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【17】アシュリー邸 上

 そうして、セオドア、ルルシュカ、アラン――そして猫のトム。

 今回の旅路は、この三人と一匹でのものとなり、ミアは別の仕事があると、話し合いの後店を出て行った。


 仕組みはわからないが、いつものように店のドア一枚で西部アステリオンに到着した。


 アステリオンは、古代の魔法文明の遺跡が残る「魔法の都」として知られる西部の中心都市。かつては交易の要所として栄え、今でも魔道具の制作で必須となる魔晶石の採掘や加工が行われていらしい。

 中心街から更に郊外へ向かった先に、今回の目的地である旧貴族邸があるという。


 険悪な割には並んで歩く二人から、少し離れて歩くアランの肩には、トムがいた。

 ふわふわの毛が頬や首にくすぐったかったが、ここ数日のことを思えば、どこかそれは癒やしにも感じられた。


 まだルルシュカと両親の件についての進展はない。情報にしても、アランの気持ちにしても。

 彼女に直接問いただしたい気持ちもあるが、セオドアの忠告が頭をよぎるたび、その気力が削がれてしまう。

 けれど今日、セオドアと彼女の関係性が少し見えたのは、アランにとって確かな収穫だった。


(セオドアの話が本当なら、あの仲の悪さも――納得できる……はず、なんだけど……)


 セオドアはルルシュカの過去を知っていて、軍としても彼女は監視対象のはずだ。普通なら、もっと距離を取り冷たく接するはずだろう。なのに彼の言葉や態度には、まったくそんなものは感じられない。

 むしろ、ルルシュカに対して好意的とも取れる節がある。

 それでいて、まるで――何かに怒っているような雰囲気もあった。


(なんか……痴話喧嘩、って言った方が、しっくりくる……気がするんだよね)


 自分の中で浮かんだその言葉に、アランは苦笑しかけて、すぐに表情を引き締めた。 ルルシュカは、自分の両親を殺したかもしれない――本来なら、そんな冗談めいた感想が浮かぶ余地など、あるはずがない。


 ……それでも。あの少女の姿のせいか、まだ現実味を持って呑み込めずにいる自分がいる。

 とはいえ、せっかくトムが近くにいるのだ。

 なにか話してくれたら――と、アランは淡い期待を抱いた。


「ねぇトム。説明、してくれないかな?」


 トムにだけ聞こえる声で話しかけ、ちらりと肩の上のトムを見る。

 すぐに視線は前を歩く二人の背中へ戻った。


「あ? どこからだよ?」

「……初めから」

「……まぁそうだろうな。まずアランは、アシュリー伯爵家を知ってるか?」

「アシュリー……? あ、三英傑の一人、ダニエル・アシュリーの?」

「そうだ、そのアシュリー。これから行くのはアシュリー伯爵家の旧邸宅なんだが、本家筋は全員亡くなってる。分家は今も存続しているが、領地の管理のみを引き継ぎ、旧邸宅の権利は国に返上してる。今は国の管理下に置かれてるんだ」


 ありがたい説明ではあったが、アランにはどうしても先に確認しておきたいことがあった。


「その前にさ、あのセオドアって人と、ルルシュカって、仲悪いの? 二人は同じ軍にいたんだよね?」


 視線の先にはセオドアの背中がある。歩くたび、羽織る外套の裾がひらりとはためいていた。

 さりげなく自分の推測を混ぜた問いに、小さなため息が返ってくる。


「お前、やっぱセオドアとなんかあったな。……まぁ、今回だけはルルには内緒にしておいてやるけどよ」

「はは。……ありがとう、トム」

「セオドアは、ミアとイヴの上司で、ジャックとルルの事情を知ってる関係者だ。……セオドアにとっては、まぁ、ルルは憧れの上官ってやつだな。それも、盲信っつても間違いない位の」


 トムの声音はいつもと変わらなかった。


「盲信……」

「お互いがお互いの言い分を腹の底に溜めたまま怒ってんだ。拗れに拗れた結果だな」


 憧れゆえの、ということなのだろうか。

 となると、先日聞いたセオドアの話の信憑性も、少し変わって見えてくる。


(あの話は……嘘? いや、多分本当のことに、嘘を交えて話した……? でも、なんのために?)


 セオドアはアランを店から離したがっていた。それは、アランの身を案じてのことだったはず。その理由がどうであれ、アランが店を離れれば、彼の目的は達成される。


(もしかして……いや、そんなわけない……よね)


