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覚醒!綾瀬くん

 ――あたし、どうしてこんな目にあってるんだろう。

 栗原都は、じめじめした空気を静かに吸い込んで、右手に持った手製の槍を持ち直した。手がしっとりと汗ばんでいる。甘ったるいような生臭いような独特の緑の香りにももう慣れた。だいぶ長い間ここにいる気がする。

 都は、まとわりつくような暑さに負けて集中力を切らしてしまわないように、ここまでの経緯について考えていた。




 そもそもの始まりは、課外授業で隣のコロニーが所有する無人島に三日間宿泊して植生を観察するだとか、そんなイベントだった気がする。もはや随分と遠い記憶になってしまった。生物があまり得意でない都にとって、数日我慢するだけで成績票の数字が上がるこの授業は願ったり叶ったりだった。

 参加申込書を提出し参加費の振り込みも終わったある日、都は職員室に呼び出された。心当たりがなかったわけではないが、数学の宿題を忘れたくらいだ。呼び出されるほどのこともないはずだが、と内心訝しく思いながらも職員室へと足を向けると、担任に付き添われて応接室に通された。

「――ああ、君が栗原都さんか。私は綾瀬という」

「あ、え、よろしくおねがいします……」

 ふかふかの椅子から立ち上がって握手を求めてくる軍服姿のいかつい男に、都は一瞬ひるんでしまう。クラスで前から三番目に小さい都にとっては、壁のように大きく体格のいい男性というのは存在自体がちょっとした恐怖だ。

 失礼だったかと内心申し訳なくなりながら手を伸ばすと、大きな手のひらに包みこまれるようにそっと握られた。担任が脇から解説をはさむ。

「栗原、綾瀬さんは隣のクラスの綾瀬蘭丸君のお父さんでな」

「ああ先生、私から説明いたしますので……栗原さん、あなたにここに来ていただいたのは他でもない、実は我が愚息のことで、一つあなたに頼みたいことがあるのだ」

「はあ……」

 体に見合った野太い声に少し身をすくませて、都はあいまいに首を傾げた。

「君は綾瀬蘭丸のことを知っているかね」

「え、ええと、まあ……」

「いや、率直に言ってくれていい。女子の格好をして恥ずかしげもなく学校に来ているうちの息子のことを、君も知っているだろう」

「う……い、一応は」

 綾瀬蘭丸は、校内ではちょっとした有名人だ。

 彼の容姿が端麗で派手だということもあるが、いつも女子のセーラー服で登校しているのだ。別に心が女の子だとかそういうわけでもないようで、ただの女装癖らしいという話は聞いている。都も、話したことはないものの、隣のクラスということもあって何度もその姿を目にしていた。女の都から見ても、綾瀬蘭丸は男にしておくのがもったいないほど本当にかわいらしい。

「我が家は代々軍人を多く輩出している、それなりに歴史のある家柄なのだ。しかしあいつがあのままでは、恥ずかしながら我々の面子が立たない」

 瑠璃色の髪と同じ色の太い眉をぎゅっと寄せて、綾瀬父は続ける。

「だからこそ、進路決定の前に一度きつい灸をすえてやらねばならん。そのために栗原さん、君に協力していただきたいのだ」

「は……? え、ど、どういうことですか?」

「これは最近、他のコロニーで行われた実験に基づいたものなのだがな、まあ簡単な話だ。一週間ほど、無人島で愚息とサバイバル生活をしていただきたい」

「い、一週間!? 綾瀬くんとですか!?」

 慌てて聞き返すと、綾瀬父は一度厳かに頷いた。

「栗原さんにはこんな経験がないかね? 例えば……お化けが苦手な友人と一緒にお化け屋敷に入ったら、自分も怖がりだったのに、友人が怖がりすぎていつもより平気に思えてしまうとか」

