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【15】不穏

 

「……どうかしたの?」

「……誰かに虐められたか?」


 ルルシュカとトムは、離れのダイニングでお茶を飲んでいたアランの姿を見つけるなり、思わずそう声をかけた。どこか抜け殻のようなその様子に、トムも眉間に皺を寄せて立ち止まる。

 テーブルに用意されていたカップの中身は、冷め切っていて、まったく減っていない。


「おかえり。僕……そんな変な顔、してる?」


 気のない笑みを浮かべるアランを見て、ルルシュカとトムは目を合わせる。

 何かがあった――彼の周りに漂う空気が、それを静かに物語っていた。


「してるけど……。君がなんでもないって言うなら、これ以上は聞かないけど……」


 アランは手にしたカップを眺めたまま、首を横に振った。


「本当に、なんでもないよ」


 ルルシュカは少しだけ眉をひそめた。

 アランの様子がおかしい。朝まで、「お昼ご飯、一緒にいいの!?」なんて目を輝かせていたのに。

 ふと思い起こされるのは、今朝飛んできた魔道具式の伝書鳩。

 ミアから飛ばされたそれには、「セオドアを見てないか」と書かれていた。

 ということは、店に来た可能性が高い。


(あいつは死ぬほど性格が悪い……。何かれたのか?)


 小さく息を吐き、ルルシュカは小さな子供に話しかけるように優しく声をかけた。


「もしかして……セオドアに会った?」


 アランは少し間をおいて、ゆっくり頷いた。


「……会ったけど、店が休みだって言ったら、帰ってったよ」


 その落ち込みように、セオドアが何を言ったのか――ルルシュカには、なんとなく察しがついた。だが、すぐに帰ったと言われれば、これ以上確かめようがなかった。

 それに、落ち込んでいる理由はセオドアとは限らない。


 あと一週間だ。

 それで終わり。彼がどんなに悩んでも、もうルルシュカが彼に手を差し伸べることはない。

 今まで通りの平穏が戻る。ただ、それだけだ。


「……一応言っておくと、彼は驚く程の性格破綻者だ。平気で嘘もつく。ないとは思うけど、これからもしまた会う事があったら、聞き流すといいよ」


 なんて、誰が言ってるんだか……。

 ルルシュカは内心で苦笑した。

 軍人ならば概ねの人間がそうだろう。任務では必要なことだ。


「……ねえ、ルルってさ」


 言いかけたアランの言葉がつかえ、止まった。


「なに?」


 アランが真剣な眼差しを向ける。

 ルルシュカの心臓が煩く脈打つ。


「……お腹、減ってない?」


 その言葉に、全身の力が抜けた。


「え? 減ってるよ。だって、お昼は一緒に食べようって言ったよね? まさか……お腹減ってないのが気まずかったの?」

「お前……マジかよ」

「ち、違うよ。ちゃんと、お腹空かせて待ってたよ……」


 アランは首をぶんぶん振りながら、必死に否定した。


 ◇◇◇


 イヴは朝から資料室へと足を運んでいた。

 巷では不可解な連続事件が起きており、犯人の目星もついていない状況に、東部陸軍内部は対応に追われている。


 ――過去の事件で類似のものがないか調べるように。


 そう指示を受けたイヴにとってそれは、堂々と資料室に入れるまたとない機会だった。


(あれは……ドロテア中尉の癖に、そっくりだった……)


 過去の事件がファイリングされた棚の前に立ち、指先でファイルの年代を追っていく。そして、目的の年――八年前の事件資料を手に取り中を開く。


 パラパラと中身をめくっていくうちに、探していた内容を見つけイヴの手が止まる。

 そこには、八年前に北部で起きた「軍解体を目的とした暴力事件」の詳細が記されている。その中で、「行方不明の後、遺体発見には至らず一定期間の捜索の末に死亡扱い。少尉から中尉に追贈」と書かれた魔法士の名が目に留まる。


