【24】雇用
簡素な部屋に置かれているのは、暮らすのに必要最低限の家具しかない。まさに仮住まいという感じがぴったりだった。
部屋の隅に置かれた木の机の上に、見たことのある名前と連絡先が書いた紙があるのを見つけたのは、アランを部屋に運んですぐのこと。
ベッドで力なく横たわるアランの顔は赤く、うっすらと汗がにじんでいる。
アランへ戻した魔力量が少なかったこともあり、軽微な暴発で済んだ。
魔力を外から強制的に馴染ませた応急処置。どうにかアランの魔力は落ち着いたが、その影響で体に負荷がかかり高熱が出てしまった。
「どうだ?」
「魔力は落ち着いてる。熱が下がる気配はまだないね」
部屋を訪れたトムが、ベッドに飛び乗るとアランの顔を覗き込む。ルルシュカは、額に乗せられた氷嚢に付いた水滴を拭い追加で魔力を注ぎ込む。
ひんやりとした温度が伝わるのを確認し、またアランの額へと戻す。
「店を追い出されるのが、よほど嫌だったんじゃねーの?」
まるでこちらが悪いと言いたそうな顔だった。
初めから決まっていたのだ。しかも、彼は自分からこのまま働きたい。とも言っていない――言われても困るが。
「セオドアの連絡先が机にあった……。あいつのことだ。アランに両親のことを言ったんだろ。そんな人間が近くにいるって知れば、そっちの精神的負担の方が大きいでしょ」
「ぅぅ……」
弱々しい呻き声に、自然とアランへと視線が向いた。
「……ルル……殺さ……よね……」
こぼれ落ちた寝言に、ルルシュカはうんざりとした顔をで明後日の方向を見る。
セオドアがどういう意図で、どう伝えたかは不明だが。彼はアシュリー夫妻を毛嫌いしていた。いい感情でないことは明白だろう。
「……そうみたいだな。どうすんだよ?」
「……私が聞きたいよ。そんなこと……?」
「んなの――」
「私の好きにすればいい、でしょ」
従軍時代、トムに何百回と聞いた質問の答えはいつもこれだった。
「わかってんじゃねーか」
「とりあえず、雇用をどうするか決めないと。明日が満了日だ」
ルルシュカは部屋を出るとジャックの元へと足を運ぶ。
受付兼作業場ではジャックが肘を付いて本を読んでいた。
「ジャック、あの子の雇用のことなんだけど」
「あ、ルルー。彼、様子はどう? 彼の雇用の件なら、ちゃあんと延長しておいてあげたよー」
グッと親指を立てて歯を見せて笑ったジャックは、「気が利くでしょ!」と言わんばかりに自慢げな態度をしている。
「は?」
「え?」
お互いに間抜けな声を出すと、沈黙が落た。
「……なんで?」
「なんでって……、その方が労災おりるでしょー? 彼手持ち少なそうだし、なぁんか一生懸命だったから、僕からのプレゼント的な?」
「聖印者や神官を呼んでないから……労災はおりないよ」
「あ! ……そうだったっけ? 僕ってうっかりさんだから。めんごめんご」
業務上で怪我や病気になった際、教会から人を呼んだり、足を運べば書面が発行される。それを添付して申請をあげればかかった費用は免除され、追加で見舞金が出る。もちろん今回はそれにあたらない。
(もしかして……わざと?)