「あー……はい、あるかも」

「つまりはそういうことなのだ」

「……はい?」

 思わず聞き返すと綾瀬父は、わざとらしく一度咳払いをして口を開く。

「つまり、自分より女の子らしい女の子と一緒に過酷な状況に置かれれば、自ずと奴の雄としての本能も目覚めるはずだ、ということだ」

「はあ……いや、ちょっと待ってください! あたし、そんなに女の子らしくないですよ! それに男の子と二人っきりで無人島なんて絶対無理です!」

「そうですよ綾瀬さん、さすがにそれはちょっと……なにか間違いがあっても困りますし」

 そうだ、頑張れ先生! とこっそりエールを送ってみるが、その反論は予想済みだったようで、綾瀬父はなんてことはないように返した。

「ああ、その点は問題ありませんよ。無人島とは言っても、軍が実験で使う島ですからな。監視体制は整っておりますので、なにか危険が迫った場合はすぐに突入いたしますから」

「え、ええー……」

 四六時中監視されるのもちょっと、と思ったが、自慢げな大男の前に言葉が出ない。

「しかも栗原さんは昨年、校内のミスコンで準優勝だったとか。他の生徒さんからもたいへん愛らしく庇護欲が誘われるような方だと聞いている」

「そ、それは去年のクラスの組織票でとれちゃったようなものですから!」

 優勝者であるスレンダー美女の隣に並ばせられたのは、都にとってはちょっとしたトラウマだ。当時、ノリノリで推薦した去年のクラスの友人たちをうらめしく思っていたが、今回の件でまた怒りが再熱しそうだ。

「あなたしかいないのだ!」

「もっとよく探してください!」

「栗原さん!!」

「無理です!!」

 もはや大男に脅えている余裕などない。都はつま先立ちで必死に反論した。だがさすが現役の軍人も負けてはいない。綾瀬父は、都の両手をその大きな両手で掴んだ。

「あのバカ息子の性根を叩き直してやってください! お願いします! この通り!」

「えええええー!?」

「あ、綾瀬さん、そういうのはちょっと……!! この子は繊細なので!」

 がっちりと手を握ったまま勢いよく頭を下げられ、都はびくりと体を強張らせる。若い担任が慌てて引きはがそうとするが、がたいのいい大男はなかなか離れない。

「もちろん謝礼は出す! それに、聞くところによると栗原さんのお宅では最近お父さんが職を失われたとか!」

「な、何で知ってるんですか!? ていうか大声で言わないでください!」

「栗原!? そうだったのか!?」

「そうですけど別に先生には関係ないと思います!」

 驚いた顔でこちらを見てくる担任に勢いよく返すと、都よりよっぽど繊細な担任は傷ついたような顔で固まった。しまったと思ったがもう遅い。泣きそうな顔で口元を押さえ、担任は部屋の隅で壁に手をついて俯いてしまった。

 こうなってしまえばもはや、外から綾瀬父を止められるものはいない。

「謝礼に加えて、お父さんを軍の用務員として雇わせていただきたい! 先日宝くじが当たったからと一人辞めてしまって、今丁度求人を出しているのだ!」

「そ、そこまでしていただくわけには……!」

「いや、こんなことは問題ではない! 奴が更生しないことに比べればなんてことはないのだ! どうか! この年寄りを助けると思って!」

「そんなぁ!」

 弱気な都にしては頑張って反論した方だったが、猪突猛進型の綾瀬父は止められなかった。

 結局押し切られるような形で引き受けてしまった都は、再就職先があっさりと決まって喜ぶ父母に見送られ、二人きりの課外授業へと出かける羽目になったのだった。


 短い船旅は順調だった。都は、いっそこのまま目的地へ着いてしまえと祈った。不自然に席が近かった綾瀬とは、船の中で会話をした記憶がない。

 しかし、突然事件は起こった。コロニーの港を出てすぐに大嵐に見舞われて、船は座礁、沈没。イベントを起こすと事前に聞いていた都も、この展開には驚いた。ここまでするものなのかと軍の力に脅え、同時に呆れるばかりだった。どこの軍もこんな感じだったら、コロニー同士の小競り合いも少ないだろうに。

 予定通りに綾瀬と乗り込んだ緊急脱出用艇には、大き目の二人用テント、食料と服、ナイフなどの武器が少しだけ積まれていた。あとは、サバイバルに関する本が何冊か。これも聞いていた通りだった。

 揺れがおさまってから外に出ると、青い空に白い砂浜、そして鬱蒼としたジャングルが広がっていた。深呼吸すると、むっと暑苦しい空気に胸が詰まった。

 ――ついに始まるのか。

 決意も新たに拳を握りしめた都のすぐ横に、砂埃と共に袋に入ったままのテントが落ちてきた。風にあおられて砂が舞う。

「ぶわっ! な、なに!?」

「テントだろ。それもわかんねーのか、愚図」

「ぐっ……!?」

 ――愚図だなんて、お母さんにだって言われたことないのに!

