【04】提案
ジャックの調子の良さと勢いに、アランは思わず半歩後ろへ下がっていた。
「裏口くんはー、魔道具士の資格ってぇ、何歳から取れるか知ってる?」
今日は裏口から来たアランをからかうジャックに、アランは困惑しているように見えた。けれど、質問の意味はちゃんと考えているらしい。
「……十八歳、とか?」
「正解! だから僕が“表向きの店長”。申請も、取引も、全部僕の名義。大人の事情ってやつだね。かわいくてぇ、優秀なルルを守るために、頼もしい僕が表に立って、誰なら会わせてもいいとか、ぜーんぶ選んでるってわけさ」
「……僕は、この指輪を持ってたから、ルルに会えたってこと?」
「その通り! ルルはずぅっとそれを探してたからねぇ。ちゃあんと、裏口くんが来る前に、指輪を持ってる人を見つけたから、そっち行くかも! って、僕の知り合いから連絡が来てたし」
たは!っと笑ったジャックを、ルルシュカは反射的に睨むように振り返った。
「それ、初めて聞いたんだけど……?」
声の調子はできるだけ平静に保ったつもりだったが、少しだけ、棘が混じっていた。その段階でそんな人物が持っていたのか情報をくれれば、店に来なかった時にも探す手立てになっただろう。
それに、彼が来るかもしれない、という心構えもできたかもしれない。
「うん。だってぇ、今初めて言ったんだもん。もし来なかったらルルが悲しむでしょー? それに本当に来たら、ジャジャーン! サプライズになるじゃん?」
ルルシュカの問いかけに、ジャックは笑いながら肩を軽くすくめ、手をひらひらさせる。
そう言われれば、まあ、そうかもしれない。
アランが来たからよかったようなものの――いや、よくないが……。
とにかく、来ていなかったら、この先もずっと指輪を探す羽目になっていたのだ。結果的によかったものの、やはり引っかかるものは残る。
とはいえ、言葉ではふざけてばかりだが、案外こちらのことを気にかけてくれている――そういうところで助けられてきたのも事実だ。
だが、余計なことの方が多いのがジャックだ。
何度仕入れだと称して、ブランドの魔道具の偽物を掴まされ、彼の代わりに返品しに行ったことか……。
(ジャックらしいといえば、らしいけど……)
ルルシュカがこれ以上何かを言う気がないのを察してか、ジャックは「という訳でぇ」と話を進める。
「あっちの部屋が受付兼僕の仕事場で、こっちがルルの作業場ね」
ジェスチャーを交えて楽しそうに説明をしているジャックに、アランは聞いているのかいないのか。どこかぼんやりとした様子で、ジャックの動きと少しずれた動きで、首を動かしていた。
「僕の担当は、営業・接客・経理に、あと簡単な修理。ルルは本格的な修理と古代魔道具専門。そっちは僕、ぜんっぜんダメなんだよねぇ」
なんとなく嫌な予感がした。調子が上がってきたジャックは大抵、”余計なこと”を言う。牽制するようにジャックを睨むが、あの厚い前髪のせいで、いまだにジャックと目が合っているのかは自信がない。
「ジャックさんはアンティークのことはやらないの?」
「無理無理! 知識ゼロだもん。詳しくは言えないけど、アンティーク関係の資格試験は、ぜ〜んぶルルが受けてるんだよ。ねー、ルル?」
「ジャック」
冷たくピシャリと名を呼んだ。
ジャックは「あ、めんごめんご」と言って、拳で自分の頭をコツンと叩くが、反省の色はどこにもない。
無意味だとは思うが、無言で睨んでおいた。
古代魔道具の資格試験は、魔法でジャックになりきったルルシュカが受けた。口調も仕草も練習して挑んだおかげで、後から本物のジャックが登録に行っても、怪しまれることなく済んだのは幸いだった。
アランを見れば、彼はどこか感動した様子で、目を輝かせている。あの目が何を言いたいのか、ルルシュカにはわかっていた。
昔よくその眼差しを向けてくれていた部下がいたのだ。
あれは、――尊敬と憧れの眼差しだ。
(余計なことを……)
ルルシュカは溜息をついた。
「うちのメンバーはこれだけ。あとは、隔週で軍から派遣されてくる魔法士のミアがいる。彼女はまた来たときに紹介するよ」
「……魔法士が来てるの?」
「そーそー。古代魔道具って、国の保護対象品だからねー。定期的に軍から魔法士がチェックに来るんだよねぇ。管理状態の確認や、売買記録の管理。それと整備時には立ち会いも必要になるしね」
魔法士は、魔道具に関する流通や使用を管理する軍の専門職だ。
特に古代魔道具の扱いには厳しい規制がある。
ルルシュカ自身も、かつて軍属として特定の店舗に出入りしていた。あの頃の店主は、彼女が魔法士であるにも関わらず、親切に魔道具の修理で使える裏技の知識を教えてくれ、監査の日が密かな楽しみだった。
「まぁ、そういう事情もあってね。うちは基本的に、個人で来る軍人からの依頼は受けてない。君が接客することはないけど、一応覚えておいて」
椅子にもたれながらそう締めくくると、ジャックもうんうんと頷いた。
「軍の人たちも……ルルのこと、知らないの?」
「ミアとその上司は、知ってる。あと、イヴって子は前にジャックが軍人と知らずに受け入れたことがあるから、彼女は特別枠」
こう見えてもジャックの人選眼は確かだ。だが、数年に一度だけポカをやらかす。その精度の高さが逆に、「ジャックも人間なのだ」と妙に納得させる。
