【02】指輪を探してる人
その日、アランは指輪の持ち主を探す旅に出ていた。
列車の窓から流れる、見知らぬ景色はどこか現実離れしていて、初めての遠出に彼の胸は静かに高鳴っていた。
窓に映った自分の顔に、ふと手を伸ばす。中指に輝く指輪が、不思議なほどずっしりと重く感じられた。
──この旅のきっかけは、数日前のある出会いだった。
いつものように養護院を抜け出して街をふらついていたとき、一人の男がアランに声をかけてきた。
「その指輪を、ずっと探している人がいるよ」と。
養護院に入って少し経った頃、突然「預かっていてほしい」という手紙とともに、この指輪が届けられた。差出人の名前は“ジョシュリー”。見覚えもなければ、説明も何もなかった。
──探している人がいる。預かっていてほしい。
手紙にはそれだけが書かれていた。
現代では作れない、古代の高度な技術によって作られた指輪。市場に出せば高値がつくとも言われるが、アランにとっては必要なものだった。ランプの明かりも、暖炉の火も、日々の生活には魔力が欠かせない。だが、魔力のないアランにはそれすら叶わなかった。
「預かっていてほしい」と言われたから律儀にそれを守っていたわけじゃない。だが、それとは別に、この指輪が自分に関係している気がした。まるで、自分のために作られたかのような。もしかしたらジョシュリーも、そう思っていたのかもしれない。
魔力のない人間などこの国にはいない。なのに、自分にはなかった。指輪を探している人も、同じく“魔力なし”なのかもしれない。
何度かこの珍しい指輪を「譲ってほしい」と言われたことはあったが、「探している人がいる」と言われたのは初めてだった。
(ジョシュリーは、なんで預け先に僕を選んだのかな? どうして、わざわざ他人に預けるようなことをしたんだろう……)
今もこの指輪を探しているのだろうか。あの手紙の差出人と、何か繋がりがあるのだろうか。そんな思いを巡らせながら、簡易的な地図に書かれた店へと向かう。そこでは、派手なオレンジ色の髪をした陽気な男がアランを迎えた。
目元は厚い前髪に隠れて見えないが、細身の輪郭とすっと通った鼻筋が印象的だ。雰囲気的には三十手前くらいに見える。強いクセで乱れたオレンジの髪は、毛先が自由気ままに跳ねていた。黒い作業服を身にまとったその男はジャックと名乗り、アランが事情を話し指輪を見せると、すぐに受付の奥にあるドアを叩いた。
その先にはグレーと木目を基調とした、落ち着いた内装が広がっていた。
魔道具店特有の油や金属の匂いはなく、薬草とも香木ともつかない、優しく澄んだ香りが満ちている。幅広のカウンターに椅子がいくつか並び、窓の向こうには木々の緑が揺れていた。
そのカウンターの奥にいたのは――子どもだった。いや、正確に言えば少女。
てっきり大人がいると思っていたアランは、予想外の人物に自然と目を見開いていた。
無造作に束ねられた白金の髪に、古びた黒のローブを羽織り、サファイアのような瞳はどこか虚ろで、世界のなににも興味を示していないようだ。人形のように整った顔立ちだが、「生きている」という実感が不思議なほど伝わってこなかった。
だが、アランを見るなり少女はわずかに目を見開くと、すぐに微笑んだ。それは、懐かしい誰かを思い出したような、優しげでどこか寂しげな笑みだった。
あの笑みは、指輪に気づいたからだろうか。他に理由が思いつかなかった。
少女は、ルルシュカと名乗った。彼女こそが、指輪を探していた本人だった。
その理由も、アランの想像を超えていた。指輪は、大切な人に贈ったもの――その人は、すでに亡くなっているのだという。
アランは、思わず「ジョシュリー」と口にしていたが、ルルシュカが小さく反応したのを見て、とっさに知らないふりをした。
彼女の“大切な人”とはジョシュリーなのだろうか?
