婚約の打診は向こうから。でも「愛せない」らしいですわ
若き侯爵様と醜聞まみれの男爵令嬢の婚約すったもんだ話。ご都合主義なーろっぱです。
『恋多き女』『奔放な蝶』『夜の女王』などなど、爛れた噂が絶えない男爵令嬢アマンダ・ゾーンはまさか自分に貴族から婚約の打診があるなんて思いもよらなかった。
しかも相手は今をときめく侯爵家のルートヴィッヒ・ゴライエだというではないか。
両親を事故で亡くし若くして当主となってからメキメキと頭角を表し現在社交界を賑わす時の人である。そしてその実力もさる事ながら見目の良さと物腰の柔らかさ、さらには未だ定めたお相手がいないという事実も相まって夜会では数多の令嬢から秋波を送られ、釣書だって山のように届いていると専らの噂なのだ。
それこそ結婚相手なぞ選びたい放題だろうに、何故よりによって自分なのか?
絶対に裏があると予想できるのに家格は相手がはるかに上だし我が男爵家当主である父も悩みのタネが金に化けたとあっては大喜びでさっさと快諾の返事を出し「くれぐれも先方にご迷惑を掛けるでないぞ」と耳にタコが出来るほどに念押しして顔合わせに送り出される始末。
そうしてたっぷりとめかし込まれて、たっぷりの疑念を胸に赴いた侯爵様の屋敷で言われた事は。
「貴方を愛する事は難しいかもしれない」
そんな言葉だった。
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「……理由を伺っても?」
麗らかな日差しが暖かく照らす侯爵邸の温室の中、豊かな草花に囲まれて若き侯爵様と向かい合わせに、用意された紅茶を傾けながら『やっぱりね』とどこか安堵する自分がいた。
訳ありでなければそもそもおかしいのだこんな縁談は。
別にウチの男爵家に問題があるとか貧乏であるとかは言わないが侯爵家にとって到底旨みがある家でもないのは確かだ。さらに姉は既に結婚しているから対象外だけれども、そう歳の離れていない妹もいる中で、敢えて醜聞のある次女の私をご指名な辺りにキナ臭さがぷんぷんする。
お父様もああは言っていたけれど「身の危険を感じる様であれば直ぐに知らせなさい」と真面目な顔で付け足してきたので、この怪しい婚約に思う所はあるようだ。
まあ本当に危ない目に遭った場合、果たしてしがない男爵家がやり手と評判の侯爵家に勝てるのかは微妙なところであるが、当主として例え悪評にまみれた困った娘だろうとも非情に成りきれないお父様のその中途半端さは娘として嫌いになれないでいた。
……そこに付け込んで好き勝手していた面もあるのですが。
よって、過激な趣味をお持ちであるとか人身売買その他身代わり人身御供であるとかとか、のっぴきならない事情があるのだろうと踏んで覚悟のもと侯爵家の門をくぐった訳ですけれども、どうにもこの侯爵様──ルートヴィッヒ・ゴライエ様がそこまで後ろ暗いものがある様には見えないのがなかなかに不思議だった。
これでもそんじょそこらのご令嬢とは比べようがないほどの経験値はあると自負している。ここに至るまでの所作や言葉選び、表情、執事や使用人への態度、雰囲気、屋敷の様子などからも紳士さは窺えこそすれ粘つくような厭らしさ、陰気さや殺伐さというのは現状感じ取れていない。
また先の発言にしても、「まず初めに貴方に話しておかねばならない事がある」と断りのあとに、心底申し訳なさそうな顔と声で告げられては、訳ありと言っても身の危険は無さそうだなと思う次第であった。
「はい、理由は勿論お話します」
苦渋の表情ですごく言いにくそうに彼は続けた。
「私は……………が難しいのです」
「? すみません、お声が小さくて……もう一度お願いしても?」
顔を真っ赤にして彼は「も、申し訳ない」と謝るともう一度、ゴクリと気合いとか勇気とかといった物だろうものを飲み込んで再度口を開いた。
「私は、性交渉が、難しいのです」
「あらあら」
思わず声が漏れてしまって扇子で口元を隠す。
なるほどなるほど?
詳しくどうぞ、と視線で促せばゴライエ様はグッと口を引き結んでから赤い顔のまま話し出した。
「不能、という訳ではないのです。きちんと反応はします。けれど、女性──相手に対して反応できるかというと、どうにも難しくて……」
ほうほう。
「以前からそうでした。友人達がそういった話で盛り上がっている時も、自分だけ上手く乗れず、奥手だなんだと言われて自身でもそうと思っていたのですが、私を心配した両親が生前用意してくれた試しの場でも、結局どうにもできず……」
ふむふむ。
「このままでは血を繋いで行く事すら難しいと、どうすれば良いのかと悩んでいた折、貴女の事を聞き及んだのです」
まあまあまあ。
「愛するのは難しいとは、そういう理由からです。貴女からしたらこの縁談も意味不明な打診だったでしょう。もしかしたら不安にさせたかもしれません。何よりこんな理由です。不快に思うのも当然です。ですから、この話は断って頂いても構いません。断ったからと貴女やゾーン家になにか不利益が及ぶことはありません」
なーるほど?
