【09】ウサギの魔道具
伯爵邸から帰還し、一日を終えたルルシュカは、ベッドで膝を抱え座り込んでいた。ベッドサイドに置かれたソファには、トムが寝転がっている。
「ねぇ……トム。気づいたんだけどさ。あの子って、あの二人の子ども、……なんだよね」
「今更何言ってんだよ? そんなの、初めからわかってたことじゃねーか」
その言葉にルルシュカは同意出来なかった。
確かにそうだが、ルルシュカはアランをそんなフラットな目で見れてはいなかった。
殺すはずだった対象であり、懇願され条件をつけて逃した子ども。それがルルシュカから見たアランだった。
瞼の裏に浮かぶのは、ベンバートン邸で見た淑女として成長をしたエミリアの姿。
「もし、私が二人を殺してなかったら、私はあの子と、どう関わってたのかな……?」
「……んなタラレバ、考えてどーすんだよ? あの二人は生き返らねーのに」
「……はは。本当だ」
ルルシュカは、抱えた膝に額を預けて身を小さく丸めた。
生き返らない――トムの言葉がすべてを物語っているのに、それでもルルシュカの脳裏には、幼い頃に見たアランの姿に続き、今の彼が父親と穏やかに談笑する光景が浮かんだ。
幼さと大人の顔が交錯し、無垢でありながらも、彼の姿はどこか頼もしく変わっていく。
しばらくの沈黙。
それを破ったのはトムだった。
「今あいつは、生きて目の前に居る。おかしな話だが、一緒に生活もしてる。そう思うなら、ルルが接したいようにすればいいだろ」
ルルシュカは顔だけを動かし、トムを見た。
カーテンから漏れる光が、淡くトムを照らし出している。
「私が……接したいように?」
ルルシュカは繰り返すように呟いた。
どう接するのが正しいのか。何が正解なのか。彼女には、まだそれがわからなかった。だが唯一わかるのは、彼はこの店を出ても、またどこかで暮らして働くということ。
なら、彼から両親を奪った身として、ひとつ位、なにか役に立つことを教えてあげるのもいいかもしれない。そう思った。
「あの子ってさ、なんか、ぼんやりしてるよね」
「話すとそんな感じしねーけど。まぁ、黙ってりゃそうだな」
「これから魔力を出す練習に移るし、感情の訓練も、足してあげようかな……」
「……それって、あの軍式のか……?」
トムの目元がひくついた気がした。
あの訓練は精神的にかなり堪えるのが確かだ。対象者の心理的な弱点や怒りのポイントを徹底的に突き、自己肯定感を揺るがせる形で実施される。精神的負荷に耐えられず脱落する者も数名いて、数日の療養期間を要する者も珍しくない。
「うん。やり方はそれしか知らないし……。あの子は向いてると思う。それにさ」
「なんだよ?」
「あの子はジョシュリーの仮名を知ってる。もし、本当は私が何者かを知ってても、復讐しようって、考えにくくなりそうじゃない?」
「……もしその魂胆だでいたらどうすんだよ? 今日のトラップの件も、俺は怪しいと思ってるぜ?」
「あれが故意なら、彼は相当な手練れだね。訓練も意味ないかも。……でも、あの子がそのつもりなら、――迎え討つよ。私には、……マダムとの約束がある」
アランを生かしてほしいという願いは、彼の魔力と名前を奪った時点で果たされた。だから今、最優先すべきはマダムとの約束だ。
元々は殺す予定だった相手。そう考えれば、今こうして共にいることも、ただ時間の問題に過ぎないのかもしれない。
(あの子がいなくなれば、この胸のモヤモヤも、もう感じなくて済むのかな……?)
感情の奥底に押しやった理解のできない感情は、アランの無邪気な笑顔や、態度を見る度に顔を覗かせた。そのたびに、無理やり気づかないふりをした。
(それでも、あの子の笑顔を見ると――)
両親を殺したことに後悔はない。必要なことだった。
けれど、その子からすべてを奪ったという事実だけは、胸に引っかかってしまう。それが罪悪感なのか、それともただの気まぐれなのか――自分でも、わからない。
「感情のコントロール訓練なんて受けたらあいつ、お前みたいなイカれたヤツになるんじゃねーの?」
「ふふ。それ久しぶりに聞いた。でも役に立つよ。じゃなきゃ、私はあんなに沢山の功績を挙げれなかったかもしれない。陛下から、名を賜ることも……」
「もしそれが本当なら……。なら、あいつ、数年後には大物になってるな」
そうやって茶化したトムの瞳は、あまりにも優しく見えた。
◇◇◇
アランとの生活にも少し慣れてきた。
今は次のステップである、「魔力を外に出す」練習へと進んでいる。計画は順調そのものだ。
アランの両手には、ウサギのぬいぐるみが大切そうに抱えられていた。
無骨なデザインの指輪をいくつもはめた指先は、ぬいぐるみの柔らかな毛並みにわずかに沈み、対照的な質感を際立たせている。
これは、注がれる魔力量に反応して表情を変える魔道具だ。正しい量を送ればウサギはにっこりと笑い、足りなければ無表情のまま、少し多いと目に涙を浮かべた泣き顔になる。
市販のものを用意してもよかった。だが、この時期にジャックが取ってくる大口の仕事が今年はない。時間があったのと、アランがどこまで嘘のような話を信じるかを試したくなって、自作することにした。
そこで、注がれる魔力が一定の限度を超えると、ウサギが目を大きく見開き「アギャアアアア!!」と、まるで奇声のような悲鳴を上げ、大声で泣き叫ぶ仕掛けを仕込んだ。
(即興で作った割には、かわいくできたな……)
緩い、なんともやる気のない顔をしたウサギを満足気に見やると、朝食の片付けを終え店に来たアランを椅子に座らせ、ウサギを紹介したのは数日前のこと。
「この子、すごい間抜けな顔してる」
ふふっと笑うアランに、ルルシュカは違和感を覚えた。
(間抜け?)