だとすれば、この指輪は彼の形見なのかもしれない。澄んだサファイアのような瞳に影を落としていた彼女の姿を見て、返してあげたい気持ちになった。
だが、彼女はきっと、手紙のことを知らない。なら、都合がいい──そう思う自分に、ほんのわずかに、胸の奥がひりついた。言い訳がましい気がして、自分でも嫌だった。
指輪はアランの生命線だ。
探している人が魔道具士だと聞いて、指輪を“切り札”にして店に転がり込めないかと考えた。魔道具士なら指輪を渡したその後の生活も、何とかしてくれるかもしれない。そんな都合のいい期待を抱いていた。
実際に訪れた店はいい雰囲気で、案内してくれた男は変わった風貌だったが気のいい人だった。不思議な少女に、愛らしい猫もいて、なんだか、ここにいられたら楽しそうだと思えたし、だからこそ、このチャンスを逃したくなかった。就職活動は思うように進まず、どこも自分にとって納得できない場所ばかり。
──ようやく「ここでなら」と思える場所に出会えた気がした。
それでも、「不良債権」という言葉には胸が痛んだ。彼女に悪気がないのは分かっている。冷静で、正直な人なんだろう。……だけど、言われたくはなかった。
不良債権なんかじゃない――そう思ってもらえるように、頑張らないと。
ぎゅっと拳を握りしめたら、自然と顔に力が入った。
試用期間付きとはいえ、どうにか店で働けることになった。しかも部屋まで貸してくれるという。ダメ元で聞いてみるものだ。
そうして差し出されたのは、細いラインのシンプルな指輪た。説明を聞いて、背後のドアを開ける。そこには見知ったノルヴァ地区の七番通りの裏路地が繋がっていた。
店を出ると静かに扉を閉める。驚きと興奮に、しばらくその場に立ち尽くしていた。少しの間をおいて後ろを振り返ると、そこにはドアはなく、代わりに石積みの外壁があった。
(……ほんっと、面白いなぁ。……あー、もうあの子に会いたいや。沢山聞きたいことはあるけど、とりあえず、試用期間で追い出されないようにしないと)
アランは楽しさにニヤける表情を抑えつつ、養護院へと歩いていった。
翌日。
目を覚ましたアランは、左手の中指で鈍く光る指輪を見て胸を撫で下ろしていた。
(……夢じゃなかった)
身支度を済ませると、用意したトランクは思いのほか隙間が多かく、所持品の少なさに思わず苦笑する。
必要な人たちに一通り挨拶を済ませた後、最後に探したのは、誰よりもお世話になったシスター。いつも忙しく飛び回っている彼女が、珍しく施設にいたのは運が良かった。
「もう出ていくの? アラン、あなたまだ進路もなにも決まってなかったわよね……?」
「いろいろあって……住み込みで、働けそうなところを見つけたんだ」
「まぁ……そうなの」
シスターはどこか悲しそうに目を伏せたが、すぐに優しく目を細めアランの手を取る。彼女の手は相変わらずひんやりとしていた。
魔力なしのアランには特に優しくしてくれたシスター。アランはそれにとても助けられた反面、負担にも感じていた。アランの帰りが遅くなる度、シスターはまるで居場所を察知しているかのように現れるのだ。そうしてアランと周囲を驚かせていたことは、いまも記憶に新しい。
魔道具店で働くことは、なんとなく言いたくなかった。言ってしまえば、きっと質問攻めにされるだろうし、彼女が店に足を運ぶかもしれないという不安もあった。曖昧な笑みを浮かべるアランに、シスターは優しく微笑んでいた。
「大変お世話になりました。いままでありがとう、シスター・メアリー」
「いつでも遊びにいらっしゃい。体調には気をつけるのよ、アラン」
「うん。シスターもね」
気まずさを振り払うようにアランは軽く頭を下げると、他の子どもたちに呼ばれた彼女の背を見送り、静かに施設を出て行った。
ルルシュカに言われた通り、アランは街の中で開閉できるドアを適当に選び三回ノックした。
――こんな事で本当に店に行けるのだろうか。
ドキドキしながらドアを開けると、リンとベルが鳴る。
トランクを片手に店を訪れたアランに、ルルシュカは「いらっしゃい」と声をかけた。
その声が、まるで魔法の合図のように聞こえる。
「ちゃんと、店だ……」
アランはドアを後ろ手で閉めると、肩の力を抜いた。胸の奥に、静かな温かさが広がっていく。まるで、やっと“居場所”を見つけたように。
だが同時に、ルルシュカの表情が一瞬、何かをこらえるように険しく揺らいだのを、アランは見逃さなかった。