thirdDay 2
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「グヘェ……………………………………」
とだらしない声を上げ地面に倒れこむ椋。
午前中、と言っても午前五時からなのでかなりの早朝から永遠と雁金さんの体力作りメニューに付き合わされていたわけなのだが、時刻が11時を回った頃《隠者》との交代のためにようやく悪夢の修行から解放されたのだった。
甘い考えを叩き直されるものだった。
山の整備されていない凹凸の道をただただ3時間走り続けたり、基礎トレと称して休むことの許されない永遠の腹筋背筋胸筋の筋トレをしたりと、運動神経は悪い方ではないが、日頃さして運動というものをしない椋の疲労は全身に到達し、嗚咽混じりの大きな息を吐くことしかできなくなってしまっていた。
「ヘタってんじゃねぇよ………これくらいのことで…………」
雁金さんの顔は呆れに染まっていた。もう何度この目で見られたことだろうか?
冷静に考えておかしいと思うことがいくつかあった。すべてのトレーニングを一緒にこなしてきた雁金さんは汗は少々かいていたものの、息を切らすこともなく、あれだけ過酷な内容を淡々とこなしていた。この小柄な少女のどこにそんな体力、そして筋力が存在するのか?
そして時間を何度も確認してきたということも気になる点だ。6時間のあいだで軽く100回以上は聞かれたきがする。流石にあれはトレーニングの一環ではないだろう。
そんなに時間を気にするのであれば自分で時計を所持すればいいだけの話。ツリーハウスの中でもそうだが、なぜんか彼女は時計を嫌っているように見えた。
「師匠………」
「ん?なんだ?」
「師匠の体力はどこから来てるんですか?」
気になったことを素直に口に出すのは時として大切なことだ。うん。
「ミットからアタイの生い立ちは聞いてんだろ?」
「はい……大まかにですけど……」
先日《隠者》の心内空間で見たあの光景のことだろう。それから彼女は成長を止められ、今まで生きてきた的な本当に大まかに記憶を掘り返す。
「アタイは奴……ソレイユによって成長を止められてる。えっと……今何歳だったっけかな?……490くらいか…?」
「483じゃなかったですか?」
「そうだったか?もうそんなのどっちだっていいんだよ!」
「そんなもんなんですか?」
「そんなもんなんだよ!!」
あまりにも大雑把な時間感覚に少々笑いを堪えれなくなってしまい、思わず吹き出してしまう。
それだけ生きている人間なんてそもそも規格外なのだ。そういうものなんだろうと割り切って、雁金さんの話に耳を傾けた。
「まぁ、約500年も生きてきたんだ。鍛える時間くらい余るくらいあったさ」
そりゃあそうだと素直に思う。日に換算すれば18万日位だ。余るどころではないだろう。苦い表情を浮かべた雁金さんは「んでもって」と続ける。
「これまでのソレイユとの合計戦闘回数は853回、だいたい一年に二回周期だ…。そりゃ最初はボロボロにされたさ…。でもそう、鍛える時間はいくらでもあった。必死に。両親のために、復讐してやる!!ってね」
「けどまだ決着はついてないんですよね?そんな戦いに僕が割って入ってもいいんですか?」
そんな想像もできない複雑な関係の二人、自分はそんな二人の500年の戦いに割り込むべき人間ではない。椋と同じ立場に立った人間はきっと全員が全員同じことを考えるだろう。
しかしその考えを覆すように雁金さんは言う。
「永遠に生きる」
一つの言葉。単純に発せられた一言には大きな重みを感じられた。
「考えたことあるか?」
続ける。椋に相槌を挟む隙さえ与えず淡々と雁金さんは続けた。
「アタイが止められてるのは成長だけだ。もちろん何も食わず何もせずに暮らしてったらいつかは死ねるさ」
「でも」と、やはり椋が意見を挟めないようにといった感じで言葉を詰めていく。
「アタイは二つの命を抱えてんだ。アタイが空腹に苦しめばもうひとつの命も空腹で苦しむ。アタイが肉を裂けば、もうひとつの命も肉が裂けた痛みを味わう。アタイが車にはねられたのならば、もうひとつの命も車に跳ね飛ばされたのと同じ苦痛を受けるんだ」
