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【13】実践練習


 扉を開けると、鉄と油の匂いがふわりと鼻をくすぐった。

 受付の奥に広がるのは、まさに“工房”と呼ぶにふさわしい場所だった。壁の棚には無造作に工具や素材が並び、修理待ちの魔道具が積み重なっている。中央に据えられた大きな作業台は、この空間の主のようにどっしりと存在感を放っている。

 

「ルル!? ……と、アランまで。どうしたのさ?」


 作業台に座り魔道具を修理していたジャックが、驚いた顔でこちらを見た。

 

「ジャック。丁度よかった。クズ石もらうよ」

 

 そう告げるルルシュカの横で、トムがひょいと作業台に飛び乗った。邪魔にならない場所をちゃっかり選ぶのは、いつもの彼らしいところだ。

 

「あ、トムも来たんだぁ。クズ石ならそっちの隅にあるけど、……何するのさ?」


 ジャックが作業を止めて指差したのは、小ぶりな荷箱がいくつか積まれた一角だった。

 

「魔力操作の実践練習だよ」

「ふーん?」


 ジャックの興味のなさそうな声を背に受け、ルルシュカは荷箱からいくつかの魔晶石を取り出し、作業台に並べた。胡桃ほどの大きさから小石くらいまで、三種類の青い魔晶石がキラキラと光を反射している。

 トムは大きなあくびをしながらちょこんと座っており、そこに、ジャックが彼をなでようと手を伸ばす。

 

「お? やんのか」と素早い猫パンチが飛び、軽やかに避けるジャック。いつも通りの息の合った小競り合いが始まった。

 

 訓練の目的は、魔晶石に“ちょうどよく”魔力を注ぎ込むこと。

必要な分だけを感覚で覚えるための、実践だ。

 試しに一つの魔晶石に魔力を流し込むと、透明だった石が深いサファイア色に変わった。

 

「……綺麗。ルルの瞳みたいだ……」


 アランの呟きに反応して、トムとジャックが息を合わせて吹き出し、ケラケラと笑い出した。

 ルルシュカは苦笑をこらえ、すぐに説明を続ける。


「これが適切な状態。足りなければ、光は鈍い。入れすぎると――」

 

 手にした魔晶石がビキッと音を立て、ひび割れた。

 

「――こうなる」

「われた……」

「最悪、爆発するから気をつけてね」

 

 石を交換し、魔力計測器や放流装置を取り出しながら説明を淡々と続ける。その間も、ルルシュカの視線はアランから外れない。

 道具には目を向けているけれど、どこか浮かない顔だ。表情の奥に、焦りとも不安ともつかない色が滲んでいる。

 

(どうしたんだろ? もしかして訓練、やりすぎだったとか……?)

 

 けれど、この経験が彼の未来にきっと繋がると、ルルシュカは信じていた。

 

「――と言う事で、キミはこの三種類の適量を感覚で覚える。入れたらこれで抜いて、また入れる。質問は?」

「今のところ、大丈夫そう」

「そ、なら早速練習して」


 ルルシュカは自分の魔力が入った魔晶石から、魔力を丁寧に抜いていった。

 

「あ……やっぱり質問。僕の貰った魔力は、使い切ったらどうなるの?」

「ただ魔晶石に魔力が入らなくなるだけだよ。時間をかけて徐々に戻るから大丈夫。だから、反応がなくなったら今日の練習は終わり」

「そうなんだ。……よし!」


 ルルシュカが工房のドアに手を掛けた瞬間、背後からアランの声がかかった。

 

「ルルはどこいくの?」

 

 背中越しに届いた声に振り返り、答える。

 

「せっかくだし、ここで仕事でもしようかと思って。修理品、取りに行こうかと」

 

 その言葉に、アランの顔がふわりと緩んだ。

 

「そっか」

 

 その短い返事には、安心と、少しだけ大人びた色が混じっていた。

 そうして預かっていた修理品を抱えて工房に戻ると、ジャックの声が耳に飛び込んできた。

 

