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悪魔のパチンコ

 東京都心にそびえたつ、黒っぽい金で全面を塗装した、超高層ビルの最上階。 今や世界有数の総合商社となった金蟻ヶ原グループ本社の、CEO室にて。 日本一の資産家となった青年、金蟻ヶ原銭造は、護衛兼秘書として後ろに控える黒服に話しかけた。


「面白いビジネスプランを考えついたんだが、どうだろう」


 黒服は訝しんだ。金蟻ヶ原がアイデアを語るときは、相談じゃなくてすでに決定事項で、それをひけらかしたいだけであることを知っていたからだ。 それでもれっきとした上司である。構わないわけにはいかない。


「……はぁ。私の意見は何にも参考にならないと思いますけれど、一応伺っておくと、どういうモノなんでしょう?」


 金蟻ヶ原はにやりと、金を司る悪魔のような笑顔を浮かべた。


「パチンコだよ」


 黒服はと言えば、金蟻ヶ原が纏う非人道性のオーラを前に、一介の小市民らしく、口をひきつらせた。 金蟻ヶ原グループが掲げるのは、何よりも勝る利益第一主義。利益が出るのであれば、企業倫理のブレーキはなく、法に触れない範囲で何をやってもよい。そんなポリシーをこれまで金蟻ヶ原自身が誰より体現し続けたから、金蟻ヶ原グループは今の地位を勝ち取ってきた。 そんな利益主義が賭博業界に踏み込むとならば、一般庶民にとっていい話でないことは、黒服にもよくわかった。


 質の悪いことに、20XX年、財政に喘ぐ日本は新賭博税法を樹立。今まで暗黙の了解で営業していたパチンコ業界を合法賭博に指定して、その上で大きな課税をかけていた。だから、パチンコ屋が儲かれば政府も儲かるという寸法ができていた。 これを受け、金蟻ヶ原は大手を振ってプランを進めることにしたのだ。


 そして黒服は、金蟻ヶ原がひねりもなく、旧来のやり方を踏襲するような男でないこともしっていた。


「それは一体どう言った、ビジネスモデルで──」


 耐え切れず、黒服は聞いてしまった。金蟻ヶ原は嬉しそうに目を細め、プランを教えた。


「それはね……──」


──悪魔のようなプランであった。


 黒服は厭そうに、目を細めた。 しかし、幼少期に親の借金と建て替えで自分の人権を彼に売ってしまったものだから、黒服は咎めることなどできなかった。


 それからプランはトントン拍子で進んだ。


 二年後には、第一号店がオープンした。


 完成したのは、せいぜいどこの駅前にもあるような大型パチンコ店だった。 内装だって一般的に見覚えのあるもので、稼働台ラインナップもメジャーなタイトルを並べた、ありきたりな感じだった。


 悪魔のパチンコは、そうやって普通を擬態し、蟻地獄のように獲物を待っていた。


 **


 ある日雇いの男が、『開店祭』の看板が見える位置で、朝早くからパチンコ開店前の行列に並んでいた。 今や日本に知らぬもののいない世界的企業、金蟻ヶ原グループがパチンコ業界に参入するというのはニュースになっていた。 社会情勢に詳しくない男でも、もしや開店サービスで、破格に当たりやすい設定にしてくれているのではという淡い期待と共に、隣のコンビニで引き落としてきた3万を握りしめていた。 同じ考えの人間は多いのか、列は長かった。燻るような熱を放って、まだかまだかと蠢いていた。


 朝九時、開店の時間が来た、 列はぞろぞろ、店内へとなだれ込んだ。


「「いらっしゃいませえ!!!」」


 そんなお客たちを、金蟻ヶ原グループ直属の精鋭スタッフたちが、大合唱の笑顔で迎え入れた。声量は一瞬、店内の騒音を組み伏せるほどだった。 手厚い歓迎に圧倒されつつも、店内をある程度見回したら、日雇いの男を含め、多くの客が『なぁんだ』という小さな安堵を覚えた。 それは何かと言えば、開店祝いの花や、清潔なパチンコ台の列から、景品交換受付への案内表記まで、店外から見た『普通の店だ』という印象と、店内の印象が、なんらそぐわなかったからである。 パチンコ通い達が何度も見てきた『新装開店・リニューアルオープンしたパチンコ店』そのもので、親しみやすさを覚えたのだ。


