【11】違和感
出た先は、虎天堂の店の通りにほど近い、薄暗い裏路地だった。
夕暮れの橙が斜めに差し込み、石畳にふたりの影が長く伸びる。
イヴは掴んでいたアランの腕をそっと離した。少し強引だったかもしれない――けれど、この謎めいた少年と話せるチャンスが来たのだ。なら、よしとする。
「ここからだと歩いて五分くらいよ。行きましょ」
「案外近いんだ……」
アランが少し遅れて隣に並ぶ。歩き出したイヴのヒールが、コツコツと硬い音を立て、静まり返った路地に乾いた音を響かせた。
ふと、口を開こうとした。そのとき――
「ねぇ、イヴってさ……魔法士、だよね?」
先にアランが話しかけてきた。
「そうよ。何が言いたいのか、当ててあげる。――『あの店は、軍人の個人依頼は受けてない』でしょ?」
「ちゃんと知ってるんだ」
「もちろんよ。だから、店への出入りはあの裏口からしてるの」
そして少し躊躇してから、言葉を続けた。
「それと、……あの……さっきは、取り乱して嫌な態度だった。悪かった……ごめんね」
思い出すだけで、顔が熱くなる。どうにも冷静さを欠くと、すぐ態度に出てしまう悪い癖だ。
けれど、アランはふっと息を吐き、「いいよ」と柔らかく笑った。それに思わず、イヴは目を丸くした。
思っていたより、ずっと柔らかな表情をする子だ。どこか無愛想な子だと、勝手に決めつけていたのかもしれない。
「ルルのことが好きなの? それとも、あの店に出入りしたいって思う、何かがあるの?」
「どっちもよ。だって、あんな子見たことないもの」
答える自分の声が、少し熱を帯びているのを自覚する。
――あの店を初めて知ったのは、入隊してから二年が経った頃。
大佐のセオドアが、ミアからの定期報告を受け取っている場面を見た。
普段は無表情な彼が、その報告書を手にした途端、少しだけ口元を緩めていたのを、イヴは見逃さなかった。
不思議だった。あの人が、魔道具店の報告書を見て笑うなんて。
調べてみると、ミアの前任はセオドアだった。今と同じ大佐の地位にあったはずなのに、なぜわざわざ……。興味を持ったのは、そこからだった。
ちょうどその頃、祖父の古代魔道具が不調になり、チャンスだと思い、上官のミアの名を借りて店を訪ねた。案内された先に現れたルルシュカを見て、ようやく理解した。なぜセオドアが担当だったのか、なぜ今もミアが外れないのか――その理由が。
そしてなにより、彼女の魔道具の調整も説明も、まるで熟練の職人のような手際で、文句のつけようがなかった。
試しに、魔弾銃も見てもらえないかと聞いたら、ほんの一瞬だけ、露骨に顔をしかめた。
そこまで露骨にされるとは思わず、正直、少しムッとしたのを覚えている。
『うちは軍人お断りでね』――そう言った彼女の言葉も。
案の定、翌日にはセオドアに呼び出され、根掘り葉掘り問い詰められた上、しっかり説教まで食らった。
思い出しても、正直、あれは少し理不尽だと思ったが、あの店が“軍人の個人客お断り”だったのは確かで……。結局、確認不足だったのはイヴのほうだった。
だがその後も、イヴは休日になればルルシュカの店を訪れ、ようやく「……裏口からなら」と許可を貰え今に至る。
「……ルルって一体何者なの?」
イヴは少し視線を落としながら、苦笑いを浮かべた。
「私もよくは知らないの」
本当はずっと知りたくてたまらないのに――その核心は、いまだ掴めないままだ。
ジャックの店の担当を切望していた理由が、それだったが、ミアが外れる様子はない。
整備の依頼の面もあるが、イヴはルルシュカの秘密を知りたくて通っている。
何年経っても、まるで時が止まったかのように、彼女はずっと少女のままなのだ。
「軍内部にも整備専門の魔道具士はいるんだけど、ルルほど繊細な整備をする人を見た事がないわ。小さな魔力の歪みまで拾って、触れるように直していくの。
……まるで、魔道具と話でもしているみたいに。以前は軍にもそういう人が居たみたいだけど」
あの三英傑の魔道具も整備していたと言われる整備士は、イヴが入隊する前に、すでに隠居暮らしをしていると聞いた。
「軍内にも腕の立つ整備士はいるけど……私との相性が合わなくて、頼みづらいのよね。それも、ルルの店に通う理由の一つよ」
「へぇ……。やっぱり、すごい子なんだ」
「アランはいつからあの店に?」
「僕は……二週間前くらいから」
「本当に最近なのね」
――アランは見習いなの?
