勇者は時に人生を考える
「結婚式では、あんたコスプレね」
緑色の生地に鋏を入れながら、嫁は突然そんなことを言う。結婚式、十日前のことである。
「どうして?なんて野暮なことを聞くんじゃないわよ。大丈夫、私も合わせたドレスを特注したから」
何が大丈夫なのかわからないが、少なくとも俺にとって、それはきっと大丈夫な事じゃない。
出会ったときから嫁の「柚木」は強引だった。そして俺はそれに勝てた試しがない。そしてこれからもきっと勝てない。
なのにどうして、俺は柚木と結婚するんだろう。
そこまで考えて、はじめて俺は気がついた。
「そう言えば、プロポーズってしたっけ?」
「私がね」
「俺、お前に好きだとか愛してるとか言ったっけ?」
「言ってないわ」
「ってか、俺はお前のこと好きなのかな?」
俺の言葉に、柚木は鋏をシャリっとならした。
「愛が無くても、結婚は出来ると思うわ」
そうやって、俺はいつもいつも柚木のペースにのまれてきた。
「まあ、いっか」「どっちでもいっか」「楽なほうがいいや」
俺の三択はいつもそれで、それが行き着いた先にはいつも柚木がいた。
◇◇◇ ◇◇◇
俺の「諦め」の歴史は生まれたときから始まっていた。
『男の子が生まれたら、紋次郎って名前にしましょう』
そう言った母親は日本で英語教師をする時代劇オタクのイギリス人で。
『それは良い考えだ!きっといい侍になるぞ!』
と頭のおかしい発言をした父は、日本に駐屯していた時代劇オタクのアメリカ軍人だった。
そんな二人の間に生まれた俺は、父親の金髪と母親の青い瞳を受け継いだ訳だけど、外見に反してつけられたのは「紋次郎」という、日本人でもそうそうつけない古くさい名前である。
英語で書くとMONJIROU=F=SMITH。
もうギャグにしか見えない。
次にあきらめを覚えたのは幼稚園の時。理由は簡単、名前と容姿をあげつらういじめに悩まされたからである。
もし生まれてすぐアメリカに帰っていたなら「紋次郎って不思議な名前ね。ってか何語?」くらいで済んでいただろうが、逆に日本にいることで俺の異様さは際だった。
そして最後に、俺の「諦め」への執着を決定づけたのは柚木だった。中学生の時、出会い頭に彼女は言った。
「勇者リンクだ!」
リンクって誰だ!ってか勇者って何だ!
思わずつっこんでしまったあの瞬間、柚木と俺の間には切っても切れない関係が出来た。不本意だが。
◇◇◇ ◇◇◇
柚木はオタクだった。今でこそまともなフリが出来るようになったが、出会った当時は、それはそれは痛々しいオタクだった。
当時の彼女がハマっていたゲームに出てくる勇者。それも緑色の衣装に白いタイツという出で立ちの勇者に俺が似ていたために、彼女は俺に目をつけた。
「気に入ったわ、あんたのその顔!もっとかっこよくしてあげるから、とりあえず私と友達になりなさい」
そうして無理矢理連れて行かれた柚木の家で、彼女が趣味で作った勇者の衣装を着せられたのが悪夢の始まり。もちろん俺は拒否したが、最後は問答無用で服を脱がされた。
おもちゃの剣と盾をもたされ、色々なポーズを取らされてげんなりしている俺のコスプレ写真を、柚木は今も大事にしている。
あのとき俺がもう少し抵抗していたら、きっとここまでつけ込まれることはなかっただろう。そうは思うが、本物の勇者でもないかぎり、時は戻せない。
◇◇◇ ◇◇◇
「ホント、お前ら良いコンビだったよ!」
中学時代からつきあいのある輝彦と久しぶりに飲みに来たのは、結婚式の五日前。そして開口一番の台詞がそれである。
「俺が一方的に虐げられていた気がするけど」
「そこがよかったんだよなぁ。あのころの柚木って太ってただろ?それが美男子のお前を虐げてるところが痛快だったんだよね。正直」
「何だよそれ」
「お前、なんだかんだ言ってどこに行っても人気者じゃん。DNAからして格が違うっつーか。やっぱり外人にはかなわねぇなぁって思ってた」
「外見は外人だけど、心はシャイな日本人だよ」