 言葉を続けられないまま何度かむせながら脱出艇の方へ目を向けると、セーラー服の美少女が不機嫌そうに眉を寄せながら出てきたところだった。綾瀬父よりいくらか緑がかった不思議な色の髪は、真っ赤なシュシュで一つにまとめられている。女の子だと言われても何の違和感もない。寧ろ見た目だけなら間違いなく女の子だ。

 そう、「彼女」こそが綾瀬蘭丸その人なのである。船内では緊張のあまりよく見ていなかったが、よく見ればなるほど、聞いた通りの派手な美貌を持っている。

「……ちっ、眩しいな……おい、とっととテント張れよ」

「え、あ、あたしが?」

「そうだよ。俺やり方知らねーし」

「うっそぉ! あんなに何度も練習したのに!」

「忙しくて行ってなかったんだよ。ほら、とっととしろ」

 五回ある事前授業で毎回テントを張らされたことを思い出し、都はつい大げさに驚いてしまう。毎日開かれたそれを五回とも休むなんて、逆に難しい気さえする。

 都の様子にどこか威圧感のある顔を不快そうに歪めて、綾瀬は「は・や・く!」と言いながらその長い指でテントを指さした。

「うう……手が足りないから一人じゃできないよぉ」

 寄越されたテントを組み立てるには、少なくとも二人必要だ。加えて、なるべく非力で女の子らしい弱気な態度をとろうという作戦から都は弱弱しい声を上げる。

 綾瀬は一度「はァ?」と不快感丸出しの返答をして都を震え上がらせた後、だるそうに歩いてきた。

「しょうがねーな、手伝ってやるよ」

「う、あ、ありがとう……」

 共用のテントを二人で張るのは当たり前のことなのになぜ自分がお礼を言っているのかということにすら、もはや疑問など抱けなかった。確かに綾瀬父と比べると外見は細いし可愛らしいが、中身は男らしく思えなくもない。こんなに怖いのならもう見た目くらいいいじゃないかと都はこっそりため息をつく。

 凶暴さが隠しきれていない美少女に脅えながらも部品を渡すと、案外おとなしく組み立て始める。都の指示にも反発する様子はない。

 しかし、一緒に組み立てているうちに都は気づいた。綾瀬蘭丸は超が付くほどの不器用だと。

 威圧的で不遜な様子からは想像がつかないほどの不器用さだ。テントの骨組みを逆に曲げようとするなんて可愛いもので、支柱と布同士を紐でくくることも満足にできない。靴ひもは結べるのかと心配になって足元を見ると、自覚はあるのか紐のない運動靴を履いていた。

 都の正直な感想は、よくこれで生きてこられたな、というものに尽きる。

「できた! えーっと、次はどうすれば……」

「腹減ったんだけど」

「えっ!? ああ、まあ確かに……じゃあほら、非常食から好きなのとって……」

「勿体ねえだろ。ほら、これやるからお前、森入って何かとってこい」

「えええええ!?」

 ナイフと『南国の食材――狩る・採る・育てる』という分厚い本を手渡され、都はどんと背を押される。ちなみに、綾瀬は森と言ったが、都にはジャングルにしか見えない。

 野生のものをとって食べようという発想は悪くない。が、それを都に――仮にも女の子にやらせるのはよろしくないのではないか。これぞまさに更生ポイントではないか。都は一人でうんうんと小さく頷く。というか、一人で得体のしれないジャングルに入るなんていやだ。たとえ監視カメラがあると言っても、怖いものは怖い。

 都は意を決して踵を返し、半泣きで綾瀬に訴える。

「ひ、一人じゃやだよ! 綾瀬くん、着いてくるだけでいいから一緒に行こうよぉ……!」

「は?嫌だよ面倒くさい。それに俺が変な虫に刺されたりしたらどうするんだ」

「そんなの、あたしだって刺されるかもしれないじゃん! ちょ、お願いだから一緒に来て! 危ないもの見つけたら言ってくれるだけでいいから! あたしの後ろを守ってください! この通り!」

