【05】計画は順調
「実験段階とは言ったけど、魔力を数回に分けて移すテストは、もうほとんど終わってる。だからその点は安心してほしい。それと、まだ発表前だから……この話は、他の人には内緒にしてくれる?」
「もちろん誰にも話さないけど……魔力を僕に渡して、ルルは大丈夫なの?」
「私の魔力量は、君に分けても問題ないくらいにはあるから、心配いらないよ。それに、それで円満に指輪を返してもらえるなら、安いもんだよ」
とは言ったものの、実際にルルシュカの魔力が減るのは、アランの魔力の封印を解く瞬間だけ。仕事と同じだ。兵の心を落ち着かせるには、上官の笑顔が一番効く。
従軍時代、神官の男がよくそう言っていたっけ。
……なら今は、私がそれを使う番だ。
懐かれても困るが、ここは一旦、甘い顔をしておこう。
従軍時代に世話になった神官の穏やかな笑顔を思い出しながら、ルルシュカも同じように微笑んでみせた。
終始どこか不安げだったアランの表情が、そこで大きく変わる。
紫の瞳が驚きと喜びでぱっと見開かれ、ほんの少し、光を帯びたように見えた。
思わず立ち上がり、カウンターに手をついてルルシュカとの距離をぐっと詰めてくる。それに、ルルシュカは涼しい顔のまま、椅子を静かに後ろへ引いて、距離を取り直す。
そのせいか、冷静になったからなのかわからないが、少し顔を赤らめ、ストンとアランは椅子に戻った。
「ありがとう、ルル。僕、全力でルルの仕事、サポートするよ」
そう言って、アランはへにゃりと笑った。
その笑みには、救われたような安心と、誰かの役に立てることへの素直な嬉しさが滲んでいた。
(チョロいな……。騙されてくれて助かる。これは私の指輪のため、私の平穏のため――君のためじゃない)
ルルシュカは思わず緩みかけた口元に力を込め、無表情を繕った。
「で、どうすればいいの?」
隣で話を聞いていたトムは、のびをひとつしたあと、香箱座りへと体勢を変えている。その顔は、どこか呆れているようにも見えた。
「急に体に魔力を戻すと、体にどんな負荷がかかるか分からないから、先に体に魔力を慣らしておこう」
「……どうやって?」
「その指輪を使う。それで魔力を体に慣らして、次に魔力の使い方を覚える。それから二回くらいに分けて魔力を移したら、指輪を返して貰うよ」
「この指輪、そんなことも出来るんだ。……ねぇ、ルル。そういえば、いつからこの指輪を探してたの?」
少し姿勢を下げたアランが上目遣いでルルシュカを見上げる。紫の瞳が、微かに揺れて光っていた。
「さあ、いつからだったか。あまりに長すぎて、覚えてないな」
どんな情報にでも価値がある。
別に教えてもいい内容だったが、アランは警戒対象だ。
至極つまらなそうに答えれば、アランは少し不満だったのか、眉間にしわを寄せていた。
「ルルって、見かけによらず長生きしてるんだね」
「レディに歳の話をするなんて、君はマナーがなってないね」
「そりゃ、……僕は養護院で育ってるからね」
ルルシュカの余裕の表情に、わがままが通らない子供のようにアランは顔を顰めた。
「じゃあ早速、魔力に慣れる事から始めよう。そのまま待ってて」
奥の棚へ歩き、小瓶から飴玉をひとつ摘んで口に放った。舌の上でゆっくり転がすと、ほの甘さがじわりと広がる。
魔力を消耗する作業には、これが欠かせない。
かつて持っていた膨大な魔力のほとんどを、退役時に手放した。
今残っているのは、一般人とそう変わらない程度の魔力量。まさかそこから魔道具士として再び歩むとは思っていなかったが……だからこそ、足りない分は工夫で補っている。
この飴玉は、今の自分の最大魔力量と同等の魔力を凝縮した魔道具だ。舐めればゆっくり、噛めば一気に魔力が補充される。万が一、危険域にまで魔力が減れば、自動で割れるようにも細工してある。
小さくて甘い――けれど頼れる相棒。今の自分には、なくてはならないものだ。
準備を終えて振り返ると、アランが興味津々にこちらを見ていた。
「そのまま座ってて」
カウンターの中から出て、アランの背後に立ち、そっと背中に手を当てる。
カウンターから出て、彼の背後に立つ。そっと背中へ手を添えた。
細身に見えていたけれど、手のひらに伝わる感触は意外にしっかりしている。肩甲骨の辺りにうっすらと浮かぶ筋肉の張りに、当たり前だがアランが“男”なのだとルルシュカは実感していた。
(……あったかい。当たり前か)
心の中で自分にツッコミを入れながら、ゆっくりと息を整えた。
魔力の流れを意識すると、淡い光が体を覆い始める。やがてその光は、手のひらからアランの体へと注ぎ込まれていく。
魔力は彼の身体をゆっくりと巡り、全身へと広がっていった。
「これが魔力の流れだよ。分かる?」
「なんか、体の中がじんわり暖かい感じ。それが全身を巡ってるのが分かる」
