【26】セントリオの指輪
朝を迎え、アランはルルシュカとトム、ジャックに心配をかけたことを謝罪し、引き続き頑張りたいと伝えた。
ジャックに理由を聞けば、「ルルがあんな顔をするのを、僕は初めて見たんだよね。きっと、君が近くにいたほうがいいって思っただけ」と言われた。
それ以上は聞けず、ジャックは用事があると言って店を出て行った。
ルルシュカの作業部屋で、いつも通りの、いつもとは少し違う朝が始まる。
「本当に続けるの?」
「ルルは……僕を殺すの?」
「……君が、敵討ちに出るなら、そうなるかもね」
「ふふ。今のところ、その予定はないかな」
アランは小さく笑って、肩の力を抜いた。
「今のところ、か……。君の気が変わらないうちに、媚を売っておかないといけないな。……そろそろ、指輪を返してもらおうか」
ルルシュカはふっと息を吐いて、まるでなにかを懐かしむような、穏やかな表情で指輪を見ている。
「……ねぇ、一つどうしても聞きたいんだ」
「なに?」
アランは指輪を外すも、それを手に眺めた。
「この指輪ね、ジョシュリーって人が、僕宛に送ってきたんだ。探している人がいるから、その人が見つかるまで、持ってて欲しいって。……ねぇ、ジョシュリーって、一体誰? ルルとはどんな関係だったの?」
「送られてきたって? ……ジョシュリーって人から?」
「うん。僕が院に入った翌年、その内容が書かれた手紙と一緒にタイムポストで届いたんだ」
タイムポストは、日付と相手を指定すると、その日に必ず本人に届けられる軍の中に組み込まれた民間向けの郵便システムだ。なぜそれが可能なのかは、軍の中でも機密とされており、関係者以外は誰も知らない。
急に、ルルシュカの笑い声が部屋に響いた。
「そう。そうだったんだ……。っはは。バカだな、そんなことしなくても、私は……」
「ル……ルル?」
突然こぼれたルルシュカの笑顔は、初めて見るほど無邪気で、まるで本当の少女のようだった。あまりの意外さに、アランは言葉を失った。
カウンターにいたトムは、その話を聞いてかどこか呆れた目で指輪を見ている。
「そうだね。それくらいは教えてあげないといけないな。ジョシュリーはキミの叔父さんにあたる人だよ。その指輪の元々の持ち主だ。……どんな関係、か……」
ルルシュカはどこか寂しそうな表情で、「難しい質問だ」と言葉を探している。
「……そうだね。今知っているどんな言葉を探しても、あの人との関係を語るには足りないけど──彼は生まれつき、魔力を体に留められない体質でね。常に体内で作られた魔力が、漏れ出してしまうんだ」
アランは先日目にしたルルシュカが倒れた光景が脳裏にフラッシュバックした。魔力が切れても苦しそうなのに、常に魔力が漏れ出てしまうなど、まともな生活が送れるとは到底思えなかった。
「彼をどうにか助けたくて、勉強してその指輪を作って贈ったんだ。……そのくらい、大切な人だよ。ジョシュリーは手紙用の仮名でね。彼の名前は――ジョシュアだよ」
そう言って笑うルルシュカは、上機嫌だった。
まるで自分のために作られたようだと思っていた指輪は、ジョシュアのために作られたものだった。すっと謎だったジョシュリー。どこかで血の繋がりは感じていたが、まさか叔父だったとは驚きだ。
「ねぇ、ジョシュアも、……ルルのことを大切に思ってたの?」
「……さぁ。それは分からないけど……少なくとも、私は同じだと思ってるよ。じゃなきゃ、君に指輪を預けなかった
だろうね」
「そう、なんだ……?」
長い間探されていた指輪は。アランの手に来てから数えても十五年は経っている。その間もずっと彼女の心を縛り、今なお思われ続けている見も知らぬ叔父が、アランはどうしてかその関係が羨ましく思えた。
(そういえば、先日、ルルは誰に会いに行ったんだろう……)
だが、その疑問とは別の言葉を、アランは投げかけていた。
「叔父さんはなんで亡くなったの?」
「不審死……。死因不明って聞いてる。……質問はこれで終わりだ。さ、返して」
死因不明……。
アシュリー家と、同じだった。
(僕に、ルルと出会うきっかけをくれてありがとう……。ジョシュア叔父さん……)
アランは叔父にお礼の言葉を述べると、ルルシュカへと指輪を手渡した。
長年、アランの手元にあった指輪が、ようやく持ち主のもとへ還っていく。十五年という月日の重みが、手のひらから抜けていく感覚に、少しだけ寂しさを覚えた。
指輪が、ようやく彼女のもとへ還っていった。