「ルルー。アランが僕たちの運命的な出会いを知りたいんだってぇ!」

 

 ジャックはわざとらしく手を顔の横で組み、くねくねと振りながらこちらを見る。

 空いた作業台の上に修理品を置き、ため息混じりに答える。

 

「ジャックとの? ……ジャックとは魔道具市場で出会ったんだよ」

「ちょっとー! なんでルルが話しちゃうのさ!」

 

 ジャックの抗議をよそに、トムがニヤニヤ笑いながら便乗してきた。

 

「ガラクタ掴まされてたよな」

 

 ルルシュカはくすっと笑いながら飴を摘み、修理品に魔力を注ぐ。

 整備用の魔法陣がぽわっと目の前に展開された。

 

「ジャックも魔道具の転売目的で来てたんだよね」

「……転売って?」

「魔道具ってさぁ――」

 

 やいやい話し合うジャックとアランの声を聞きながら、ルルシュカは手を動かす。

 

(懐かしいな……)


 思い出すのは、市場で声をかけてきた、オレンジ色の髪が印象的な若い男性の姿。

 

 ――ルルシュカっていうの? ねぇ、僕と一緒に仕事してよ! そんでさ、その技術を僕にも教えてくれない? 君の素性はよくわかんないけど、僕が全力で君を守るからさぁ! ねぇ、それでどーお?

 

 そう言って、本当にジャックはルルシュカの事を深く聞く事もなく、子ども姿のルルシュカから、素直に技術を学んだ。

 

 それが、「魔道具を作りたい」とトムにせがんだ時の自身の姿と重なって、結局そのまま、どこか憎めない彼と手を組んだのだった。


 ふと、ルルシュカの視線が、アランの手元にある指輪を捉え、すぐに手元の魔法陣へと戻った。

 

(あの時、伝えられない気持ちの代わりに、あの指輪に全部詰め込もうとしたんだっけ……)

 

 それは、従軍時代にトムと出会ってしばらく経った時――


『知り合いに、魔力が漏れ出ちゃう子がいるの。漏れる魔力を溜めたり循環させられて、自由に使える魔道具ってトムの技術で作れないの?』

『はぁ? 俺だぞ。んなもん作れるに決まってんだろ』


 深夜。軍で与えられていた個室で、その問いに答えるトムは、ランプに照らされた彼女の頬が僅かに紅潮しているのに気がついた。

 どうやら贈る相⼿は、最近できたお気に⼊りの男のらしい。最近頻繁に⼿紙のやり取りが始まったのを、トムも知っていた。

 

 魔⼒漏れは体に魔⼒を溜められず、常に⽋乏した状態になる。私⽣活もまともに送れず、さぞ不⾃由な⼈⽣だろう。それはこの国の⽣まれではないトムでも容易に想像できた。


『けど、その代わり、お前は俺に何してくれんだよ?』


 そう意地悪く笑う猫に、少し考える素振りを見せると、最近トムが陸軍カレーにご執心なのを思い出した。

 

『……陸軍カレーご馳走するのは?』

『……全種類制覇すっからな』


 そうして成立した取引。古代魔道具の基礎理論をトムから学び、形を決め、性能の設計を行った。


『トム、この効果を出すのに、ここの理論ってあってる?』

『ちげーよ。ここはだな……』


 猫の手で爪先にインクを付け、器用に魔法陣の命令式を紙に書き出していくトムの姿に自然と眉間にしわが寄った。


『ねぇ、それ書きにくくないの?』

『慣れれば大したことねぇな』

『ふーん』

 

 その後、トムに確認と修正をして貰い《セントリオの指輪》を二つ作り上げた。サイズの違う指輪は対のリングになっている。

 綺麗にラッピングして向かったのは、もうすぐ誕生日を迎える、本邸から離れた場所にある、ジョシュアの住む別邸。


 この国の技術では、「魔力を溜めて使う」という一見単純な魔道具の技術は存在しなかった。

 長年ベッドに縛り付けられていた事から解放されたジョシュアは、「信じられないよ、夢みたいだ」と嬉しそうに紫の瞳を細めて笑った。

 今もなお鮮明に思い出せるその笑顔は、あの最後の夜でさえ変わらなかった。

 

