オチない
オチつけんのが下手や下手やとは思っていたが、まさかここまで下手やとは思わんかった。
こいつの部屋は、なんか湿ってるという、畳界でも最悪の畳を6つ並べたボロアパートだった。芸人のくせに口を開くのが苦手という、『俺水アレルギーなんですけど、沖縄めっちゃ好きなんすよ』なんてのたまうようなわけの分からん奴が住まうのには相応しい部屋だ。
そんな部屋の中で今も、笑いたいんか、『いや、ちがうんすよ』と下手な言い訳をしたいんか分からん微妙な口角の開き具合で、黙りこくっている。
窓の桟にもたれながら、煙草に火をつけた。
二か月くらい前、こいつが立った舞台にて。トークの時間、以前『お前もっと前に出んと死ぬで』と言ったのに影響されてか、気を張って柄になく、長話をし出したと思ったら、このボケ、最後の最後でオチをトバしやがったのだ。
静まり返ったお客さん。いや、『オチ忘れてしまいましたわ!』なんて、負け顔浮かべるリカバーもなく、ただっただ、居た堪れない表情しかせんから、周りもカバーが遅れた。俺が決死の想いで『いや、ここでオチ飛ばすか!?』と助けに入っても、時すでに遅し。俺ですら大やけどを負ったのだから、こいつは身元不明になるくらいの黒コゲの、大滑りをやらかした。
そのせいで、イップスと言うか、ただでさえ寡黙やのに、緘黙のような症状が出てしまった。
翌日から、“オチ”がネタでもトークでも迫るたび、こいつの口は止まった。
今も、止まり続けている。
最悪や。
「やっぱ芸人向いてへんかってんお前。ホンマなんで芸人なってん。俺お前の口開いてたとこみたことないで。飯行っても、ずっと黙口閉じてたし、手止まってるし、こいつどうやって飯食うとんねんと思ったら、いつのまにか目の前の料理消えてたし」
……。
アカンか。
ツッコめや、ええ感じに。
「俺お前の食うてた焼きそば、凝視してたら、上の方の蕎麦から薄らいで消えていくもん。最終回の別れみたいな消え方、現実で初めて見たわ。それも大切なヒロインとかじゃなく、蕎麦を最初に見るとは思わんかったわ。それから肉も消えて、キャベツは避けて、海老も消えて……いや野菜食えや」
……。
今のは、俺のボケがアカンか。
沈黙に耐えられず、自分でツッコんでもうたし。
けれど、どうあれ、自分のために上げられたトスに応えられないのは芸人として最悪だった。
「最悪やでほんま、自分」
タバコの火を吐けば、冷たい風が吹き込んだ。外に逃がそうと思った紫煙が、空気を読まず部屋の中に入る。
ここでいつもならようやく口が利けるようになるところやが、これでもダメだった。
いつものくだりを思い出す。
『うち、禁煙なんすよ』
『あぁそうほんまにぃ。時代やなぁ』
そう言ってシュボ、と火をつける俺。
『いや、禁煙です』
『アホお前、騙されへんぞ、俺そこのコンビニの前で、個々の大家のおばちゃんが14mgの重いニコチン吸ってたん見たぞ』
『いや、このアパートは喫煙可ですけど、この部屋は俺権限で禁煙です。
あの日の俺もこれ見よがしにため息を吐いた。
『お前なぁ、この令和の時代に、とうとう畳の上でもタバコが吸えんようになったら、どこで吸うたらええねん。タバコ農家さんたちが泣くで、ほんま。顔思い浮かべてみ?』
『いや、知らんすけど、思い浮かぶんはブラジルの黒人夫妻の満面の笑みっすよ。その人ら、畳知らんでしょ』
俺はちらっとケースを盗み見たら、しっかりブラジルと書かれていて、一瞬やるやんと思ってしまい、ちょっと悔しくなった。
『アホお前、その人らがな、Oh、ジャパニーズタタミイズソーサッドネス……ワンピース……ナルト……とか言うて、泣いてんねん。彼らの心を、慮れよ』
『なんで浅いアニメオタクやねん。あとよう聞いたら、畳自体を憐れんどるし。それはもうタバコの灰を落とされる、畳のために泣いてくれてるでしょ』
