は、健康診断を行う日だった。これまでも二日にいっぺんやっていたのだが、今回は人数が多い。

 初めに、紫堂佐鳥と赤芯音菜が呼ばれて部屋から出ていった。自動扉が左右に開き宇宙服を着た人達が二人を連れていく。

 僕とまひるは留守番だ。

 診察室の外の廊下にはいつも丸型の椅子が一つ置かれているだけだったので、人数的には当然の事なんだけど。

「えへへへへ、せんぱいと、二人っきりですねぇ」

 そしてベッドの上で休んでいた僕の方にすり寄ってくるまひる。

 いきなりだ。

 前置きなんてないも同然だった。女性に嫌われるタイプだ。

 いや待てよ、イヤよイヤよも好きのうちとかいう言葉もあるくらいだし、案外女性には嫌われないのか?

 ていうか、僕、男だからそんな仮定の話は関係ないし家庭の話も関係ない。まひるの家族とか、ちょっと考えてみたらすごく面白そうだったけど関係ない。

 あーもうまったく、どうして僕とまひるで留守番なんだ!?

「あ、あんまり僕の方に近寄らないでくれるかな!?」

 既にまひるは十全に僕への距離を詰めていた。

 アフリカで走りまわっている肉食獣の子供が近所の野良猫がこの白い施設の所長が捕まえた獲物をすぐには殺さずに遊んでいるように、まひるは破顔一笑喜色満面とにもかくにもニコニコニコニコ別に動画をやってるわけでもないのにそうして寄ってくる。

 小心な僕が女性の接近によって心を乱しているのを見て、明らかに楽しんでいる。

「んー、せんぱいは、『俺』って言ってた方が良い感じ、ですねえ」

「そうかな?」

 自身のアイデンティティ及び今後の生き方についてわざわざアドバイスありがとうと年下(だと思う)にお礼申し上げるべきなのだろうか。確かに僕は昔自分の事を『僕』と呼んでいたけれど。

「そーですよー、なんていうか『僕』だと、変な感じですぅ」

 そうしていつの間にか僕の右腕を取り、自身の両腕を絡めている。

「なんでまひるがそんな事言うのさ」

 今日会ったばかりだっていうのに。

「えええ、だってなんか、昔自分の事なんて呼んでましたぁ?」

「いや、まあ子供の時は『俺』って呼んでたけど……」

 そりゃ小学生の時とかは、没個性的にみんなそう呼ぶ事が多いと思うけど。でも今は僕って感じなんだよ。

 そっちの方が自分に合ってると思うんだよなあ。

「ですよねぇ? 絶対その方がいいですよぉ。若者っぽくて」

「そ、そうかな」

 俺……かぁ。

 言いにくいなあ。

「ていうかせんぱぁい」

「ん?」

 まひるははにかんだ口調で、

「夢の中でのまひるは、どうでしたぁ?」

「え」

 唐突だった。

 情報が開示された。

 ……知っている?

 音菜と同じように。まひるも僕の夢を知っているのか?

 一体、どうして?

 どうやって僕の脳内を覗き見ているんだ?

「ダイブしてる時の先輩も好きですけどぉ、こうやって実際に先輩の事見るのも、いいですねぇ」

「ダ、ダイブ?」

 まひるは僕のその質問には答えずに。

「あのね、私の事、どう思っていますかぁ?」

 甘い返事を期待しているような声。

 今の僕の気持にまったくそぐわない表情。

 だめだ、とても聞けそうにない。

 ……ていうかこれ、なんて答えたらいいんだ?

「ど、どうって言われても……」

「わたし、ねぇ? 夢の中でせんぱいに会えて、とっても幸せでしたぁ。またせんぱいが『ダイブ』して来てくれるの、すっごいたのしみだなぁ」

 何を言っているんだ?