(けど、……どうして、あの夜も、ジョシュはあんなに嬉しそうだったんだろ……? もしかして……指輪をあの子に送ったのって……。まさか、そんな訳ないか)


 アランの指で、今なお輝きを失わないその指輪は、ルルシュカにとって、初めてトムに教わって作った古代魔道具であり、最愛の人の形見でもあった。

 ふと、ジョシュアの紫の瞳を思い浮かべたその瞬間、アランと目が合った。

 

「ルル。……もう魔力なくなっちゃった」

「なら、今日の訓練はおしまい。少し早いけど、上がっていいよ」

「ねぇルルー! ならさぁ、また皆でご飯食べようよー」


 “またか……”と思ったが、今日はそれも悪くない気がした。

 

(あの子も今日はよく頑張ったしね……)

 

 そう思いながら、ルルシュカは静かに問いかける。

 

「だってさ、なにか作れる?」

 

 それに嬉しそうに笑ったアランは、「買い物に行ってくるね」と工房を出ていった。

 ルルシュカはその背中を見送り、修理の手を再び動かした。


 *

 

 天気も気温もちょうど良いからと、中庭に出されたダイニングセットを囲む三人と一匹。いつもは仕事が終わると飲みに出かけるジャックの発案で、今夜はこの場所になった。

 

 星が瞬き始めた夜空の下、ランタンの灯りが柔らかく揺れる。

 アランが手際よく並べた食卓には、つまみやすい料理がずらり。ジャックの好みに合わせて用意したようだった。

 

「ジャック、今日は飲みに行かなくていいの?」

「僕だってルルとご飯が食べたいの!」

「行きつけの飲み屋がしばらく休みなだけだろ」

「なんでトムがそんな事知ってるのさ!?」


 ワイワイとにぎやかなやりとり。ジャックとトムの掛け合いは、ルルシュカにとっては日常そのものだった。そして、それがルルシュカに飛び火して、ジャックがうんざりされるまでが、いつもの流れ。

 アランが炭酸水のグラスを手に、その様子を穏やかに眺めているのが見えた。

 その視線を感じたのか、顔を向けたアランと目が合う。


「ルル? どうしたの? ……何か取ろうか?」


 すっかり聞き慣れてしまった、このゆったりとした、独特の間のある話し方。

 いつもどこか不安そうな紫の瞳は、今もどこか暗い影が落ちている。

 

「ううん、要らないよ」


 それにアランは、気まずさに少しだけ言葉を探すように視線を落とし、それから顔を上げて——へにゃっと笑った。


「僕、ここで働けて、本当に嬉しいんだ。……期限付きだし、指輪がきっかけだったけど……。でも、雇ってくれてありがとう」


 その声ににじむ微かな諦めに、胸が少しだけ痛んだ。

 いまだ頭の奥では、名前のない感情が渦を巻き、出番を待つように静かに揺れている。


(本当に似てないな……)


 思い出すのは、あの人の笑顔。口の端だけで微かに笑うような、品のある表情。貴族らしい威圧と気品を併せ持ち、すべてを見透かすような目をしていた。

 けれどアランは——喜怒哀楽がすぐ顔に出て、言動もどこか子どもっぽい。


 だからこそ、今はもうわかる。

 この子は、彼とは違うし、殺されるはずだった、幼い子どもでもないことを。

 そう思えたことで、少しだけ心は軽くなって、同時にまたひとつ、重たくなるものが増えた気がした。

 

 今もまだ、アランにどう接するのが“正解”なのかはわからないけれど。

 あともう少しで、お別れだ。

 

 だったらせめて、それまでの間だけでも——

 

 あの子が初日に誰かから聞いたという、ぶっきらぼうだけど、面倒見のいい、優しい人。そんな役を、少しだけ演じてみてもいいのかもしれないと思った。


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