 日雇いの男も例にもれず、パチンコ歴の長い人間で、心中、やれやれなどと、ちょっと達観したような感想を持っていた。 かの有名な大企業の、鳴り物入りの業界参入で期待していたけど、こんなに無難なものだったのか、と。それでいいのか社長サンよ……、この業界もそんなに甘くないよ……、などと、僅かに嘲るような気分もあった。 けどまぁ、と日雇いの男はまた業界通ぶって、頭の中でだけ、顔を合わせたこともない金蟻ヶ原へ理解を示した。 大規模な賭博業など、外す方が難しい商売だからだ。 カジノ誘致などがいい例だろう。相当に下手なことをしない限り、賭博業の集客力はすさまじいから、相応のサービスがあればおのずと客は集まってくる。無難に、お客に気持ちよく金を使わせられるよう接客にだけは気を配って、後は従来通りのやり方をこなすだけで続々と、このグループのパチンコ事業も、新店舗を出せるだろう。 分かるよ、社長さん、と。


 そして日雇いの男は、脳内で長者番付に並ぶような男と対等ぶれたことに満足を感じつつ、店内を適当に彷徨い歩いた後、お気に入りの時代モノ漫画を原作とした台を見つけ、『おっ、これを置いてるのか、分かってるじゃないか』と好感を覚えながら、席に着き、流れるような所作で銀玉を用意した。 店内を満たし始める、銀玉が跳ねる音。 煌びやかな効果音と共に明滅光が視界の端で放たれたかと思えば、対を為すように、遠巻きから中年男の怒声が聞こえてくる。 これだこれだ、と男は思う。 世界で最も喜怒哀楽を体現する音楽が、パチンコ屋には飽和している。男はそれに、据えた匂いのするような安心感を覚えるのだった。 例え早速1万円をスッた直後であったとしてもだ。 それが彼にとっての日常だったから。


──しかし。


 そんな日常は、開店から一時間もしないうちに、歪み始めていた。


 店内に、一時的に、不穏な空気が流れた。それは、『誰の怒声も上がることのない』静かな不穏だった。 パチンコ通いには皆一様に、磨かれた感覚技能がある。それは、自分の眼前の台だけでなく、周囲の台の当たり方も把握する能力だ。それが何か自分にいい影響を与えるかと言えば、全くそんなことはないのだけど、例えば寒い地方では毛が濃くなるように、意図せず体が適応する機能なのである。 さっき、間違いなく、『この店内の全員が、苛立ちを覚えていない』静けさがあった。喜怒哀楽の音楽のうち、四肢がひとつ欠けるようなものだから、不協和音であった。 そんな静けさは、もう去っていた。思い出したかのように、遠巻きから台を叩くような音が聞こえたから。 しかし、相変わらず『怒』の音が店内に少なかった。 男も例外でなく、何故だか、妙に落ち着かない、圧力のようなものを感じていた。


 そして男は、店内の中でも早い方で、異変の正体に気が付いた。 男は後ろを振り返った。底に並ぶのは、平常通りの、猫背の列。──の中に、一つ二つある、同じく後ろを振り返るギャンブラーの顔。 お互いに言葉を交わさずとも、彼らはすぐ一瞬視線を交わしただけで、確信し合った。そしてすぐ、そっけなく視線を外し合い、そのまま周囲を伺った。


 煌びやかな効果音が、明滅光が、明らかに、多い。──多すぎる。 ガチャガチャと、ハンドルやボタンを操作する音の大合唱。そこに籠る熱が周囲の台でも、遠巻きの台でも、一緒だ、誰もかれもが台にのめり込んでいた。 背中越しにちらっと覗く画面の映像だけで、通い詰めた者であれば、当たり具合が分かる。 当たりすぎている。


 勿論、当たり台で一色というわけではなかった。外れているものもいる。唸り声を上げているものもいる。しかし、しかし、その濃度が異様に少なくて……男の胸中を不安にさせた。──と思ったところで、 男が回していた台が今度はけたたましいBGMを鳴らし始めたから、 男の思考は停止した。


 ドーパミンが示してくれるままに、男は洗脳されたみたいに、体に刻まれた手順で手を動かし、手を動かす。 大当たりが来た。 男は高鳴る鼓動に、先ほどまでの記憶と思考を喪失した。目の前の明滅と、溢れる銀玉が今男の全てになった。銀玉は、つまり金である。思考は要らず、シナプスに刻み込まれた計算回路が、今の現状の玉の出具合と、勝利金額を算出する。真っ黒で、黒々とした黒字であった。男は、自分の表情への意識も抜け落ちていた。 傍から見れば、厭らしいにやけ顔を浮かべていた。


 それからしばらくして、大当たりが止まった。 男は人格を取り戻した。 高揚感は後を引きつつも、しかし人間として戻ってきた思考が、違和感をまた覚え直す。


 当たりやすすぎやしないか?


