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三途の川にて

 あの世は今日も死人でごった返していた。三途の川では六文銭をいちいち数えているどころではなく、数世紀前の木舟で事足りていた時代から打って変わって、海外冥土産の最新型船舶によって、三角巾を巻いた死者の集団を彼岸へと渡していた。


 彼岸にはその名の通り彼岸花が咲き誇っており、生前、善行を積んだことに自信のあるジジババなどは軽い観光気分で三途の川を愉しんでいる。

 一方で、すでに顔色の悪い者たちも幾らかいる。

 そういうのは決まって地獄行きを自覚しているような者だ。彼岸に渡って少し進んだ先、閻魔裁判所に着くことをビクビク恐れている。これも時代の流れで、混雑防止のため冥界に着いたときに小綺麗な鬼たちに死者たちは、三途の川を渡ってから、天国なり地獄なりに分別された後、転生するまでの流れを説明されている。パンフレットも配られているから用意周到である。明言こそされないが、生前どの程度の悪行を働けば地獄行きなのかも、パンフレットの目安表を参考にすれば、おおよそ見当がつくようになっている。

 また、これも時代の流れによって、地獄のキャパシティもあり、昔より地獄行きのハードルは低くなっていた。ちょっと信号無視をした、ゴミを分別しなかった程度では問題ないから、大多数の死者たちは幽霊になったことをそこまで悲観せず、大人しくしている。そのおかげで、ごく少数の地獄行き濃厚者も下手に目立つことを恐れて、生前の勢いはどこへやら、肩を小さくして船の隅っこで俯いている。


 さて、彼岸について、船を降り、少し歩いて閻魔司法裁判所に着けば、後は流れ作業だ。

 閻魔裁判所も効率化が進み、機械化の波を受け入れていた。相当難儀な生前を持っていない限りは、ベルトコンベアみたいな歩く歩道に乗せられつつ、霊視スキャンによって罪状を確認され、地獄行き審査のパスが下される。ここまでは完全に自動化されており、インテリの獄卒たちも管理保守作業に勤めるだけだ。

 そして、自動審査を終えた上で、審査に不服があれば司法獄卒士資格を持った鬼たちとの面談を受ける権利が死者には与えられている。死者に人権のなかった昔からすれば、えらい変わりようだ。場合によっては、情状酌量の余地を鑑みてもらえる。ただし、この制度は軽犯罪歴しかない者に限定されている。


 そうして、天国行きとなる大半の者たちから外れ、地獄行きが確定したものたちは、手を後ろに回して手錠をはめられたうえで、別室に寄せ集められる。ここからはようやく昔ながらの地獄らしくなってくる。腕っぷしの強そうな獄卒が監視についたうえで、地獄行きたちは一塊で歩かされ、裁判所から少し離れた場所にある、山一つ分はありそうな大きさの、地獄行きエレベーターに乗せられようとするのだが──そのとき、一部のものに声が掛かった。


「a-412さん、m-963さん、こちらへきてください」


 監視役の獄卒たちと違い、明らかに文官の顔をした、細身に礼服の鬼が、二人分の名を呼んだ。地獄行きたちはもう生前の名を失い、通し番号で呼ばれることとなる。中年の男性死者二人はその声を聞くと、まさしく地獄の中で蜘蛛の糸を見つけたときのように、俯いていた顔を上げた。

 地獄行きの防犯の都合上、エレベーターはここ一箇所にしかない。エレベーターから遠ざかることはつまり、地獄から遠ざかることである。彼らの頭に溢れるのは希望だ。


 他の死者たちから、なんとも言えぬ羨望の目を向けられながら、彼らが呼ばれるまま鬼に従い着いていけば、なんと小型の地獄社用車が一台あった。しかも、そこへ乗せてくれるではないか。社用車と言っても上役が乗りそうな、ふかふかの椅子がついた車だった。


「ええと、地獄の審査に何か間違いがあったんですか!?」


 ついに堪えきれなくなった死者のうち片方が、後部座席から彼に聞いた。

 けれど細身の鬼は、「ええ、いや……」とあまりにそっけない態度で、質問に応じない。

 彼らがなんともいえぬ気持ちのまま、けれど希望は失えず、大人しく地獄の凸凹道に揺られていれば、なんと車は冥界に着いてから進んできた道を逆走し、三途の川の方へ向かっていくではないか。

