【03】顔合わせ
店に足を踏み入れる。
昨日はただの「偶然の訪問者」だった。でも今日は違う。ちゃんと「ここで働く」ことが決まっている。
少し誇らしくて、ちょっとだけ胸がそわそわした。
ルルシュカはカウンターの内側で本を読んでいた。今日も彼女の髪は無造作に結われている。格好も昨日とさほど変わっていない。どうやら、見た目にはあまり頓着がないみたいだ。
(あの結び方、ちょっと気になる……。触らせてもらえたら、もっと可愛くできるのに……)
手先の器用なアランは、養護院でよく女の子たちに髪を結ってと頼まれていた。ルルシュカと同じくらいの年頃の子たちは注文もさまざまで、アランはすっかりそれに慣れていた。
だからこそ、ルルシュカの無造作な髪が気になって仕方なかった。
窓際のソファを見れば、昨日見かけたハチワレ猫が仰向けになって眠っている。片脚をソファの背に引っかけたまま、だらしなく大の字で。
顔の中央には額から鼻筋にかけて八の字の白い模様。胸元の毛もふわふわと白く、そこだけやけに柔らかそうに見えた。
正直、ちょっと触ってみたい。
ふわふわの毛に指を沈めたら、どんな感触がするんだろう――そんな誘惑が頭をかすめる。
だが、昨日の強気な目つきを思い出し、うかつに手を出したら猫パンチのひとつやふたつ飛んできそうだ。やめておくことにする。
ルルシュカには懐いていたし、どこか賢そうな目もしている。仲良くなれたら、きっと……。そんなふうに考えていたら、ルルシュカが顔を上げた。
「店の案内から始めようか」
彼女に導かれて、店の奥へと進む。
バックヤードを抜けると、裏には石畳を挟んで小さな中庭があり、その向こうに離れの建物があった。
物置や水回りなどをひととおり案内されながら、アランは静かに頷いてついていく。
「ここを使っていいよ」
そう言ってルルシュカが開けたドアは、やや立てつけが悪かった。
部屋は物入れとして使われているにしては物が少ないように見える。窓にはシンプルなカーテンがかかっていた。
棚やよくわからない品物が数点。荷箱が何段か積まれており、ベッドと机、椅子が無造作に置かれていた。
部屋の隅にトランクを置くと、アランはふと思い出したように尋ねた。
「ねぇ。ここってさ、どういうお店なの?」
「……魔道具全般の修理とか、古代魔道具の扱いもしてる。もちろん国の許認可店だよ」
「古代魔道具もあつかってるんだ?」
「そうだね」
魔道具には、現代の技術で作られたものと、遺跡から発掘される古代魔道具がある。アランの持つ指輪も、以前に使用方法を鑑定してもらったとき、その類に分類されていた。
古代魔道具を扱える店はほんの一握りで、専門的な知識に加え、古語を理解できる魔道具士でなければ扱うことが難しい。
それだけで、一般的な店よりも専門性に富んだ信頼できる店だとわかる。
「すごいお店なんだね」
「……まぁ、そうかもね」
ルルシュカはなんでもないことのように肩をすくめ、そのまま店へと戻っていく。入り口のほうへ向かいながら、振り返って言った。
「改めて紹介するよ。あそこのソファで寝てるのがトム」
窓下の専用ソファで丸まっていたトムは、名前を呼ばれて耳をぴくりと動かした。
のそのそと体を起こした。あくびをひとつしたあと、またのんびりと丸くなる。
アランはそっと目を細めた。
たぶん、時間をかければ仲良くなれる――そんな予感がしていたのに……。
「僕はアラン。よろしくね」
優しく声をかけると、トムはどこか不貞腐れたようにこちらを一瞥し、ふいと顔をそむけてしまった。仲良くなるには時間がかかりそうだ……。
「それと、昨日今日と君が出入りしたあのドアは”裏口”ね。外に繋がってる」
改めて見た白木のドアの上には、小さなベルがついていた。受付のドアとは違った雰囲気がある。
「裏口……。あのドア、あちこち行けて凄いよね」
「まぁ、魔道具だからね。でも、行き先をちゃんとお願いしないと、行きたいところには行けないよ」
そう言いながら、ルルシュカはドアではなく、トムの方を見た。
アランもそれにならって視線を向けると、ちょうどトムは前足を舐めており、毛づくろいの真っ最中だった。
案外ルルシュカも冗談を言うのか。
「トムに頼むの?」
「そうだよ」
猫にお願いなんて、そんなわけない――そう思いつつ尋ねたそれに、彼女はあっさりとうなずいた。
「俺は、お前の言うことは聞かねぇけどな」
唐突に聞こえたその声に、アランはびくりと背筋を伸ばす。紫の瞳が室内をゆっくり左右にさまよわせる。昨日案内してくれたジャックの声かと思ったが、部屋にはルルシュカしかいなかった。
おそるおそる視線をトムへ移すと――
