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【16】依頼


 にこやかに店へと現れたセオドア。その後ろで、ミアが何度も小さく頭を下げながら、「すみません、すみません」と口の動きだけで謝っている。

 その腕には数枚の書類を抱えていた。


「……こんな朝からお偉い様が来られるなんて。市民は相次ぐ不審死に怯えて暮らしてるっていうのに。魔法士様は余程お暇なんでしょうね」

 

 ルルシュカの機嫌は、見るからに悪かった。

 カウンターに肘をつき、低い声で嫌味を投げつける。

 

「これは手厳しい。その件につきましては、我が隊の精鋭たちが情報収集と捜査に鋭意取り組んでおります故、何卒ご容赦くださいませ。それに、そう怒らないでください」


 セオドアはわざとらしく眉を下げ、悲しげな笑みを浮かべたかと思えば、すぐに調子よく口元を吊り上げる。ころころ変わる表情に、ルルシュカは「……どの口が」と呟き、吐き捨てるように視線をそらした。


「トム殿も、おはようございます」


 だが、トムからもぷいっと顔を逸らされ、今度は泣きそうにセオドアは眉尻を下げた。


(ざまぁみろ)


 トムの塩対応に、ルルシュカは内心でほくそ笑みながら、にっこりと微笑んだ。

 

「今日はスペシャルな依頼をお持ちしました。と、その前に……新人殿にご挨拶を。僕は東部陸軍・魔道第三部隊所属のセオドア。肩書は一応、大佐ってことで、よろしくお願いします。アラン殿」


 声のトーンが次第に低くなり、最後には冷ややかに響く低音に変わっていた。その視線は、笑みとは裏腹に、アランを射抜くように鋭い。

 表面上は丁寧に、胸に手を当てて優雅に一礼したセオドアに、アランは、ルルシュカの視界の端で身を引きながら、小さく応じる。

 

「……ど、どうも」


 アランの返答に、にっこりと微笑んだセオドアは、芝居がかった所作で椅子を引き、腰を下ろす。後ろでは青い顔をしたミアが控えるように両手を前で組み、黙って立っていた。

 

「勝手に座らないでくれる?」

「はっはは。ルー様はどんなお顔でも愛らしいですね。今日はこちらに同行願いたく参りました。我が国の未来の王妃となる方がどうしても、結婚式で《祝音のオルガン》の音色を国民に聞かせたいとの願いでして」


 不機嫌なルルシュカをよそに、セオドアの合図でミアがすっと資料を差し出す。

 カウンターに並べられた資料にさっと目を通したルルシュカは、うんざりしたように白目を剥き、椅子の背もたれに深くもたれかかった。


 資料を覗き込みにカウンターへ来たトムは「あー……」と納得したような表情を見せるが、どこか楽しげに見える。ルルシュカは冷めた目でトムを横目に見た。

 

 差し出された資料に目を通し、ルルシュカは現実逃避するかのように、そっと目を閉じた。

 依頼内容は「西部アステリオンの旧貴族邸から、古代魔道具(アンティーク)の状態確認および持ち出しを行うこと」と記されていた。

 

 表情がすっかり無くなり、まるで能面のようになった顔のルルシュカの視界の端で、アランが一人状況が分かってないのか、視線を右往左往させていた。

 

「今度の王妃候補のご令嬢は、なかなかに悪趣味なことだ。あの人達もよくまあ、……いや、あのご一家なら頷ける話か。……で? これをどうしてわざわざうちに?」


 ひくつく目元をそのままに、ルルシュカは冷めたい声で淡々と言葉を紡いだ。

 ルルシュカの問いに、セオドアはわざとらしく目尻を下げ、少し間を置いてから言葉を紡ぐ。

 

「本来なら屋敷に立ち入る必要などなかったのですが、皆様“あの屋敷に関わると呪われる”と口を揃えてそう仰るものでして……。そこで、冷静に物事を見てくださるルー様の出番、というわけです。ああ、なんと心強いことでしょうか」


 セオドアはまるで舞台役者のように、身振り手振りを交え、頭を抱えて嘆いてみせるなど、わざとらしく忙しなく動き回っていた。

 