 と、ちょうどその時自動ドアが開き、佐鳥が戻って来た

「次、あなたの番だから」

 まひるに対しての言葉だった。

「えー、でもぉ、私、まだ、夕哉せんぱいとお話がぁ」

「あとでもできるでしょう。あなたのせいで夕哉の診察が遅れたら、迷惑になる。その時あなたは、どうやって責任を取るの」

 別にまひるを糾弾する調子でもなく。

 淡々と、ただ事実だけを告げるようにして、紫堂佐鳥はそう言った。

「うぅう。わかりましたよぉ」

 よろよろとして、まひるは出ていった。

 自動扉が閉じると僕はほっとして、

「ありがとう。助かったよ」

「なにが?」

 佐鳥はまひるみたいに僕に無理やり近寄ってきたりはしない。

 こちらに背を向けてベッドに腰かける。

 斜めの位置にいて、横顔がわずかに僕の方からは見える。

「ねえ夕哉」

 佐鳥はほとんど背中を向けたまま、静かに聞いてきた。

「生きる意味って考えた事、ある?」

 返答に困った。

 その問いの答えがもしあるとするなら、それは物語の世界にこそある――僕は、そう信じています。

 とか言えたら格好良かったのかもしれない。

 けれど、残念ながら僕はあまり読書家ではない。

 実際、難しい。

 哲学的な問いだな。

 信じる人の数だけ答えがある、とかわかったような顔して何にも考えないでぼかして逃げてしまうのが最上の返しな気がする。

「いや……」

 結局。

 それを真剣に考えた事がありますだなんて人に言うのは、中学二年生の年齢である僕にとっては難しすぎた。

「そう」

 ポツリ。と。

「佐鳥はどうして……」

 そんな事を聞くんだろう?

「別に。ただあなたと私の関係について考えていただけ」

「僕と佐鳥の関係?」

「そう、私とあなたの関係」

 それって、ただの同居人じゃないのか?

「私とあなたはずっと前から……」

「え?」

 僕と佐鳥は今日会ったんだ。それは間違いない。

「少なくとも私の中では……」

 僕にとっては今日会った人が、ずっと前から僕を知っているという。

 ……やはり僕は記憶喪失にかかっているのか?

 いや、自分を疑うようになったらおしまいだ。

 狂っている人は自分を狂っていると気付けないというけれど、正常な人がいつも自分の事を狂っていると考えているだなんてのもおかしな話だ。

 そうだ。

 大丈夫だ。

 全然、大丈夫だ。

 僕は狂ってなんていない。

「佐鳥は何を言っているの?」

 夢の中のような気さえする。

 佐鳥はただぼんやりと独り言のようにして自分の考えを途切れ途切れに話していた。

 何か考え事をしているのか。

「いえ、何が真実で何が虚構かなんてどうでもいい事なのかなって」

 また哲学的な話だ。

 ちょっと僕には難しくてついていけそうにない。

「感覚器官を通じた脳で人は世界を認識している。だから事実かどうかじゃなくて、脳の認識が大事。その認識が正しくても正しくなくても、本人が幸せなら、気にする必要はないのかなって」

「えーっ、と認知症か何かの話?」

「そうね。累積した過去が正しくないという意味では」

「佐鳥のおじいちゃんとかおばあちゃんがそういうのになってしまったって事?」

 でも本人は幸せそうにしているからいいか、とかそういう事なのだろうか。ちょっとこんなデリケートな問題をいきなり初対面(夢の中では会っていたけど)の僕に向かっていうのはどうなんだろう。

「いえ、私が……」

「佐鳥が?」

 何を言っているんだろう?

 佐鳥はまだ若い。

 認知症になんて、なっているはずもないのに。

 佐鳥は首を横に振り、

「大したことじゃないの。大切なのは、これからの話よ」

「うん?」

 どういう事なのかまったくわからない。

「これから先、一個の人間である私が幸せになるには、どうしたらいいのかって、考えていただけ」

「そっか」

 正直何を言っているのかまったくわからなかったが、不思議と狂的な感じはしなかった。

「私の事、おかしな事を言っている女だと思ったでしょう?」

 佐鳥はこちらの方に上半身だけひねり、眼鏡越しに僕の瞳を覗きこむようにする。

「いや……」

 正直ちょっとそう思った。

「でも、距離を置く様な感じでもない」

 佐鳥は僕の事を観察するように見つめている。

「不思議ね、あなた」

 僕は、ただ佐鳥は僕なんかよりもずっと深い事を考えているんだなと思っただけだ。

 何が不思議たというのだろう?