彼女の言っているもうひとつの命とはつまり《隠者》、ハーミット以外にはありえないだろう。彼女が考えていることは正しいのかもしれない。自分ひとりの身勝手な行動で大切な人が傷ついてしまう。その恐ろしさは少し前に体感したばかりだ。正の《悪魔》、出丘宗との関わりに柊真琴を巻き込んでしまったせいで、彼女は瀕死の重傷を負った。あんなことはもう二度と体験したくない。それがわかっているのだが、今の雁金さんの言い方では自らが『死』を望んでいるようにも聞こえた。
そんな思考を張り巡らせているあいだにも雁金さんは続けた。
「正直さ、復讐なんてもうどうでもいいんだ。アタイはただミットをアタイから開放してやりたいんだ。けどミットに一瞬でも苦しい思いはさせられない。この条件が叶う唯一の方法、それがソレイユから『成長』を取り戻すことなんだよ。アタイは年をとって死ぬ。止まった時計を進めるんだ!」
永遠に生き続ける苦しみ。成長を止められてしまった姓で起きたその現象に対する雁金悠乃の考えは実に重いものだった。それを体験したことがない人間にしかわからない苦しみ。辻井椋というちっぽけな人間が理解するにはあまりにも烏滸がましい。そう思ってしまう。
「あたし一人じゃおそらくアイツには勝てない。そりゃ時間をかけてまだまだ鍛えて言ったら可能性は上がるだろうさ…。でもこの思想を持ち出したのはもう300年以上前の話なんだけどな」
「そんな………」
自分が何気なく聞いた話がここまで重いものだとは思ってもいなかった。正直に言えばこの修行自体をかなり軽い気持ちで受けていたという部分がないと言えない。
―――ただ偶然に正の《隠者》雁金悠乃の山に侵入してしまい、その山で馬鹿なことをして、それの代償として負の《太陽》ソレイユの討伐に参加することになった。―――
椋がそのについていけるようにと修行の話を持ちかけられ、その時偶然《愚者》からも能力の訓練をしておけという命令がくだされていた為この提案に乗ったのだ。深い事情なんてものは一切考えず、ただ仕方なく《隠者》一行の指示に従っていただなのだ。
「すいません……僕…そんな深いこと考えずに普通の部活動の延長みたいな気分でここに来てました……本当にすいません……」
陳謝を続けた。それ以外の言葉が探せなかったからだ。
「気にすんな!アタイだってまだ数百年は一人で戦う気だったんだ。最初はミットに頼まれて《愚者》を探すことになって正直メンドくせぇと思った。でも会ってみるとまだまだヒヨっ子だけど鍛えれば鍛えるほど確実に強くなる、話してるうちにそれがわかったんだ。身体面でも精神面でも能力面でもな」
「そんなことないですよ……俺はただのビビリでいじめられっ子で弱虫な中学生ですよ……」
そんなネガティブな発言に対し、雁金さんはじれったさを解消するような、少々怒りの混じったような声で叫んだ。
「馬鹿かアンタは!アタイがなんで素直にあんたとの修行に応じてると思ってんだ?見込みがあるからに決まってんだろ!!これまでいろんな《隠者達》に負の《太陽》の討伐への参加依頼をしてきたさ。でもそいつらはただ手に入れた膨大な力をガキみたいに振るってるだけのクズどもだった。こっちから願い下げだったよ。でもアンタは違う。今この時代で無能力者っていうキッツイ経験をして来たからこそ、アンタは自分の能力、そして《愚者》の能力と真剣に向き合ってる。それは誰も持つことができないアンタだけの長所なんだよ!!」
発言と同時に雁金さんの表情が少々赤くなる。言われているこちらの立場からしたらそう思わないが向こうからしたら相当恥ずかしいことを言ってしまったらしい。仕切り直すようにパンパンと手を叩き、「はい!」といって話を切る。
「そろそろ交代だ。一旦家に帰るぞ!」
受け取った褒め言葉を素直に喜んでいいものなのかと迷う椋だが、進んでいる時間は決して止まらない。ここは素直に雁金さんの指示に従い拠点となる巨木に佇むツリーハウスに戻ることにした。