082. 蜂蜜色の誘惑
「基本はこちらの書類に記載がありましたので疑問はないのですが、特記事項があるとのことで、そちらを伺えればと思います」
「ああ、作業人数のところですね」
双子たちの顔をそれぞれ見て、ガジェットさんがゆるく頷く。
まあ、訪れた時点でそうじゃないかな、とは思っていた。
「この二人、メルティとレティも、ホップさんの箱庭に入る権限をいただければと思います。何分、三人家族でして、二人だけにしておくのは心配で」
「だいじょうぶだって言っても聞かないのよ」
「心配性なのだわ」
「そうは言ってもね……」
そりゃ小さい二人を置いていくのは心配になる。大切にされているのはぱっと見でも解るし、三人家族と言ってきたということは他に面倒を見てくれる人もいないのだろう。
ちょっと自分のことも思い出すなあ。鍵っ子だったんだよね。まあ、リーナも弟も年の離れた兄姉も居たから、完全に子どもだけというわけではなかったけど。
「構わないですよ」
「本当ですか!」
「えー!」
「なのだわ!」
不満そうな双子は長椅子を降りてガジェットさんの両脇に駆け寄る。長椅子の後ろからそれぞれ裾を掴みつつ、むくれて上下運動をしだした。結構な激しさで、ガジェットさんの身体が揺れる。
「ちょ、っと」
「お仕事しなければいいのだわ!」
「ママを一緒に待てばいいのだわ!」
「二人とも……」
わがままに困っている、というだけではない、どこか影が深まった表情。特にクエスト表示は出てきていないのだが、眼の前で繰り広げられる騒動を無視することは人としてどうかと思い口を出した。
「えっと、レティ、メルティ? 家に居たい理由があるの?」
「ママを待つのだわ!」
「いつ帰ってくるか解らないのだわ!」
「「誰も居ないと寂しいのだわ!」」
「ママを待ちたいのか。でも、パパがお仕事をしていないとママは怒らない?」
「……わ、わからないわ」
「怒る、かもしれないのだわ……」
「レティ!」
「だってだって、前はずっと家にいるって言ったパパを怒ったのだわ!」
「それは、だって、ママが病気だったからでしょ!元気になって帰ってくるなら、一緒にいたいのだわ!」
「「う、うう〜」」
自分たちの中でもどちらがいいか解らなくなったのだろう。ムズがるように唇を噛みしめる。動きのとまった二人を労るように、ガジェットさんは双子を抱き寄せた。
「すみません……」
「いえ」
うっ、気まず! 泣く子には勝てないと言うけどまさにそれ。だからといって、ここで別の人を契約パートナーにします〜っていうのは薄情がすぎる。
貨幣経済である以上、とんでもない資産家とか不労所得が無い限りは、この世界でも勤労は必須だろう。アマヌスも必死だったし。
どうにかお子様達が納得してくれる方法がないものかと頭を捻る。いかんせん、両親が忙しくて構ってくれずとも、特に寂しい思いをしたことがないもので、自分の例が当てにならない。こういうときは変に上手いことやろうとせず、自分がわかる範囲の嘘じゃない話をするしかない。
お子様、敏感で嘘とか誤魔化しは感じ取っちゃうからね。
「二人とも、お菓子は好き?」
「「お菓子……?」」
「そう。えっと、このキューブみたいな、甘くてしっとりしたものとか、甘くてふわふわしたものとか」
「「甘いのは、すき」」
「そっか。二人のパパにはね、甘いものの元になる、美味しい蜂蜜を作るお仕事をお願いしたいんだ。二人にも、もちろん二人のママにも、美味しいって思ってもらえると思うから、力を貸して貰うことは出来ないかな?」
まー、なんだかんだ言っても結局そこなんだよね。
美味しいものは正義。美味しいものは何ものにも勝る。
実際がどうかは置いといて、私はそれを信じてる、ってことで。
このゲーム、デフォルトの料理レシピ自体は少ないものの、調味料が最初から揃ってんだよな。もちろんある程度って感じで、すべてが揃っているわけじゃないけども。