 開店初日だから、各台の設定がいい、なんてこと本当にやる店があるかは知らないが、入店前に思い浮かんだ妄想が、現実の物に思えてきた。 個人としてよく当たる日、と言うのはもちろんあるが、店内にいる全員がよく当たる日など、確率的に存在しない。それは賭博業の稼ぎ方に反するからだ。 けれど和感は依然、音となって店の中に響き続けている。帰るものが少なくて、回転率の滞った店内は、立ち歩く人間の数も少ないから、足音の雑音が混ざりづらく、居心地が悪いくらいに居心地がいい。 また、大負けしたのだろう「あああ」や「くそっ」といった悪態も勿論あるにはあるのだが、いつもは動物園のように常にあるものとして聞こえていたそれらが、たまにしか鳴かない希少動物のように少ない。 採算が取れていないのでは、と思うほどに。


 初日だから勝たせてやろう、と言う感触じゃなかった。 “勝たせ続けてやろう”、という、そもそもの根源の思惑が違うような……


「あ」


 明滅、再び。


 激熱な閃光音と共に、画面の中で主人公の侍の目が赤く、ギラリと光る。 悪魔に魅入られるようであって、途端、男の脳もまた、賭博の快楽一色に染まるのだった。 思考は止まり、男の手だけがまた動き続けた。 そして、先刻抱いた違和感もまた、記憶の彼方へ飛んで消えていった。


 後日、男は変わらず日課のように、そのパチンコ店へ通い詰めるようになった。


 **


 二年後。 金蟻ヶ原はまた順調に資産を増やしつつあった。 二年前に立ち上げたパチンコ事業が、順調に回りつつあったのである。 しかし、あのパチンコ店自体は、常に赤字を垂れ流し続けていた。 かのパチンコ店は、同業他社に比べ酷く、客有利な方向に当たり確立を設定していたからである。


 優雅にCEO室で事業報告書を眺める金蟻ヶ原の隣で、黒服は今日も厳かに控えていた。しかしその顔には、どこか苦々しそうな気配があった。眺めている事業報告書は、あのパチンコ店のものだった。 黒服は金蟻ヶ原の忠実で有能な奴隷だったが、それはそれとして人並みの良心があった。 まぁ、そんな良心を金蟻ヶ原の前で持ち続けられているからこそ、重用されているわけでもあったが。


「相変わらず、あの1号店は千客万来の毎日ですね。しかし、もう二年も経てば同業他社にカラクリはバレてしまいました。僭越ながら、この事業はこのまま好調を維持できるでしょうか」


 黒服はひとこと、僅かな良心を添えて質問した。事業方向の転換の可能性を、探ってみたかったのだ。 そんな思いもどこ吹く風で、金蟻ヶ原は爽やかに応えた。


「さてね。未来のことなんて誰にもわからないから。それは未来の僕のアドリブ次第だ。けれど、事実今1号店周辺の地価は上がっている。もしも客足が遠のき始めるなら、その下がり初めに不動産を全部売っぱらったらいい。少なくとも元手ぐらいは返ってくるだろう」


 黒服は眉間に小さな皺を寄せた。 金蟻ヶ原の手腕から考えても、この事業が根本から、ビジネス的観点で、間違いだったとされることはなさそうだった。 金蟻ヶ原は猶も悠々と語る。


「それに、ビジネスモデルとして他社が簡単にマネできる物じゃない。初期投資の規模から考えて、そこらの同業他社様は踏ん切りがつかないだろう。だって、街づくりをしたようなものだからね」


 黒服は沈黙を続けながら、報告書を読み込む金蟻ヶ原の目を盗み、デスクの上で開かれたノートPCに映った、土地開発計画書を眺め見た。 件の1号店を中心に、飲食店、ディスカウントストア、パチンコ以外の遊戯店と、金蟻ヶ原グループ系列の店が並んでいた。将来的には、格安マンションの建設も計画されているという。


