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【27】本音


 ジャックが不在で、アランは買い出しに出ていた。

 受付には誰もおらず、ルルシュカは読みかけの本を読んでいる。静かな空間に、玄関の扉が開く音が響く。

 

 ――その顔を見た瞬間、自分でも驚くほどの怒りが、胸の底から湧き上がった。

 

 気づけば体が動いていた。カウンターを飛び越え、セオドアの胸ぐらを掴んで押し倒す。馬乗りの体勢になったルルシュカの口から、荒々しい声が飛び出した。


「よくも邪魔してくれたな! どの面下げてここに来たんだ!?」

「な!? ……それはこっちのセリフです!」


 セオドアが即座に反撃する。次の瞬間、ルルシュカの身体が宙に浮いた。鍛えられた腕に肩を担がれ、視界が激しく揺れる。


 その視界の端、受付カウンターの上で、トムが前足を振り上げていた。――まるで「もっとやれ!」とでも言いたげに、目を輝かせながら。

 

 胸ぐらを掴まれ、壁に押し付けられる。セオドアの力に、宙を彷徨う足をどれだけバタつかせもがいても、抗う術はなかった。

 怒りはそれでも収まらない。目の前のセオドアは、ルルシュカの知っていた彼ではない。素直で優しかった少年の面影は消え、どこか冷えた瞳がそこにあった。

 

「ざまぁみろ……。あの子はこのままここで働く。お前の思い通りには、させない」


 低く、唸るような声。セオドアの表情が歪む。彼の手にはまだ余力がある。だが、その手加減すら、今のルルシュカには癇に障った。


「なんなんだよ!? なんであのガキを庇うんだ!? こっちだって限界なんだよ!」

「お前が、なにを我慢してるっていうんだ……」


 あの死の夜、セオドアにルーシャの遺体を王家に献上させ、彼は階級を進めた。記憶の改竄からも守った。シスターの不快な視線からも遠ざけた。剣術を教え、彼を強く導いたのも、自分だ。


 服の縫い目が、セオドアの指にギリギリと絞られ、悲鳴を上げる。

 

 その言葉に、ルルシュカの手が微かに緩む。


「はっ。誰もそんなこと頼んでない。それに、お前の腕じゃ役不足だっただろうが」


 冷たく返された一言に、セオドアの胸に怒りが広がる。


「……俺だって、守ってほしいなんて、一度も言ってない!」


 声が自然と大きくなる。


「誰も、頼んでない! なのに“お前のため”って、自分で勝手に納得して、勝手に期待して……! 俺の人生も、感情も、お前が勝手に決めるなよ!」


 止まらない。


「ずっと“可愛いセオドア”でいようとしてた。優しくして、笑って、頼るフリして……。でも、それをやめた途端、“変わった”って距離を置かれた……。あんたにとって俺はなんだったんだよ!」


 彼女のサファイアの瞳から、感情の色が消えたように光が消えた。

 

「もう、俺は昔の弱い子どもじゃない。自分の意志で任務に就き、昇進して、ここまで来た。あんたに憧れは勿論あるけど……あんたのおかげじゃない。

  ――現実を見ろよ、ルーシャ! 魔力も捨てて、俺に反撃すらできない、あんたは、ただの無力な子どもなんだよ!」


 ルルシュカの指先が震えた。だが、その奥に宿る怒りは、まだ消えていない。


「……君が守りたいルーシャは、もう死んでる」


 唇の端が引きつる。

 笑っているようで、笑っていない。

 

「なら、俺に昔を重ねんなよ……。どんな姿になっても、俺にとってはあんたなんだ。だから……許せないんだ。――あれはアシュリーの血を引く亡霊だ!」

「アシュリー家を侮辱しないで!」


 二人の声がぶつかり、空気が震える。

 セオドアには信じられなかった。彼女は過去を捨てたと言いながら、いまだに囚われている。


「なにを……言ってるんだよ……! 目を覚ませよ! あいつらは、あんたからすべてを奪った! 尊厳も、自由も、そして……ジョシュアまで……」


 そこまで言って、言葉が詰まった。


(……届かない)


