表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
政略結婚なのに、寡黙な辺境伯の無垢な溺愛が仔猫系令嬢を目覚めさせました  作者: 宮野夏樹
第1章 不器用な溺愛

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/33

18.第二王子の蛮行


 春の陽は穏やかで、屋敷の空気も日常を取り戻したかに見えた。鳥たちの囀りが庭の隅々まで響き渡り、花壇の花々は、暖かな陽光を浴びて一層鮮やかな色彩を放っていた。邸宅の中では、使用人たちがそれぞれの持ち場に戻り、穏やかな時間が流れているかのように見えた。けれど、それは一瞬の静けさだった。




 その日、正門を激しく叩く音が響いた。その音は、まるで嵐の到来を告げるかのように、穏やかな邸宅の空気を切り裂いた。門番が応対する間もなく、鋼鉄の甲冑に身を包んだ兵が十数名、堂々と門を越えて押し入ってきた。彼らの足音は、邸宅の石畳に重々しく響き渡り、その剣や甲冑が擦れる音は、不穏な空気を醸し出していた。


 その先頭に立つのは――ラファエル第二王子。黒のマントを翻し、艶やかな金髪をなびかせながら、彼は不遜な笑みを浮かべていた。彼の瞳には、目的を果たすためならば手段を選ばない、冷酷な光が宿っていた。


「ゼノ・ノールガール」


 名を呼ばれたゼノは、ミネットと共に執務室から出て、中央の広間へと向かう。彼の顔には、微かな緊張と、そして決意が浮かんでいた。ミネットもまた、彼の隣を歩きながら、その顔には不安の色が混じっていた。すでに警戒態勢に入っていた兵士たちの間をすり抜けるように、二人の姿が現れた。広間には、ゼノの私兵たちが整列し、ラファエルとその兵士たちと、静かに睨み合っていた。


「……随分と乱暴な訪問ですね、第二王子殿下」


 ゼノの声は、低く、しかしその中には、怒りが込められていた。彼の瞳は、ラファエルを射抜くように、鋭い光を放っていた。


「これくらいは必要だろう? 君はなかなか手強いから」


 兵たちの間からラファエルが現れ、ふわりと微笑んだ。彼の言葉には、ゼノを挑発するような響きが込められていた。


「嘆願は通らなかったが、私は諦めていない。だから――ミネットを渡して貰おうか?」


 ラファエルの言葉は、広間に響き渡り、一瞬、空気が凍りついた。彼の言葉は、まるで氷の刃のように、ゼノとミネットの心を貫いた。


 ゼノの目が細くなり、ミネットが息を呑む。彼女の心臓は、激しく鼓動していた。ラファエルの無遠慮な言葉に、ミネットの顔は蒼白になった。


「……妻は物ではありません」


 低く、しかし揺るぎない声だった。ゼノの中に流れる剣士としての冷静さと、夫としての激情が、同時に湧き上がる。彼の言葉は、ミネットを全力で守ろうとする、彼の固い決意を表していた。しかしラファエルは口元に笑みを浮かべたまま続ける。その笑みは、まるで悪魔の笑みのように、冷酷だった。


「だが、まだ夜も共にしていないのだろう? 爵位のある夫婦としての“務め”は果たさねばなるまい? “仮初めの契約”など、通用しない世界だよ」


 ばっさりと、言葉が落とされた。ラファエルの言葉は、二人のプライベートな関係にまで踏み込み、彼らを公衆の面前で辱めようとしていた。


 ミネットの頬が、真っ赤になる。彼女の目は、羞恥と怒りで潤んでいた。ゼノもまた、普段見せぬほど目を見開いた。彼の顔には、怒りがはっきりと現れていた。


「……っ……貴方様は、どこまでも、礼儀を逸した物言いを……!」


 ミネットの声は、震えていたが、その中には、強い怒りが込められていた。彼女は、ラファエルの無礼な言葉に、我慢ならなかった。


「ふむ、事実を指摘したまでだよ?」


 ラファエルは、ミネットの怒りを嘲笑うかのように、冷たく言い放った。


「……っ」


 ゼノの表情は、怒りで硬直していた。


(相手は王族。しかも私兵を伴っている。強硬な手段に出られれば、こちらに分が悪い……)


 ゼノは冷静に状況を読もうとする。彼の脳裏には、最悪のシナリオがよぎっていた。だがラファエルの視線は、まっすぐにミネットだけを捉えていた。彼の瞳には、ミネットを何としてでも手に入れようとする、狂気にも似た執着が宿っていた。


「ミネット。さあ、戻ろう。僕の元へ」


 ラファエルは、ミネットに手を差し伸べた。彼の言葉は、甘く、しかしその中に、ミネットを所有しようとする強い意志が込められていた。


 ミネットは一歩後ずさる。彼女の心は、ラファエルの言葉に、強い嫌悪感を抱いていた。そして、毅然と、顔を上げた。彼女の瞳には、ラファエルに対する明確な拒絶の意思が宿っていた。