ジャックの事だ。どんな意図かは不明だが、十分にあり得る。だが、申請されたものを取り下げることは余程の理由がないとできないのも知っている。
「間違えました」では無論通じない。
「……もう手続きしたなら、仕方ないけど……それって、試用期間の延長?」
「え? 正式な雇用だよ。だってアラン、なんか知んないけど魔力戻ってるじゃん。まだ少ないけど……。ってことで、これから魔導具士の見習いとして、ルルが引き続き面倒見るんじゃないの?」
いつもとは違い、どこか飄々とした態度のジャックにルルシュカは違和感を抱く。魔力が戻ったのは誰だって視ようと思えば分かる。だが、ジャックのその言い方は、まるで彼の魔力量までもが見えているような言い方だ。ルルシュカの眉間に皺が寄る。
「……それ、どういうこと?」
「えー? なにが?」
口先を尖らせ頭の後ろで手を組み、ジャックは椅子の脚を浮かして船を漕ぐ。
「まだ少ないって……」
「えー? なんていうかぁ、直感ってやつ? てかさ、教会で測定して貰ってないの? それも今度手配しておいてあげよっか」
「それは……そうだね。でも、きっと彼は魔導具士にはなれないし、その気もないでしょ」
「……それはさ、アランが言ってたの? 魔力測定もしてないのに?」
いやに真面目なトーンだった。
彼は言ってない。聞いてもいない。聞く意味もない。これ以上魔力は戻らないのだから。ジャックはそれを知らない。なのに、ルルシュカはまるで自分が責められているような気になった。
聞き慣れないジャックのマジトーンは、不気味以外の何ものでもない。
「それは……」
「ほらー。ならまだわからないじゃん。また起きたら聞いてみないとだねぇ。僕はただ、若い少年の夢を応援してあげたいだけだよ。ルル」
またいつものおちゃらけた声音に戻ったジャックに、ルルシュカはどこかホッとした。
いつものジャックだ。
「……アランはまだ熱が引かない。また、起きたら報告するよ」
「おっけ! あ、着替えが必要だったらまた言ってよね」
「……ありがとう」
ルルシュカは逃げるように作業部屋へ足早に戻ると、店にはトムが戻っていた。
「トム……」
「あ? どうしたんだよ」
「ジャックが、アランを正規雇用にしてた……」
「は?」
ジャックとのやりとりを話すと、案の定、トムは楽しそうに笑い出した。
わかっていた反応だったが、いざ目の前で笑われると、なぜか腹が立った。
怒っているのは、ジャックの勝手さなのか、トムの無神経さなのか――それとも、何もできない自分自身か。自分でもよく分からなかった。
「なんで笑ってるの」
「なんでって。俺の言った通りじゃねーか。つか、ルルって本当自分の思い通りの人生にならねーのな。なんでか分かるか?」
「そんなの……」
答えはわかっている。自分には、意思がない。
周囲や流れに任せて――いつも、突きつけられるのは結果だけ。
意思など、初めから意味を持たないものだと、嫌というほど思い知らされてきた。
今さら持てと言われても、どうしようもできない。アランのことだって、そうだった。逃げた。けれど、逃げ切れなかった。それでもまだ、向き合ったつもりだったのに――
(結局、無意味だった……。私には、抗う力なんて、ない……)
最後には、またジャックやセオドアにかき乱されてしまった。
沸々と怒りが湧いてくる。……我慢ならない。
「ていうか、セオドアが本当にクソだよね!? あいつが邪魔して来たのが悪い! じゃなきゃあの子の魔力は安定してた!」
「結果論だろ」
「結果そうなってるからそうなの! 許せない……。もうこうなったら、あの子に暴露して自主的に出て行ってもらう」
言葉にしてから、どこか胸の奥がチクリとした。
アランがいなくなれば、問題は片付く。それはわかっているのに――
なぜか、そうなった未来を想像すると、言いようのない空虚感に襲われた。
ヒートアップするルルシュカを、トムはどこか憐れむような目で見つめる。
「ルルって、たまにマジでガキになるよな。結局、お前のあの訓練も無駄だったってことも証明されたしな」
「煩い。それに、トムから見たら大体の人が子どもでしょ」
年齢不詳のトムに、そんなことを言われたくなかった。
ヤケになったルルシュカは、勢いのまま再びアランの部屋へと向かう。足は勝手に動いていた。なぜ自分が、こうもあの少年のことで振り回されているのか――昔の可愛かったセオドアの姿が、ふと脳裏をかすめた。
それがアランと重なったのか、単に記憶が呼び起こされたのか――
自分でもわからなかったが、すぐに振り払った。
夜になってアランがようやく目を覚ました。
精神的な部分で魔力が反応し体内で暴れたことを伝えると、アランは理解したのかゆっくりと頷いた。
「……ごめんなさい」
「謝ることじゃないからいいよ。それよりも、やっぱりセオドアと会ってたんだね。誤解しないで欲しいのは、別にそれで君を責めたい訳じゃない」
優しい声で伝えたが、それでもアランは俯いてしまった。
「せっかく、ルルが……魔力訓練のテストまでしてくれたのに。僕は……感情を、コントロールできなかったことが……悔しい」
その一言で、ルルシュカは内心、トムに勝ち誇ったように笑っていた。




