序章 少年は逃亡する
少年は走っていた。
「はぁっ、はぁっ……!」
荒い息を吐いて、それでもなお走る少年が居た。
「逃がすな!捕まえろ!」
「取り返せ!!」
何人もの男が少年を追いかける。少年はその身長からすると驚異的ともいえる身体能力だったが、大の大人複数に追いかけられてはどうしようもない。広い建物の中、階段を上り、下り、がむしゃらに少年は走っていた。
「渡して、渡してたまるか……」
少年の息はすっかり上がっていたが、それでも少年は脚を止めることは無い。バクバクとなる心音、はぁはぁと荒い息。
「これは、ボクの、ボクのものだ…………!」
とうとう、少年の脚は動かなくなった。倒れこむように壁へ寄りかかる少年、それを取り囲む十人を超える男たち。
男たちは少年の意地に少し感服していた。ここから、この王城から逃げられるわけが無いにもかかわらず、少年は自らを奮い立たせて、ここまで走り続けたのだ。
「ああ…………」
少年は絶望し、涙を流す。肩を丸め、身体をくしゃりと折り曲げ、その大きな目からつぅと大粒の、真珠のような涙を出す。
それは美しかった、肩の高さで切りそろえられたピンクがかった白髪の隙間から見えるその眼、涙は長い睫毛と涙袋を通り、柔らかな頬の曲線を曲がり、薄く、しかしぷっくりとした唇に吸い込まれ────
「ひひっ」
ぺろりと、真っ赤な舌が舐めとった。
「ッ!!」
少年を囲んでいた男たちは、瞬間、自分たちがするべきこと、『その少年を捕まえる』という責務を思い出した。
しかし、それは遅かった。
少年の顔に絶望の彩は無い、後ろ手に隠した転移魔法の巻物は、既に発動寸前の輝きを見せていた。
それを見て、ある男は飛び出した、ある男は飛び出しかけた、ある男は冷めた目で笑った。
王城では、限られたものしか魔法を行使できない。王家に伝わる三つの秘宝の一つ、登録していない魔力、或いは指定されていない座標以外での魔力の外部出力がほぼ不可能になる。
つまり少年のそれは、子どもの浅知恵から来る足搔き、そう判断出来たのはリーダー格の男だけ、既に複数の男たちは条件反射的に飛び出していた。
少年は三秒もしないうちに取り押さえられるだろうと、その男は楽観視し、しかし、微かな疑問が脳をかすめた。
そんな当然のことを、王城で暮らしていた少年が果たして気づかないものだろうか。
少年は飛び上がる、先ほどまでの疲労が無いかのように、壁を蹴り、男たちの肩を踏みつけ、華麗に二段ジャンプ。
小さな体は高い天井に届かんばかりに近づいて、
「じゃあねっ!おじさん!!」
少年は光に包まれて、その姿を消した。
「……………………は、ははっ」
リーダー格の男は、この部屋の真上に訓練場があることを思い出した。公的に知られている中で、王城にて唯一魔力を使える場所。真下のこの部屋、天井に近い場所も範囲内だ。
少年は最初から計算ずくだった。この状況、この瞬間のために、みっともなく逃げるふりをしてここまでたどり着き、絶望の顔をして涙を流し時間を稼ぎ、勝ち誇った顔で油断を誘い、
見事、王城から逃げ切ったのだ。
「負けたよ、マナ」
幼いころから少年を見てきた彼は、その成長を喜んだ。彼は命令に逆らえない、立場も恩義も、私情より優先されるものであるがゆえ、彼は少年を捕らえるために十分な人員を使い、自らもそれを行った。
しかし、失敗した。それは騎士団長として想定外の失態で、彼個人にとっての想定外の喜びだった。男はどこか嬉しそうにため息を吐き
「…………負けた、んだよな?」
ふと、思う。
あの少年は、妙なところでやけっぱちになる癖があった。
「…………………………………………」
彼の懸念は、当たっていた。
「よし!成功!!さぁてっ!」
少年は右を見て、左を見て、上を見て、後ろを見て、
「ここ……どこ?」
少年は、割と考えなしだった。




