firstDay 1
これは出丘との戦闘を終え、その後の入学式までの8日間の話だ。
2062年 4月6日
1組の少年少女は二人それぞれの帰路につこうとしていた。
セミロングの少女の服と比べ、となりの少年の服は些かボロボロだった。
少年の名前は辻井椋、その身のうちに《愚者》を宿す者。
少女の名前は七瀬沙希、そんな椋の幼馴染だ。
柊真琴の入学式宣言を受け、約一週間という長い時間を無駄にするわけにもいかず、フールと共に修行を行うことになっていた。
フール曰く、『毎回戦闘であんなにボロボロになられては、我の身も危険にさらされてしまう』とのこと。
そこまで言われてやる気にならない椋ではない。早速着替えるために一度帰宅することになった。
そんな現在の時刻は朝の8時である。
二人は綺麗に舗装された道路を並んで歩いている。
二人の話題は今日の早朝真琴の病室で話したことの延長だった。
「そういえば椋はこれから修行に入るんだったよね?」
「うん、そういうことになった。しばらくフールは眠ってるから、どんなことをするかの指示だけはもらってるんだ」
そう言って椋は胸元から金色の結晶光を発生させると、それを凝縮させ、紙のような物質を形成させる。
「なになに?『光輪の加護』の精度強化?」
「うん。例えばだけど、俺が能力を使って床を殴ったとする。俺の手の光輪を使った能力って強烈な破壊力はあるけど、それを拡散させてしまって大きい穴を穿つだけなんだよ。それを一点に集中できれば純粋に破壊力が増すってことらしい」
「へぇ……でもそれって必要なの、今でも威力は充分見込めるんじゃない?」
疑問符を浮かべる沙希は1度歩行をやめ、椋の顔を覗き込むように見つめてくる。
綺麗でツヤのあるセミロングの髪を揺らした上目遣いな彼女はえらく可愛く見えたため思わず目を背けてしまう。
まだ沙希にフールの、他の《エレメント》に奪われた《愚者》本来の力を取り戻すという目的を話してはいない。
沙希に心配をかけたくないという部分が一番大きい。
「俺もいろいろとあるんだよ」
「ふぅん……いろいろねぇ……」
ものすごく疑ってます、と顔に書いてあるような、そんな表情になった沙希からの疑い晴れぬまま、家の前まで到着してしまった。
「家まで送ってこうか?」
沙希の家は椋の家よりも少し奥の方に存在するため、帰りはいつもこんな会話が発生する。
「今日はいいよ。椋も疲れてるでしょ?ゆっくり休んだら?」
そう言って沙希は椋の誘いを断った。まあ日頃から家まで送る割合は五分五分なのだが。
だから断られたことに対して何かしら感じることもない。少し寂しいような気もするがそんなことを毎回思っていてはキリがない。
「ああ、わかった。じゃあな沙希」
そう言って走り去る沙希を見えなくなるまで玄関の前に立つ。
まあこんなボロボロで黒いパーカー姿のまま家の前に立っていれば、周囲からはただの変質者にしか見えないはずなのでそそくさと家の中へと侵入を図る。
今日は平日、ちなみに言うと月曜日なので母はすでに出勤しているようだ。家には鍵がかけられており、合鍵を使ってそれを開錠する。
誰もいないということくらいはわかっている。故に決してただいまとかそんなことは言わない。
とりあえず所々破れ、埃まみれになったこのパーカーを脱ぎ捨て、そのまま風呂に向かうことにした。
不思議な感覚だ。椋は湯船に浸かりながらそう思っていた。
あれだけの戦いをして、あれだけの傷を負ったはずなのに、風呂に入ってもその傷は一切痛まない。
フールに治療してもらったので当たり前と言えば当たり前なのだが、これは案外奇妙な感覚だ。
まだ鮮明に覚えている。戦槌で顔を殴られぶっ飛ばされたことも、どっちかというとその攻撃より床との衝突の方が痛かったということも、その時に着いた側頭部の浅い切り傷や手の深い切り傷も。何度も背中を殴られ抉られるようについた傷も。すべてを思い返せるのに傷がない。
少々のむなしさを覚えながらも、風呂を出て、サッとジャージに着替える。
シリアルで適当に朝食を済ませ、どうしたものかと少し考え込む。
この六日間、どのようにして修行なんてものしたらいいのだろうか?
少年漫画のように山籠りでもしてみるか?しかし夜遅くまで修行なんてしようにも自分の能力、『光輪の加護』には回数制限があるため得策とは言えないだろう。
せめてフールが目覚めていてくれれば相談しようもあったのだが、生憎自分と真琴を治癒するために力を使い切り、後3日は目覚めないと自己申告までしてきた。
(フールにばっか頼ってちゃダメだ!自分でなんとかしなきゃ…)
と甘ったれた思考に自ら喝を入れる。
これまでどれだけ彼に助けられたことだろうか。どれだけ彼に知恵を借りただろうか。どれだけ彼が心の支えになってくれたことだろうか。
フールにばかり押し付けてはいけない。
そう思い彼の助言なくとも一人でやれるところまではやってみることにしたのだ。
これまでの椋にはなかった、そんな気持ちが芽生え始めていた。中学校時代にはあり得なかったそんな心が芽生え始めていたのだ。
しかし本当にこれといって考えと呼べるものがない。
体力強化といっても6日間でできる分には限界がある。ああいうものは日々の積み重ねからくるものだ。そんな簡単に付くものなら世の中の人間は苦労しない。
フールからの指令、能力の精度強化を実践してみようと考えるも、これをしろとは言われているが、どうやってしろとは言われていない。
これもフールが椋に与えた試練だということをまだ本人は知らないわけだが、早速そこに詰まってしまっているわけだ。
明日から頑張るとか言ってる奴ほど頑張れないというのはずっと昔からある常識だ。
そうならないためにも今日から始めなくてはいけないのだが……。
「とりあえず森にでも行ってみるか……」
誰もいない家の中でぼやくようにそう言って立ち上がる。
有言実行、それを信念にもち、手近かつ人気の少ない無名の山に向かうことにしたのだ。
地図アプリと、携帯の検索をフル稼働しそんな場所を探しまくる。
(ここ、あんまり引っかからないな……)
検索欄に出てくるところに行ってはいけない。そこは登山コースなどで使われている可能性が否定できない。本当に可能な限り無名な山でなくてはいけない。
それを一つだけ見つけ出した椋は早速そこに向かうことにした。
そんなに遠くはなく、電車を使えば1時間とかからず行ける場所であった。
そんな、どこの少年漫画だよと思いたくなるような考えだが、人気がなく、なおかつ広い空間があるといえば、椋の頭の中には山という単語しか存在しなかったのだ。
「よし!決定!山!」
他に誰ひとりとしていない部屋の中でたからかに叫んだ。