「普通ならもっと、理解できないものからは離れようとするものなのに」

 そうして笑う。

 そういえば夢の中を含めても佐鳥の笑顔を見たのはこれが初めてだった。

「結構かわいい顔で笑うんだね」

 僕が素直に感想を述べると、

「ふざけた事言わないで」

 そうして再びそっぽを向いてしまう。

 ありゃりゃ、失敗だったか。

 佐鳥さんの心の鍵を解錠するのに失敗しました!

 と軍服を着た伝令が頭の中で飛んできたので僕はとりあえず、外堀は爆破に成功している。あとは内堀だけだ!

 大阪冬の陣張りに隊員達を鼓舞する。

 別に戦国時代に迷い込んだ自衛隊の真似をしようというんではなくて豊臣徳川の権力争いをしようというんではなくて、なんとなく頭の中でそんなイメージが出てきてしまったってだけなんだけど。

 そして眼鏡の三つ編みお下げの少女から再び音声が僕の耳に届けられる。

「もう少しだけ、話、してもいいかしら」

 僕はなんだか佐鳥に気に入られたようだった。

「あなたは罰について考えた事がある?」

 相変わらず難しい質問だ。

「罰?」

「そう、罰」

「わからないな。悪い事をした時に与えられるものってくらいしか」

 正直、あまり考えた事はなかった。

「私ね、罪を償う事なんてできないと思うの」

「どういう事?」

「人は生きているだけで罪だから」

「極端な話だね」

 多分佐鳥は、真面目だ。

「原罪って言葉を聞いた事はあるでしょう?」

「ああ、十字教とかに出てくる考えだよね」

 いや、絶対。

「私は誰かの言葉をそのままうのみにするのは好まない。だけど人は生まれた時点で罪を背負っている。その考えは、正しいものだと思う。生きている限りその罪をぬぐうことはできない。そして生き続ける事で私達の罪は際限なく増えていく。でも私達がするべきことは死ぬ事じゃない。大切なのは罪の意識を常に持ちそれを粛々と贖っていく事。生きていく中で、謙虚に」