「わかりましたわ」
パチンっと扇子を閉じて私が答えれば彼は残念なようなどこかホッとした様な顔をした。
「では……」
「そのお話、呑みましょう」
「………え?」
「ですから、そのお話呑みますわ」
近くに控えている年嵩の侍女に恐らく私が帰る旨を伝えようとしていた彼が目を見開く。
美形の驚いた顔というのもなかなかどうして見物ですこと。
「私の噂を聞いた──という事であれば私の手技を信頼してくださった、という事でしょう? であればここで呑まねば女が廃ります」
「いや、別にこの話は内々のことで言いふらすような事はしない。貴女に傷が付くような事は絶対にしないと約束しよう」
「あら、お気遣いありがとうございます。ですが、そうですわね……こう言った方がわかりやすいかしら?」
私は私の美貌が存分に発揮される角度と笑みで告げる。
「腕が鳴ります、と申しているのです」
「へっ!?」
「私も伊達に浮名は流しておりません。そんじょそこらのご令嬢、なんなら娼婦にすら負ける気はありませんわ。そんな私に舞い込んだこのお話、受けて立たずにどうするのです。私の培ってきた手練手管がどこまで通用するのか、世に知らしめる良い機会ではございませんの」
「いや、出来れば知らしめないでくれ……」
「あら、そうでしたわね。でしたらゴライエ侯爵家に、ですかしらね?」
そう、私の噂はただの事実。
最初は家のためになればと有力な商会や高位貴族の殿方と夜を重ねてコネを作ろうとしていましたけれど、段々と楽しくなってきてしまって手段が目的と合わさってしまっただけ。
だって名実共に立派な殿方が、私に対して必死になったり泣いたり懇願したりするの、ゾクゾクしちゃうんですもの。口を悪くするなら『堪らねえ』ですわ。
「かといって、万一私が満足させる事ができなかった場合もあるかと思いますから、一度お試ししてみるのはどうでしょう」
「お試し!?」
「準備、お願いしても?」
この場にいるただ一人の年嵩な侍女に伺えば「今すぐに」と微笑みを浮かべて去って行ったので、彼はずっと「え、え?」と戸惑いっぱなし。最初に出迎えてくれた時の優秀な侯爵様、といった姿からは想像も出来ないほどだ。可愛らしいですわね。これからもっと崩しますね。
「準備が整いました」
先ほどの侍女がすぐ戻ってきた辺りにある程度想定していたのかもしれない。やはり事情を知って唯一控えていたであろう彼女はここの侍女長かなにかなのだろう。優秀だ。
「ありがとう、ではゴライエ様、向かいましょうか」
「え、あの、その」
「お任せください。──たくさん啼かせてさしあげますわ」
「ひぇ」
推定侍女長と私とで彼をなかば引きずるように用意された部屋へと連れて行き、私は彼── ルートヴィッヒ・ゴライエ侯爵様とめでたく正式に婚約する事になったのだった。
■
ルートヴィッヒ・ゴライエ侯爵とアマンダ・ゾーン男爵令嬢の婚約は案の定社交界に衝撃を走らせた。
貴族達は二人の関係をあれこれと噂したが、実はゴライエ侯爵が幼少の頃に彼女に助けられていたとか、実はゾーン男爵令嬢はゴライエ侯爵の面影を探して夜を渡り歩いていたとかとか……といった話が飛び交いはじめ、夜会に現れる二人が大変仲睦まじい様子からもその話を真実とし、美談として語られる様になるのに時間は掛からなかった。
今日も二人は美しく寄り添って夜会に現れた。
ゴライエ侯爵夫人を何かと気にかけ側であれこれ世話を焼くゴライエ侯爵の姿はどこか飼い主大好きな大型犬を連想させて、ご婦人方の話題をさらった。
──余談だが、ゴライエ侯爵夫人として茶会に呼ばれたアマンダがご婦人方に質問攻めにされ、夜の主導権を握る方法なるものを一部に伝授したおかげで貴族達の夫婦関係が少し向上し、アマンダ師匠と呼ばれる様になるのはまた別の話である。
(どうでも良い)人物紹介
■アマンダ:いい男をヒンヒン啼かせるのが好き。
■ルートヴィッヒ:いい女にヒンヒン啼かされるのが好き。