第三話「かりそめ夫婦の成立」
「きゃっ⁉」
後ろから両腕を持ち上げられ、穂乃花の膝が伸びて深琴の胸に背を預ける形となる。
後ろに目を向けると、深琴が自信満々にほくそ笑んでおり、瑠璃色の耳飾りを揺らした。
「勾玉を探すんだろ? オレと同じものを探してるってわけだ。一緒に旅をしたって行きつくところは同じさ」
「だっ……だからなによ⁉」
勾玉は穂乃花のものだ。
深琴が勾玉をさがす理由はわからないが、油断大敵。
シャーシャー猫のように牙をむいていると、反抗ばかりの穂乃花に深琴は呆れ笑いをした。
「その恰好でどうするってんだい。あんた、金持ってないだろう?」
持っていない。
穂乃花がもっているのは、たった一枚の薄っぺらい肌を守る小袖だけだ。
しかも儀式の時の恰好のままなので、ほぼ下着といっても過言ではない。
こんな身なりで穂乃花が一人で歩いていられるほど、清廉潔白な治安は存在しなかった。
「オレはあんたと夫婦になりたい。あんたは文無しの世間知らずときた」
(むっ。世間知らずって、ずいぶんな言い方ね)
そう反骨精神で眉をひそめるも、結局は図星のため声に出して反論が出来ない。
手足をジタバタさせて駄々をこねるだけだ。
「だから提案だ。嘘でいい。夫婦のふりをしていっしょに勾玉を探そうじゃねぇか」
「なにを……」
「男女二人きりで旅するにはそれなりのていが必要なのさ。夫婦を名乗るが手っ取り早いわけよ」
「なんで一緒なのが前提なのよ」
「仮に一人で探しに出たとして、お前さんが無事に旅出来るほど安全じゃねぇのさ」
言っていることはわかる、が穂乃花にとっては深琴も敵のようなもの。
身の危険は一人だろうが、深琴といようが変わりない。
穂乃花の大切な初口づけを奪った奴と行動するなんて、想像しただけゾッとする。
そうして悶々としていると、突然赤ん坊の泣き声に似た気味の悪い音が響き、コダマした。
これはあやかしだ、と即座に反応するが、穂乃花よりも先に動いたのは深琴だった。
――ザッ、と木々の隙間から飛び出してきた小鬼を、深琴は一太刀で斬り倒してしまう。
腰から下げた二本の刀のうち、簡素な造りの方であっさりと。
青い血が飛び散るもすぐにあやかしは灰となって消えた。
穂乃花の出る幕もなく一瞬で片が付き、呆然としていると深琴が上機嫌に口角をあげて穂乃花に振り返る。
「惚れた?」
「……そんなわけないでしょ!」
調子のよい奴だ。
穂乃花の癪に障ることばかり、と何度でも平手打ちを食らわしてやる気持ちで対峙する。
警戒心むきだしの穂乃花と、本気か建前かわからないひょひょうとした態度の深琴。
唇の貞操を奪われた以外は助けられている。
いち早く勾玉集めの旅に出たいのに、一人では無力な現実と後味の悪さに動けなくなっていた。
「ハッキリ言うと危ない。くわえてあんたは危なっかしい」
「……わかってるわよ」
だったらどうしろと歯を食いしばって深琴の胸を叩く。
「絶対に勾玉を取り戻さないとダメなの! 責任もって見つけなきゃ!」
「ならなおさら、夫婦になろう」
八つ当たりをする穂乃花の手をとり、深琴はまたもや助平に指先に唇を落とす。
あちこち触れられて、もう怒ってもキリがないと穂乃花はそっぽを向いて唇を丸め込んだ。
感情が入り混じりすぎて吐く息は湿っぽくなっている。
怒っているのか、恥じらっているのか、何が原因で身体が火照っているのかわからなかった。
「お前といっしょにいてぇんだ。惚れた女を守りてぇってのが男というもんだ」
「それではじめての口づけを奪っていいはずな……」
「だからお前を守らせてほしいんだ。オレの気持ちをちゃんと見てくれ」
やはり深琴は変だ。
出会ったばかりの穂乃花をどうして熱っぽい目をして見つめてくるのか。
瑠璃色の瞳に映る穂乃花はまるで恋に溺れた小娘。