 真面目だ。

 真面目すぎるくらい。

 あんまりにも真面目だとこの世の中は生きにくい気がする。

 人生はそんなはっきりとしたもんじゃないんだ。

 いや、何も考えてない僕の中の『なんとなく』でしかないんだけど。そんな、気がする。

「佐鳥っていつもそんな難しい事を考えているの?」

「いつも、ではないわ。時々、よ」

 時々考えているだなんて絶対嘘だと思った。

 そうして再びこちらを見て軽く微笑みかける佐鳥。

 あんまり難しい事を考えられるくらいに頭が良いと、逆に話相手がいなくて孤独なのかもしれない。

 僕と話せた事で、少し嬉しそうにしていた。

 実際、同じ中学二年生とは思えなかった。

 ちょっと僕とは思考の次元が違う。

 それこそ今聞いた感じだと、悟りでも開こうとしているみたいな考え方だ。

 いや、ひょっとしたらもうとっくに解脱とかしちゃっているのかもしれない。それくらい佐鳥は落ち着いている。

 『なんとなく』で生きてきた僕とは、心の土台が違う。

 三匹の子ブタの話を思い出した。

 『いかに生きるか』という哲学的な問いをオオカミとするのなら。

 僕はオオカミに食べられないようにレンガで家を作ったけど、地面が砂だったのにそこに建ててしまった。

 だから僕は多分たくさん矛盾してる。

 オオカミは下から僕の家に簡単に入ってこれる。

 けど、家は壊れない。

 少なくとも、僕の生き方のレンガは壊れない。

 何があってもある程度の大きさで、残る。

 対して佐鳥はオオカミが家に近寄れないくらいの障害物を家の周りに置いている。

 絶壁の谷の底にあって、まわりにはトラバサミとかたくさんの罠。

 近寄る事は容易じゃないけど、ひょっとしたら家はモロいのかもしれない。もし彼女の家に辿り着く事ができたなら。

 そこは簡単に壊されてしまう可能性がある。

 僕はそれを危惧した。

 ていうかいつの間にか僕も難しい事を考えている気がする。

 僕は人に流されやすいのか。人に流されやすいのか。

 ああ、ダメだ。

 ……なんかちょっと佐鳥の考えを理解しようとするのは少し、面白かった気がする。

「不思議ね。私は君とこうしてここにいられる事に、幸せを感じている」

 そして僕の方を振り返った彼女は僕の右の手を両手で取ると、表面をさすり始めた。

「な、何をしているの?」

 僕の手の甲をさすっていたのをやめると、今度はひっくり返して手の平をじろじろ見ている。

 眼鏡越しに見えるその瞳は、真剣だった。

 そしてしばらくそうしていたのだが、やがて飽きたのか僕の手を放りだすと、

「ごめん。ただちょっと、不思議だったから」

「な、なにが?」

 佐鳥はご丁寧にもう一度言ってくれた。

「私がこうしてあなたと一緒にいる事に、幸せを感じている事」

「幸せなら、いいじゃないか」

 手でも叩けばなおいいのかもしれない。しないけど。

 なんにしたって、幸せに理由なんているのか?

 原因の追求なんてしなくていいような気もする。

「そうね」

「あのさ、佐鳥」

「何?」

「一つだけ、聞いてもいいかな?」

「それは既に質問よ」

「ああ、ごめん。もう一つ聞いても」いいかな?

 と言おうとして堂々巡りなのでやめた。

 佐鳥は僕のその様子を見てちぃさく笑い、

「別に。いくつでもどうぞ」

「あのさ。ダイブって何?」

 どこでその言葉を聞いたの?

 という顔をしているので代わりに答えてあげる。

 そして先程佐鳥から与えられた権利を濫用して、追加の質問を紡ぎ出す。

「まひるが言ってたんだ。『ダイブしている時の先輩もいいけど、実際に見て触れる先輩は、もっといいって』。ダイブって何なの? それは僕の見る夢に関係しているの?」

 常識的に考えてそう考えるのが自然だった。

 僕は起きている時に何も特別な行動をしていない。

 ただ『訓練』を受けているだけだ。

 そして僕の見る悪夢。

 それを音菜は僕のせいじゃないかのように言った。

 自分の心のせいじゃない。

 僕の見る夢は、あらかじめ誰かに用意されている。

 音菜は多分僕にそう言おうとした。

 そしてさっきのダイブという謎の言葉。

 ……全ては、仕組まれているのか?

「ねえ、佐鳥、そのダイブっていうのは」

「人が人の全てを理解しようと思うなら、深層心理の奥底まで潜っていく必要がある。そこは無意識と有意識が共存するセカイ。そこであなたは彼女に……」

 佐鳥はそれからまた僕から視線を外し、目をつぶって何かを考えているようだった。

 沈黙が辺りを支配する。

 続きの言葉をずっと待っていたのだけれど、結局彼女は何も言ってくれなかった。

 彼女は内面で十分に満ち足りてしまう人のようだった。

「ねえ佐鳥、つまりそれてどういう」

 彼女は僕の方を見て息を吐くと、

「分からない」

「え?」

「今あなたがそれを知るべきなのかどうか、私にはわからないの」

 それ以上佐鳥はその事について話してはくれなかった。

 何か考えているようだったが、僕にはわからない。

 沈黙が支配する。

 しばらくすると音菜が戻ってきた。

「夕哉。次あんたの番だよ」

 白い部屋から出ると僕は宇宙服を来た人達に連れられ診察室に向かう。

 廊下に用意してある丸椅子に座ってまひるの診察が終わるのを待った。

 名前が呼ばれると僕はいつものように診察室に入る。

「夢の方はどうだい?」

 机の上から僕用のカルテみたいなのを引っ張り出すと、絵美さんはさっさと質問を始める。僕を『訓練』するのと同時に健康診断なんて、矛盾している着気もするけど、もう慣れた。