基本的に、ここに来る客はいい人ばかりだ。信頼できる相手だけを口コミで紹介してくれることも多い。
それでも、軍内部に協力者がいなければ、とっくに潰されていただろう。
ジャックは頬に手を当て、悩ましげに首を傾ける。
言い訳でも探しているのだろう。いつものことだ。
「私服で来られると難しいんだよねー。それに、ミアちんの紹介って言われたら、いいか! ってなっちゃうよねぇ」
ルルシュカはその弁明を無視し、淡々と続ける。
「ミアは真面目だけど、融通が利くいい子だ。会えばすぐわかるよ。イヴは……まぁそのうち店に来るかもね」
「てことでー、裏口君は僕の店で働くって登録が必要だよ。書面用意するからこっち来て」
「お願いします」
ジャックの背中が部屋を出ていくのを見送りながら、ルルシュカはしばし窓の外を眺めた。トムが、静かにソファからカウンターへ飛び移る。
「あいつ、嬉しそうだったな」
頬杖を付いたルルシュカがトムを一瞥する。
「そう? 私にはそう見えなかったけど」
ルルシュカは、棚にあった予定表を手にすると、今日から数えて一ヶ月後の同じ日に、ペンで丸をつけた。この日を迎えれば、あの子はいなくなる。
そうすれば、今まで通りの日常が帰ってくる。
(早く……来月にならないかな)
今日が始まったばかりなのに、既に来月が待ち遠しくて仕方ない。アランというイレギュラーな存在による、妙な胸のざわめきを消すためにも、早く来月を迎えたかった。
「それに、ジョシュアのことを知ってそうだったぜ?」
「……ジョシュアじゃなくて、ジョシュリーだよ。でもだからこそ、そこが、ひっかかってる……」
ジョシュリー。それは昔、彼と文通をしていた時にだけ使った彼の仮名。軍の検閲は厳しく、私信が勝手に開封されることも珍しくなかった。だから、相手を特定されないように、彼がかなり適当に付けたのがその名前だ。
「……指輪を返してもらう時になったら、話してくれるかもね」
隣の部屋からは、時折弾む声が聞こえてきた。ルルシュカは読みかけの本を開いた。
換気のために開けられた窓からは、緩やかな風が頬を撫でていく。トムはカウンターの上で寝そべり、遠くの空をぼんやり眺めていた。
ゆったりと流れる時間の中で、ルルシュカはアランが指輪を置いて、そのままどこかに行ってくれないかと考えていた。だが、そうならないのも分かっている。
もう雇うことは決めたのだ。よくわからない、気持ちの正体には蓋をして、ただ決めたことをこれから実行していくだけだ。
ルルシュカは、決意を新たにした。
──それから数分後。
ジャックの元での手続きが終わったのだろう。ルルシュカの願いも虚しく、アランが戻ってきた。
トムの言う通り、どこか嬉しそうに見えるが、気のせいにしておく。
「終わったよ」
「そっち、適当に座って」
(このまま指輪の返却について話そう……)
今日は予約も急ぎの仕事もなかった。
早めに説明してさっさと魔力を戻せば、もしかしたら彼は試用期間中に出ていってくれるかもしれない。
ルルシュカは読んでいた本を閉じ、アランに客側の椅子に座るよう促した。彼は素直に近くの椅子を引き、腰掛ける。
「ここから本題ね」
「……うん」
真剣な眼差しを向けると、アランはぴくりと肩を動かし、小さく唾を飲み込んだ。
「私は、その指輪を返してほしい。でも、君はそれがないと生活ができなくなる。それを心配してる……そうなんでしょう?」
「……うん。あってるよ」
アランの声は小さく、でもはっきりしていた。
「だから……君に、特別に私の魔力を分けてあげようと思ってる」
「……え?」
アランは一瞬、言葉を失ったまま、ぽかんとこちらを見つめた。ルルシュカは、ほんの少し息を吐いてから言葉を継いだ。
「魔道具士っていうのは、研究して新しい道具を作ることもある。私も、その一人だよ」
嘘ではない。ただし、ルルシュカがこれまでに実際に作った魔道具は、たった一種類しかなかった。
机上の理論を追いかけるのは楽しいが、よほどの理由がない限り、現物を形にしようとは思わない。
それに、完成したとしても発表するのはジャックの名前。別にそれ自体は構わないが――もし万が一、注目を浴びることになったらと思うと、途端にやる気が失せる。
ルルシュカは、誰にも邪魔されない静かな日々を、ただ淡々と過ごしていたいのだ。
そう思いながらも、もっともらしい言葉を重ねていく。
「最近、秘密裏に“魔力供給装置”っていうものを完成させてね。それを使えば、自分の魔力を他人に分けて与えることができる。……まあ、まだ実験段階ではあるんだけど」
もちろん、そんな魔道具など存在しない。
たとえ作ったところで、実用性は皆無だ。
――人の身体は、生まれ持った魔力量に合わせて構造が決まる。だから魔力は歳を重ねても自然には増えず、外から足すこともできない。
これは軍の中でもごく限られた研究による知見で、一般には知られていない事実だ。
「……そんなすごい魔道具まであるの?」
アランは驚きと期待を隠しきれず、まるで魔法を初めて見た子供のように目を輝かせていた。
その様子に、ルルシュカはふっと小さく笑う。
――いい反応だ。……いや、思った以上に単純すぎるのかもしれない。
感情を交えぬ笑みに、自分でもどこか嫌気がさした。