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【10】訪問者


 魔力放出練習をしていると、途中からトムが声をかけてくるようになった。

 けれどそれは、どれもアランを煽るような言葉ばかり。

 

 やめてほしいと眉尻を下げて頼んでも、からかいは止まらない。

 心が乱れるたびに魔力も揺れて、ウサギのぬいぐるみが鳴き叫び、アランは思わず肩をすくめた。


 あの耳障りな音は、まるで自分の未熟さをあざ笑っているようだった。


 以前ルルシュカが、「魔力と感情は密接に結びついている」と話していた。今になって、その意味がようやくわかってきた。

 もしかするとトムは、魔力と感情の結びつきを体で覚えさせるために、わざと煽っていたのかもしれない――そう思えなくもなかった。


 けれど、本当にこんな訓練じみたことを、養護院でもやっていたのだろうか。その疑念は、どうしても拭えなかった。


 それに、あんな悲鳴を上げるぬいぐるみが、本当にロングセラーだというのも信じがたい。

 さすがに、ルルシュカの言葉も、どこまで本当なのか疑わしく思えてきた。考えれば考えるほど、すべてが真実だったとは思えなくなってくる。

 

 けれど、仮にあの笑顔に嘘が混じっていたとしても、不思議と腹は立たなかった。

 ぬいぐるみを手渡されたとき、あまりの間抜け顔に思わず声を漏らしてしまったけれど、ルルシュカは()()()()と言っていた。


 仕事中の凛々しさとは違い、日常の彼女はどこか子どもっぽくて、生活もだらしない。構ってあげたくなるような隙もある。


 少しずつ知っていくほどに、彼女のことをもっと知りたくなる。だが、彼女はそれを望んでいない。


 関係はまだ距離がある。けれど頑張った甲斐もあって、朝と昼は一緒に食事をとるようになった。

 ただ、会話は少なく、夜になるといつもトランクを持って、トムとどこかへ出かけてしまう。


 それに、ふとした瞬間、こちらを探るような視線を感じることもある。伯爵家での一件が尾を引いているのだろう。


 何度もトムに邪魔されたが、過ごす時間が増えるにつれて、少しずつ仲良くなっていった気もする。

 ……仲良くはなったけれど、まだ彼を撫でるのは、遠い夢のように思えた。

 

 自分はあくまで部外者だ。

 指輪を盾に居座っているだけの仮の居候。試用期間が終われば、出ていくしかない。

 この練習だって、彼女にとっては指輪のためであって、アランのためではない。


(どうして僕には魔力がなくて……。トムやジャックじゃないんだろ……)


 揺れ動く気持ちの中……気づけば、もう半月が過ぎていた。あと数週間もすれば、ここを出ていかなければならない。焦りが胸を締めつけるが、焦ったところで状況が変わるわけでもない。

 

(……まだできることはきっとある。まずは落ち着いて、呼吸だって――トムも言ってた)

 

 そう心の中で唱えると、アランは思わず小さく笑う。早速トムの訓練が役立っていた。

 

 トムから妙なアドバイスをもらいながら、何とか耐え抜き、ようやく魔力放出の“合格”のサインをトムが出してくれた。


 誇らしげにルルシュカの方へ視線を向けると――そこには、魂の抜けたような顔で、黙々と魔道具と向き合う彼女の姿があった。

 

 先日持ち込まれた魔道具は、すべて不具合のある要修理品らしい。プログラムされた命令式のバグを見つけて修正するという。聞いただけでも気の遠くなる作業を、夜遅くまで続けているようだ。


 彼女と魔道具の間には、複雑な魔法陣がいくつも展開されている。

 口の中で飴を転がしながら、壊れたラジオのように「ジャック殺す……」と呪詛を繰り返していた。


「トム……」


 怯えるアランは、カウンターに寝転がる頼りになる猫へ助けを求めるように視線を向けた。

 

「ほっとけ。もうしばらくしたら学校が始まるだろ。この時期はいつもこうだ。持ち込むのを忘れてたジャックのせいだけどな」


 学校に通ったことのないアランは、魔道具が当たり前に学校でも使われていると知り驚いた。

 魔道具に埋もれ、半死のようなルルシュカの姿を見て、アランの胸がちくりと痛む。

 

(なにか、手伝えればいいのに……)

 

 部屋に満ちているのはルルシュカの呪詛だけ。

 重苦しい空気の中、軽快なノック音が三回、裏口から響いて部屋へ転がり込んできた。


 ベルがリンと鳴ったが、疲れ切ったルルシュカは作業に集中したままだった。

 アランとトムだけがドアの方を見つめていると、ドアが勢いよく開いた。


「えーーーー! 知らない子がいる!」

 

 飛び込んできたのは、明るい声を響かせる一人の女性だった。その目がカウンターのアランを捉えると、すかさず指を差し、そう叫んだ。


「……誰?」

 

 白シャツに太めのパンツ。淡い栗色の髪を高い位置でまとめた、小柄な女性が裏口から入ってきた。


「イヴだ……。煩せぇやつが来た」


 トムが小声で名前を呟く。

 アランは店に来た当初に聞いたことを思い出した。


(軍の人だから、裏口……)