「別に、いつもと変わりありませんよ。色んな女の子を殺して、それで終わりです」

「知ってる子?」

「今同棲している子全部です。どうなってるんですか?」

「あんたの記憶にあったからなんじゃないの?」

「違いますよ。彼女達とは今日会ったんです」

「何言ってるのよ。あなたはあの子たちにずっと前から会って、知っているよ?」

「そ、そんなはずは……」ない!

 ……そうなのか?

 いや、僕は夢遊病みたいな真似だってしているんだ。

 自分を信用するべきじゃない。

 人に会って覚えていないってくらい、十分ありえる事だ。

「嘘だよ」

「え?」

 絵美さんは笑いながら、

「随分と追い詰められちゃった顔してるね。まだ、半年くらいだってのに。今のあんたなら何を言っても信じちゃいそう」

 確かに、そうかもしれない。

「従順になっちゃったわね。最年少の非正規軍事開発部所属者とは思えないわ」

 確かに、そうなのかもしれない。

「昔はもっと、はっきりしてたのにねえ? 一人称も、俺だったし」

 確かに、そうだったのかもしれない。

「人は与えられた役割を演じてしまうから。私、ね? だから、その時々で役割を演じているだけで、結局どの人間にも差なんてほとんどないのかもしれないわね。完全記憶能力とか、特殊な能力を持ってる人を除けば。それだって神から与えられた『役割』だしねえ」

「神から与えられた能力と他人が与えら役割を除けば人類皆平等、という事ですか」

 さっき佐鳥と話していなかったらこんな言葉は僕の口から到底出て来なかっただろうし、この話題についていく事もできなかったに違いない。

 ある種の予定調和を感じた。佐鳥に感謝するべきかもしれない。

「そんなもんなのかもねえ、と君を見て思っただけ。あんまり、変わっちゃったからね。ちょっと酷な事しちゃったかな、と思って。反省、反省」

 絵美さんは煙草に火を付けた。

「で、結局僕はどうして会った事も無い人達の夢を見る事ができたんだと思います」

 絵美さんは煙草から口を離すと、

「んー、予知夢とかってやつなんじゃないのぉ? 私はESPには詳しくないけどさあ」

 あからさまに適当な言葉で流される。ついでに吐き出した煙を僕の方に浴びせかけてくる。僕はちょっとむせた。

「ネットで見ましたけど、今は禁煙が流行ってるみたいですよ?」

「そうなの? どこ行っても喫煙者には逆風だとは感じてたけど」

  どこ吹く風だ。もう一度僕に煙を吹きかけてくる。絵美さんの口内を通過した煙草の匂いは、やっぱり煙草の匂いだった。

「てかあんたの部屋、パソコンなんてないよね?」

「え?」

 あれ……確かにそうだ。……え?

「そういやこの前、私とおんなじ名前の子が出てきてたって聞いたけど」

「ええ、そうなんですよ」

 垂れ目がちの瞳、気怠げな表情。

 下にいくほど跳ねた、簡素なショートヘアー。

 白衣の中に黒のスカート、黒のガーター。

 そこまで全部同じなのに、夢の中では六歳か七歳の幼女が僕の精神鑑定をするのだ。

 「自分の事しか考えていない」とか。

 ……あれは、僕に対して言った言葉なのだろうか? 現実みたいに、二十後半くらいの女性に言われるなら、まだいいんだけどなあ。

「まるで絵美さんがそのまま小学校一年生になったみたいな。あれは、なんなんでしょう?」

「うーん、あんた、私の事怖いと思う? もしくは、憎いとか」

「え?」

「いや、もしそうならね? あなたの深層心理の中で私に対するそういう『ストレス』を軽減する為に、弱くて無力な存在だと思いこもうとして、私の事を幼く変換して見てるのかなって、思ったのよ」

