2 少年は生きてる
「ふむふむ、ははぁ……なるほど、姫が袖にされるとは珍しい」
「別に、袖にされたとかそういうのじゃないわ、私だって本気じゃなかったし、舌ねじ込んでもないんだし」
……誰かの話し声がする。
「その指の怪我は?」
「…………噛まれたの、唾液をつけて口に入れたら、ガブって」
「……君ともあろうものが、油断したな?」
「違うわ、多分アンタが思ってるの違うわ」
「唾液を粘膜へ接触させる前に、噛まれたのだろう」
「違う!唾液をしっかり擦り付けた後によ!」
…………甘い匂いがする。
「……メードレル家の淑女たる君の唾液を受けたうえで、この角無しは抗ったと?」
「そうよ!それにアタシとヤるくらいなら…………キィーーーーー!!!!」
「ほう、ほうほうほうほう……!なるほど、つまりこの被検体は常人離れした精神力、或いは何かしらの精神的損傷……サキュバスへの耐性を……姫の唾液なんて、同族の我々でも酔うほどだというのに……口内に火傷などがある可能性も……」
……………………ずるり、口内に侵略してくる冷たく細い肉、舌先につるりと、硬い、薄い感触。
「ふんが!!」
「ギャッ!」
思いっきり歯を閉じると、誰かしらの悲鳴がした。歯についた液体を舐めると、舌先に薄っすら血の味、ぺっと吐きだして、目を開く。
「……活きのいい被検体だ、被検体名は『わんわん』としようか」
「勝手に決めないでくれるかしら、アンタの被検体にするなんて言った覚えはないけど」
目の前にいたのは、気絶する前にいた女と、知らない女。話しぶりから、気安い仲なのだろうと予想はついた。
「……やぁ、おはよう」
ひとまず挨拶、挨拶は大切だ。
「ああ、おはよう、『わんわん』、突然だが君はこのワタシ、プレーカプの実験体に選ばれた、光栄に思いたまえ」
「ププ、二度は言わないわよ?」
「そう怖い顔をするな姫、見てみろ、この『わんわん』の顔を、今にも涙を……流しそうではないね、うん、興奮するね、ちょっと三回ほど精を頂こうか」
「ププ」
なるほど、サキュバスの住処に来てしまったというのは、タチの悪い夢ではなかったらしい。
『ププ』と呼ばれたサキュバスは、くるくるとねじ曲がった角の、スレンダーな長身の女だった。研究者らし白衣を着ていて、白衣の下は『姫』と呼ばれたのと同じ服……まさか、制服的なものなのだろうか。
「……ふぇええええん」
ちょっと遅いとは思うが、一応泣いておこう。涙を自由自在に流せるのは、ボクの七つある特技の一つだ。
「見ろ、姫!泣いてるぞ!興奮するな!!」
駄目だコイツ、頭がイってらっしゃる。白衣を着ているようなのはこれだから怖い。
「ふぇええええん、ここどこ……おうちに帰してぇ……」
「ははは……姫、攫ってきたのか?」
「違うわよ!庭にいたの!転移魔法の巻物がどうとか────」
「ぶぇえええええん、ボクそんなの知らないよぉ……」
「と、言っているが?ははん、さては姫も精を吸いたくなったのだな、中々の美少年だ、ワタシの趣味ではないが、悪い趣味ではないと思うぞ」
「違うって言ってるでしょ!コイツは本当に庭にいたの!それに、アタシ達と同じ十六歳よ!」
「ははは、さっきも言っていたが、どこからどう見ても『わんわん』は十歳くらい────」
「誰が十歳だサキュバス!!その赤い目ん玉見えてんのかこのすっとこどっこいども!!」
は、しまった。反射的に言ってしまった。
「……ほう、なるほど、先ほどまでのは擬態というわけか」
「言ったでしょ、ソイツ、質が悪いって」
まずい、まずいけど、こうなったらもうどうでもいいか。
「まず、ボクには『マナ』って名前があるんだ、勝手に『わんわん』なんて呼ばないでもらおうか」
「ほう、マナ……マナとは、良い名前だな」
「違うんじゃない?コイツ角無しでしょ、角無しの言葉の、マェナ、じゃ?」
「次に小さいって言ったら、その無駄に長い角叩き折るぞ」
「ではマナ、今の状況は分かっているか?」
「……ああ、ごめんよ、おなまえをいったら、おなまえをいいかえすものなんだ、わかるかな?」
「……………………姫、口を縫い付けてもいいか?」
「……………………やめておきましょう、悲鳴が聞こえないと困るわ」
煽り耐性無いな、コイツら…………このまま上手いこと死ねた方がマシだけど…………
「私はあのメードレル家、メルセリアの娘、アルセリア・メル・メードレル」
「…………名前はアルセリア?」
「ええ、名前の短い貴方には呼びづらいでしょうし、アルでいいわよ」
微妙に面倒だ、さっきまでアタシとかアンタとか気の抜けたような言い方してたくせに、今や私と貴方、真面目なときは真面目になれるタイプか。若干皮肉のキレが弱いけど、中々やる。
「ププ、偉大な研究者だ」
逆にこっちはかなりの気分屋らしい。馬鹿にされたのがよっぽど堪えたようだ。
「そうか、親睦を深めたいけど、今の状況じゃ無理だと思うんだ、拘束を解いて、服を着させてくれないか」
「断るわ、貴方の荷物は全て渡さない、大事にしてる小物入れもね」
「っ…………」
顔を苛立ちのにしつつ、良かったと安堵する。どうも捨てられてはいないらしい。
「なら、この拘束を解いてくれるくらいはいいんじゃない?」
「ふん……………………まあ、それくらいなら」
「いや、拘束は解くわけにはいかない」
「いいじゃない、どうせ逃げられないわ」
「…………なら、拘束を解く前に一つだけ聞いておこう」
「何だいププちゃん」
「ププちゃ…………姫、笑うな…………」
よしよし、ここを切り抜ければ、逃げられそうだぞ。
「ここに来る前まで、君は角無しの大陸にいたのだな?」
「…………そうだけど?」
「勇者が死んだというのは、本当か?」
「…………ああ、そうらしいね」
なんだ、情報が早いな…………いや、勇者の死なんて、広まって当然か。
「君は勇者についてどんな印象を持っている?」
「…………勇者なんて、僕は知らないよ。噂に聞く、強く、賢く、素晴らしい勇者なんて、見たことない。見たことないものに何も言えないね」
「そうか…………命拾いしたな」
ププは、それにアルも、目に薄っすらと憎悪を纏っていた。
「我々は、勇者を許さない、君がもし勇者好きなら、この場で始末していたところだ」
…………なにしたんだろ、『勇者』。
何はともあれ、拘束は解かれた。彼女たちが着ているのと同じ制服も貰えた。
代わりに首輪を付けられた。
「…………なに、これ?」
「ああ、この学校から出たら電撃が首に流れる仕掛けだ」
「…………学校?」
「ここはサキュバスの育成学校よ、分かるかしら、学校」
「…………ははっ、うん…………で、ボクはどうなるのかな?」
嫌な予感がして問いかけると、アルはにたりと笑った。
「アンタは今日からここで暮らすの、アンタが性欲を我慢できなくなるまでね」
アタシに恥をかかせた罰よ、と高笑いをするアル、細いナイフを準備しているププ。
「……………………」
父さん、ボクの童貞は今、面倒なことになってるよ。