「今まで預かっていてくれてありがとう。にしても、預かり物で駆け引きするなんて、君は悪いヤツだね」
アランは肩をすくめ、からかうように言った。
「……ちょっと、ルルがなに言ってるか、僕にはわからないな」
にっ、と笑ったアランの顔には、たまにルルシュカが浮かべる悪い笑顔と、――そしてジョシュアの笑顔が重なって見えた。
(死んでも忘れないよ……ジョシュ)
ルルシュカはその瞳の奥に、かつて愛した人の面影を静かに映し出していた。
◇◇◇
今朝、魔道具士教会から上がってきた書類を受け取った瞬間、血の気が引いた。
――該当魔道具店にて、試用期間終了に伴い、アラン(孤児のため姓記名なし)の正式採用を報告。
気がつけば、すべての仕事を放り出して、あの店に向かっていた。
(あなたが俺に怒っているように、俺だって――)
ルーシャが亡くなって以降、彼女が生きているのかさえ分からない時期が続いた。
なぜ、彼女は自分を頼らなかったのか。子爵家の肩書がセオドアにはある。
住む場所も、新しい身分も用意できたはずなのに――何ひとつ、助けを求めてはこなかった。
結界の張られたアシュリー邸とカーライル邸に、誰かが花を手向けていたのを見て、すぐに彼女だと気づいた。
ある年、魔道具店の新規開店が報告され、その備考欄に“開店前の確認にセオドアを希望”とあった。すでに少佐になっていた自分では現実的でなかったが、協会職員の伝言に胸が騒いだ。
――店主の方が、どうしてもセオドアさんにスコーンを振る舞いたいと……。
“スコーン”。それは、ルーシャとの間で決めた緊急時の合図。
『なんでスコーンなんですか? 間抜け過ぎでは?』
『えー? 追い詰められてさ、もう終わりだって時に、最後にスコーン食べたい……って自然じゃない?』
その発想はどうかと思ったが、彼女らしかった。
予定日に向かうと、そこに彼女はいた。「ちゃんと気づいた?」と笑って。
嬉しさと安堵の隣で、あの派手なオレンジ頭の男がいて、胸が焼けた。
なぜ、自分ではなくいつも“誰か”が彼女の隣にいるのか。
都合のいいときだけ自分を使うその態度に、初めて怒りが湧いた。
とはいえ、嬉しさがなかったわけでもない。彼女のために新しい身分を偽装したりと手も尽くした。
だがもうそろそろ、少しくらい怒ってもいいだろうと、ずっと彼女の理想の可愛い素直なセオドアを辞めると、途端に「君は変わってしまった」と彼女との関係は拗れていった。
数年で担当の任も降り、ミアに任せた後も、報告書には目を通していた。
平坦で、穏やかで、つまらない日常――それが続くたびに、会いたさが募った。
だが、一度壊れた関係に、理由もなく顔を出す勇気はなかった。
報告書に“アラン”という名を見たときは、特に何も思わなかった。だが、添付されていた写真を目にした瞬間、全身が冷たくなった。なぜ、彼女はあの子を平然と傍に置けるのか――理解などできるはずもなかった。
狂気のようにさえ思えた。
そして出会って、すべてが腑に落ちた。――ジョシュアの仕業だ。
指輪を見つけた彼女は、あの子どもが持っていることを知り、どう思ったのだろうか。あの男に、裏切られたとは思わないのか。敗北感と悔しさが、胸にしみついた。死してなお、あの男は彼女の心を支配していた。
(絶対に引き離してやる……!)
駐屯所から魔動車に乗り込むと、奥歯をきつく噛み締めた。
この季節になると思い出す。初めて、墓参りの彼女を待ち伏せた日のことを。
『なぜ、彼らに祈れるのですか? 恨まれているとは、思わないのですか?』
静かに手を合わせる彼女に、そう問いかけた。
『大切な人達なんだ。ただ亡くなるのが早かっただけ。亡くなった理由がなんであれ、たったそれだけで、私が彼らを追悼しない理由にはならないよ。それに、もし彼らが怒っていたとしても――私には分からない』
そう言って、彼女は困ったように笑った。
――なんて自分勝手な言い分だ。
もし自分が遺族なら、彼女の胸ぐらを掴んでいたかもしれない。
殺した当人が、当然のように祈るなんて。
それでも思ってしまった。
怒っていた。彼女に。あの環境に。そして、救えなかった自分に。
けれどその怒りの底には――哀しみと、諦めがあった。
(俺だけが、子爵家に行った……。もし、あのとき一緒に手を取れていたら――)
胸に渦巻くたらればの想像は、今となってはただ、焼け付くように虚しかった。
たらればの想像に、胸が焼けるほど虚しくなった。