 どうして自分の声は、彼女の心に触れられないのか。

 子どもの頃からずっと。手が届いた気がした瞬間に、何もかもがすり抜けていく。


「なのになぜ――」


 その言葉の途中で、乾いた音が響いた。


 振り返れば、買い出しの袋を足元に落とし、呆然とこちらを見ている――あの忌まわし子どもがいた。


「……なに……してるの、二人とも」


 その場に、静寂が降りた。

 この時だけは、二人とも、言葉を失った。



 いつもと変わらない帰り道。袋をぶらさげ裏口に回ると、怒鳴り声が聞こえた。


 ――あれは、アシュリーの血を引く亡霊なんだぞ!


 すぐにセオドアの声だと気づいた。だが意味がわからず、ドアの前で立ち尽くす。


 ――アシュリー家を侮辱しないで!


 尚もセオドアの声が続いていて、思わずドアを開けていた。

 目に入ったのは、セオドアがルルシュカの胸ぐらを掴み、壁に押し付けている姿だった。


「……なに……してるの、二人とも」


 二人の視線がアランへ向いた。店内は静まり返り、カウンターの上のトムは小さく額を押さえていた。止める気は最初からなかったらしい。


「とりあえず……ルルを、離してよ……」


 離された手に、ルルシュカが床へ落ちた。

 胸元を押さえ、俯いたまま動かない。


「お前がいるせいで、こんなことになった。……辞表出して、今すぐにでも消えてくれ」

「それが……あなたの本音? 僕が、アシュリーの血を引いてるから……?」


 やっぱり、嘘だった。

 保護したいなんて、都合のいい建前だった。

 

(僕の両親は……なにをしたんだ……?)


「もう決まったことだ。いい大人なんだから……諦めなよ」


 ルルシュカは立ち上がり、服のシワを直そうとするが、それは見るからに直りそうにない。


「……俺のことは、もう……どうでもいいんですね」

「だとしたら、君はあの日に殉職してる。……開業の際も、頼らなかったよ」


 ふたりの間には、もうかつての温もりはなかった。

 セオドアは髪を掻き上げ、短く息を吐く。


「俺は、間違ってませんから……」


 そう言い残し、アランを一瞥して店を出て行った。


「……店番、お願い」


 ルルシュカも隣の部屋へと消えていく。

 トムは前足でのんきに毛繕いしていた。


「……なにが、あったの?」

「ルルがセオドアの顔を見るなり胸ぐら掴んで飛びかかったが、返り討ちにされただけだ。あの体格差なら結果は見えてただろーに」

「ルルが、仕掛けたの……?」


 あのルルシュカがそんな行動を――アランは信じられなかった。


「ああ。セオドアがお前に両親を殺したって言ったことに、珍しく怒ってたからな」

「……さっきの話、本当なんだよね? 僕の両親って……ルルに、一体なにをしたの?」

「……。それより、いいのか? アイス溶けるぞ」


 袋の中には頼まれていたアイスが入っている。魔晶石の保冷材も入ってはいるか、限界があった。


「すぐ戻るよ……!」

「あ!」


 潰れた袋を拾い上げ、アランはキッチンへ駆けていった。


 ◇◇◇

 

 数日経っても、ルルシュカとセオドアの関係に変化はなかった。

 トムはしばらくの間いじってきたし、アランがときどきこちらをチラチラ見るたび、いちいち気を揉むのが面倒だった。

 

 そして今。久しぶりに店に来た常連のアンから、得意のお喋りが始まろうとしている。

 ――もうウンザリだった。


「やーん、ルル! どうしたのその髪?! かっわいいー」


 アンの反応に満足そうに、隣ではうんうんとアランが小さく頷いている。

 セオドアの一件からどこか気まずさがあったルルシュカ。そこに何故か、アランからぽそりと「髪結ってもいい?」と聞かれ、この変な空気が収まるならと許可したのがいけなかった。

 