 黒服は怪訝そうに聞いた。


「いつから……『客側が必ず勝つパチンコ店』と言う、発想を思いついていたのですか」


 その言葉に、金蟻ヶ原は嬉しそうに振り返った。


「初めてパチンコ店と言うモノを見た時に思ったよ。子供の頃にね。


 どれほど資産を稼いでも、彼は友達にマジックの種明かしをするような、ささやかな楽しみの尊さを覚えていた。 滔々と語り始める。


「これだけどのパチンコ屋も『すぐむしり取る』方向に店を構えているのに、なんで誰も『ゆっくりむしり取ろう』って考えないんだろう? ってさ。お客様は、自ら足を運んでくれて、貴重な時間をすすんで使ってくれているんだよ? なのに、報いるどころか、仇で返すようなことばかりしていちゃあ、ストレスが過剰に溜まって、いい関係を築けない」


 金蟻ヶ原が生まれついて授かった美形の相貌で、少年のように笑って話す姿に、悍ましい言葉がまるで釣り合っていなくて、黒服は畏怖に近いものを感じた。 黒服の怯えた胸中を金蟻ヶ原が見透かしていないなんてことはなかったけれど、構わず、彼は楽しい時間を続けた。


「お客様が一か所に集まって、時間を使ってくれて、その後に消費を生み出してくれるんだ。これは実質労働だよ。ならば、対価は払わなきゃ。長い目で見てパチンコで勝ってもらうなんて、当然だよ。僕が前に言った言葉、覚えてるよね?」


「時給、“10円”……」「うん、それだけ払う価値があるだろ?」


 黒服はただ緊張から唾を呑んだ。 金蟻ヶ原が、筐体の開発会社ぐるみで設定させたのは、長期的に見て、ごくごくわずかに客側が儲けを得られる、確率設定。それは投資が1としたとき、リターンが1.001ほどになるような、微妙な設定だった。 それらは、客の滞在時間から逆算して、時給10円前後になるよう調整されていた


 勿論、上下の波は激しく、大勝ちする日もあれば、大負けする日もある。だが確率はいつだって終息する。 初めから負けることが決まっている他社と、初めから勝つことが決まっている金蟻ヶじゃ羅の店では、勝負にすらならなかった。そうして同業他社から客を根こそぎ奪い取った。


 そして、稼いだ金は周辺の系列店で消費される。それが飲食店であり、風俗店であり、パチンコ意外の遊技場であった。過剰分泌されたドーパミンの余韻と、が追い打ちとして提供するアルコールによって、相場よりも割高な値段で。 あとは、店内広告にも力を入れていた。この時代、人間は何かを見るだけで価値を生むから。


 従来のパチンコ店の稼ぎ方に比べ、即効性はないが、他社のニーズを一方的に減らしつつ、堅実に利益は上がり続けるというビジネスモデルは業界に猛威を振るい、近年、同業他社の売り上げは大きく落ち込んでいた。 辛い酒にうんざりしていた中毒患者に、甘い酒を覚えさせ、需要を独占したのだ。この酒は、ギャンブルであり、現実逃避であり、搾取であった。


 金蟻ヶ原のパチンコ店周辺地域は、『本当にパチンコだけで生きていける』と夢見るギャンブル中毒者がよく集まるようになった。 それを利用し、金蟻ヶ原グループは『健全なギャンブル遊戯』と銘打ち、周辺地域での雇用も促進し、息のかかったNPO団体の拠点も作り、むしろ、社会貢献に積極的ですと、前面にアピールしていた。


 それはそれとして、周辺地域の治安は悪化の一途を辿っていた。


「今後もし、同業他社様が死滅するようなことがあれば、従来型の“はやい”ギャンブルを広く展開していけばいいだけだしね。トレンドが環状線のように回るなら、全部の駅を網羅すればいい。やっぱり、賭博はいいよ。快楽神経こそ、ビジネスが扱う人間そのものだから」


「……悪魔のようですね」


 黒服は、目尻を歪ませて金蟻ヶ原を見降ろしながら、零すように呟いた。 黒服は、金蟻ヶ原の身辺警護用に、上着の中にナイフを隠し持っていた。 黒服は、勤めてから今まで、そのナイフを鞘から抜いたことは無かった。


 **


 その数日前、件のパチンコ店から数キロ離れたある川沿いで、一人の男が死んでいた。


 二年前までは日雇いでなんとかその日暮らしができていたが、ある日を境に持ち前のギャンブル中毒が悪化し、ギャンブルだけで食いつなぐことを夢に日々を暮らし始めたから、社会生活がおろそかになり、病んだ精神の発散として、酒や女、そしてまたギャンブルに溺れるようになり、より生活苦は悪化し、まだ健全に働けるだけの頭と体も持っていたはずなのだが、ふいと気が触れたある日の朝、彼はこの世を去ることを選んだ。


 自死の方法は、ここでは伏せておくこととする。

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