 ――ドロテア・フォーサイス。


 彼女は、イヴが初めて一般任務に就いた際、一ヶ月間指導係を務めた先輩だった。

 赤錆色のショートヘアにヘーゼルの瞳を持つ女性魔法士。才女と呼ばれるだけあって、豊富な知識と的確な指示には無駄がない。それでいて人当たりの良い彼女はイヴにとっての憧れだった。


 ドロテアには自覚のない癖があった。当時、「恋人ができたのでは」という噂のあった彼女は薬指に指輪をしており、無意識にその指輪を何度も触っていた。


『その指輪、彼からですか?』


 興味津々に尋ねたイヴに、ドロテアは頬を染め、嬉しそうに微笑むだけだった。――普段はキリッとしているドロテアが頬を染めた姿は、今でも色濃くイヴの記憶に残っている。


(シスター、……メアリー)


 先日出会ったシスターは、可愛らしい顔立ちをしており、ドロテアとは正反対だ。だが、思い返すと、背格好が似ていた気がしてならなかった。


 メアリーの指にも指輪があり、彼女がそれを触る手つきが似ていた気がした。

 あの瞬間、イヴの中に奇妙な興味が芽生えた。


「魔法士や戦術部隊から転身した可能性は? 彼女の見た目からして……三十前後、かしら。訓練生を卒業してすぐ聖印者の修行に入ったなら、辻褄は合う……?」


 誰もいない資料室で、イヴの独り言だけが静寂に溶けていく。

 湧き上がる疑問はイヴの探究心を刺激する。


 別に彼女が「軍から転身した、ただ先輩に似た癖を持っているシスター」ならそれでいい。

 だが、どうしてもその正体を突き止めたい。イヴはその欲求を抑えられない。

 こんな気持ちになったのは、ルルシュカ以外に初めてだった。


 そのルルシュカの調査は、あっという間に終わってしまった。出自も不明で、魔道具士登録もなし。戸籍まで調べたが、対した成果は挙げられなかった。

 その上、調べていることがセオドアにバレて、またしても彼を激怒させたのは、今でも苦い思い出だ。


 あの様子では、セオドアとルルシュカの関係も気になるが、絶対に教えてはもらえないだろう。


(ルルが貴族の出自ならもっと違ってたかもしれないのに……。記録では孤児ではなかったみたいだし……)


 ふと思い浮かんだのは、フォーサイス家が貴族の中でも珍しく教会に深く根ざし、篤い信仰心で知られる由緒ある伯爵家だということ。


 フォーサイス家にはドロテアの他に、確か兄姉がいたはずだ。教会関係者は修道名を持つことも多く、メアリーが本名である可能性は低い。

 確信には程遠いが、家族を調べてみる価値はありそうだ。


「お姉さんは確か、嫁ぎ先で亡くなったって言ってたっけ……」


 資料を机に置いたイヴは、魔道具の検索機に手を伸ばし、フォーサイス家に関する情報が収められている資料の所在を検索し始めた。


 ◇◇◇


 朝の静けさの中、ルルシュカは配達された新聞を手に店の椅子に腰掛けた。

 机の上には、アランが用意したティーカップから湯気が上がっている。

 予定表を確認すれば、今日も予約はない。

 そして、そこから四日後の日付には、丸がつけられていた。


(あと、四日……か)


 アランの魔力は順調に体に馴染んでいる。

 明日にでも残りの必要分を戻して、また体に馴染ませる。それで体に異常がなけば、晴れて指輪が戻ってくる。計画通りだ。


(明日は珍しく予約が詰まっているな。仕事終わりにでも戻すか)


 先日のアランの様子は気にかかる。けれど、どうすることもできない。

 あれほど「早く帰ってほしい」と思っていたはずなのに、今ではどこか物寂しさを感じている自分がいた。

 それを認めるのが少し癪だった。自分がそんなことを感じる資格がないことくらい承知している。

 けれどふと思い出すのは、以前に読んだ文庫の一節。


 ――懐いた動物(友人)との別れは寂しい。


(なるほど、これか……)