気づけば、拳に力が入っていた。
それに気づいたアランが視線を落とし、ぱちぱちと目を瞬かせる。
「……僕、なにかした?」
気まずそうな声色に、ルルシュカはふっと鼻を鳴らした。
「なにが? ――ちなみに、この“かわいい”ぬいぐるみ、ロングセラーだからね」
質問には答えず、話題を切り替えるようにぬいぐるみの使い方を説明する。
その説明には、さりげなく嘘を混ぜた――自作の魔道具の機能をごまかすように。
練習に取り組ませると、すぐにウサギは声を上げた。瞬間――ウサギは素早い動きで壁に打ちつけられた。数秒の間をおいて、壁に激突したウサギはそのまま床にぽとりと落ちる。
ぎこちない動きでこちらを見たアランの顔は、驚きと恐怖が入り混じった表情を浮かべている。
「……これ、本当にロングセラー商品なの? 擁護院で、こんな声を出す道具、見たことないよ……?」
だが、ルルシュカの不満な顔を見たアランは、すぐにウサギに駆け寄ると、恐る恐る拾い上げた。
「ご、ごめん。びっくりして、つい……。この子……その、子ども用なんだよね……?」
魔力操作の練習は、特殊な事情がない限り、子どもの頃に行われる。よって、これは子ども用の道具だという認識も、間違ってはいない。
だが、思っていた以上に怯えているその様子に、ルルシュカは内心で頭を抱えた。
(……これじゃ、素なのか演技なのか判断できない……)
ルルシュカが反省をしていると、ぽそりと聞こえてきた言葉に、思わず口元がへの字に曲がった。
「トラウマ製造機の、間違いじゃ……?」
どうやらアランは、違和感を感じながらもこのウサギを受け入れたようだ。
(いや……これが素なのかな?)
初めて出会ったアランは、ここに転がり込んでくる計画をしっかりと立てて来ている。馬鹿ではないのは承知だ。それに何かを隠していることも。
(違和感はある。けれどそれが何なのか、どうしても掴めない――。あのぼんやりした顔の裏に、何かが隠れている気がするのに)
となれば、天然な部分を持ち合わせている、敵――かもしれない。という判断も有り得るなとルルシュカは一人で納得した。
そうして、数日経った今。
手の中でにっこにこの笑顔を浮かべるぬいぐるみを、アランは怯えと哀れみが入り混じった視線で見つめていた。
ルルシュカはその隣で本を開き、優雅に紅茶を嗜みながらアランの様子を見ている。カウンターではトムが寝そべり、鼻提灯を呼吸に合わせて膨らませていた。
「泣いてるよ」
その指摘に、アランは慌てて魔力量を下げたようだ。再び笑顔に戻ったウサギを見て、胸を撫で下ろしている。アランの焦りは、言葉よりも表情に表れていた。わかってしまった自分に、ルルシュカはほんの少し眉をひそめる。
軍では、感情の機微を読むのは、相手の不正を見つける術のひとつだった。
その癖もあってか、アランの顔を見るたびに、何かを読み取ろうとしてしまう。
けれどそこにあるのは、疑いようのない素直さばかり。
驚き、戸惑い、そして喜び。――感情がそのまま表情に映っている。
初日に感じたあの得体の知れなさは、確かに存在していたはずだった。
だからこそ、困惑する。この目が捉える彼の姿と、記憶に残る違和感とが、どうしても噛み合わない。
そんな自分自身にも戸惑いながら、ルルシュカは話を続けた。
「補足しておくと、魔力ってのは常に体の中で無意識のうちに“制御”されてる。でも、魔力は人の感情にすごく敏感なんだ。強い恐怖や怒り――極度のストレスがかかると、その制御が効かなくなって、結果として魔力が暴走するんだ。どんなときでも、落ち着くことが大事だよ」
民間で魔力暴走による事故は起きない。起こるのは通常値以上の魔力を持つ者だけ。その場合には、大人になるまで魔力の制限がかけられる。その後魔道具士や魔法士、軍の隊員などへの従軍を希望すると、感情に左右されないための訓練を受けた後、制限が外される。
その辺りの知識に疎いであろうアランは、顔をあげルルシュカを見た。だが、その顔は、やはり一見すると、どこかぼんやりとして見える。
