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政略結婚なのに、寡黙な辺境伯の無垢な溺愛が仔猫系令嬢を目覚めさせました  作者: 宮野夏樹
第1章 不器用な溺愛

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22/33

22.夫人から見た辺境伯領

 領地視察から帰ってきた翌朝、辺境伯邸はまだ夜の静けさを残していた。しかし、その静寂を破るかのように、政務室の灯りが早くも点っていた。ミネットは一枚の提案書を持って政務室に現れ、まだ日が昇ったばかりの時間にもかかわらず、すでに机に着き、書類に目を通していた。その瞳には、深い集中と、そして決意が宿っていた。


「……早いな」


 扉を開けて入ってきたゼノは、ミネットの姿に、驚きを隠せない様子で目を細めた。彼は、ミネットがこれほど早く行動を起こすとは思っていなかったのだ。


「おはようございます、ゼノ様」


 ミネットは顔を上げ、ゼノに微笑みかけた。彼女の顔には、微かな疲労の色が浮かんでいたが、その表情は充実感に満ちていた。


「おはよう。……徹夜したのか?」


 ゼノは、ミネットの目の下のわずかな隈に気づき、心配そうに尋ねた。


「いいえ。少し早く目が覚めてしまって……昨日の視察が、どうしても忘れられなくて」


 ミネットの声は、穏やかだったが、その言葉には、視察で得た感動と、そして民への深い共感が込められていた。彼女の心は、村で見た光景と、そこから生まれたアイデアで満ちていたのだ。


 ゼノは何も言わずにミネットの隣に腰を下ろした。彼の視線は、ミネットの机上に置かれた提案書に向けられた。手に取り、黙読する。彼の表情は、次第に真剣になっていった。


 《南部第二村落支援案》

 ・既存の井戸の補強および新規の井戸掘削の資金提供

 ・雨水を貯水できる集水システムの導入

 ・識字率向上のため、出張教育を行う旅の教師の支援制度創設

 ・農具修理所の設置と管理者の育成


 ゼノは、提案書に書かれた具体的な支援策に、驚きを隠せなかった。その内容は、単なる感情的なものではなく、現実的で、かつ効果的なものだった。


「……具体的だな」


 ゼノの声には、感嘆の響きが込められていた。


「一夜ではまとまりませんでしたが、視察の帰り道に少しずつ、頭の中で構想を練っておりましたの」


 ミネットは、はにかむように微笑んだ。彼女の言葉は、この提案書が、彼女の心からの願いと、深い考察の賜物であることを示していた。


 ゼノは書類から視線を上げ、ミネットの顔を見る。彼の瞳には、ミネットへの深い愛情と、そして尊敬の念が宿っていた。


「これを考えていたせいで、昨夜は口数が少なかったのか」


 ゼノの声には、かすかな不満と、そして嫉妬が混じっていた。彼は、ミネットが自分の隣で、他のことに夢中になっていたことを、少しだけ寂しく思っていたのだ。


「えっ……もしかして、拗ねてました?」


 ミネットは、ゼノの言葉に、驚きを隠せない様子で尋ねた。


「……否定はせん」


 ゼノは、正直に答えた。彼の耳は、わずかに赤く染まっていた。ミネットがくすりと笑った。その笑い声は、執務室に温かい空気を生み出した。彼女は、ゼノのそんな人間らしい一面を、愛おしく感じていた。そのとき、執務室の扉がノックもなく開き、政務官のハルトが入ってきた。彼の顔には、普段通りの疲労と、そしてわずかな驚きが混じっていた。


「ゼノ様、本日の書類は――……奥方様?」


 ハルトは、執務室にいるミネットの姿に、目を丸くした。


「おはようございます、ハルトさん」


 ミネットは、ハルトに笑顔で挨拶した。


「……早いですね。おふたりとも」


 ハルトは、二人の早朝からの活動に、感心したように言った。ゼノが提案書を手に取ったまま言った。彼の声には、ミネットへの誇らしさが込められていた。


「これを見ろ。ミネットの提案だ」


 ハルトは受け取ると、ざっと目を走らせた。そして無言で再度読み込み始め、二度、三度と読み直す。彼の表情は、次第に真剣になり、そして驚きへと変わっていった。


「……これは、私の想定よりも……遥かに現実的で、しかも効果が大きい。どうやって……?」


 ハルトの声には、感嘆と、そして疑問が混じっていた。彼は、ミネットの提案書の完成度の高さに、心底驚いていた。


「現地を見た者の目で考えたものだ」


 ゼノは、ミネットの言葉を代弁するように言った。


「なるほど……」


 ハルトは、深く納得したように頷いた。彼は、ミネットの提案書が、単なる机上の空論ではないことを理解した。やがて、ハルトは提案書をそっと置いた。彼の顔には、尊敬の念がはっきりと表れていた。


「奥方様。……正直、私は驚いております」


 ハルトは、心からの敬意を込めて言った。


「お褒めいただき光栄ですわ。でも、私はまだまだ学び途中ですから。これからも、ご指導いただけましたら嬉しいですわ」


 ミネットは、謙虚に答えた。彼女の言葉は、ハルトの心をさらに打った。


「……恐れ入りました」


 ハルトは心底感服したように頭を下げた。彼の言葉は、ミネットへの深い尊敬の念を表していた。それを見ていたゼノの胸に、温かい何かが灯る。彼の心は、ミネットの成長と、そして彼女が周囲から認められていることに、深い喜びを感じていた。


