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政略結婚なのに、寡黙な辺境伯の無垢な溺愛が仔猫系令嬢を目覚めさせました  作者: 宮野夏樹
第1章 不器用な溺愛

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23.変わる領地

 夏の風が、金の穂を揺らす。それはまるで大地が笑っているかのようだった。広大な麦畑は、陽光を浴びて黄金色に輝き、収穫の時が近いことを告げていた。鳥たちのさえずりが空に響き渡り、辺境伯領全体が、穏やかな喜びに満ちているようだった。


 改善提案から半月が経ち、南部第二村落では変化が確実に息づいていた。ミネットが提案した井戸の掘削や集水システムの導入は、村人の生活に具体的な希望をもたらし始めていたのだ。識字率向上のための旅の教師の支援制度も着実に準備が進められており、農具修理所の設置と管理者の育成も計画通りに進行していた。




 この日、ゼノはミネットを馬車に乗せ、再び村を訪れた。馬車は、以前よりも整備された道を滑らかに進み、二人の到着を村人たちは心待ちにしていた。馬車から降りたミネットは、地面を覆う小石の感触を足裏に感じながら、しっかりとした足取りで村の奥へと進んでいく。彼女の視線は、村の隅々に向けられ、その一つ一つの変化を心に刻み込もうとしていた。


「……この前より、ずっと活気がありますわね」


 ミネットの声には、喜びと、そして感動が込められていた。彼女の瞳は、村の活気に満ちた光景を、輝かせながら見つめていた。


「井戸の工事が始まったばかりだ。村人の期待が膨らんでいる」


 ゼノの声は、穏やかだったが、その中には、ミネットの功績を称えるような響きが込められていた。目の前では、数人の男たちが汗を拭いながら土を掘り、杭を打ち、縄を引いて作業をしていた。彼らの顔には、額に汗が光り、その表情には、かつてのような陰りはなく、希望があった。彼らの動きは力強く、村の未来を自らの手で切り開こうとする、確かな意思が感じられた。


「若い者が村に戻ってきた。井戸ができれば、農業も暮らしも変わる。……君の提案の成果だ」


 ゼノの言葉には、ミネットへの深い感謝と、そして彼女がもたらした変化への確信が込められていた。彼は、ミネットの洞察力と、行動力に、心底感銘を受けていた。


「私だけのものじゃありませんわ。視察に連れてきてくれたゼノ様がいてくれたから、形になったのですもの」


 ミネットは、謙虚に答えた。彼女は、ゼノの協力がなければ、この変化は実現しなかったことを理解していた。彼女の言葉は、ゼノへの深い信頼と、そして二人の共同作業への誇りを表していた。


 ふと、背後から軽い咳払いが聞こえた。その音は、どこか遠慮がちで、しかし確かな存在感を示していた。


「おや……おやおや、奥様でございますな」


 振り返ると、腰の曲がった老婆が小さな杖をついて立っていた。顔中に深い皺を刻み、柔らかい白髪をひとつに結んだその姿は、まさにこの村の歴史そのもののようだった。彼女の瞳は、長い年月を生きてきた者の知恵と、そして温かさに満ちていた。


「まあ……先日はお会いできませんでしたわね」


 ミネットは丁寧に一礼し、老婦人の前にかがみ込んだ。彼女の動作は、優雅でありながらも、老婆への深い敬意が込められていた。


「マリベル婆さんだ。この村の最古参だな」


 ゼノが紹介するのを待たずに、マリベルはニコニコとミネットを見つめた。その笑顔は、太陽の光のように温かく、ミネットの心を和ませた。


「よう来てくださった、奥様……。あれから村の者たちは、そりゃあ張り切っておりますのじゃ。あんた様の提案がなければ、この村はもう終わっておった」


 マリベルの声は、感謝と、そして深い安堵に満ちていた。彼女の言葉は、ミネットの提案が、この村にどれほどの希望をもたらしたかを物語っていた。


「そんな……私は、ほんの少しお手伝いしただけで……」


 ミネットの謙遜に、マリベルはぷいと首を振る。その仕草は、老婆の茶目っ気と、そしてミネットへの深い愛情を表していた。


「“少し”がどれだけ貴重か、あんた様は知らんだけじゃ。村の者は皆、奥様のお名前を覚えとります。『ミネット様が来てくださった、ミネット様が考えてくださった』ってな」


 マリベルの言葉は、ミネットの心に、温かい光を灯した。彼女の存在が、誰かの生活を変えられるなんて、今まで想像もできなかった。自分の行いが、これほどまでに人々に感謝されるとは、ミネットは夢にも思わなかったのだ。胸が熱くなるのを、ミネットは抑えられなかった。その瞳には、感謝と、そして感動の涙がにじんでいた。


「……嬉しいです」


 ミネットは、心からの喜びを込めて、そう答えた。


「それでな、奥様」


 マリベルは杖をつきながら、顔を覗き込んだ。彼女の瞳は、ミネットの顔をじっと見つめていた。その言葉は、どこか意味深な響きを持っていた。


「欲を言えば……あとは、お世継ぎ様のお顔を見られれば満足ですじゃ」

「――――えっ」


 突然の一言に、ミネットは顔を真っ赤に染めた。彼女の顔は、耳まで真っ赤になり、その瞳は、驚きと、そして羞恥で大きく見開かれた。


「ば、婆様……」


 ゼノが珍しく小声でたしなめるが、マリベルは意に介さない。彼女は、二人の反応を、楽しそうに見ていた。


「なあに照れてらっしゃる。夫婦仲がよろしいのは、屋敷の使用人たちの間でも評判でございますよ。はて、わたしもまだくたばれませんな。孫の代まで祝いの席で踊ってみせましょうぞ」