 後ろでその様子を見ているミアは、どこか冷めた目で上司を眺めていた。目が合うと、ミアは少しだけ頬を染めて、小さく会釈していた。

 その最中も、セオドアの芝居がかった話は途切れることなく続いている。


「それと、もちろんアラン殿のような一般の方に、ご同行いただくような無粋な真似はいたしません。お気になさらず、どうかごゆっくり」


 セオドアが笑みを浮かべながら、アランに向けて「あなたは無関係だ」とでも言わんばかりの言葉を投げた、その直後。


「……ルル、僕も行かせてほしい。……お願い」


 控えめだけれど、芯のある声だった。

 一瞬、場に静けさが落ちる。ルルシュカは、アランの顔を見た。

 その瞳には、何かを決意してたような、まっすぐな意志が宿っていた。


(そんなに、行きたいのかな……? もしかして、いやそんなわけないか……)

 

 なぜ、彼がそこまでして同行を望むのか――ルルシュカには分からなかったが、問いただす気にはなれなかった。

 今回行くのは旧アシュリー邸だ。

 

(……ここは、アランの生家。記憶は消してあるけど、あまり近づけさせたくないのが本音だ)

 

 言葉をかける前に、今度はトムが口を開く。

 

「じゃあ俺も行けねぇな。アランが駄目なら、俺も駄目だろ」

 

 ピシャリと放たれたトムの言葉に、ルルシュカもセオドアも驚きに目を丸くし、アランはパッと表情を明るくした。まさかトムが味方に付いてくれるなんてと、両手を握り合わせてアランは救世主のトムを崇めている。


(まさかここで、裏切ってくるとは……)

 

 別にトムがいてもいなくても問題はないのだが、ルルシュカとしては仕事を受けるなら一緒に来て欲しい。トムは基本ルルシュカの味方だが、たまにこういう事を平気でしてくる。


(いつもは味方してくれるくせに、こういう時だけ――)


「……トム、本気で言ってる?」

「ああ。俺はアランと一緒に居たいからな」


 そんなわけがあるはずないだろ。

 おそらくだが、セオドアが妙な対抗心からアランを排除しようとしているのが見え見えで、それがどうにも癪に障っただけだ。

 思ってもない発言に、ルルシュカは言葉を詰まらせた。だが、そう言われてしまえば仕方がない。

 

「大佐。…… 残念だけど、私は臆病者でね。トムがいないと、そんな恐ろしい屋敷へは足がすくんで行けないんだ」

「では、僭越ながら私が抱っこして差し上げましょう。それでいかがですか?」


 セクハラ発言にミアが即座に反応する。

 

「大佐、こんな小さな女の子に何言ってるんですか? 良いわけないですよね」

「なぜミア君までそっちの味方につくんだ」


 思わぬ背後からの痛烈な一言にセオドアは味方のはずの部下を振り返るが、ミアの目には明らかな軽蔑の色が浮かんでいた。

 

「ルルシュカさんは私の癒しです。おじさんが抱っこなんかして、汚さないでください」


 少しの間をおいてから、セオドアはわざとらしくため息を吐いた。

 

「もちろん、お断りいただく選択肢もございます。ただその場合、店に対して発行されているいくつかの“特例許可”――それが取り消される可能性は、十分にございます。結果として、ルー様やジャック殿の活動にご不便が出るかもしれません。……あくまで制度上の話ですが。……とはいえ、特例というものは、いつでも“特別”な扱いである以上、恒久的なものではありませんから。ご理解いただけるかと」


 困ったような顔から和やかな笑みへと変わるセオドアのその言葉は挑発だった。


(……本当に腹立たしい。昔の面影はどこに捨てて来たんだ……? そっちがその気なら、こっちだって)


 ルルシュカはカウンターに両肘をつき、組んだ手の上にそっと顎を預ける。わずかに目を伏せ、感情を抑え込むように静かに息を吐いたあと――低く、落ち着いた声で口を開いた。

 

「……そうですか。それならば仕方がない。ジャックには申し訳ないけど、店はたたまないといけないようだ。お客様にもお伝えしないといけないな。我々も忙しくなりますので――どうぞ、これでお引き取りを。停止処分の通達、心よりお待ちしておりますよ。大佐殿」

 

 無表情で告げられた声は、強くハッキリとしていた。強い意志を含むサファイアの瞳に刺されたセオドアは、困ったように、それでいてどこか悲しげに眉根を下げた。

 

「はぁ……。そこまで言われては仕方がありませんね。今回はこちらが折れると致しましょう。アラン殿、くれぐれも足を引っ張るようなことはお控えくださいね」


 にっこり笑ったセオドアは、やはりどこか悲しそうに見えた。

 それがまた、ルルシュカを苛立たせた。



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