「……ふん、仕方ねえな……」

 しぶしぶ着いてきた綾瀬が、本当にただの足手まといとなって都を驚かせるのは、その数分後のことだった。

 彼も自分の能力に関しては自覚があり気にしていたのか、その日の午後は何もないところで転んで派手に擦りむいた膝を抱えて「もう絶対行かねえからな、わかってんだろうな、ばかやろう」と涙目で呟いてテントにこもってしまった。

 都は一日目の午後にして頭を抱えた。どうやって生きていこう。

 悩んだ末に、とりあえず綾瀬父に相談しようとカメラを探すが見当たらない。軍の技術もたいがいにしてほしい。都は再び頭を抱えた。

 助けが求められないなら、とりあえずやるしかない。都はセーラー服の綾瀬にジャージを渡して鍋とコンロの準備を頼み、自身もジャージに着替えた。悩んだ末に荷物から大ぶりのナイフとロープ、そして『サバイバルの手引き――タンパク質をとるには』という本を引っ張り出して小ぶりのリュックに入れる。そして一人「よっしゃあ!」と叫んで気合いを入れ、体育だけは抜群の都は単身ジャングルへと引き返したのだった。



 

 ――そうだ、初めはナイフだけでもぐったんだっけな……

 今までの苦労を思い返して、熱を持った目頭を押さえようとしたその時、目の前を灰色の塊が横切る。と、葉がこすれ合う音が派手に響き、きいきいという鳴き声が聞こえた。

 成功だ。都は立ち上がって、体中に縄を絡ませて暴れる灰色の毛玉に近づく。構えた槍を見て身をすくませたそれは、毛だらけの大きな耳をひくひくと憐れに痙攣させている。ここに来たばかりのころだったら、この生き物に近づくことすらできなかっただろう。今はもう、おいしそうな肉にしか見えていないが。

「やっと、夕ご飯とれた……」

 うめくように呟いて、都は槍を突き刺した。なかなか大きい。朝からずっと罠をかけて回っていただけのことはあるな、と微笑んで、罠を外しにかかる。

 ジャングルの入口あたり、海が見える粗末な我が家。彼女一人ではない、待っている人がいる。




「お帰りなさい! ご飯にする? お風呂にする? それともわ・た・し?」

 いつになくサービス精神にあふれた華やかな笑顔で出迎えられ、都は凍りついた。

 青みがかった緑色の長い髪をハーフアップにした「美少女」が、組み立て式のお玉片手に笑顔で見上げてくる。下はジャージを履いているものの、少し汚れたセーラー服からのぞく白い腕が眩しい。つり気味の眦、真っ黒な瞳、長いまつげ、華奢な体つき。そう、「彼女」こそが都の同居人の、綾瀬蘭丸その人である。

 とりあえず「ご飯」と言おうと口を「ご」の形にした途端、お玉を持っていない左手で頭をはたかれた。

「――なーんて言うと思ったかこの愚図! 遅いんだよ! どこまで夕飯捕りに行ってんだ!? あァ!?」

「ひいいごめんなさい! 長々待たせてごめんなさい!」

 頭を手で庇って後ずさると、腕を組んだ綾瀬はその真っ黒な瞳をちらりと都の手に向けた。視線に気づいた都が、輝かんばかりの笑顔で左手の戦利品を掲げてみせる。都の顔ほどあるそれは、彼女にしてはかなりの大物だ。

「見て見て! お肉とれたよ!」

「ああそれ? ふーん……まあそこそこでかいのが捕れたんじゃね? じゃあさっさと捌けよ、汚れたくねえ」

 しっしっと手を振られ、都のテンションががくりと落ちる。ぶんぶん振られていた尻尾が力なく垂れるさまが見えるようだ。

 だが都も伊達に一週間ほど綾瀬と暮らしてはいない。いや、こんな態度はいつものことだと一瞬で気を取り直し、にこやかに尋ねる。

「あ、うん……えーと、ばらしたらお鍋に入れちゃっていいかな?」

「ああ。他はもうできてる」

「ほんと? ありがとうね、綾瀬くん!」

「うっさい。さっさとしろよ」

「う、うん……!」

 言うだけ言って、綾瀬はテントへと帰っていく。

 日に焼けるのが嫌だと言って、彼は基本的にあまり外にいない。四角くて二人分には少し大きいくらいのテントは、中の半分とちょっとが彼のテリトリーだが、大体はそこか日陰で料理をしたり植物をいじくったりしている。マニキュアやペディキュアは完璧で、最近は髪形のアレンジにも凝っているようだ。