その言葉をイヴは飲み込んだ。魔力の量までは分からないが、魔力の有無は誰でも見ればわかる。
イヴは、アランに魔力がないことに気がついていたが、今日会ったばかりだ。それを軽々しく口には出来なかった。
「うん。……イヴはどうして魔法士を選んだの?」
「たまたま魔力が多くて、魔法士の仕事がとてもカッコよく見えたからよ。ふふ……我ながら単純よね」
イヴは笑って肩をすくめた。
正義感の強かった彼女は、持て余すほどの魔力を「誰かのために使える職業」として、自然と魔法士を志した。
魔法士の主な仕事は、魔道具の流通管理、違法品の取り締まり、そして魔道具士による犯罪の抑止。
戦争に駆り出されることもあるが、平時にはその任務は発生せず、代わりに訓練が主な日課となる。
違法魔道具を使うと、重大な事故を起こす可能性がある。魔道具が生活の基盤となるこの国で、魔法士の仕事は国民の生活を守ることに直結する。それを守れることは、イヴにとって誇りだった。
「魔法士の仕事が好きなんだね」
「大袈裟だけど、天職だと思ってる」
アランは店に入ったばかりで、なぜか魔力もない。結局ルルシュカのことも聞けず、他愛もない話をしていると、虎天堂が見えてきた。
「お店、あそこよ」
指さした先には、「虎天堂」の店名と、その横に愛嬌のある虎のキャラクターが描かれた、淡い黄色の看板があった。
虎天堂の看板を、アランはじっと見つめていた。
少しだけ緊張しているようにも見えるその横顔が、どこか子供のようで――
その様子があまりにも微笑ましくて、イヴはそっと頬を緩めた。
「じゃあ、お使い頑張ってね」
「ありがとう。あのさ、イヴは甘いもの、嫌い?」
「え? 好きだけど?」
「なら、ご馳走させてよ。ここまで付き合って貰ってたし」
ーーなら、お言葉に甘えて。
イヴのその言葉は、背後から突然かけられた声によって遮られた。
「もしかして、アラン?」
「っ――、シスター?!」
「!?」
二人の背後には深い藍色の修道衣を纏ったシスターが立っていた。
「こんにちは。シスター・メアリー。まさかこんなところで会うなんて……。シスターも買い物に?」
「教会の仕事で来たの。それにしても、すごい偶然ですね」
メアリーと呼ばれたシスターは、にっこりとアランに微笑みかけているが、アランは笑顔を貼り付けたように口の端を僅かに上げただけだった。
隣にいるイヴに気がついたメアリーが、ニコリと笑い「お友達?」とアランに確認する。
「あ、えっと、友達のイヴ。イヴ、この方は僕が育った養護院のシスターで、メアリーさん」
急に振られた「友達」という紹介。それにアランの声の調子と一瞬泳いだ視線。
イヴは余計なことは言わず、柔らかな笑みを浮かべてメアリーに挨拶をした。メアリーも同じように応え、「アランにこんな素敵なお友達がいたなんて」と嬉しそうに笑う。
形式的な会話が続く中、自然とアランの近況の話題になり、イヴは二人から少し距離を取った。
(この人……、気配も、足音も、まったくしなかった……)
普段から周囲の音や人の動きに敏感に反応するよう訓練されているイヴだが、背後から近づいてきたメアリーの気配には気がつけなかった。
教会のシスターに、そんなことが本当に可能なのだろうか。ジワジワとイヴの中に警戒心が湧き上がっていく。
メアリーは、青い瞳に少し丸みを帯びた輪郭と澄んだ青い瞳――まるで絵画の中から抜け出したような、優しげで可憐な顔立ちだった。
深い藍色のローブを纏った彼女の胸元には、小さくも精巧な聖痕の印章が縫い込まれていた。
右手には「祝福の指輪」がはめられ、間違いなく彼女は「聖印者」だ。
聖印者は女神様に祈りを捧げたり、人々に祝福や加護を与えるのが役割とされ、主な仕事は教会で怪我人や病人を相手に治癒を施している。
軍とも協力的な関係を築いており、イヴも訓練生の時には何度もお世話になっていたが、彼女を見るのは初めてだった。
東部の教会の所属ではないのだろうか?
どうにもメアリーが気になるが、単に魔法士や戦術部隊から転身した可能性も考えられる。
不自然にならないよう二人のやりとりを眺めていたイヴは、ふとした彼女の仕草に既視感を覚えた。
(あの癖……)
頭に思い浮かぶのは、イヴが入隊してしばらくした頃、派遣された先の事件で行方不明となった上官の姿。
結局今も彼女は見つかっておらず、消息不明の末に死亡扱いとなっていた。
(……まさか、ね)
「では、私は失礼しますね」
「うん。さようなら、シスター」
その言葉に、イヴは意識を二人の会話へ戻す。
話は終わったらしい。少し離れた場所から、イヴへも丁寧に会釈をしたメアリーは、踵を返してどこかへ歩いていく。
去っていくその背中を、無意識のうちに目で追っていた。
違和感は拭えないまま、胸の奥がざわついている。
「早くプリン買いに行こう」
「え? アラン?」
アランはその場から逃げるように、イヴの腕を引いた。バランスを崩しそうになりながら、イヴはアランに引っ張られていく。
先ほどのアランの様子からしても、あのシスターとの関係になにかありそうだが……。
顔色の悪さをごまかすように、無理に明るく振る舞うアランに、イヴはそれ以上何も聞けなかった。