うっさいわボケ、とあの日の俺も言ったはずだ。
そして、なんやねん、やったらできるやん、とはあの日の俺も言わなかった。
慰めの言葉をかけることは、あの舞台の後もできなかった。
甘くされたから消えていった後輩を何人も見たことがあるからだし、甘い言葉を掛け合っているだけの先輩が、何年も燻っているのを見てきたからだ。
俺だって、そんな風に人のことを見下せるほど売れているわけではない。それでも、そんな奴らよりは金を貰っている。
そしてこいつも、少なくとも俺レベルの、そして頑張れば俺なんかをさらっと抜くくらいの、素養を持っていると信じていた。
しかし致命的だった。
オチの付け方の下手さが。
本当に。
「なんで、6畳のボロアパートで選ぶんが、飛び降りやねん」
そう口に出して、ツッコんだ。
普通、吊るやろ、首を。
それでなんとか、次の、最悪のフレーズを口にすることだけは堪えた。
ため息を長く吐けば、有害な白煙が、部屋に籠って霞んで消えた。
「なんで、6畳のボロアパートが、三階立てやねん」
二階立てやろ、普通。
ちらりと窓の下の眼下を見れば、丁寧にコンクリだ。十分に掃除されたけど、まだ血痕らしき黒い跡が見える。そら、二階と三階やったら雲泥の差や。
耐震基準の中で大人しくしとけよ。
二階なんて、そこらのナニtuberでも跳んでるやろ。そんな勇気あんねんやったら、動画取って100再生くらいで終わって、話しのネタにすればええねん。アホやな。
最悪や。
そのせいで、この部屋の家賃は、ただでさえ大阪じゃ破格の三万から、一万にまでダダ下がりした。
「大家さんに申し訳なさすぎるやろ。今日日、子供部屋ニートおじさんでも、月に一万以上は家に金入れてるぞ」
とはいえ、大家さんも大家さんで1万で手うつなよ。1万とか最悪、髪にキノコ生えたホームレスのおっちゃん来るかもしれん値段やで。危ないやろ。
もうちょっと上げとき。
2万くらいやったら、俺が住んだろかな。
まぁ、そんなん言うとるけども。
「いや、ええねん。その他もろもろがどうでもええわ」
まだ、微動だにせず、このボケはおんなじ表情のままで、笑いたいんか、下手な言い訳をしたいんか分からん微妙な口角の開き具合で、黙りこくっていた。
一番、言わねばならないことがあった。
「なんで死んでへんねん」
汗だらだらで、正座で俯いたまま、潤んだ目で、微妙な口角の開き具合をしていたアホは、今ようやく息継ぎでもしたかのように、「ハッ」と、息を吐く音で息を吸った。
「俺、立体的な遺影に話しかけてんのかなと思ったわ」
「すいません……」
「いや、ボケろや」
「無理です……」
ふっ。
アカン。食いつくぐらいの間で真面目に無理って言われたから、逆にボケっぽくなって、笑いかけた。
俺は窓の外に息を逃がした。
こいつは、三階から飛び降りたけど、普通に生きていた。それが、二週間くらい前。
全然、眼下の血痕も、掃除したんはこいつ自身が手配した業者さんに寄るものだった。
結局は、三階とは言え、三階でしかなかったのだ。四階とは雲泥の差がある。
肋骨折ったし、アホほど出血もしたし、そんで一番悪いことに、第一目撃者のおばちゃんを貧血で倒れさせるという二次被害を生んでなお、こいつは全然意識を失うとかもなかったらしく、勿論スマホと一緒に飛びおりするわけもないから、自力で『救急車ーー!!』と叫んだらしい。
銀魂の神楽か、ボケ。
ちょっとおもろいやんけ。
そして、第二発見者の通行人のお兄さんによって、おばちゃんともども病院に運ばれたアホは、いい年して病院の先生と親から激怒され、芸人のくせにそれなりに貯金していた口座から、治療費と現場の清掃費用を出すことになった。今や、俺と同じく一文無しや。