きっと崩落が起きる前は結構な種類の料理があったと思うんだよねー。
「「ママ、喜んでくれる?」」
「喜んでくれたらいいなって思うよ」
崩落現象に巻き込まれた人は、ある日突然戻って来るっていうのはアマヌスから聞いている。それが全ての人に適応されるかはわからないし、彼女たちの母親が本当に巻き込まれて居なくなってしまったのかもわからない。でも、少なくともこの二人にとっては戻って来るはずの人なんだろう。
「……いいわ、許してあげる」
「お家にはお手紙を置いておくのだわ」
やや間があって、二人は一度ガジェットさんへと抱きつき、そのままこちらに顔だけを向けて許可の言葉を発した。すぐに恥ずかしくなってしまったのか、ガジェットさんから離れて部屋の扉へと駆けていく。
「「お部屋でお手紙を書くのだわ!」」
扉が閉まる直前そんなことを告げて、二人の姿は見えなくなった。あとに残されたガジェットさんが、感謝するように頭を下げる。
「ありがとう、ございます」
「ああ、いえ……私も養蜂の人手が欲しいと思ってのことですし」
半分くらいは打算とフラグ管理なので、こうも感謝されると居た堪れない。もう冷めてしまった赤茶を口に含んで場をやり過ごす。二口飲んで、味変のために添えられていた蜂蜜を落としたところで、ガジェットさんが書類を取り上げるのを見た。
「では、契約に異存はありませんので、こちらの書類は完了として処理しても構わないでしょうか」
「あ、はい。えっと、他の条件なんかは確認しなくても?」
「ホップさんの方で気になることがなければ、私の方からはなにも」
微笑みとともに頷かれて、これで話を終えることも、出来た。が、ママを待つのだと聞いたときに、どうにも影のある表情だったのが気にかかる。
流すほうが大人の対応なのかもしれないがなー。ここは自分の気持ちを優先させてしまいましょう。だって気になるんだもん。
「――奥さまは崩落現象に巻き込まれて?」
微笑みからストンと表情が抜け落ち、耐えるように唇が引き結ばれた。酷なことを聞いてるとは思うんだが、見える地雷を放置しておくほど寛大でもないのだよ。
二度、三度、開閉された口から細い息が吐き出される。
持ち上げていた書類を脇において、組んだ両手に額を押し付けるように、彼は語りだした。
「あいつは、崩落現象の前に……息を引き取ったんです。メルティとレティは、街に、あいつの好きだったものを、買いに……帰って来る前に、崩落現象がおきました。当初は私も周りも混乱していて、ようやく落ち着いたときには、二人はあいつも崩落現象に巻き込まれたんだと信じ切っていて。いえ、実際、間違いではないんです。メルティとレティを見つけて、家に帰ったときには、彼女の亡骸は彼女の部屋ごと無くなっていたんですから」
思ったよりややこしい状態だった。いや、シンプルではあるんだけども。
でもそっか、それだと整理も出来ないし、信じたい方を信じるよなあ。……バックボーン作り込みすぎてません? これでまだクエスト出てないんですよ。ある種のフレーバーテキストなんですよ。
「はは、すみません。こんな話」
「いえ、私から聞いたことですし。タイミングはありますもんね」
「私も、まだ信じたくないのかもしれませんね」
困ったように笑う、幸の薄そうな顔。ご多分に漏れず顔は整っていて、イケオジに片足突っ込んでいる。乙女ゲームなら攻略対象の一人になりそうだが、あいにくここはゲームでも乙女ゲームではない。新しい恋で傷心を吹きとばせ、なんて軽々しく言えないのである。
そんなことを考えていたのがいけなかったのだろうか。外から盛大な騒音が近づいてきたと思ったら突然玄関が開き、何だと振り返った先で飛び込んできた女性から「この泥棒猫!!」なんて罵倒が浴びせられた。
……えっ、どういうこと????




