11 少年は暴く
クラークスとマナの戦いは、互いに一方的だった。
怪我を負っているのはマナのみ、ゆらりゆらりと蝶のように逃げるその体には、掠めた聖剣による細い切り傷、流れる血は赤く、白い躰を濡らしている。
「ほらほら、クラーク!」
しかし、追い詰められているのは、クラークスだった。絶対の攻撃であるはずの聖剣は、狙えば狙うほどに当たらない。
「クラークと、呼ぶな!!」
聖剣を回転させ、真横に打ち出す。しかし、まるでわかり切ってるかのように、その淫魔は跳び避けた。
「クラークスって名前が、そんなに気に入ってるの?」
じくと、思考が濁る。
『貴方はクラークスロット』『聖剣を受け継ぐのよ』『勇者様から聖剣を受け継ぎなさい』『貴方はそのためにいるのよ』
脳裏に浮かぶ母上の声は優しげで、有無を言わせない圧力があった。
「オレは、そのために……聖剣を継ぐために……」
「どうしてそんなに、聖剣に固執する?」
「だってそれ以外、オレには……………………っ!」
口を噤み、手に持った聖剣で斬りかかる。
「『それ以外残ってない』」
「うるさい!」
振るった剣は淫魔の首に、ここまでくれば避けられない、吸い込まれるように────
「『クラークスロット、貴方はそのための子なの』」
ぐにゃりと、視界の中で淫魔の顔が、母上に変わる。
剣を引いて飛びのく、目をこするとそこにいるのは、当然に母上ではない。口端を持ち上げる淫魔、出来損ないの、要らない子の、変容した姿。
「…………オレは、違う、お前より、お前より…………!」
「逃げるなよ、クラーク、愛しい愛しいボクの弟!」
揺らめく視界、揺らめく意識、瞬きするたびに浮かびあがる残像に、
「逃げてなんか、逃げてなんかいない、兄上!」
彼はくるりと、飲み込まれた。
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クラークスロットは、勇者の子である。
聖剣を握るモノ、と母親に名付けられた彼の役割は、その名の通り。
『いつか貴方は聖剣を受け継ぐ、そのために励みなさい』
クラークスロットは人並み以上の食事を強制された、吐きだせば吐き出した分だけ、食べ終わるまで食事の時間は終わらなかった。
『いつか貴方は聖剣を使用する、そのために学びなさい』
クラークスロットはいつから剣を持たされていたか覚えていない、聖剣と同等の寸法の木剣、鉄剣、それに慣れるようにと振るわされた。
『貴方には無駄なことをする時間は無いの、分かってるわよね?』
クラークスロットには、必要最低限の知識と礼儀作法のみ学び、それ以外の時間全ては剣の訓練に当てられた。
『だって、貴方は遅れている、他の子に負けるわけにはいかないの』
母親はそれが口癖だった、勇者の12人の子の中で、最後に産まれた彼には、常にその重圧をかけられていた。
しかし、クラークスロットは弱音を吐かなかった、母親の期待に応えるために、自分は特別になるために、クラークスロットは年相応の不満を飲み込んだ。
『母上、父上に会いたいです』
唯一言った言葉は、聞こえなかったフリをされて、再び言った言葉は、言い切る前に遮られた。
『勇者様は忙しいの…………貴方の勇者の力を覚醒させたら、きっと会ってくれるわ』
その日から、クラークスロットは更に、訓練に打ち込むようになった。
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いつの間にか、ソレは涙を流していた、薄いピンクの大きな瞳からだくだくと、涙をあふれさせ、それを手に取り、飛ばしてきた。
クラークスは水滴を打ち払う。その動きは精彩を欠いた、操り人形じみたモノだった。
「あああああああああああああ!!!!」
右手と左手に握った剣を、がむしゃらに振り、しかしその顔がどうしても、どうしても攻撃できない。
「次は誰に見えてる?クラーク?」
「誰にも、誰にも見えてなんてない!」
それは半分噓で、半分本当。彼の目に映る泣き顔は、かつてのマナと重なっていた。
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その子は、彼が訓練場で一人、剣の鍛錬をしているときに時々現れた。
『やぁ、頑張ってるね!』
その子は、9歳の彼と同じくらいの身長で、年齢は彼より4つ上だった。
クラークスは最初気にしていなかった、しかし、しつこく話しかけてくる彼に根負けして、鍛錬の合間に話し始めた。
『ボクの事は知ってる?………………あ、知らない、ボクは君のお兄ちゃんなんだよ!』
堂々と言うその姿に、クラークスは彼が自分の知らなかった勇者の子だと信じ切った。他の子との親交なんてないに等しいクラークスにとって、彼は母親と勇者以外の、近しい存在だった。
『じゃあ……兄上、と呼んでいいか?』
『もちろん!なら、ボクはなんて呼ぼうか…………クラーク、クラークでどうかな?』
『クラークス、で区切るんだよ』
『知ってるよ、でも、クラークスロットはいつか聖剣を持つんでしょ、その時に、どっちのクラークスか混ざっちゃ嫌だろ?』
何てことなくマナは言って、クラークスは嬉しくなった。
『じゃあ、兄上だけ特別に、呼んでいいよ』
クラークスの毎日は、ほんの少しだけ楽しくなった。
一人きりの時にひょこっと現れて、鍛錬の途中に会話する。
マナとの会話はクラークスにとって新鮮で、楽しみとなるまでにそう時間はかからなかった。兄上と慕う彼に、マナはとても嬉しそうに笑っていた。
『兄上は、自分の鍛錬をしなくていいのか?』
『……ああ、ボクはいいんだ』