「もし……魔力が暴走したら?」
「魔力が体内から外に排出されて暴発――つまり、爆発が起きる。周りに人がいれば巻き込まれるし、自分の体がその放出に耐えられなければ、崩壊して、命に関わる」
「……じゃあ、僕が本気でキレたら、魔力が暴走する可能性もあるってこと?」
ルルシュカは無言でアランを見つめてから、ふっと、バカにしたように鼻で笑った。
どうしてもこの少年が、「感情を露わにする」など想像できなかったのだ。
「その反応、感じ悪いんだけど……」
拗ねたような口調に、ルルシュカは片眉を上げた。
「とにかく、練習に集中して」
ルルシュカはアランを横目に紅茶を啜った。
「……そうする。にしても、難しいんだよね……。なんかコツとかないの?」
「ない。君が苦戦するのは当然だよ。魔力操作の習得に関する研究論文があってね。子供のうちから訓練を始めた被験者のほうが、大人になってから始めたケースより、操作の効率や習得の早さが圧倒的に違うって結果が出てるんだ」
「なら、魔法士は子供の姿をした方がよくない?」
「……一時的に姿を変える魔法はあるけど、若返る魔法はないよ」
呆れた目でアランを見れば、アランは気まずそうに視線を落とし、黙ってぬいぐるみに目を戻すと練習を再開した。手の中のウサギはまた、にこりと愛らしい顔で笑っている。
そんなゆるやかだった空気を、ガチャン、と激しいドアの開閉音が無遠慮に切り裂いた。
「ルルー! 助けて!」
泣きながら荷箱を何段か重ねてやって来たジャックは、持ってきた箱をカウンターに載せた。後ろには、ジャックと同じように荷箱をいくつか重ねて持つ女性魔法士の姿。
「今日は巡回の日か。彼女がミアだよ」
「あの人が……」
ミアは、ボブほどの長さのブロンドの髪に、鼻から頬にかけて広がるそばかすが特徴的だった。あの愛嬌のある顔立ちは、初対面の相手でもつい気を許してしまいそうになる。確か、ジャックと同じくらいの年齢だったはずだ。
制服に軍帽の姿は凛々しいのに、不思議と空気は柔らかい。晴天を思わせる青い瞳は、今は罪悪感に揺れているように見えた。
大量の荷箱がカウンターに並ぶ光景に、ルルシュカは首を傾げる。
「今年は入札出来なかったと思ってたんだけど……?」
ルルシュカの問いにジャックはどこか得意げに胸を張った。
「チッチッチ。ルル、僕は敏腕経営者だよ。ちゃあんと今年も、バッチリ、きっちりお仕事勝ち取ってたに決まってるでしょ!」
ジャックはわざとらしく口で擬音を出しながら、人差し指を左右に揺らすと、グッと親指を立てる。ジャックの一連の動きに、ルルシュカの口元がひくつき、ルルシュカの機嫌が悪くなる。
「ルルシュカさん、すみません……。私もこの⼤量の荷箱が何か、ジャックさんに確認していればよかったのですが……」
魔法士の職務ではないとはいえ、ミアはジャックの代わりに丁寧に頭を下げた。そんな必要はないとわかっているはずなのに、律儀なところは相変わらずだ。
「ミアが謝ることじゃないよ」
そう笑いながら返すと、ミアの表情が一瞬ふわりと緩んだ。けれど、すぐに気恥ずかしそうに目を伏せてしまう。
申し訳なさと一緒に、どこか嬉しさも混じったような――そんな、年の離れた姉か、あるいは叔母が、可愛い親戚の子を見るような眼差しだった。
仕事でしか顔を合わせないはずなのに、ミアはいつも、ルルシュカに会うと嬉しそうにする。その理由が、なんとなくわかる気がして、ルルシュカは少しだけ視線をそらした。
初めて見るミアと目が合ったらしいアランは、慌てて頭を下げていた。それに返すようにミアからも丁寧な会釈が返される。
申し訳ないが、今は二人の紹介をしている場合ではない。
そっとルルシュカは作業台にある予定表へ視線を移す。いつも指定される納品時期が、もう
すぐそこに迫っていた。
「持ってくるのをすっかり忘れてたんだ! ルル、本当にごめんよぉ……。これ明後日に納品予定だから、宜しくね」
たは!っと悪びれなく笑ったジャックのそれに、ルルシュカの顔は引き攣っていた。