 トムがスッとその場を離れ、窓際のソファへと移動し、入れ替わるようにイヴはカウンターへ駆け寄ってくる。

 そのまま、イヴはルルシュカの華奢な肩をがっちり掴み、前後に激しく揺さぶった。


「ルル! なんで!? ねぇ、なんで……。なんでなのぉおお!?」


 泣き叫ぶ声に対し、ルルシュカは顔も上げず、魔法陣を書き換える手を止めない。

 もう片方の手でイヴの頭に鋭いチョップをお見舞いし、鈍い音がして彼女の動きがぴたりと止まる。

 

(……すっごい痛そう)

 

 思わず自分の頭を押さえる。あのチョップはただの突っ込みじゃない。


 カウンターに崩れ落ちたイヴはしばらくぴくりとも動かないでる。

 ルルシュカは何事もなかったかのように淡々と作業を続けていた。


(……すごい。どういう関係なんだろ……?)

 

「……生きてる?」


 アランが恐る恐る声をかけると、数秒後にイヴはむくりと顔を上げ、ゆっくりと起き上がった。

 服を整え、椅子に腰を下ろし長い脚を組んでふんぞり返っている。

 

「なんでこの店にいるのか、ちゃんと説明してよね」


 ルルシュカには見切りをつけたのか、標的をアランに切り替えたイヴ。その偉そうな態度に、アランは眉をひそめる。

 

(この人……なんでこんなに偉そうなんだろ)

 

 アランは迷ったものの、どうせ何を言ってもイヴには通じない気がした。

 

「……言いたくない」

「なっ!?」


 その一言に、イヴは目を見開いた。予想外の返答だったのだろう。

 

「イヴ。この子は魔法士じゃないし、ここにはもうミアがいる」


 その声と同時に、カウンターに銃のホルスターが静かに置かれた。

 立っていたのは、どこかぼんやりとした目をしたルルシュカだった。顔色はやや悪く、髪も少し乱れている。


「それは……。ミア中尉がいなければ、セオドア大佐は絶対――」

 

 イヴの声は震えていたが、その奥にはわずかな誇りと、自分の力量を信じたいという意志がにじんでいた。


 彼女は拳をぎゅっと握り、俯いたまま、言葉を飲み込んでいる。

 ルルシュカは軽くあくびをかみ殺しながら、よろよろと歩き書類とペンを手にすると、イヴへと差し出した。


「あっそ。修理と調整は終わってるから。確認したら受け取り書にサインして。それにしてもイヴ、魔弾銃を鈍器代わりに誰かを殴ったの?」


 図星だったのか、イヴは口をつぐむ。

 アランがちらりと書類を覗き込むと、そこには「ハンマーの背や側面に小さな凹み、打痕あり」「撃鉄のバネに歪みあり」と、はっきり記されていた。

 

(本当に、殴ったのかな……)

 

 イヴは無言で魔弾銃を手に取り、真剣な顔つきで整備項目を一つひとつ確認していく。

 その手つきは慣れていて、無駄がなかった。


 ふと視線を感じた先に、じっとアランを見つめるルルシュカがいた。

 

(え……なんか怒ってる? でも、なにに?)

 

 戸惑いながら身を強ばらせていると、彼女がぽつりと呟く。


「……プリンが食べたい。虎天堂のカスタードプリン。クラシックのやつ」

「……え?」

 

 一瞬、頭が真っ白になった。


(……くらっしっく? とら……? どこの国の言葉だろ)

 

 飛び出した知らない単語の連続に、まるでなにかの呪文でも聞かされたかのようだった。


 彼女は小さながま口財布を取り出して、無言でアランに差し出す。アランはぎこちない手つきでそれを受け取った。

 これはつまり――

 

(……プリン、買ってこいって、ことだよね?)

 

 イヴは整備に問題がないことを確認すると、銃を鞄にしまい、書面にサインを書き入れ、ルルシュカに返却する。

 

「ありがとう、ルル。またよろしくね! ねぇ、私はイヴ。あなた名前は? 虎天堂は私の住んでる地区にあるの。案内してあげるから、一緒に行きましょ」


 突然のその誘いに少し気が引けたが、イヴはアランがカウンターから出てくるのを待っているようだった。

 ルルシュカはどこかぼんやりしているし、トムは我関せずといった様子だ。


 アランは小さく息を吐き、観念したように肩を落とした。

 

「……アラン。宜しくね」

 

 重い足取りでカウンターを出た瞬間、トムが「俺は滑らかタイプな」とぽそりと呟いた。

 彼の前を通り過ぎた瞬間に聞こえたその一言は、あまりにも小さく、アランは聞き逃しかけた。


 ――どうやら、イヴの前ではトムは喋らないらしい。


 それが、なぜかとても特別なことのように思えて、アランの口元がふっと緩んだ。

 それに、ただのお使いでも、ルルシュカの役に立てるのは素直に嬉しかった。……イヴと一緒なのは少し気が重いが。


「じゃあね、イヴ」


 別れの言葉を告げるルルシュカと、プリンの好みを主張するトム。そんなふたりを背に、「じゃあ行きましょ」と、アランはイヴに腕をぐいと引かれる。

 

 そのまま引っ張られるようにして、アランは店の外へ連れ出されていった。

 

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