「そりゃあ、長く付き合えばわかるけどさ。やっぱりキラキラしてみえるんだよなぁ。むしろまぶしいくらい。でも柚木が隣にいると、良い日陰ができるって言うか」
「たしかに、わからないでもない」
「まあお前にも同情はするけどな。よく変な格好させられてたし、似合っちゃうからあえて誰も突っ込まなかったけど、よくよく考えるとあんな青春、おれは嫌だな!」
他人事だと思って笑う輝彦を見て、彼を結婚式に呼んだことを、心の底から後悔した。
◇◇◇ ◇◇◇
高校時代はさらに思い出したくない過去が満載だった。同じ高校に進んだ柚木は家庭科部で、毎年文化祭に行うコスプレファッションショーを何よりの楽しみに生きていた。そしてそのモデルは毎回俺だった。
なぜ断らなかったのかと、思わないわけではない。しかし正直な話、オタクで強引な柚木が、諦めと気弱で構成された俺にとって、居心地が良い存在であったことは否めない。
自分の好きなこと、やりたいことはなんとしてでもやり遂げるあの行動力は、側で見ていて心地良かったのだ。
「今年はさ、女キャラもやろうと思うの」
「一応聞くけど、女の子のモデル、呼ぶんだよね」
「なんで?」
冗談でも何でもなく「なんで?」と言えるのが柚木だった。
だが今思えば、あの時があったからこそ、今の俺はいる。本当におかしな話だが、柚木にさせられた女装のおかげで、
俺は今も飯が食えるのだ。
◇◇◇ ◇◇◇
「いやー、でもあのときのモンちゃんは可愛かった!奥さんに感謝しなよ!アレがなかったら、今のあんたはないんだから!」
結婚式の二日前、仕事先で久しぶりにあった事務所の社長に言われた。
「ほんとさぁ、娘の文化祭で、後のスターが発掘出来るとは思わなかった!いやー、ホント良い拾い物したよ!」
笑顔で俺の肩を叩く彼は芸能プロダクションの社長で、女装によって見初められた俺は、現在モデルとして働いている。
芸名は「モンジロウ=コガラシ」。完全に嫌がらせだ。
「でも嫁さんは大切にしなよ。正直仕事のこと考えると結婚は早いかなぁとか思ったけど、お前にはゆずちゃんしかないよ、うんうん」
「みんなそう言うんですよね」
「なに?今更退け腰なの?」
「いや、なんか疑いようがないのが逆に怖いというか。ずっと流れ任せに生きてきて、今回もその延長だとしたら、それもどうなのかなって」
「流されてきたつもりでも、どの流れに乗るかを選んだのはモンちゃんだよ。流れ流れたその先が、幸せに繋がっているなら、泳いでいこうが流されようが関係ないでしょ」
そんな言葉をしらふで言える社長は大物だと、俺はそのときはじめて感心した。
「だから幸せにして貰いなさい!彼女ならできるから!」
「してあげなさい、じゃないんですね」
「だって、君の方が嫁さんみたいな感じじゃない」
反論は出来なかった。
◇◇◇ ◇◇◇
「できた!」
結婚式前夜。そう言って柚木が俺に差し出したのは、見覚えのある緑色の衣装と、本物とも見まごう剣である。
「剣は会社の先輩が作ってくれたんだ!でもそのほかは、手作り。さっすが私って感じでしょう?」
たしかに柚木は現役のファッションデザイナーだが、今回ばかりは完全に才能の無駄遣いである。
「勇者リンク?」
「うん。完璧な再現率でしょ」
「・・・これを結婚式で着るのか」
「大丈夫、私もちゃんと姫の衣装で合わせるから!
そう言う柚木を見て、俺は今更のように思う。
「前より、痩せた?」
「やっと気がついた?再現率のために、私もがんばったんだからね!」
「俺に釣り合うため、とか言おうよそこは」
「勇者に釣り合うほど、いい女じゃないもの」
いつもは自信満々なくせに、変なところで謙虚なところが柚木にはある。そしてそこが、本当はたまらなく愛しい。
強引で、人の話も聞かなくて、聞く気すらなくて。
でも、彼女に振り回されてきたこの十五年は、確かに幸せだった気がする。
「柚木さん」
「どうした、だめ勇者」
「俺の旦那に、なってくれませんか?」
柚木は俺の言葉にものすごく驚いた顔で数回瞬きを繰り返し、そして、最後は嬉しそうに笑った。