可愛げある行動なんて一切していないのに、熱い眼差しで雰囲気をつくるのに慣れているから、簡単に求婚なんて口に出来るのか。
葛藤に穂乃花は深琴の手を押し返して首を振る。
「信じられるはずがない。お断りよ。あなたといる方が危ない……」
一人で旅をしたらどうなるか。
穂乃花は巫女のため、あやかし退治には恐れがない。
それより怖いのは人だ。
女一人旅は今の時代、どう扱われるか。
深琴の言うことが本当ならば、穂乃花が眠っていた時間にわりに女性の肩身の狭さは変わらない。
金なし、服なし、常識なし。
八方塞がりな状況に頭が痛くなる。
(山をおりたとして……戸惑ってる暇はない。だけど順調にいくはずも……)
結局、どの選択をしたところで穂乃花の安全が保障されることはなかった。
生きるための取捨選択を脳内で行い、穂乃花は妥協のなかの妥協で道を選んだ。
(嫌よ。嫌だけど……いざとなったら蹴り飛ばして逃げればいいのよ)
どれだけ嫌だろうと、穂乃花がまずすべきことは生き抜くための土台作り。
短い時間だが、深琴と接してある程度は身を守る道もありそうだと考え、妥協案とする。
穂乃花は戦える。付け入るスキを与えなければいいだけだ。
(それにこの人の笑い方……)
――妙に懐かしさを感じる。
警戒心はあれど、他の男性と旅をするよりまだマシな気もする。
利用できるだけ利用して、身支度が整い次第「おさらば」することを決めた。
「わ……たし、お金ないからね」
一途に恋情をぶつけられたことのない。
だからこうもむずがゆいのだと、悔しさに唇をとがらせる。
もじもじしながら深琴の外套を掴み、眼差しを唇に向けた。
薄い唇と、キリッとした顔立ちに穂乃花の頬が勝手に朱に染まった。
「だからって手を出そうとしたら許さないから」
じゃじゃ馬な返答に、深琴ははにかんでわしゃわしゃと穂乃花の頭を撫でる。
「とりあえず身なりを整えねぇとな。答えはそれからでもいい」
そう言って深琴は穂乃花の頬に唇を寄せた。
警戒心を強めていたそばから、頬の貞操を奪われ穂乃花はわなわなと震えだす。
「なっ……なに……!」
「既成事実。夫婦になるならこれくらい自然に出来ないとな」
「こ……こんの変態! また奪われたぁ!」
手を出すなと言った早々だったので、一番危険なのは深琴だとぎゃんぎゃん吠える。
能天気に笑う深琴に、乙女思考の穂乃花の妄想は肥大していき、ハレンチな想像に。
穂乃花は裸足のまま走りだす。
夫婦となれば当然あんなことやこんなことを……。
(きゃああああっ! いや待って!)
そこまで深い妄想に羞恥の限界がきてボンッと破裂した。
かりそめといえど夫婦。
表向きの面はどの程度かわからずに勝手に悩んでいた。
一人で笑ったり発狂したりと忙しい穂乃花を観察するのは、深琴にとって愉快そのもの。
「かりそめとはいえ悪くないね」
「うわーん! やっぱりやだー!!」
取り乱した穂乃花を深琴は身軽に追いかけ、ボロボロの身体をひょいと肩に抱きあげた。
足裏の痛みは引いたが、穂乃花は目を覚ましたばかりということもあり、混乱しきっている。
痛みと恥じらい、天秤の取り方がわからずに深琴におんぶにだっことなっていた。
わーわー騒いでいたが、肩に担がれて心地の良い揺れに穂乃花は落ちつきを取り戻していく。
恥ずかしいけれど、穂乃花を助けてくれる温度は心地よかった。
(何もしてこない? ううん、気は抜けない。……だけど他の男性はもっと怖い)
手を出そうとしなくても、状況は圧倒的に穂乃花に不利。
軟弱な足腰は役立たずのままで、常識もないので今は深琴に頼るしかない。
どんなにはじめての口づけを奪った男についていくのがイヤだとしても。
その辺の汚らしい奴らに貞操を奪われるのはもっと嫌だと、穂乃花は自身を押し殺して、目的を達成する道を選んだ。