表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/30

【30】手記

 

「こんにちは。この間ぶりですね、アラン」


 メアリーは以前と変わらぬ笑みを浮かべ、柔らかな声でそう告げた。その穏やかな様子に、アランの背筋が自然とこわばる。


(魔力のこと、気づかれたくない……)


 内心の願いも虚しく、魔力の有無は目を凝らせばすぐに見えてしまう。彼女がそれを話題に出すのも、時間の問題かもしれない。


「こんにちは。……今は大聖堂にいるって、聞いてたけど?」

「昨日、ここに来たときに忘れ物をしてしまって。それを取りに」

「……忙しそうだね、相変わらず」


 養護院を出た今でも、彼女の前では自分が子どもに戻ってしまうような錯覚を覚える。正体不明の不安が、胸の奥で鈍く鳴った。


「近々、王子殿下のご結婚式があるでしょう? その準備の一部を、私が任されることになったの。ふふ……私なんかにこんな大事なお役目をいただけるなんて、女神様のお導きに感謝してもしきれないわ」


 私なんかに――。

 その言葉に、養護院にシスターが来ると聞いた話の断片がうっすらと蘇る。確か、何か特殊な事情があったという話だったような気がするが……。

 彼女が養護院に来たのはアランが七歳の頃。幼さもあって、詳しいことは覚えていなかった。


「アランはあれからどう?」

「職場の人にも恵まれて、毎日楽しく過ごせてるよ。シスターはいつも忙しそうだから、体には気をつけてね」

「ありがとう。あなたがこんなにもいい子に育ってくれて嬉しいわ。それじゃぁ、また」

「うん」


 メアリーは軽快な足取りで教会の裏手へと向かっていく。その口元は嬉しさに歪んでおり、拝任されたことがよほど嬉しいのだとアランにも伝わった。


 彼女の背を、アランは見えなくなるまで見つめていた。魔力のことを聞かれなくてよかった。浅かった呼吸が深くなる。

 今更だが、魔力は見ようと意図しないと見れない。メアリーはアランに魔力が戻ったなど思いもしないだろう。アランは余計な心配だったと短く息を吐いた。


 視界の端に、見知った愛らしい少女の姿が映る。鞄には黒猫のトムが顔を覗かせていた。なんとなくだが、ルルシュカとメアリーが出会わなくてよかったと思えた。


「おまたせ」

「おかえり。なんでトムも連れてったの?」

「トムと少し話がしたくてね」


 鞄から覗くトムはなんとも言えない顔をしていた。アランは顔を上げられず、視線をさらに落とし、自分の靴先を見つめていた。


「……ルル、僕初めてなんだ。魔力測定でちゃんと魔力があったの」

「それはよかったね。分けた甲斐があったよ」


 アランはその言葉にも、視線を上げることができなかった。本当は、自分の魔力を分けてくれた訳ではなかったと知っている。

 彼女が無理をして、自分のために使えなかった魔力を使えるようにしてくれたのだ。


「……うん。ありがとう」

「君はさ、魔道具士の仕事がしたいんだよね?」


 どうして今日に限って、こんなにもルルシュカの声が優しく聞こえるんだろう。気を抜いたら、涙が出そうだ。

 鼻の奥がツンとした。彼女はどんな顔をしているのだろう。本当は無理なことを言ったことくらい自分でも分かっている。ジャックに背中を押されて舞い上がっていた自分が恥ずかしい。顔をあげられない。声が震える。


「できたら、よかったけど……」

「店にいる時だけ、あの指輪を貸してあげるよ」


 思いがけない言葉にアランは反射的に顔を上げていた。


「え? ……それはどういうこと?」

「いつも舐めてる飴があるでしょ。あれは、足りない魔力を補うためのものなんだ。それでも十分、魔道具士の仕事はできる。あの指輪に貯められる量なら、簡単な仕事は十分できる。キミが仕事ができるようになったら、貯められる量を増やしてあげる。でも指輪を使うのは店の中だけだ」


