sixthDay 2
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「はぁ…………………」
大きくため息をつきながら机の上にあるコップに注がれた牛乳を飲み干す。
「なにそんなため息ついてんだよ…………」
目の前でいつものように呆れ顔を浮かべる雁金さんの呆れ声。すっかり慣れてしまっているがかなり失礼なことをされているのだからそろそろ怒ってもいい頃だと思うのだが、そんな気力さえ今の椋には存在していなかった。
「キツいっすよ師匠………トラウマ掘り返されまくりな感じですよ…………」
今回は5時間。内部時間で言う約2ヶ月という長い期間をハーミットからの『技』の伝授に費やしたわけなのだが、内容がそれはとんでもないものだったために身体的というよりは精神的なダメージを大きく受けたのだ。
「まぁアレで今使えるのがそのひとつだけなんだから仕方ねぇだろ…」
対面するように身の丈に合わない椅子に座る雁金さんが牛乳片手にそう言う。
「もう一つあるじゃないですか!師匠が止めてるだけで!」
「んだァ?文句あんのかァ?」
「いいえ、すいません、ありません………………」
「そうだろうなぁ」
若干怒りの交じる声を発した雁金さん。彼女も牛乳を飲み終えたのを確認すると自分が持っていたコップと雁金さんの持っていたコップを手にし、キッチンの流し台に向かう。
自分がやった事の後始末は自分がやる主義な椋。一応面倒を見てもらっている雁金さんに少しでも楽をさせるためにと彼女のコップもついでに洗う。
…………アレはとてつもない戦力になる。アレがあれば確かに他の《愚者達》に対しても勝機が見えてくるかもしれない。
二ヶ月間の修行を思い返しながら、本当にそう思ってしまう。
といってもまだ現実世界では使えないようにハーミットによって規制をかけられている。アレは強大な力と共に暴走のリスクを背負っているからだ。
暴走というリスクを背負いながらこれまでそれを実感したことはない。本当に暴走なんてするのだろうかとさえ思えてしまうのだが、実際幼い頃にあったというのだから何とも言えない。
《愚者》曰く、『愚かな捕食者』は吸収したエネルギーを自分の能力として使用できるようにするための言ってしまえばインターフェースのようなものらしい。
外部のエネルギー、つまりは吸収した結晶光を自分で使えるように『変換』する際、処理が追い付かなくなった時点で暴走状態に陥るのだとか。
その処理を滞らせる一番の原因は《愚者達》の力、天然結晶、人工結晶、それぞれ原動力となるエネルギーが異なるのだがそれを同時に処理させようとする事らしい。例えば《隠者》の『隠者の秘伝書』と真琴のナチュラルスキル『可視化の片眼鏡』、これらを吸収し、同時に発動させる。その時『愚かな捕食者』はインターフェースとしてそれぞれを『変換』していく訳だが、その二つを並列処理しようとし、脳内で渋滞が起こり暴走を起こしてしまう。
こう言ってしまえば一つずつ処理していけばいいのではないかという至極簡単な答えにたどり着くのだが、世の中はそんな簡単には出来ていない。
《愚者》はかなり初期の頃から言っていた。「御前には能力の制御ができない」と。
理由は簡単。幼い頃から能力に触れてこなかったからだ。
今の椋には『変換』の制御どころか、吸収………つまりは『捕食』の制御すらできない。《愚者》が押さえつけているリミッターを外し能力を発動しようものなら周囲に存在する結晶光に反応し自分の意志にかかわらず『捕食』。そして自分の意志にかかわらず『変換』を始めてしまう。
つまりそれは自滅を意味しているといっても虚言にはならない。
今は4月の11日。もうすぐ時計の針が午後の0時にさしかかろうとしている。ここで修行をできる期間は残り一日と半日。36時間だ。
残された時間を最大限に活用し少なくとも『捕食』のコントロールを習得する。これが入学までに仕上げなければならない最終目標といっていい。いくら入学後にもコーチングしてもらえるとは言え、世界最大規模の能力者校に入学するのだ。天然結晶、人工結晶、もしかしたら《愚者達》を宿している人間もいるかもしれないどんな場所でひとたび『愚かな捕食者』を解放しようものならそれこそ自殺行為だ。
《愚者》によって鍵をかけられている椋にとっては考えにくいことではあるがもしものことも考慮しなければならない時期になってきているのだ。
「どうしたんだ?」
そんな声にふと意識が引き戻される。
考え事をしていたせいかコップを洗う手が止まっていることに気がつかなかった。
「…………いえ」
急いでコップを洗い、出しっぱなしの水を止め、近くにあった布巾で手についた水気を取る。
「なにぼーっとしてんだよ。昼飯も食い終わって眠たくなったか?」
にやっとからかうように尋ねる雁金さん。
「そんなことありません!っとそれより午後も心内空間に篭るんですよね?」
最近というかなんというか、恐ろしいことに心内空間にて過ごす時間をあまり長く感じなくなってしまっている。なんというのか、現実の時間と向こうでの時間の区別をしっかりと付けれていると言ってしまえば偉く利口な人間のように感じるかもしれないが、決してそんなわけではなくただの慣れからだろう。
「ああ。『捕食』の制御、だいぶ掴んできてるみてぇだけどもっと正確にコントロールできるようにならねぇと今後に若干心配が残るからな」
「やっぱりあのトレーニングですか…………?」
「あれってなんだよ………そんなに嫌か?」
「いや、そんなことないんですけど」
「ないけど?」
あのトレーニングとは射撃のように雁金さんが飛ばした《隠者》の若草の光を椋が『愚かな捕食者』で『捕食』するというとても単純なものだ。そして単純だからこそ難易度が無限に上がる。
最初は優しく気弾のようなものを一発一発飛ばしていたのだが、それが二つに増え三つに増え、いつの間にか軌道を変え、最終的には100の同時に飛ばされた気弾から一つだけ微妙に色が違うのを見極め『捕食』するという何とも大胆かつ緻密な修行を行っていたのだ。
ただでさえ他の気弾を『捕食』しそうになってしまうのに、それを抑えただ一つ正しい気弾だけを探し当て『捕食』するという集中力を1ミリでも欠けさしてはいけない作業、それに加えこっちを狙い飛んでくる他の気弾を回避していかなければならないのだからまさに弾幕ゲーのようなものである。
なんというか心内空間内ではもちろん肉体的疲労を感じないのだが、常に緊張状態に置かれているせいか帰還後も全身に違和感が走るのだ。
「何もないです…………………」
「ならよろしい!」
そういうと雁金さんは背の高い椅子から飛び降りるようにして床に着地するとふざけた帽子を揺らしながら自室へと向かう。
「何もたってんだ!さっさと行くぞ!」
「はい!」
雁金さんに続くようにして椋も彼女の部屋に向かい歩き始めた。