 背を向けている綾瀬の白くなまめかしいうなじをぼんやりと眺めながら、都はふと疑問を抱いた。

 ――どうして綾瀬くんは、どんどん綺麗になっているんだろう?

 そこで都は自分が考えたことにひどい恐怖を覚え、咄嗟に叫んだ。

「これじゃだめじゃん!!」

「うっさい!」

「あ、ごめん……」

 投げつけられたお玉を受け止め、都は慌てて鍋のところへと走った。




 どうしてこんなことに。いや、どうしてこんな結果に。

 都はぐつぐつと煮立つ鍋の前で頭を抱えた。男らしくなるどころか、彼の女装癖に磨きがかかってしまった。これでは謝礼だとかそれ以前に、一家全員闇の世界への追放だってあり得るのではないか。

 都だって努力はしたのだ。しかし、狩猟より採集が、戦いより料理が得意な、というかそちらしかできない綾瀬とのサバイバル生活は過酷だった。運動神経に自信のある都が役割を補わなければタンパク質はとれないし、野獣から身を守ることもできないのだ。

 雄としての本能が目覚めるどころか、こんな過酷な状況で美への追及を始めてしまった同居人。きっとどこかで見ている綾瀬父が「こんな状態で帰らせるなぞけしからん! 延長だ延長!」とかなんとか言っているのだろう、予定の一週間を過ぎても一向に迎えが来ない。

『あのバカ息子の性根を叩き直してやってください! お願いします!』

 勢いよく頭を下げた屈強な綾瀬父の姿を思い起こし、都は冷や汗が背中を伝っていくのを感じた。

 どうしよう、そういえばなにも叩き直せていない。寧ろ叩き直されているのは自分の方だ。二の腕を掴んでみると、褐色の肌の下にはしっかりと筋肉がついている。都は自分の顔がどんどんひきつっていくのを感じていた。

 ――一刻も早くなんとかしないと。

 彼が何もできないからといって、今までは甘やかしすぎていたのかもしれない。明日からはもっと、家事と狩猟の役割分担を変えてみよう。魚を捕るくらいなら、運動神経皆無の彼でもきっとできるはずだ。

 最近では毎日考えている「綾瀬くん改造計画」を練り直しながら、鍋の中のおいしそうなスープを覗き込んだ。


 だが、彼女は知らない。彼の本能がしっかりと目覚めていたことを。

 そう、意中の相手を射止めるために美しさを極めるという、雄としての本能が。




 日課のお手入れを終えて、綾瀬は満足げに息を吐いた。こんな状況下での体型の維持や肌の手入れは、決して楽ではない。ひとえに地道な努力によって、彼はその美しさを維持・向上させているのだった。

 そろそろ寝るかと共有スペースへ入ると、穏やかに寝息を立てている小さな塊が目に入る。一度大きな獣に襲撃をうけてから、周りに罠を張りめぐらせたテントの一番内側で二人一緒に寝ることにしていた。規則的に上下する塊に、綾瀬は無意識に頬が緩むのを感じていた。

 寝入った都の飴色の髪を梳きながら、綾瀬はうっとりと目を細める。好きな女の子への接し方がわからない彼は、彼女が眠っている間だけは素直になれるのだった。

 眠りについてすぐは何をしても起きないことがわかっているため、綾瀬は手早く都の体に傷がないかを確かめる。都は怪我をしても自分ではあまり気づかない。だからこうして、寝る前に綾瀬がチェックしているのだった。下心が全くないわけではないが、それよりも過酷な状況で日々戦っている彼女への心配が勝っていた。