 ずっと引っかかっていた疑問が一つ、ようやく解けた。絡まっていた紐がほどけるように、これまでの出来事が自然と繋がっていく。


(本当に、魔力を捨てたんだ……)


 それに、ルルシュカが自分の魔力を戻すために、無理をしてくれていたことが、アランの胸をきゅっと締めつける。


「ルルは、どうして魔力を捨てたの……?」

「要らなかったから、捨てただけだよ」


 ルルシュカは、どこか懐かしむように笑った。その瞳に宿る淡い憂いが、過去の痛みを滲ませている。少しずつ明かされていく彼女の秘密は、触れれば触れるほど、深く沈んでいきそうで――アランは、「そっか」と返すが精一杯だった。


「資格は取れない。でも、ジャックがいる限り仕事はできる。私と一緒だ。それが嫌なら、キミは他の道を選ぶだけ。私と出会う前と、なにも変わらない」


 自分のことを、気持ちを考えてそう提案してくれた。あの大切な指輪をこれからも使っていいと。ただそれだけのことが、アランには嬉しかった。

 この気持ちが何なのか、アランにはまだ言葉にできない。ただ――彼女がなぜ両親を殺したのか、そんな問いすら霞むほど、胸が満たされていた。


「ルルが、教えてくれるの?」

「まずは教本を読んで基礎から学ぶところからだよ」

「ジャックには教えたんだよね?」

「ジャックは曲がりなりにも基礎は出来てたから。必要なことだけね」

「なら……僕が、ルルの初めての、弟子ってことになる?」


 頬を緩めて、へにゃりと笑ったアランに、ルルシュカは息を飲み、鞄の肩紐を無意識に握りしめている。わずかに揺れた鞄で、トムの顔が、どこか楽しげに三日月のように笑っているように見えた。


「師匠とは、お前も偉くなったもんだな」

「……私にそんなつもりはないよ」

「早く店に帰って勉強しなきゃ!」


 笑顔のアランは、ルルシュカの手を取ると走りだした。


 ◇◇◇


 セオドアの怒りを買ってしまったイヴは、三日間の謹慎と称して、長らく閉ざされたままの書庫の掃除を言い渡されていた。


 ――興味本位で余計なことを聞くんじゃなかった。


 セオドアの冷たい視線が脳裏に焼きついて離れない。軍人である前に人間なのだと、身をもって知った。大佐ともあろう人が私怨でこんなことをしてくるなんて……。

 いや、セオドアのあの性格なら十分に想定できた。通常任務からも外されたイヴは、がっくりと肩を落とす。


 初めて足を踏み入れた書庫は、窓ひとつなく、昼間だというのに夜のように薄暗かった。空気は湿り気を帯び、何年も放置された埃が漂っている。


 室内の掃除を始めたイヴだったがすぐに飽きると、書庫の本を物色し始めた。

 だが、流石に使われていないだけのことはある。並ぶのは随分と昔の戦術本や歴史書ばかり。


 何度目かも分からないため息を吐くと、イヴは書庫の中をうろうろと歩き回り、面白そうなものがないかと棚を見て回った。


 一番奥の書棚の一番奥に収まる一冊の本が、イヴの目を引いた。よく見ればその本には魔力が込められている。


 辺りを見渡すも、当然ここには一人しかいない。イヴは慎重な手つきで本を手に取った。

 背表紙にも表紙にもなにも記載のないその表紙を、そっと開く。


 ――あの悲劇の真実をここに。

 第二王子殿下付き側近、ロバート・ジェンキンス。

 私は、あの悲劇の真実をここに記す。


 表題のように書かれたそれは、とても丁寧な字で綴られていた。どうやらこの本は、今は亡き第二王子殿下の側近が書き記した手記のようだ。

 適当にページを送ったイヴは、知っている名前を見つけてページを送る手を止める。


 ――第二王子殿下は、ダニエル・アシュリーと共に謀反を企て始めた。初めは単なる冗談だと思った。


 パンっと本を閉じ、恐怖に辺りを見渡した。当然ながら、人気の気配など微塵もない。

 心臓が跳ねるように暴れ出し、手のひらがじっとりと汗ばむ。空気が喉に引っかかるようで、息が浅くなる。突然、自分がここで命を狙われ、殺されるのではという恐怖が襲ってきた。