 これは! と死者たちは思わずにいられなかった。なぜなら、閻魔裁判所に着く前、ある一人の死者が優しそうな鬼に呼び止められ、皆と逆方向に案内されていったからだ。それを見ていた周囲から聞こえくる噂から察するに、どうやら手違いで冥界に来たものが、三途の川を戻る船に乗せられ、現世へと返されるそうだった。


 そんなことを思い出している内、まさに乗っていた車も三途の川へいまたどり着いた。いや、舞い戻ったと言っていい。期待が高まって仕方ない二人の胸の内。

 そんな気持ちを慮るそぶりも見せず、据えた目をした文官顔は、「ではここで降りてください」とそっけなくいう。

 おどおどしつつも降りて、横並びにされた二人。後ろ手に回した手錠に、獄卒が触れ、『ああ、もしや本当の本当に』と二人が同時に思った瞬間であった。

 二人はどんと背中が押されたような気持ちがしたかと思えば、パタリと体が前に倒れた。

 二人はそれを立ちながら眺めていた。

 自分が今見ている景色に、理解が追いつかなくなる二人。

 けれど、下を見れば体がなく、やけに体が軽いことに気づくと、自分たちが魂だけ抜かれたことを理解した。

 そして、文官顔の手が二人の魂をがっしりと掴んでいることも、分かった。

 そこで、二人の意識は細切れにされるみたいに、途切れた。

 ズバズバ、ザクザク、という擬音がふさわしかった。

 文官顔の獄卒は、地獄で鍛えた不思議な力で、手のひらの中で二人の魂を粉微塵にしたのだ。現世的に言えば、ミンチ状だった。

 そして、三途の川へばら撒いた。


 やがて、ばら撒かれた水面にパシャパシャと泡が立ったかと思えば、勢いは増していき、水面からは鮫ともイトウともつかない、乱杭状に牙を生やし、烏鷺のような目を開いた巨大魚が、魂ミンチが落ちたあたりで、我先にと食らいつき始める。


 獄卒はパンパンと汚れた手を払ってから、つまらなそうにその一部始終を眺めていた。

 そ こへ三途の川に等間隔に立っている、駐屯所から少し頼りなさそうな、若い獄卒が走ってきた。


「先生! こんなところで何をなさっているんですか! 着きましたのならおっしゃってくれればいいものの!」


 先生と呼ばれた文官顔は、先ほどの無表情はどこへやら、温かみのある微笑みを浮かべる。


「ああいえいえ、これほどのこと、君の手を煩わせることでもないと思いまして。最近は、魂の調理衛生基準も無駄に面倒でしょう。罰の届け出も、君たちを介す必要がこれでなくなりましたから。気にせず当番に戻ってください。それでは」


 文官顔の獄卒は軽く手を上げて、社用車に戻っていった。若い獄卒は困惑しつつ、敬礼して見送った。


 死者がどの地獄に送られるかは、現代でも直前まで伝える必要がなく、また、一定の立場以上の獄卒には、生前の罪の重さと内容を判断要素として、ふさわしい地獄を選定できる権限が与えられている。そして、現代でもメジャーな地獄は贖罪意識を芽吹かせるため、永く死者を管理しなければならないものも多い。

 密かに、合法的に、リソース削減がしたかったのだ。

 あの二人は生前、工場廃液や、密輸乱獲などで、それぞれ川の生態系を故意に破壊した罪を持っていた。

 三途の川に脱走対策として放たれている魚は、人への怨念の集積とも言える魚たちである。

 撒き餌地獄という刑罰が、地獄刑罰法第三集、三百六十五頁の片隅に記されている。


 いくら効率化すれど、死者人権遵守も同時に進み、とにかく人手が足りないのが現代の地獄。

 だから古株の文官顔などは、こうして持ち前の知識を使い、人知れず、潤滑な地獄の運営に勤しんでいる。


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