 そうしてここ数日、ルルシュカのだらしのなかった髪は綺麗に整えられている。

 髪の話から始まった会話は途切れることを知らない。いつの間にか彼女の話題は最近流行りのブティックの話になっていた。

 

 アンは開店当初から通ってくれているお得意様だ。貰い物の古代魔道具があったのをすっかり忘れていたらしく、持ってきてくれたのはいいが、ルルシュカが説明しようとするたび、彼女のお喋りが脱線する――それも、彼女らしい一面ではあるのだけれど……。

 今は勘弁してほしかった。


 どうにか会話の区切りを見つけて、辟易しながらルルシュカが言葉を挟む。

 

「そうなんだ。じゃあ、この魔道具の使い方、そろそろ説明するね」

 

 すると今度は、突然トムがにゃーと鳴き始める。


「トム君、急にどうしたのかしら?」

「すみません……」

 

 珍しいそれに、ルルシュカは目を丸くした。

 カウンターに飛び乗ってきたトムを、口元が耳元に来るように抱き上げる。


(アンのピアス、すっげー嫌な感じがする……。古代魔法かもしれねえ。先に確認しとけ)


 ルルシュカにはまったく分からなかったが、トムがそう言うのなら何かあるのだろう。

 仕方なく、アンに話を振ることにする。

 お喋りな彼女のことだ、きっと何か話してくれだろう。

 

「トムがごめんね。そういえばそれ、素敵なピアスだね」


 アンの耳を飾っていたのは、美しいエメラルドのピアス。雫の形にカットされており、彼女が動くたびにゆらゆらと揺れていた。

 ルルシュカはトムをカウンターに下ろしながら、ピアスを注意深く観察する。

 そこには魔力が巧妙に隠され、纏わりついていた。

 

「えー?! ルルがジュエリー褒めてくれるなんて珍しいこともあるのね。ありがとう! これ可愛いでしょ」


 ありきたりな褒め言葉を選んだが、ここまで喜んでくれるとは。確かに、これまで一度だってアンを褒めたことはない。


「……アンは、こう……全体のコーディネートが上手いなって。前から、思ってたよ。うん」

「えー、本当? ふふ、すごい嬉しい。これ、自分のご褒美に随分昔に買ったのよ」

「それは思い入れがある品物だね。どんな効果が付与されてるの?」

「効果……? あはは! ルル、これはただのジュエリーよ。魔道具じゃないわ」


 アンは「あなたでも間違うのね」と笑いながら、手をひらひらと振ってみせた。


「……え? でもピアスから魔力を感じるよ? 右耳の方だ」

「ぇえ?」


 アンは右耳のピアスを外すと、集中して見つめた。

 

「本当じゃない。おかしいわね……」

「気になるから、それがなにか見てもいい?」

「ええ、もちろんよ。私も気になるから、是非お願い」


 リディア伯爵と同様に、アンもルルシュカが魔法を使うことに驚ない。

 こちらから聞くことはないが、ルルシュカは顧客内で回る自身の話がどうなっているのか、少しだけ怖くなった。

 

 ルルシュカは引き出しから、メモ用紙ほどの小さな紙を取り出し、瓶から飴を一つ摘んで口に含んだ。魔法専用のインク壺を開き、紙に円を描くと、その中に三角形を書き足した。

 インクは夏の夜空を詰め込んだような幻想的な色をしている、ルルシュカのお気に入りのものだ。

 差した影にそちらを見れば、アランが興味津々でルルシュカの手元を覗き込んでいる。

 

 外したピアスをトレーに載せてもらい、言葉を紡いで魔力を編み込んでいく。


「我が代は常世の鏡なり 汝の(まこと) (ことわり) 姿を現し 我が前に示せ ――透識(レヴェルテ)


 紙を軽く左右に振ると、ぽわっと別の魔法陣が浮かび上がった。

 描かれた記号を目で追いながら、ルルシュカは読み取れる範囲で命令式をかいつまんでいく。


 見覚えのある構文に、ルルシュカとトムは思わず言葉を詰まらせた。



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