 だが、もっとこの本の内容を読みたい。誰も来ない古書室で、イヴは恐怖と興味に揺れ動かされていた。


 イヴは本を書棚に戻すと足早に古書室のドアへと向かった。いつも潜伏で使う、敵の侵入を知らせる魔法をドアに手早くかけると、また足早に奥へと走っていく。

 再び開かれた本。字を追う視線は止まることを知らなかった。


 ――信じていた。あの人の力が、私たちを守ると。それなのに彼女は、第二王子殿下をあっさりと切り捨てた。

 あの日、事件は起きたのだ。仲間だと思っていたルーシャ・クロフォードは、ダニエルを筆頭に家族のように仲の良かった彼らを、あっさりと裏切った。“魔女のような”女――ルーシャは、彼らを自らの手で殺した。

 王に差し出された二人の遺体には、心臓を鋭い刃で貫いた様な傷口が一つだけ付いていた。


 イヴは夢中になってページを繰った。

 まるで、これまでのイヴの調査が答え合わせされていくように、その手記にはカーライル家の次男である、ドロテアの婚約者までもが登場した。


 ――セオドア・スペンサーが、ルーシャの遺体を王に捧げ、この謀反は幕を下ろした。


(……ルーシャを……セオドア大佐が、殺した……)


 セオドアがルーシャを崇拝していたことは、軍内でも有名だった。その思いは、彼の才能を妬む一部の者から「ルーシャの模倣品」と揶揄されるほどだった。


 だが、イヴが別の先輩から聞いた話では、二人はまるで姉弟のようで、時に恋人のようでもあり、また悪友のようでもあったと言う。

 だからこそ、誰もが軽々しくセオドアの前でルーシャの名を口にすることを憚っていた。それほどまでに、彼にとってルーシャは特別な存在だった。


 ──なのに、あの穏やかに微笑む上司が、今や恐ろしい存在に変わっていた。


 アシュリー家とカーライル家の一族は、その死を悼み、大々的な葬儀の後、それぞれの屋敷内の墓地に葬られた。

 一方、孤児であったルーシャの遺体は、中枢の大聖堂の地下墓地に安置されている。地下墓地は現在封鎖されており、立ち入ることはできないが――それでもイヴは彼女の命日に、何度か大聖堂を訪れて祈りを捧げたことがある。


 それなのに、この手記には、三英傑の栄誉も、華々しい活躍も、何一つとして記されていなかった。ただそこにあるのは、側近の深い後悔と、彼が見聞きしたであろう出来事の静かな記録だけだった。


 ページを挟むようにして静かに閉じ、乱れた呼吸を整えながら書棚へと戻す。


 イヴは慌てて掃除用具を掴むと、うっすらと積もった埃を拭い始めた。その手元には、開いた痕跡を消そうとする焦りがにじんでいる。


 ――誰がこの本の存在を知っているか分からない。開いた形跡を消すのが、今は何よりも優先だった。


 必死に掃除を続けるイヴの頭に、はたと一つの仮説が浮かぶ。もしかしたら、ドロテアもこの本を読んだのかもしれない。婚約者の死の真相を知り、彼女は軍を去った……。


 乱れた息のまま、埃を払う手を止めずに続けた。すべてを元通りに。誰にも気づかれてはいけない。


 手早く掃除を終えたイヴは、用具を抱え、書庫を飛び出した。胸の内には、まだ言葉にならない疑問と恐怖が渦巻いていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