(この人は……努力で、ここまで来た)


 かつては“可愛らしいが、気まぐれでわがままな貴族令嬢”と陰口を叩かれていた少女が、いまや堂々と一人前の目で未来を見据えている。ゼノの心には、ミネットへの愛情と、そして誇らしさが満ち溢れていた。




 一方その頃、屋敷内の女中部屋。朝の光が差し込む部屋で、カリーナが給仕の準備を終え、手を洗いながらぽつりと呟いた。彼女の顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。


「……ミネット様、変わりましたわね」

「ええ」


 紅茶の準備をしていたエリーゼが同意する。彼女の視線は、ティーカップに注がれる紅茶に向けられていた。


「政務に真剣に関わり、おひとりで提案書まで仕上げるなんて。以前なら考えられなかったことですわ」


 エリーゼの声には、ミネットの成長への驚きと、そして喜びが込められていた。


「この前など、厨房で“塩の運搬経路が非効率”とか、真顔で指摘していらしたのよ」


 カリーナは、ミネットの意外な一面を語った。


「ええっ?」


 エリーゼは、カリーナの言葉に、驚きを隠せないでいた。


「料理長がしどろもどろになってましたわ」


 カリーナは、楽しそうに笑った。二人は顔を見合わせ、ふっと笑う。彼女たちの顔には、ミネットの成長を温かく見守る、母親のような表情が浮かんでいた。


「……あの方、いま心からアルヴァ=グランツ家の奥方になろうとしていらっしゃる」


 カリーナの声は、ミネットへの深い敬意を込めていた。


「そして、それを一番大切に見守っているのがゼノ様ですわね」


 エリーゼは、ゼノのミネットへの深い愛情を指摘した。


「まったく……あの無愛想殿が」


 カリーナは、ゼノの不器用な愛情表現に、苦笑いを浮かべた。


「見ていて微笑ましいとは、思いますけれど」


 エリーゼが言葉を続ける。彼女の心には、ゼノとミネットの仲睦まじい様子が、温かい光景として映っていた。


「でも、きっと……ゼノ様だけでは足りない場面もありますわ」


 エリーゼは、ミネットがこれから直面するであろう困難を予見していた。


「……女同士で、支えましょう。彼女がこの家を導く者になるとしたら、私たちもそれに応えなければ」


 カリーナは、ミネットを支えることへの決意を表明した。


「ええ、カリーナさん」


 エリーゼもまた、カリーナの言葉に同意した。二人の声は、静かに部屋に響いた。彼らは、ミネットを支え、この家を共に築き上げていくことを誓ったのだ。




 その夜。夕食の席で、ゼノはミネットの手を取り、少し照れくさそうに言った。彼の顔には、微かな赤みが差していた。


「今日、君の提案を受けて、政務官たちと正式な議論に入った」


 ゼノの声は、ミネットに、喜びと、そして感謝を伝えていた。


「まあ……本当に?」


 ミネットは、ゼノの言葉に、驚きと喜びを隠せない様子で尋ねた。


「一部は修正が必要だが、君の視点は確かだった。……ありがとう。君が、私の隣にいてくれることを、心から誇りに思う」


 ゼノの言葉は、ミネットの心を深く揺さぶった。彼の言葉は、彼女への深い愛情と、そして彼女の成長を認めるものだった。ミネットの頬が赤く染まる。彼女の心は、ゼノの言葉に、幸福で満たされていた。


「……私こそ、あなたの傍にいられるように、もっと努力しますわ」


 ミネットの声は、震えていたが、その中には、ゼノへの深い愛情と、そして彼に寄り添うことへの決意が込められていた。ゼノはその手をそっと口元に引き寄せ、口づけた。彼の唇は、ミネットの指先に、優しく、しかし熱を持った。


「無理はしなくていい。だが、君が前を向くたび、私の心もまた、前へ進む」


 ゼノの言葉は、ミネットの心に、深い安堵と、そして温かさをもたらした。彼の言葉は、彼女の努力を認め、そして彼女を支えようとする、彼の固い決意を表していた。


「……あなたって、本当に」


 ミネットは、ゼノの言葉に、思わず口を開いた。


「……ん?」


 ゼノは、ミネットの言葉の続きを促した。


「不器用なのに、時々ずるいくらいロマンチックですわね」


 ミネットの言葉に、ゼノが少しだけ、珍しく照れて頬をかいた。彼の顔は、さらに赤く染まっていた。クロは、二人の様子を、興味深そうに見上げていた。


 その様子に、ミネットは微笑んだ。もう彼女の瞳に、初めてこの館へ来た日の不安も、自信のなさもなかった。あるのは、隣にいる男を信じる強さと、自分自身を誇る勇気。彼女の心は、愛と、そして自信で満たされていた。その変化は、確かに家中を動かしていた。ミネットの存在は、邸宅全体に、新しい息吹を吹き込んだ。


 そしてこの夜、ミネットの名は、ノールガールの屋敷で“真に敬意を込めて語られる存在”となったのだった。彼女は、辺境伯夫人として、そして一人の人間として、確かな居場所を築き上げていた。

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