時々見えた翳りに、クラークスは触れなかった。この時間が台無しになるような気がしたからだった。
『…………出来た』
あの日のことは、彼にとって忘れられない、焦げ付きのようなものだった。
『出来たよ!兄上!』
クラークスの鍛錬は身を結んだ。手に持った剣は輝き、打ち込み台を両断し、床まで割ったのだ。
それを見て、彼はマナの方を振り返った。きっと凄いと褒めてくれる、頭を撫でて、自慢の弟だと、そう言ってくれる。
『ああ……………………』
その目は、薄ぼんやりとしていた。その声は、諦めのような、失望のような、そんな響きで
『凄い……凄いな……クラークは』
そう言って頭を撫でてくれたマナの目は悲しげで、抱きしめてくれた腕は冷たかった。自分が何か悪いことをしてしまったと、そう感じた。
『……これで、父上に会わせてもらえる!』
でも、それに気づかないフリをして喜ぶと、マナは少し考えて、
『じゃあ、会いに行こうか』
そう言って、クラークスを連れて行った。
王宮の隅、小さな部屋、クラークスが来たことのない場所だった。
『父さん、今日は、クラークを連れてきたよ』
親しげに言って、マナはクラークスを手招いた。物心ついたころに一度だけ、希薄になっている父の、勇者の前へ急に立つことに、クラークスは緊張していた。
『……やぁ、クラークス、久しぶりだね』
それは、弱っていた。
黒い髪には艶が無く、瘦せた頬には骨が浮かんでいて、手は皺だらけだった。
『マナから聞いていたけど……随分、背が高くなったね、まだ10歳だろう?』
『は、はい、父上!』
クラークスは動揺していた。それは思い描いていた父親ではなく、勇者でもなく、病人か老人のようだった。
手招きされて、勇者に頭を撫でられたクラークスは、なんだか、涙が溢れていた。初めて会う父親の優しさからか、その細い身体が纏う寂しさからか、想像との差の隔たりから生まれた空白ゆえか。
結局、クラークスはそれ以上、勇者と話せなかった。
じゃあね、と別れ際にマナは言った。
『……母上、オレに、勇者の力が目覚めました』
そう言うと、母親はとても喜んだ。しかし、その能力を聞くと、
『なんてこと……聖剣を継げないじゃない………………』
彼女は、あからさまに落胆した。
クラークスロットに発現した能力は『ただの剣を、聖剣と同等にする力』、彼が本来の聖剣を使う利点は何一つとしてないかった。
『は、母上…………』
しかし、クラークスには分からなかった。生まれてから今まで、ずっと、努力してきた。その努力がやっと実ったのに、聖剣の力を使えることに変わりはないのに、どうして、どうして……………………
『聖剣の力なんて、どうだっていいの』
『貴方に求めていたのは、聖剣を受け継ぐに相応しいかだけ』
『あの聖剣を、王家に伝わる秘宝の持ち手にならなければ、何の意味もない!』
クラークスは、その怒鳴り声が、何か遠くに聞こえていた。
分かっていた、母親は自分に興味がないなんてこと。兄上と違って、自分のことを聞いてくれない、褒めるのはいつだって、聖剣に近づけたかどうかだけ。
でも、でも、それでも、どこかで、母上は自分を愛してくれていると、信じていた。聖剣が受け継げなくても、自分の努力を称賛してくれると、頭を撫でて、抱きしめて、誇らしいと言ってくてると、信じていたのに!
クラークスは叫んだ。
『兄上は、兄上は褒めてくれた!撫でて、凄いって、言ってくれた!』
『兄上…………誰のこと?』
『マナ!全部の名前は知らないけど、白髪の、兄上は、兄上は!』
自分と言う存在が崩れ去ろうとして、彼は口走った。勇者の子である兄上の言葉、クラークスの唯一の支えに、縋りついた。
『────なんですって?』
言って、母親は立ち上がり、近づき、クラークスの頬を強かに叩いた。
『アレのせいか…………アレのせいで…………!』
二回目、手の甲によるそれは、クラークスの頬に鈍い音を立てた。
『あんな淫魔の子を兄だなんて────!』
三回目、四回目、五回目……………………怒りから涙を流す母親の顔は、醜悪だった。
クラークスは、自分の持っていた支え全てを無くしてしまった。
一度だけ、マナが会いに来て、クラークと呼んできた。
彼に木剣を渡して、強かに、何度も、泣いても、何度も、殴りつけて────
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その顔が、その泣き顔が、目の前で泣いている姿と、重なった。
「どうして父上は、兄上だけ特別扱いしたんだ!」
言葉が止まらない、目頭が熱い、気づくと聖剣は、手に持っている一本のみ、それ以外は制御出来ず、能力が解けていた。
「認められてないのに!誰の子かも分からないのに!」
恨みが、妬みが、溢れ出るそれが、どうしても止められない。
「オレより下のくせに!どうして、どうして!」
ざらざらと、瞬きのたびに、クラークスは思い出す。
一人で父上の部屋に行って、中の話し声を聞いて、そっと中を覗いた時の光景。
父上からマナに指輪を渡し、いつかあげると約束し、マナの頭を撫でるその光景。
母上もいない、勇者の力が覚醒してなくても叩かれない、何一つ強いられないまま、生きられる。
「どうして、そんなに幸福なんだ!?」
それは、叩きつけるような嫉妬だった。
剣を高く掲げて、跳び込み、クラークスはその体を両断せんとする。
しかし、それと全く同じように、マナも両手を広げて、飛び込んでいた。
「……………………………………………………………………………………あにうえぇ」
彼の、クラークスの手から、剣は落ちる。
「……………………クラーク」
涙を流して縋りつく、12歳の弟を、マナはぎゅっと抱きしめた。




