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政略結婚なのに、寡黙な辺境伯の無垢な溺愛が仔猫系令嬢を目覚めさせました  作者: 宮野夏樹
第1章 不器用な溺愛

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28.永遠の誓い


 蝉が鳴く声が遠く、石造りの館の奥にまで響いていた。その鳴き声は、盛夏の訪れを告げるかのようだった。ミネットはヴェールのような白いカーテン越しに、陽光の揺れる中庭を眺めていた。庭園の花々は、盛夏の色を放ち、鮮やかに咲き誇っていた。青く澄んだ空の下、生命力に満ちた風景が広がっている。その穏やかな光景は、ミネットの心を安らかに包み込んでいた。


「――暑くないか?」


 背後から届いた、低い、しかし優しい声に、ミネットは小さく笑って振り返った。ゼノが寝間着姿のまま、グラスに水を注ぎながらこちらを見ている。彼の肩に巻かれた包帯は、まだ痛々しいが、その表情は穏やかで、疲労の色は薄れていた。


「ええ。暑いけれど、あなたが隣にいれば不思議と不快ではないのよ」


 ミネットの言葉にゼノは息を詰め、少しだけ照れたように喉を鳴らした。最近の彼は、口数が増えた。いや、彼女の前でだけ、素直に感情を滲ませるようになったという方が正しいかもしれない。彼の表情は、以前の無愛想な彼からは想像もつかないほど、柔らかくなっていた。


 昨夜の名残はもうない。激しい感情の波は過ぎ去り、そこには静かで深い安堵が広がっていた。けれど、言葉にせずとも、互いの間に流れるぬくもりは確かだった。それは、二人の間に生まれた、揺るぎない絆の証だった。


「朝食はここでいいか?」


 ゼノの声は、ミネットの意向を尋ねるように、優しかった。


「ええ。あなたの部屋が、いちばん落ち着くもの」


 ミネットは、ゼノの言葉に、静かに頷いた。彼の部屋は、彼女にとって、最も安らげる場所となっていた。そうして運ばれた食事は、涼やかな果物と、塩気のあるチーズとパン。夏らしい爽やかな朝食は、二人の体を優しく満たした。ミネットの好きな薄いミントティーまで用意されていた。ゼノの心遣いが、ミネットの心を温かくした。


 一口ずつ、互いに言葉少なに味わいながら、彼らはいつの間にか自然と手を繋いでいた。不器用だったゼノが、ミネットの手をさらりと包み込む。彼の指先が、ミネットの手に優しく触れ、その温もりが、彼女の心を包み込んだ。


 それだけで、この半年――出会った日からの時間すべてが、胸を温かく満たすものとなったのだとミネットは思った。彼女の心は、ゼノとの出会い、そして共に乗り越えてきた困難のすべてが、この瞬間の幸福へと繋がっていたことを悟った。




 朝食を終え、二人が執務机に向かうと、そこには王都から届いた一通の封書が置かれていた。王家の紋章がくっきりと刻まれた封蝋は、その書簡が重要なものであることを示していた。宛名はゼノ・ノールガール。差出人は、第一王子・アレクシス殿下。


「開けて」


 ミネットの促しに、ゼノは無言で頷くと、丁寧に封を解いた。彼の指先は、書簡の紙を優しくなぞり、その表情は真剣だった。中から現れた書簡は数枚、どれもアレクシス本人の手による直筆だった。ゼノは声に出して読み始める。その声は、低いが、その中には、王子の言葉を正確に伝えようとする、彼の誠実さが込められていた。


『親愛なるゼノ・ノールガール辺境伯殿


 このたびは、我が弟ラファエルの行いにより、北方の館および辺境伯夫人ミネット殿に多大なご迷惑とご不快をおかけしたこと、まずは王家を代表して深く謝罪申し上げます。


 調査はすべて終わり、弟ラファエルが私兵を用い、個人的な思慕からあなた方の私邸に侵入しようとした件は、完全なる私利私欲によるものと断定されました。

 国王夫妻もこれを重く受け止め、ラファエルには幽閉の処分が正式に下されております。今後、彼が王政の場に戻ることはなく、彼に与えられていたすべての特権も剥奪されました。


