第六話「瑠璃の耳飾り」
「……巫女様って。あなたの名前はややこしいのね」
姉妹のことを思うと胸が苦しい。
語るのはまだ勇気が足りないと、怖気づきそうな気持ちを誤魔化すために、深琴に冗談を返した。
ぼかそうとしたのはお互い様だと、多少の嫌味を混ぜて深琴を見据えると、深琴は目を丸くしてすぐに鼻で笑う。
そしていたずら返しに手を伸ばし、穂乃花の唇に親指を滑らせた。
意表をつかれた穂乃花はカッと赤くなり、サッと深琴の手を叩き落とす。
穂乃花の抵抗は深琴にとってはかわいらしいもので、ニヤッとして手の甲をさすり面白がっていた。
「巫女様は巫女さまだ。オレは穂乃花に名前で呼んでもらいてぇんだけどな~?」
直球なアピールにゴクンと唾を飲み込む。
椅子の背を押すと脚がぐらつき、とっさに立ちあがってしまう。
赤い顔を隠すように小袖で口元を隠した。
「ちょ、ちょっと席を外すから!」
「おー。いってらっしゃい」
これ以上は深琴と向き合えない。
足早に店内を直進して、厠に駆けこむ。
急いで鍵をかけると扉に背を預け、カラフルなタイル面を見下ろした。
(名前って……。どうしよう。いつの間にか名前で呼ばれてた)
ドクン、ドクンと動揺が目立つ。
声を出さないようにあちこちに静かな叫びを振りまいた。
ずっと振り回されてばかりだと、タイル面を見下ろしているうちに視点が定まっていないことに気づき、両頬を叩いて冷静になろうとした。
気を取り直して深琴のもとへ戻ろうとし、咳払いをしながらトコトコと歩く。
顔を上げた先に深琴――とカフェーの店員さんが仲良さげに会話をしていた。
なぜだがその光景にカチンとし、穂乃花は大股に距離を詰めて深琴を睨みつける。
「穂乃花、戻ったのか」
深琴が穂乃花に気づくと立ち上がり、店員との会話を切りあげて近づいてきた。
へそを曲げる穂乃花を深琴はしばらく見下ろすと、クスッと息を漏らして頭部を撫でまわした。
「これ、やるよ」
甘くはにかんで穂乃花の耳たぶをいじくりだす。
くすぐったくて肩が跳ねてしまい、固く目を瞑っているうちに深琴の手が離れる。
耳たぶが重くなったと指を持っていくと、丸っこいものがぶらさがっていた。
何だろうと後ずさり、あたりを見渡して壁面の鏡まで歩み寄る。
(瑠璃の……耳飾り?)
深琴が両耳につけていた耳飾りの片割れだと気づき、あわてて振り返る。
「うん、いいな。イヤリングをつけると華やかだ」
「な、なにこれ? なんで片耳……」
「穂乃花なら似合うだろうと思って。夫婦としてのおそろいだ」
「めっ⁉」
面を食らった穂乃花に深琴は指先で耳飾りをつつく。
そのまま穂乃花の頬を手で包み、惚れっぽい顔をして視線で愛でてくる。
あまりにもやさしい触れ方だったため、穂乃花にはどこが熱いのかわからないまま、焼ける喉の呼吸を悩ませた。
(やだ……。頬、熱い? 耳も……?)
不愉快さはどこかへ吹き飛んでしまったようだ。
深琴から目を反らし、何度も髪の毛を耳にかけるしぐさをした。
「め、夫婦っていってもかりそめだから!」
「わかってるって」
手のひらで踊らされている気分だ。これは安全に旅をするための"理由付け"だと自分を納得させ、深琴の手を掴む。
「……ありがとう。"深琴"」
名前を呼ばれたから、より自然な夫婦を装えるように、と自分を納得させる。
意識して名前を口にすれば「なんだこんなものか」と肩の力が抜けた。
(名前を呼ばないと不便だもの。かりそめ夫婦なんだし、呼び捨てでいいのよ。うん)
これでまた一つ、安全にかりそめ夫婦の勾玉探しは続けられると安堵し、口角が持ち上がる。
目を覚ました時に考えていた悪い方向性はいつしか穂乃花の中から消えていた。
「あー……。あーあー! もぉー!」
深琴が後ずさり、天を仰ぐ。
つくづく何がしたいのかわからない男だと、乱れた様子の深琴に疑いの目を向けた。
***
カフェーを出ると、これからどうしようかと思案する。
深琴が穂乃花の手を握り、迷いなく進んでいくので考えを知りたくなり、顔をのぞき込んでみた。
「どこいくの?」
穂乃花の問いに深琴はニヤリと鼻を高くする。
「この町に有名な占い師がいるって聞いてな。そりゃあものすごく当たるってうわさだ」
「占い師?」
「当たるってんならオレたちの相性を見てもらうのもありだと思っ……いてっ!」
調子にのった発言は不要。
穂乃花は猫目をさらにつりあげて、戒めだと言わんばかりに深琴の手の甲を爪でねじった。
かりそめ夫婦だとしてもやさしく扱われたことがうれしかったのに、今は泣き笑いで誤魔化す深琴に幻滅だ。
とはいえ、情報集めをして何かしら有益だからその占い師とやらに会いに行く。
深琴の取捨選択はいまいちわかりかねると、眉根を寄せた。
「なに怒ってんの?」
「占い師さんのこと、誰に聞いたの?」
「あぁ、さっきのカフェーの子に。女学生を中心に人気なんだとよ」
「ふーん」
軟派な深琴だから情報源が女の子でもそりゃそうだと納得だ。
予想がつくことなのに面白くないと感じるのは、穂乃花の対人への感覚が鈍っているせいだろう。
イライラばかりして、いったい自分はどうしてしまったのだと頭を悩ませ、せかせかと足を速くした。
「なぁ、穂乃花ってさ、たしか八人姉妹って言ってたよな?」
不機嫌な小娘には臆さない。
深琴は穂乃花がピリピリしているのを遠目に見る気はないようだ。
大半の人が空気読みをするのに、深琴は空気を破壊する側として恐れ知らず。
黙ってほしいわけでもないが、突っ込まれると態度に困ってしまうと穂乃花は頬を赤らめて唇をとがらせた。
「そうだけど……それが何よ」
「いやぁ、夫婦になるなら挨拶しないとじゃん?」
挨拶、と言われて意味が分からないとぐっと圧をかけて睨む。
ニヤニヤする姿は助平そのもので、言葉のまま姉たちに「夫婦になりました」と挨拶するのを望んでいる。
オブラートに包む考えはなさそうで、深琴の直球さに咳払いをして肘で横腹をついた。
「かりそめでしょ。挨拶なんて必要ない」
「あるって。今はそうでも将来は違うってことさ」
よくもまあベラベラと惚気た言葉が出てくることで……。
満面の笑みを浮かべる深琴にどう反応してよいかわからず、気後れして唇を尖らせたまま目を反らした。