「僕は別に絵美さんに対して恐怖も憎しみも感じていませんよ」

「んー、そっか。そうだよねえ」

 絵美さんはカルテに何事かメモをした。

 それから、いつもの質問をする。

「それで最後は?」

 絵美さんはいつも僕の夢の最後がどうなって終わるのかを聞く。

 何故それがそんなに大事なのかわからない。

 心理学的な面で何か重要な事なのだろうか。

「最後はいつも音菜を殺して終わるんですけど。音菜が自殺しちゃう時もあるんですが」

 とりあえず嘘偽りなく報告する。

「音菜、ね。まあ、あの子は『理想』みたいなもんだからねえ」

「理想? 誰の?」

 絵美さんは僕のその質問には答えずに、

「ストレスにさらされた時の対処法ってわかる?」

「急に変な質問ですね」

「まあそう言わずに答えてよ」

 なんか今日はやたら質問される日だ。

 しかも絵美さんまで佐鳥みたいに難しい質問をする。

 もっと好きな食べ物を聞くとか、簡単なのにしてほしい。

 そしたら大根のおでんです、とか簡単に答えられるのに。

「何か他の事をして気をまぎらわすとか、そういう事ですか?」

「それは逃避かな。他にもある障害がある時に別の物事に取り組んでストレスを発散させる。自己実現する事で埋め合わせをする。そういうのもある。それは昇華っていうんだけど」

「しょうか?」

 そうでしょうか、とか聞いたら殴られるだろうか。

「昇る華って書いて、昇華ね」

「昇華かあ。昇る華だなんて、綺麗な言葉ですね」

 頭で考えた事は頭の中にしまっておき。

 当たり障りの無い言葉を選ぶ。

 だって。

「世間じゃこの方法ばっかり賛美するんだが、ストレスを抱えている人がこれを実行するのは大変なんだ」

 興味深い話ではあるんだけど。

「へー」

 僕は絵美さんが何を言いたいのかわからなかった。

「他にも野球球団を応援して勝ったら自分の事のように喜ぶっていう同一視なんてのもある」

 僕は絵美さんが何を言いたいのかわからなかった。

「うーん。何を言いたいんですか?」

「ストレスってのは結局その人が自己実現できないからこそ生まれるんじゃないかと、そう思うわけ」

 うん? 割と本当の事だけど耳が痛いような事を言われたような。言い方がなあ。

「ストレスを抱えちゃう人はダメ人間みたいな言い方ですね」

「別にそんな事を言ってはいないよ。人間は生まれた時から負けているんだ」

 佐鳥の言葉。

 人は生まれた時から罪を負っているという言葉が脳裏で蘇った。

 関係があるのだろうか……?

 似たような事を言っているのかもしれない。

「人間の深層心理が望む自己像なんてのは、およそ実現不可能なものが多いんじゃないか? だからこそ人は、夢を見るわけだし」

 そしてここで出てくる。

 夢という言葉。

 その言葉に含まれている意味を解す事は、困難だった。

 そして絵美さんはカルテを片づけると、

「多分、しばらくダイブはさせないから」

「え、その言葉は……」

 まひるからも聞いた言葉。

 ……ダイブってなんなんだ?

「ふふ、やっぱり知ってた。誰から聞いたの? 新しく同居する二人のどちらかね? まひるちゃん? それとも、佐鳥ちゃんかしら」

 絵美さんは僕がその言葉に反応した事を目を細め、面白そうにしていた。

日本人が嫌いだからと言って国外に行ってしまった妹の事を時々思い出す。

外人なら嫌いじゃないのか。

考えてる人も考えてない人も真摯な人もクズな人も同じだけの発言権がある。そういうネット世界がどうなの? と思うときもあれば肩書きのせいで皆がヘイコラする現実社会にどうなの? と思うときもある。

結局あんまり考えないで流れに乗っていくのが楽なのかもしれない。

自分の考えを持たないで、ただ寿命で死ぬまで生きるのが、「幸せ」なのかな。それができたら苦労しないんだけど。

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