 マリベルの言葉は、ミネットの羞恥心をさらに煽った。彼女の言葉は、まるで周囲の期待を代弁しているかのようだった。


「い、いえ、それは……その……あの……」


 ミネットの耳まで真っ赤になった。彼女は、言葉にならないほど動揺していた。ゼノは視線を逸らしながら小さく咳払いをする。彼の顔もまた、微かに赤く染まっていた。


「ミネット、そろそろ次の視察に――」


 ゼノは、この場から逃げ出そうと、ミネットを促した。


「ま、待ってくださいゼノ様、今ここで逃げるのはずるいですわ!」


 ミネットは、ゼノの袖を掴んで、彼の逃走を阻止しようとした。


「私は逃げてなど……」


 ゼノは、冷静を装おうとしたが、その声はわずかに震えていた。


「逃げてます! 顔、逸らしてますもの!」


 ミネットは、ゼノの動揺を指摘した。


「む……」


 ゼノは、ミネットの言葉に、反論できなかった。マリベルはそのやり取りに満足げな笑みを浮かべ、そっと二人の手を重ねた。彼女の手は、温かく、そして優しかった。


「これからも、ふたり仲良く、村を、領地を、導いてくだされ。……若い人の背中が見えるだけで、わしらは安心できるものでしてな」


 マリベルの言葉は、ミネットとゼノに、深い責任感と、そして温かい期待を抱かせた。彼女の言葉は、二人の未来を祝福しているかのようだった。ミネットは口元を震わせ、そっとマリベルの手を握り返した。彼女の瞳には、決意の光が宿っていた。


「……私、がんばります。ゼノ様と一緒に、ずっと、ここで」


 ミネットの言葉は、ゼノへの深い愛情と、そしてこの地で生きていくことへの覚悟を表していた。


「そうですとも」


 マリベルはゆっくりと杖を突きながら歩き去っていった。その背中は、希望に満ちた未来へと向かっているようだった。ミネットは見送るようにその背中を見つめながら、小さく呟いた。


「……人の温かさって、こんなに胸に沁みるのですね」


 ミネットの心は、村人たちの温かさに触れ、深く感動していた。


「それが領地というものだ」


 ゼノの言葉に、ミネットは頷いた。彼の言葉は、ミネットに、領主としての深い洞察を与えた。


「ならば、私はこの地を愛したい。もっと、もっと……そう思います」


 その声には、もはや少女の不安も、怯えもなかった。あるのは未来への誓いと、傍にいる男への深い想いだった。彼女の心は、愛と、そして希望で満たされていた。




 視察を終えて、馬車に揺られて帰る道中。夏の夕日が西の空を赤く染め、長い影が馬車の後方に伸びていた。馬車の揺れは心地よく、二人の間の沈黙は、深い愛情で満たされていた。ミネットは、ゼノの隣に座ったまま、そっと彼の肩に頭を預けた。彼女の心は、温かい感情で満たされていた。


「ねえ、ゼノ様」


 ミネットの声は、うとうとしているように小さかった。


「なんだ?」


 ゼノは、ミネットの髪を優しく撫でながら尋ねた。


「……もし、万が一、子が生まれたら……名前、どうしましょうか」


 ミネットの言葉は、二人の未来を、具体的に描き出そうとしていた。彼女の心は、子供の誕生への期待で満たされていた。


「……少し気が早いな」


 ゼノの声は、穏やかだったが、その口元には、かすかな笑みが浮かんでいた。


「でも、考えておいてもいいじゃありませんの」


 ミネットは、いたずらっぽく言った。ゼノは少し黙ってから、穏やかに笑った。彼の心は、ミネットの言葉に、深い喜びを感じていた。


「君が考えてくれ。君の名付けなら、きっと素敵な名になる」


 ゼノの言葉は、ミネットへの深い信頼と、そして彼女の感性を高く評価する気持ちを表していた。


「……約束、ですわよ?」


 ミネットは、ゼノの言葉に、喜びを隠せない様子で尋ねた。


「……ああ」


 ゼノは、力強く頷いた。彼の言葉は、ミネットへの揺るぎない愛情と、そして未来への約束を込めていた。

 ミネットは彼の手を握った。彼女の指先が、ゼノの手に触れる。その感触は、二人の絆が、さらに深まったことを示していた。誰かに感謝され、未来を願われ、名前を呼ばれる。それだけで、自分という存在の重みが、少しだけ愛おしく思える。ミネットは、自分の存在が、誰かの役に立っていることを、心から実感していた。


 ミネット・ノールガール。


 その名に、確かな意味が宿るようになってきたことを、彼女は静かに感じていた。彼女は、辺境伯夫人として、そして一人の人間として、確かな居場所を築き上げていた。


 その名は、愛されるためにあるのではない。誰かを愛し、守り抜くためにあるのだと――。ミネットは、自分の人生の目的を、確かなものとして見出していた。

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