 辺境伯殿とそのご夫人の冷静かつ慎重な対応により、さらなる混乱を回避できたこと、王家として心より感謝申し上げます。


 どうか今後も変わらぬ忠誠をもって、北方の守護者として王家に力をお貸しくださるよう、伏してお願い申し上げます。


 盛夏の候、両名の変わらぬ健康と、ご多幸を祈念しております。


 ――第一王子 アレクシス・ド・ラ・ヴァロワ』


 読み終えたゼノは長く息を吐いた。その吐息には、安堵と、そして苦労が報われたことへの、深い感情が込められていた。


「……終わったのね」


 ミネットがそう言うと、ゼノは軽く彼女の肩を抱いた。彼の腕は、ミネットの体を優しく包み込み、その温もりが、彼女の心を安心させた。


「終わった。すべて、ようやくだ」


 ゼノの声は、深い安堵と、そして満足感に満ちていた。彼の言葉は、長年の苦悩が、ついに終わりを告げたことを物語っていた。


「私たちの関係も……ようやく、誰にも邪魔されないものになったわね」


 ミネットの言葉には、ゼノへの深い愛情と、そして二人の未来への確信が込められていた。彼女の瞳は、輝きを放っていた。


 その言葉に、ゼノはかすかに目を細める。彼の表情は、ミネットの言葉に、深い感動を覚えているようだった。


「誰にも渡さないと、初めから決めていたがな。だが今なら……ようやく、お前を堂々と――守れる」


 ゼノの言葉は、ミネットへの揺るぎない愛情と、そして彼女を守り抜くという、彼の固い誓いを表していた。


「ふふ、堂々と、って……。ずいぶんと今さらな発言ね」


 ミネットは、くすりと笑った。彼女の心は、ゼノの不器用な愛情表現に、温かい感情を抱いていた。


「……そうかもしれない」


 ゼノはそう言ってから、小さく笑った。彼がこんな風に笑うことができる日が来るとは、出会った頃には思いもしなかった。ミネットもまた、こんな風に穏やかに日々を過ごす未来があるとは、信じていなかった。彼らの間に生まれた愛は、二人の人生を大きく変えていた。




 その日の午後、ミネットは一人で中庭の散策に出た。石畳に照り返す陽は強く、真夏の空が高く広がっていた。花々は、陽光を浴びて一層鮮やかに咲き誇り、鳥たちのさえずりが、空に響き渡っていた。邸宅の庭は、平和と、そして美しさに満ちていた。


 だがミネットはその中に、風の音の向こうに、確かに希望の気配を感じていた。彼女の心は、未来への期待と、そして幸福感で満たされていた。


「――未来は、まだ終わらない」


 小さく呟いたそのとき、彼女の背後に涼やかな影が差す。その影は、ミネットの心を、安心感で包み込んだ。


「ミネット」


 ゼノの声は、穏やかだったが、その中には、ミネットを求めるような響きが込められていた。


「ゼノ様?」


 ミネットは、驚いて振り返った。彼の顔には、微かな焦りの色と、そしてミネットへの深い愛情が浮かんでいた。


「お前がいないと、落ち着かない」


 ゼノの言葉は、ミネットの心を温かく満たした。彼の言葉は、ミネットが、彼の人生にとって、どれほど重要な存在であるかを物語っていた。


「……数刻の外出にも?」


 ミネットは、くすりと笑った。


「ああ」


 ゼノは真顔で答えた。その手はミネットの手を自然に取り、軽く指を絡めた。彼の指先が、ミネットの手に触れるたび、二人の間に、温かい電流が流れた。


「王都行きの準備は整った?」


 ミネットは、ゼノの言葉に、わずかに首を傾げた。王都に行く予定は、しばらくはなかったはずだが。


「ああ。だが……その前に」


 ゼノの言葉に、ミネットはさらに首を傾げた。


「その前に?」


 ミネットが首を傾げると、ゼノは低く囁いた。彼の声は、ミネットの心を、甘く揺さぶった。


「来年の夏も、お前とこうしていられるように。いや、再来年も、その先も、ずっと」


 ゼノの言葉は、ミネットへの永遠の誓いを込めていた。彼の心は、ミネットとの未来を、どこまでも長く、そして幸福なものにしたいと願っていた。


「……言わなくても、決まっているわ。あなたと私は、もう」


 ミネットは、ゼノの言葉に、静かに頷いた。彼女の心は、ゼノへの揺るぎない愛情と、そして彼と共に生きていくことへの、彼女の固い決意を込めていた。


「もう、離れられない」


 ゼノの言葉は、ミネットの言葉に重なり、二人の間に、深い共鳴を生み出した。二人は見つめ合い、短く口付けを交わした。そのキスは、二人の間に生まれた、揺るぎない愛と、そして未来への誓いを象徴していた。


 蝉の声が遠ざかる。その鳴き声は、夏の終わりの気配を告げるかのようだった。しかし、その代わりに、新しい季節の気配が、微かに風に乗って流れてきた。それは、二人の未来を祝福するような、希望の風だった。


 ――物語は終わらない。


 きっとまた、新たなページが、静かにめくられていくのだろう。ミネットとゼノ、二人の行く先に。彼らの物語は、まだ始まったばかりなのだ。永遠という名の旅路が、始まったばかりなのだから。

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