「お断りします。私はあなたの“所有物”ではありません。何度でも申し上げます。貴方様の、ハーレムになど――入りませんわ」


 ミネットの声は、広間に響き渡った。彼女の言葉は、ラファエルの心を深く突き刺した。


「ハーレム? ふふ、誤解だよ、ミネット。前にも話しただろう?」


 ラファエルは一歩前に出て、いたずらっぽく微笑む。彼の笑顔は、ミネットを惑わせようとするかのように、甘く、しかしその中に、冷酷な本性が隠されていた。


「僕はずっと、君だけが欲しかったんだ。――僕だけのミネット」


 ぞくりと、ミネットの背筋が震えた。ラファエルの言葉は、彼女の心の奥底に、恐怖の感情を呼び起こした。──その瞬間。


「……その手を引いてもらおうか、ラファエル殿下」


 ゼノの声が、低く、しかしその中には、怒りが込められていた。彼の腕が、迷いなくミネットの肩を引き寄せた。彼の腕は、ミネットを包み込むように、優しく、しかし力強く、彼女を守っていた。


 初めて見せる、守る者としての逞しい抱擁。ゼノの体温が、ミネットの背にじんわりと広がる。ミネットの身体がわずかに震えたが、そのまま寄り添った。彼女は、ゼノの腕の中で、安堵を感じていた。


「彼女は、私の妻です。何人にも渡すつもりはありません――お引き取りください」


 静かに、しかし強く。ゼノの言葉が広間に響く。彼の瞳は、ラファエルを射抜くように、鋭い光を放っていた。


 睨み合いの空気が走った。ゼノとラファエルの間に、目に見えない火花が散る。


 私兵たちが動きを見せかけた、その時だった。彼らは、ラファエルの指示に従い、ゼノに襲いかかろうとしていた。




「そこまでだ、ラファエル」


 重く、よく通る声が響いた。その声は、広間の緊張した空気を、一瞬にして打ち破った。


 重厚な足音。広間の入り口に現れたのは、王都からの騎士団。彼らの甲冑は、光を反射し、その存在感を際立たせていた。先頭に立つ一人の男は、紋章入りの青いマントを身に纏い、凛然と前を見据えていた。彼の顔には、冷静さと威厳がたたえられていた。


 第一王子、アレクシス・ド・ラ・ヴァロワ。


 灰銀の髪をきっちりと後ろで結び、冷静さと威厳をたたえた姿に、広間の空気が一変する。ラファエルも、そしてゼノの私兵たちも、一瞬にして動きを止めた。


「兄上……!」


 ラファエルの表情が、初めて動揺を見せた。彼の顔は、蒼白になり、その瞳には、恐怖の色が浮かんでいた。


 アレクシスは淡々と告げる。彼の声は、冷たく、しかしその中には、揺るぎない正義感が込められていた。


「私利私欲のために私兵を動かすなど、騎士法および王族の名において重大な反逆行為とみなされる」


 騎士たちが一斉に進み出る。彼らは、ラファエルを取り囲むように、ゆっくりと前進した。


「国王陛下より命が出ている。ラファエル・ド・ラ・ヴァロワ王子を拘束し、王都にて幽閉せよ――とのことだ。我が愚弟よ」


 アレクシスの言葉は、ラファエルにとって、決定的な宣告だった。


「ま、待て! 父上がそんな……!」


 ラファエルは、信じられないという表情で、アレクシスを見つめた。


「署名入りの文書がある。……観念しろ」


 あっという間にラファエルは取り囲まれ、剣を抜く暇も与えられないまま、鎖をかけられた。彼の抵抗は、虚しくも、力尽きていた。


「アレクシス殿下、これは……!」


 ゼノは、アレクシスの突然の介入に、驚きを隠せないでいた。


「この件についての謝罪は、後ほど。私も弟の蛮行には手を焼いている。では失礼する」


 静かに頭を下げ、アレクシスは部下たちと共にラファエルを連れ、去っていった。広間には、ラファエルの怒りと、そして絶望の叫びが響き渡っていた。


 残されたのは、広間の静寂。あまりの展開に、誰もがしばらく声を失っていた。広間には、ラファエルが残していった、不穏な空気が残っていた。


 ミネットもまた、唇をかすかに震わせたまま動けなかった。ラファエルの視線、あの言葉、兵士の足音が耳から離れない。彼女の心は、まだ恐怖と混乱の中にあった。


「……ミネット」


 名を呼ぶ声に、ミネットははっと顔を上げる。ゼノの声は、彼女の耳に、優しく響いた。


 ゼノはそっと、彼女の肩に手を添えた。彼の指先が、ミネットの肩に触れる。その手が、驚くほど優しくて――ミネットの目に涙がにじんだ。ゼノの温かい手が、彼女の心をそっと撫でた。


「もう、大丈夫です」


 ゼノの声が、深く心にしみわたった。彼の言葉は、ミネットの心を包み込み、彼女の不安を和らげた。静かに抱きしめられ、ミネットの震えはやがて、少しずつ収まっていった。ゼノの腕の中で、ミネットは、心から安堵していた。彼の胸の音が聞こえる。鼓動が、穏やかに、彼女の鼓動と重なっていく。


(……この腕が、私の居場所なの)


 その思いに気づいたミネットの頬は、涙のあとで赤く染まっていた。彼女の心は、ゼノの腕の中で、これまでにないほどの安心感と、そして温かさを感じていた。騒乱の幕は閉じた。


 だが、この事件は、二人の距離をまた一歩近づけることになる。ラファエルの蛮行は、ゼノとミネットの間に、より強固な絆を築き上げた。


 次は、心を開くときだ。彼らの関係は、この事件を乗り越え、さらに深い愛情へと発展していくだろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