終学旅行
今日から私たちは修学旅行に向かう。
行き先はミテロホリ・グラマンパ星。地球第三衛星地帯の中にある、人工衛星だ。
グラマンパ星には人類星間学習センターがあり、今まで刊行された全ての印刷物のレプリカが保管されているほか、太陽系の中でも最も美しいとされる天文台がある。
長い学生生活の終わり。あと3日ほど宇宙鉄道に揺られて、私達卒業生一行は、グラマンパ星にたどり着く。
宇宙鉄道は広くて、その中でも特等席を学校が手配してくれた。
私は時間が流れるのを忘れるように、車窓から星々を眺めていた。眺めながら、うっすらと窓に映る自分が、うっとりしているのに気づいて、なんだか恥ずかしくなった。こんな表情するの、いつ以来だろう。
それに比べて、隣のミホさんなんかは、いくつになっても花より団子と言うか、宇宙駅弁を美味しそうに食べていた。健啖家である。隣にいるだけで皆を元気にさせるような人だから、私は彼女と隣の席になれて、嬉しかった。あんまり照れくさいから、直接は言えてないのだけどね。
「アカリさん。このお弁当、とっても美味しいわよ。トクラマ星産のお米って私、初めて食べたけど、こんなに美味しいのね。やっぱり、農業専用の星じゃ土と水から違うものね」
ミホさんは無邪気に、私がまだ手を付けていなかったお弁当にも指さして、オススメしてくる。私はすっかり食欲を忘れかけていたのだけれど、ミホさんの姿を見ていたら思い出してきたわ。そろそろ私も頂こうかしら。
「そうねえ。なんてたって、トリシュ―マ社産のAIが、作物ごとに最適なリン配合量、保水量を管理しながら、日射量に合わせて自転までさせているのだし……天然の地球産じゃ敵わないわね。地球のAIも頑張っているのでしょうけれど……」
「どうにも、資源不足で自己複製スピードが落ちているとは、私も聞いたことがあるわ。地球のロボットたちの発想回路、最新型のと取り変えないのかしら。いや……コストを考えたら不釣り合いね。地球でできることの大半は火星で出来るのだし、地球ブランドが弱まるくらいねぇ……」
私たちはこれでも、経済学部の卒業生だから、少しは他の人よりAI産業の趨勢の話ができる。とはいっても、私たちは蚊帳の外から野次を飛ばすだけ。この知識を実際のお仕事に役だてられる機会なんて、もうないことは分かっている。
私たちの学校はそう頭の良いところじゃない。
今の時代、新しいプログラムを開発できるのなんて名門中の名門、それこそ、火星中央学院の人たちくらい。私たちのアイデアなんて、最新の発想回路を搭載したAIには敵わない。だから、それが少しだけ悲しくなる。これまでにもっと、真面目に勉強してこなかったバツね。
私が無意識に鼻から息を吐けば、それがミホさんの目にもちゃんと映っていたらしい。
「……なんて、難しい話は今しなくても良かったわね。ね、アカリさんも早く食べてみて」
「ええ、いただくわ」
丁寧な紙折りで包装されたお弁当は、開けるだけでも楽しい。
中から出てくるのは、手毬型のおにぎり、エビを炊いたもの、人参とごぼうを蒸した付け合わせに、白身魚の焼き物。まぁ豪華。和食を選んで良かった。
実際に頂いてみても、すごくおいしい。優しい味付け。ロボットやAIに頭でも体でも勝てないと分かっていても、こう言う愉しみだけは、ずっと人間の特権なのでしょうねと思う。
友人との語らいも、長かった青春も……人として生まれて、よかったと思うわ。
私はゆっくり、お弁当を味わった。ミホさんもお行儀はしっかり身についた人だから、食べている間は何もしゃべらない。すると、途端に車両の中の無音がよくわかる。
この車両に乗っているのは、同学部の同級生たち。
皆眠ったり、本を読んだり……ぼーっとしたり……長旅の疲れもあってか、とても静か。地上と違って、宇宙鉄道は線路を踏む音もない。
まるでこのまま、時間が消え行ってしまうような……静寂。
皆と一緒なら、それが心地いいような……それでも切ないような……。
しばらくして、お弁当を食べ終わって、ミホさんとまた少しおしゃべりをしてから。
ミホさんもまた、食後の居眠りを始めてしまった。ミホさんは起きている間は元気で、眠ればぐっすり。微笑んでいるような寝顔も、可愛らしいと思う。
一緒のクラスになった数年前から、また皺が増えていても、やっぱり子供のようなあどけなさがある。
私は最近、上手く眠気が来ない。またぼんやりと窓の向こうを眺めはじめる。
そして──予習で調べたから、知っているわ──遠い彼方で、小さく翡翠色に光る星、グラマンパ星を見つめた。
太陽系でも有数の蔵書量を誇る、人類星間学習センター。それでもやっぱり、レプリカしか置かれていないのは、かの星が“宇宙でいちばんの老人ホーム”と言われる由縁に、関わっているだろう。
多くの老年期学校が、あの星を終学旅行先に選ぶ。
澄んだ大気に、どこまでも広がる草原……足腰に負担のかかる地形は、ひとつもない。
星の中枢部には、介護設備も医療設備も揃っているし、何より最先端の安楽死センターが学習センターの近くにある。
修学旅行の期間は無期だ。実質の永住権を得て、ミホさんなどの数少ない友人と、毎日学習センターで本を読んだり、のんびり散歩ができるだろう。
何と幸福なことだろう。
……。
仕事は全て機械に任せられるから、人間は一生を学びに費やし、よりよい精神を育むことを、本望とする時代。そんな中で、極一部の頭のいい人達が世界をさらに良くするアイデアを思いつくから、文明も停滞することなく、ゆっくりと進んでいる。
二十二歳の頃、私が提供した卵子も、いつの日か人工授精に使われたらしい。この宇宙のどこかで、私の子孫も元気に暮らしているという。
それで満ち足りない幸せなど、ないと思う。
けれど、目の前に広がる宇宙は遠大で、そのどこにも、満ち足りた空間などないように見えた。
私の表情にも皺が増えたことを、窓の暗闇の鏡越しに知った。
車両の前の扉が開いた。一体の女性型アンドロイドが入ってきた。車両の中を見回し、まず私とミホさんの列に近づき、声を掛けた。
「お飲み物のお代わりをお持ちしましょうか?」
「ええ……結構。また、お願いするわ」
「かしこまりました」
彼女は、傍目にはそんなそぶりも見せないけれど、あの数秒の一瞥で、車両内の同級生たちの、バイタルデータをスキャンしたのだ。反応からして、皆、何も、体調の急変などはなかったらしい。皆80歳を超えているのに、頭も体も、健康。進歩した農産業と医療のおかげで、病気も痴呆も、随分予防できるようになった。
だからまだ私たちは、当分死なない。
けれどいつか、ミホさんは言っていた。
「私、安楽死に、少し、興味があるわ」
私にだけ、この列車に乗る前に、打ち明けてくれた。