「いいね。この感覚を忘れないで」
魔力の流れを止めると、そっと手を離す。
指先から伝わっていた体温が消えた。
「じゃ、次は指輪の魔力で同じ事をするよ」
「うん」
「手、出して」
アランの横に移動すると、彼も椅子をくるりと回してこちらを向く。
差し出された左手が目に入る。中指には、魔道具の指輪が光っていた。
(アクセサリーが、好きなのかな……)
節の目立つ、繊細な指。小指にも別の指輪が嵌められている。
膝の上に置かれた右手には、三つのリング。どれも控えめなデザインだが、それぞれ違った装飾が施されていた。
さりげないけれど、どこか印象に残る。個性が出ているのに、不思議と嫌味がなく、彼自身によく似合っていた。
そっと手を重ねた瞬間、アランの視線が跳ねた。
ぱちりと見開かれた目が、こちらをまっすぐ見上げる。
「子供の体温って、高い気がしてたけど……ルルは少し冷たいんだね」
ぽつりと呟いたその声に、ふと翳りが混じった。
その一言のあと、アランは少しだけ視線を伏せた。まるで、誰かを思い出すかのように。
「君の体温が高いだけじゃない?」
軽く流すように返しながら、今度は指輪の魔力に干渉する。すると指輪が淡く発光し、その光が静かにアランの体へと広がっていった。
自分の力ではなく、外部の魔道具から供給された魔力。その流れを、彼の中で一度再現してやる。
「自分で動かせそう? 頭の中で、この流れを思い描くんだ」
アランは小さく頷くと、そっと目を閉じた。
息を吸い、吐く。呼吸が静まり、集中の気配がこちらにも伝わってくる。
(睫毛、長いな……)
ふいに浮かんだ無関係な感想を胸の奥に押しやる。
ルルシュカは意識を切り替え、アランの体内を巡る魔力の流れから、そっと指先を引くようにして感覚を離していく。
彼が自力で制御できるように――導きすぎず、放り出しすぎず、絶妙な距離感を保ちながら。
「どう?」
「出来てると……思う」
その言葉に、ルルシュカは軽く息をついた。
もう指先に、指輪にあった魔力は感じなかった。
「なら大丈夫だね。これから時間がある時はこの練習をする。それが出来るようになったら、次は魔力を外に出す練習。そうやって、魔力の使い方を学んでいくからね」
「魔力を使うのは、もう出来るよ?」
ゆっくりと首を傾げるアラン。昨日から思っていたが、彼は基本話すスピードも、動きもゆったりとしている。
もともとの性格なのか、育った環境なのか。
「それは君の力じゃない。指輪のお陰。それには自動調整機能がついてるんだ」
「……そうなんだ」
魔力を自分で意図して使う。
それをしていないのだから、指摘されなければ気が付かないだろう。
「動いていいよ。これで終わりだ」
明日は外での仕事がある。しかも、行き先は伯爵家だ。
アランを連れていくのは正直気が引けた。だが、追い出すまでは、彼の目的を探っておいた方がいい。こちらと同じように、彼には何か隠していることがある。
「……明日、仕事で出かけるからそのつもりでね」
「連れてってくれるの?」
意外だったのか、期待の混じるその表情は純粋な少年のそれで。
本当に彼が警戒すべき相手なのか疑わしくなってくる。
「そうだね。社会見学に連れてってあげるよ」
口の端を吊り上げて、意地悪そうにルルシュカは笑った。
からかうような言い方をしたにも関わらず、アランは気にする素振りもみせず、嬉しそうに笑うと少しだけ俯いていた。
(どっちの笑顔……?)
まだ初日だ。警戒するに越したことはない。
ルルシュカは気を引き締め、何もなかったようにアランに魔力循環の練習を続けさせた。
あの微笑の裏に、何があるのか。――まだ、何も見えない。
今はただ、“観察”を続ける時だ。
***
翌朝。
昨日、ジャックにお使いを頼まれたアランは、ついでに「個人的な買い物がしたい」と言ってきた。だが実際には、食材を買い込んできたらしい。
用意された朝食を渋々と口にし、ルルシュカは先に店へ向かった。
しばらくして片付けを終えたアランが店へと出勤して来た。
「ルル寝癖、ついてる……」
「今日はこれでいいんだよ。あとで綺麗になるから。君は魔力を慣らす練習ね」
そう告げると、ルルシュカはセントリオの指輪に魔力を補充する。消耗分を満たすためだ。魔力を体に馴染ませる訓練を行うアラン。
アランの表情は真剣で、一切の気を散らす様子がなかった。
ルルシュカは、修理で預かった魔導具の魔法陣に視線を落としながらも、アランの様子をしっかりと見守る。
ふと時計を見れば、思った以上に時間が過ぎていた。そろそろ外出の準備を始める頃合いだった。
作業の手を止めると、引き出しから魔法陣が描かれた紙を取り出す。
「そろそろ出かけるよ。はい、これ持って」
差し出された紙を受け取ったアランは、不思議そうにそれを両手で眺めていた。