それを、流石に憐れんだアパートの大家さんが、家賃を1万にまで下げてくれたのである。優しいけれど、ほんまに大丈夫やろうか。いつか三階に住む隣人たちも、まぁこいつと同レベルのボケがおる可能性は一般大衆に比べ高いやろし、行き詰ったとき、後追いジャンプなど、やりかねないのではないだろうか。そう言う点で、俺はおばちゃんの優しさが心配だった。
ホンマにどうでもいいけど、『ウォーターボーイズ』の飛び込みみたいに、貧乏人がタイミングよく、三階から落ちていく画が浮かんで、それでもまた笑いそうになった。
アホくさ。
「でもやっぱなんで、飛び降りるかね」
窓の桟に座りながら、アホを見下ろす。
思いつめるにせよ、もっといい方法があったろうに。酒、女、ギャンブル。芸人としての発散方法など、劇場の同僚どもでさんざん見てきたろうに。
そう思う俺に対して、答えは何よりシンプルだった。
「実際にオチて、頭打ったら、オチつけんのも、上手くなるかと思ったんですよね」
ボケそのものみたいな答えなのに、ボケてないのは、目を見れば分かる。だから笑えるようで笑えないようで、笑えるようで、やっぱ、笑えない。
まぁ、分からんこともなかった。
社会不適合者みたいなもんが行き詰ると、狭くて暗い部屋の中で、アホみたいな発想を天啓と見間違うことなど、よくあることだ。没ネタの全てはそうやって生まれる。俺もたくさん産んでは、危なっ、と朝には気づいて、産湯に漬ける前に縊り殺してきた。
「なるか、ボケ」
だからツッコミが、イコール説教になる。なんもおもんない。最悪や。芸人殺しや。
ここでもっかい、謝ってきたらほんまに蹴りを入れてやろうかなと思った。
お前の職業上の償いは、そうじゃない。分かるやろ。そう思った。
「じゃあ、どっから落ちれば良かったっすかね」
「ちゃうねん」
そうや。
それや。
俺はようやく深めに、タバコを吸えて、吐けた。
「落ちるとこからちゃうねん。頭打ったら人格変わるとかいう昭和の観念、今の令和の子、ぽかんとするから。あと硬いとこに頭打ったら、死ぬから」
「えぇ……?」
こいつは、小首を捻ってよく分かってないふりをする。あからさまに演技で、間を作ってるだけやから、まだまだ下手やなと思う。それから、閃いた顔をする。
「あっ分かりました! じゃあ俺、道頓堀行って、落ちてきます」
「いや、なんでよ。まだ阪神優勝してへんよ。あそこで落ちていいタイミング、年一回しかないから。いやまぁ、それも正確にはアカンねんけどな」
「えぇ……? でも……」
またとぼけた顔をする。
「なんか商店街で、阪神のお祝いしてましたよ? あれ今、飛び込んでいいタイミングっすよね?」
「あっ、ちゃうちゃう。あれ最速マジック点灯ゆうて、ごっつ気い早いおっさん達が勝手に盛り上がってるだけやから」
「えっ、そうやったんすか?」
「うん。あれに関しては、商店街がアホなだけやねん。だってあれ歴史上数十回はやっても優勝まで行ったの、三回だけやから。むしろ、呪いみたいなもんやで」
「はぁ~~」
これ見よがしにため息をつく、ボケ。苛立ったような声の出し方は、上手い。
「そんなん風にアカンアカン言われても、じゃあ俺はどこで落ちればいいんですか~!?」
「だから、落ちるのをやめろって言ってんねん」
「だ! か! ら! 俺は落ちたいって言ってんねん! お、と、せ、よー!」
「あっ、アカン、頭打って人格変わっとる。ちょちょ、おい、お前一旦、二階から落ちて、もっかい頭打ってこい」
いや、もうええわ。
どうも、ありがとうございましたー。
俺ら二人の心の中で、俺の声だけが響いた、だろう。
部屋の中には、静寂。
「オチましたかね」
「微妙」
俺らはなんとも言えない視線を向けあった。
まぁ、これで頭打ったところで、オチをつけるのが上手くならないことだけは分かっただろう。
せやからまぁ、後は上がり目ということじゃないだろうか。一度落ちたことであるし。