そこには、前脚を器用に曲げ横になって、まるで人間のように頬杖をついているトムがいた。言葉ではなく、その姿だけで、すでにただの猫ではなかった。
表情は不機嫌そのものなのに、頬に寄ったしわがどこか可愛らしく見えてしまうのは、猫ゆえだろうか。
「なんだよ、人の顔ジロジロ見やがって」
「え? ……えっ?!」
アランはその場で固まり、油の足りないブリキ人形のような動きでルルシュカを振り返った。
「トムは君とは比べ物にならないくらい賢いから、ちゃんと言うこと聞くんだよ」
「当たりめぇだろ。こんなクソガキと比べんなよな。それと、俺は子守りなんざしねぇぞ」
ケッと悪態をついたトム。
ぶわりと、アランの中になんとも言い難い高揚感が湧き上がる。アランはソファのそばへと歩み寄り、膝をついてトムと目線を合わせる。胸に手を当て、感動をにじませて言った。
「トムさん。これからよろしくお願いします」
「……トムでいい」
その丁寧すぎる態度が気に食わなかったのか、トムは居心地悪そうに耳を伏せる。アランは困ったようにルルシュカを見たが、彼女もまた目を丸くしていた。
どうやら、この反応は予想外だったらしい。
ルルシュカの視線がすっと細くなった。冷たくなった、というよりも──どこか呆れているような、そんな雰囲気がにじんでいる気がした。
「……次はジャックを紹介するね。彼に君が働く事を伝えないといけない」
その言葉に、受付側のドアが勢いよく開いた。そこからオレンジ色の髪が顔を覗かせる。
「ねぇルル! 今、僕の話してたよね!? してたでしょ!」
向こうで名前を呼ばれたのが聞こえたのか、ジャックは嬉しそうにリズムよく体を左右に揺らしている。
その厚い前髪のせいで目が合ったかはわからないが、ジャックはピタリと動きを止め、「ん?」と体を横に曲げると、今度はルルシュカを見た。
「この子……昨日の子だよね? もしかして裏口から来たの?」
「そうだよ。ジャック、この子今日から働きたいって」
「アランです。お世話になります」
ルルシュカは淡々と、ジャックにアランを紹介した。
アランはそれに丁寧に頭を下げる。
「え!? この子、うちで働くの? しかも今日から?」
「お世話になります」
同じ言葉を繰り返すアラン。
ジャックの反応を見て、ルルシュカが一瞬だけ表情を曇らせたように見えた。――もしや、このことは話していなかったのだろうか。
(昨日ルルが相談したのは……トムに? ……あ、経営者の人?)
疑問に思いながらも、また丁寧に頭を下げたアラン。
顔をあげるも、ジャックは口を開けたまま、しばらく動かなかった。
(もしかして……受け入れられてない、感じ……?)
ちらとルルシュカを見ると、わざとらしく視線を逸らされた。昨日の時点で、ルルシュカがジャックに何も伝えていなかったのを確信した。
「……マジのマジ? ルル、本気? え、採用試験とか、面談とか、なんもナシ? それにしても彼……」
どこか気まずそうに言葉を濁すジャック。彼の言いたいことはわかる。
アランには見えないが、魔力は意識すれば誰でも見えるという。とはいえ、保有量までは見えないらしいが。魔道具店で働くのだ。アランに魔力がないことが分かったのだろう。
「採用試験……の代わりに試用期間を一ヶ月取ってある。訳あって面倒見ることになったんだ。でも、一ヶ月経ったらいなくなるかもね。――とりあえず、裏の離れに住むから、手続きお願いね、ジャック」
一ヶ月でいなくなるかもね――
なんとなくわかってはいたが、ルルシュは完全に、試用期間で追い出そうとしているようだ。
アランの心の火力が強まった。
(絶対に、居座る)
ソファで頬杖をついていたトムは、そのやり取りを黙って眺めていた。
「えー……まぁ、ルルがそう言うならぁ……僕は別にぃ、反対はしないけどさぁ……」
軽い調子に見えて、その視線は意外なほど真剣で、じっと見定めるような強さがあった。アランは思わず姿勢を正す。なんとなく無言でうなずくと、ジャックの雰囲気が少しだけ柔らかくなった気がした。
(よかった……)
胸の奥がふっと軽くなる。受け入れられたという実感に、安堵が込み上げてきた。
「ルルは、この子にどこまで説明したのさ?」
「店の話は、まだなにもしてない」
「なら、簡単に説明しないといけないじゃん」
ジャックは不満げに口を尖らせたが、どこか楽しそうだった。
「説明してあげてよ、社長さん」
「え? ……ジャックがこの店の社長さん?」
「ジャックさん、ね! そう、僕がこの店の社長さん。書類も報告も、ぜ〜んぶ僕の名前で出してる偉い人だよ!」
「それって……ルルの名前じゃ申請できないから、ジャックさんの名義にしてるってこと?」
「ピンポーン! 大正解!」
両手の人差し指でアランを指さし、ジャックはにんまりと笑った。