 妙に合点がいってしまうことが、また面白くもあり悔しくもある。

 なんだかそれが馬鹿らしくなって、ため息まじりに新聞を広げ、紅茶に口をつけた。


 そこへ飛び込んできた一面の大見出しが、サファイアの瞳を捉える。


 ――相次ぐ不審死体、これで三人目。遺体には目立った外傷がなく、死因も不明。

 記事に目を通すうち、ルルシュカは被害者の特徴に、どこか既視感を覚える。


(……まるで、死の魔法で殺されたみたいだ)


 被害者同士に面識もつながりもない。

 無差別犯行と見られ、殺害方法も今のところ不明。

 似たような事件は、過去にもあった。


 何年か前、顔を潰された変死体が数体見つかり、結局犯人は捕まらなかった。

 未解決のまま、闇に葬られた――あの時と同じ匂いがする。


「アランも外出時は気をつけなよ」


 ちょうど店に来たアランに声をかける。


「急に? どうしたの?」


 新聞を手渡して記事を見せると、アランは目を通して一言、「……へぇ」と気のない相槌を打ち、すぐに新聞を返してきた。


「ルルも、心配してくれるんだね……嬉しいな」


 ぽつりと呟いたアランの声は、疑われているような重みがあって、思いのほか胸に響いた。


「……そりゃあ、まあ……」


 軽く返したつもりだった。けれど、自分でもわかる。声が少しだけ引っかかっていた。つい最近までアランには素っ気なくしていた。線を引くように、どこかで距離を置いていたのも事実だ。


(確かに、そこから急に心配されたら、そうなるか……)


 ――この何気ないやりとりが、かえって胸に引っかかった。

 いつも通りの店内。会話も自然。けれど、何かが違う。


 アランを見ると、胸の奥にざらつくような違和感が残った。

 言葉にできないそれは、考えようとするとすぐに霧散してしまう。


(……答えが出ても、すぐに割り切れるわけじゃない)


 過去にもあった。

 何度、何十回、何百回と頭の中で別れを繰り返しても、なお引きずった別れ。

 それは、時間をかけて薄れていくだけで、慣れたことなど一度もなかった。


 なのに――


(……慣れてるつもりだったんだけどな)


 皮肉に笑って紅茶をもうひと口、飲む。


「ルルシュカさーん」


 不意に名前を呼ばれ、ルルシュカはカウンター越しにドアのほうへ視線を向けた。この声はミアだ。

「どうぞ」と声をかけると、ドアが軋んだ音を立ててゆっくりと開く。顔を覗かせたのは、予想通りミアだった。


「おはようございます。お寛ぎのところすみません……。その……」


 もじもじと歯切れの悪い様子。理由は明白だった。

 ミアの背後から現れた男――セオドアのせいだろう。

 彼女はセオドアとルルシュカがいがみ合っている仲だと知っている。

 ドアが開くと、まるでミアを押しのけるようにセオドアが入ってきた。


「ルー様。おはようございます。お願いしたいことがありまして、直接来てしまいました」


 甘ったるい笑顔と丁寧すぎる口調。礼儀正しく礼をする姿が腹立たしい。

 目元がぴくりと引きつるのを、自分でもどうにもできなかった。


 ちらとアランの様子をうかがえば、彼は驚いたような表情でセオドアを見たのち、視線をこちらへと移した。……が、そのまま固まったように、ルルシュカを見つめていた。

 目が合っても、瞬きもせずに。

 セオドアが入ってきたことに驚くのは分かる。けれど――なぜ、そのままこちらを見るのか。


(え?……どういう反応?)


 ルルシュカはアランの反応が分からず、小さく首を傾げていた。

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