 頭に思い浮かんだ仮説はすぐに否定された。


 トムという猫について、アランがこの短い期間で抱いた印象はこうだ――

 必要最低限のことは教えてくれるが、それ以上は語らない。


 今、いちばん信用できるのはトムかもしれない。

 トムは嘘をつかない。そんな、ささやかな信頼をアランは寄せている。

 このまま、少しでも話してくれないかと、アランはまた淡い期待を抱いた。


「なんでルルは、退役したの?」

「……さぁ、なんでだったか」


 ――これ以上は、ダメらしい。


「ありがとう。さっきの話し続けて」

「たく……。アシュリー伯爵家の旧邸は、“呪いの屋敷”として有名だ。実際死人が何人も出てる。だから、誰も近寄らねぇ」 

「え? まさか、僕ら……そこに行くの……?」

「ああ。セオドアも言ってただろ、”恐ろしいところ”だって」


 そう話すトムの口調は軽く、楽しそうだ。

 とてもこれから行く屋敷が、到底「恐ろしいところ」とは思えなかった。アランは先ほどのトムの言葉を思い出すと、トムへ恐る恐る確認する。


「本家筋が全員亡くなってるって……?」

「聞いたことあるだろ? 魔族の報復で、一族ごと呪い殺された――って話だ」


 魔族から、自らの命と引き換えに国を守った三人の魔法士。

 そのうちの二人――カーライル子爵家とアシュリー伯爵家の本家筋では、当主一家をはじめ、継承順に並んでいた甥や姪に至るまで皆、原因不明の死を遂げている。

 ルーシェは元々孤児で養護院育ちだった為か、彼女の周りの人間は被害に遭わないで済んだという。


 アランはその話を、子供の頃に絵本で読んだのを思い出した。


「聞いた事ある。あの話って、本当なの?」

「亡くなってるのは本当だが……魔族の報復なんて、そんなのある訳ねぇだろ。そういう話にはいつだって、知られたくない真実ってのがあるもんだ」

「なに? その、知られたくない真実って」

「さあ、なんだろうな」


 トムは、どこか意味ありげに笑った。


「じゃあ、ルルが言ってた、悪趣味な王妃候補っていうのは?」

「旧邸宅には《祝音のオルガン》ってアンティークが保管されてるんだ。

 オルガンは、心からの喜びを抱いたヤツが触れると、それを音楽に変えて演奏するっていう古代魔道具(アンティーク)だ。その縁起物を、呪われてるって噂の屋敷から持ち出して、自分たちの結婚式で使いたいって言うんだぜ?」

「へぇ……。にしても……セオドアって、東部所属だよね? なんで西部にある屋敷の管理まで、任されてるの?」

「んなの俺が知るかよ。……それより、そろそろ着くぞ」


 前を歩いていた二人が足を止める。アランも自然と立ち止まり、顔を上げた。


 そこには、蔦に覆われた巨大な石壁が、空を裂くようにそびえていた。

 どこか、時間の流れから切り離されたような静けさが辺りを包んでいる。

 初めて訪れるはずなのに――アランの胸の奥には、奇妙な懐かしさがじわりと広がっていた。


「屋敷にかけられた魔法を解きますね。少し離れてお待ちください」


 セオドアが静かに言い、門の前に進み出る。両手をゆっくりと掲げると、指先から淡い光が広がり、空間全体を包み込んでいた結界が消えていく。

 次の瞬間、ぎい、と重々しい音を立てて門が自ら開いた。


 光に照らされたルルシュカの横顔は、無表情のまま微動だにしない。

 その瞳の奥を、アランは読み取ることができなかった。


 屋敷に魔力が注がれると、内側からぽつぽつと明かりが灯りはじめる。

 高い天井に大理石の床。重厚なシャンデリアが静かに輝き、壁には趣味の良い調度品がずらりと並んでいた。

 正面の大階段には真紅のカーペットが敷かれ、そこには塵一つ見当たらない。

 長い時を経てもなお、手入れされたような美しさが残っている――おそらく、屋敷全体にかけられた維持魔法の恩恵だろう。


 一歩、足を踏み入れた瞬間だった。

 アランはふと、胸の奥がざわつくのを感じた。


 階段を上り、骨董品や絵画の並ぶホールを進む。

 その先に、細やかな装飾が目を惹く二枚扉が現れた。セオドアが扉を開けると、そこはドローイングルーム――邸内に作られた客間――だった。


 二十三畳ほどの広さの空間には、長机と椅子が置かれ、壁に造り付けられた棚には食器が飾られていた。壁際には、木細工の施されたオルガンが置かれており、それは二人なら十分に移動させられる大きさだった。


「ルー様。早速、状態の確認からお願いします」

「……はいはい」


 ルルシュカは持ってきていた飴を口に含むと、オルガンの状態を確認し始めた。金庫の時と同じように、オルガンの前に魔法陣が浮かび上がる。

 アランはそれを見ていたが、すぐに部屋の中を見渡すと、足をゆっくりと進め細やかな装飾を見て回った。


「うろうろしないで」

「わ、分かってるよ……」


 ピシャリとルルシュカに注意を受けたアランは、まるで小さな子供のように叱られる。ふと、静かな客間で誰かに呼ばれた気がした。


(……?)


 ルルシュカ達はオルガンに集中している。

 入ってきたのは自分達だけだ。ここで人が亡くなっているとは聞いていたが、トムの話を聞いていたからか、アランは不思議と恐怖を感じていなかった。


 妙な気配を感じて、「ちょっとだけ……」とアランはそっと客間を抜け出した。


 ホールの奥にあるドアが少し開いている。アランの足は無意識にそこへと向かっていく。床が絨毯だからか、その足取りは静かだった。


 ゆっくりとドアを開けた先は書斎らしい。こじんまりとした空間に、机と椅子、壁際には本棚が並ぶ。机の上は綺麗に整頓されており、何冊かの本とインク、ペンが数本整列し、その反対側には写真立てが置かれていた。


 写真立ての中で微笑む、金髪と、煌めく紅の瞳が特徴的な女性は、魔法士の制服に身を包んでいた。写真の右下には、何か書き込まれている。


「ルー……シャ?」


 写真に書かれているのは名前のようだ。

 確か、絵本で見たルーシャは薄い金の髪に紅い目をしていた。

 おもむろに伸びた手が写真立てに触れた瞬間、冷たい感触がアランの指にある古代魔道具(アンティーク)の指輪から広がり、身体中を何かが突き抜ける。


 視界がねじれ、時間そのものが反転するような感覚。耳鳴りが脳を貫き、全身の感覚が霧に包まれる――このまま、自分がどこかへ消えてしまいそうだ。

 ひどい眩暈に襲われ、アランは吐き気を堪えながら、その場に膝をついた。


(やばい……、早く戻らないと……)


 そう思うのに、頭が割れそうに痛み、体が動かせない。

 アランは床に蹲ると視界が真っ暗になった。


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