 手早く全身を確認し終わって、綾瀬はほっと溜息をついた。

「今日は怪我してないな、よかった」

 念のために持ってきた薬箱を脇へ寄せて、綾瀬は穏やかに微笑んだ。もし都が起きていたら、自分の目が急におかしくなったと思うだろう。綾瀬蘭丸は普段、都にかなり冷たい。

綾瀬は都の隣に寝転ぶと、褐色へと変わった彼女の頬に手を添え、誓うように言う。

「栗原、俺はお前のために、誰より綺麗になるんだからな」

 都の髪と同じ色のまつげがかすかに震えた。片手で包むようにして頬を撫でると、寝ぼけているのか小さく笑って枕に頬ずりする。

 一連の動きにたまらなくなって、綾瀬は唇を噛んだ。ちくしょう、かわいいんだよ、栗原都。

 都は自分の容姿や動作がどれだけ愛らしいかわかっていないと、綾瀬は日々苛立たしく思っている。それは、二人が穏やかに学校生活を送っていた頃から感じていたことだ。

 幼いころから自分の体力や運動能力を見限っていた綾瀬は、得意分野を伸ばすことを考えて生きてきた。頭脳だけでなく、外見を磨くことも力になる。いつかあの筋肉ダルマにもわからせてやると、協力的な母と手を組んで美しさを追求してきた。

 男女問わず目を引くような華やかな容姿を追い求めるうちに女装を始めてから二年。高等学校に入って、二つ隣のクラスの飴色の髪の少女がやたらと気になり始めた。

 初めは、綾瀬がいくら望んでも手に入れることができないタイプの、絶対的なかわいらしさが鼻につくのだと思っていた。前髪からのぞく大きな目も、健康的だが未発達な体も、小動物のようなちまちました動きも、綾瀬から言わせれば満点だった。威圧感を与えがちな綾瀬の美貌とは対照的だ。完璧に愛らしいと言える。

 ミスコンでは綾瀬は特別賞をもらっていたが、正直優勝者に負けた気はしていない。一方で都に関しては、敵ながらあっぱれ、準優勝も当然だと思っていたが、いつからか自分以外の男たちが同じように都を見ていることを不快にも感じていた。

 二年に上がってからは隣のクラスになり、見かけることも増えたが、彼女の視線をこちらへ向けることができず歯がゆい思いをしていた。そこに転がり込んできたこの状況は、自分を磨いて彼女を振り向かせる大きなチャンスだった。たとえあの忌まわしい堅物が絡んでいたとしても笑って許せるほどには助かっている。

 綾瀬は都の鼻筋をなぞるように親指で撫でる。日に焼けて赤くなった鼻の頭が愛らしい。

「栗原、俺が綺麗になるのはお前のためなんだぞ。俺はちゃんとお前を見てるんだからな。だから――」

 かわいらしい音を立てて赤くなった鼻に唇を落とすと、都はくすぐったそうに身をすくめる。綾瀬は小さく笑った。

「お前もちゃんと俺だけ見てろよ、ばか」

 もし都が起きていたら、綾瀬の正気を疑っただろう。そして同時に、どこで何を間違ったのかと絶望したに違いない。

 甘ったるい声色で独占欲にまみれた言葉を呟き、熱のこもった目で都を見つめる綾瀬。彼は、その美貌と中性的な体躯も相まって、島に来る前とは比べ物にならないほど妖しい魅力にあふれていた。

 綾瀬がその芸術品のような指を絡めると、寝ぼけた都が無意識に握ってくる。子供のようなそのしぐさに喉の奥で笑って、綾瀬は絶対に放すまいとがっちりと手を繋いだ。



 好きな女の子のために、磨き抜かれた妖艶な美しさを手に入れた綾瀬蘭丸と、生を繋ぐために運動能力と野生のカンがとぎすまされた栗原都。

 彼らは結局、隣のコロニーの軍によって三か月後に発見・救出されるまで、二人きりのサバイバル生活を謳歌する羽目になる。

 嵐のせいで見失った二人を必死に探し続けていた綾瀬大佐は、彼らが希望とかけ離れた方向に才能を開花させていたことなど、知る由もなかった。


 近未来風ほのぼのサバイバルでした。

 覚醒せし小動物系女子・栗原都くりはらみやこと、

 俺様ツンデレ男の娘・綾瀬蘭丸あやせらんまるでごたごた。

 綾瀬くんは孔雀イメージです。

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