5 Sランク冒険者となり、緊急クエストを受領します。
どうぞよろしくお願いいたします。
「到着しました……! ここが、デュアル!」
日が暮れる前に、ステラは目的の街――ビュアルに到着した。
ここデュアルは、スリュダー王国の北東最大の街だ。
ステラは街の門の前で手を組んで喜ぶ。
左右には街をぐるりと囲む塀が伸びている。ナディス村でもそうだったが、人里では、こうやって背の高い塀で囲い、魔物の侵入を阻んでいるのが当たり前のようだ。ただし、その対策も万全ではないらしい。ナディス村ではその塀を破って黒凶熊が侵入した。
ステラは、街に入る為に門番に銀貨二枚を支払い、街に踏み込んだ。近くに居た衛兵に宿の場所を聞くと、親切な衛兵は宿の場所だけでなく、美味しい料理を出す酒場まで教えてくれた。ステラは彼にお礼を言い、まずは宿へと向かった。
宿――『妖精の繭』で、女主人から鍵を受け取って部屋へ入る。ここは多少値が張るものの、衛生的なのだという。ステラは宿の相場など知らなかったが、衛兵のオススメ通り部屋は掃除が行き渡り、シーツも綺麗だった。
部屋の確保も出来たので、ステラは酒場へ行くことにした。
本音で言えば、今すぐにでも冒険者ギルドへ行きたかったのだが、衛兵が言うには、この時間では既に受付嬢は退勤しているという。有事に備えてギルドは開いているが、殆どの業務が終了していると言うので、ステラはがっかりした。
(ギルドへは、明日、朝一番に向かうことにしましょう……)
しょんぼりと肩を落として歩いていたが、酒場が集まる区域に近づくにつれ、良い匂いが漂い出す。ステラは、落ち込んでいたのも忘れて紹介された酒場――『ケンタウロスの宴』に入った。
人気店なのか、店の外からでもわかる程、中は賑わっていた。国の要所の一つというだけに、様々な人種の客が入り乱れている。
ステラは物珍し気にキョロキョロとしながら、空席に腰を下ろした。しかし、料理の注文の仕方がわからない。周りの客を観察していると、皆、テーブルの中央に置かれている小さな板を見ている。ステラはそれを手に取った。
(こちらにメニューがあったのですね。しかし、何がなにやら……)
スリュダー王国は、ステラの母国オリヴィニス王国に属する国だ。言語は同じだった。しかし、庶民の料理など、お嬢様のステラは知らない。メニューを上から順に目を通していく。その中に聞き覚えのある名前があった。
(シチュー? あっ、これはフィアンさんのところで頂いたものと同じですね。ですが、せっかくなので、別のものを頂いてみたいです……)
ステラは、隣のテーブルの客の料理を見た。何か、赤い料理を食べている。
「あの、すみません」
「何だい、お嬢ちゃん?」
ステラに声を掛けられた中年の男が振り返った。ステラは、すい、と手を差し出して尋ねる。
「そちらのお料理は、なんというのでしょうか?」
「これか? これは、白羊のトマト煮だよ。別に、珍しいのもじゃないだろう?」
中年の男は、酒場には似つかわしくないステラの物腰に目を白黒させながら答えた。
「そうなのですね。お教え頂き、ありがとうございます」
ステラはペコリと頭を下げて、テーブルに向き直る。暫くそうしていたが、一向に店員が来ない。ステラは首を傾げて、また周りを見た。そこでやっと、店員は自分で呼ぶものだと気が付く。ステラは、丁度、傍を通りかかった青年を呼び止めた。
「はぁーい。ご注文ですか?」
エプロンを着けた黒髪の青年がにこやかに立ち止まった。
「あの、白羊のトマト煮をください」
「かしこまりました。お飲み物はどうします?」
「あっ、ど、どうしましょう。そこまで決めていませんでした……!」
わたわたとメニューを掴み直すステラに、店員は、ふふ、と笑った。
「構いませんよ。女性にオススメなのは、サングリアですが……って、お酒飲めます?」
「あ、お酒は……」
酒場で酒を頼まないのはどうかと思ったが、ステラは酒が苦手だった。困っていると店員が気を利かす。
「では、果実汁にしますか?」
「! お願いします……っ!」
「かしこまりました。少々、お待ちください」
何とか注文を完了し、ステラは一息吐いた。すると、その一部始終を見ていたらしき酔っ払い集団が絡んできた。
「お嬢ちゃん、酒場に来るのは初めてか?」
「はい……。不慣れなものでして……」
ニヤニヤいやらしく笑いながらそう聞いてくる酔っ払いに、ステラは羞恥に頬を染めた。
「なら、俺たちが教えてやろうか? 手取り足取り、優しく教えてやるよ。なぁ?」
「おうともよ!」
酔っ払い男の呼びかけに、仲間の男たちは湧いた。ヒューヒューと口笛を鳴らしている者も居る。ステラはいつの間にか彼らに囲まれてしまった。
「んじゃ、まずはこんな店よりも、もっとイイところに行こうぜ!」
腕を持たれ、立ち上がらせられる。
(酒場の嗜みを習うには、このお店では駄目なのでしょうか……?)
それどころか、そもそも、ステラはまだ男の提案に頷いてもいない。彼らの強引さにステラは困惑した。
「あ、あの……?」
「ほら、さっさと行こうぜ!」
ステラが連れ去られそうになった時だった。
「――あっ」
バシャ、と音がなった。ステラの腕を引っ張っていた酔っ払いの男が頭から水を被ったのだ。
声がした方を見れば、先程、ステラの注文を聞いた店員が床に膝を付いている。どうやら、彼が椅子に足を引っ掻けて転んだ拍子に、持っていたジョッキをひっくり返したらしい。
「何すんだ、テメェ!」
「あ、いや……、躓いてしまって……あはは」
「あはは、じゃねーよ!」
「ヒッ、そうですよね……」
びしょ濡れになった酔っ払い男は、床に座り込んでいる店員に掴みかかった。その剣幕に、店員は小さい悲鳴を上げて真っ青になっている。
酔っ払い男は更にヒートアップした。ステラは慌てた。今にも、店員が殴られそうだ。しかし、ステラが止めに入る前に低い声が響いた。
「何騒いでんだ、お前ら!」
店の騒ぎを聞きつけた酒場の主人が怒鳴り出て来たのだ。ステラがオロオロとしてる間に、酔っ払いたちは腕っぷしの強い店主によって店から叩き出される。
きっちり迷惑料まで支払わされた酔っ払い共は、捨て台詞を残し尻尾を巻いて逃げて行った。
「オディウム! お前も客と騒いでる暇があったら働け!」
オディウムと呼ばれた店員も店主に激しく叱責される。彼はひたすら平謝りを繰り返していた。
「……はぁ。助かったけど、オーナーやっぱり怖いなぁ……」
厨房へ消えて行った店主の後ろ姿を見ながら、オディウムはぼやいた。
「あ、あの……」
「あ、君、大丈夫だった? ごめんね、怖かったでしょ? あんなゴロツキ共、連れていかれたが最後、何をされるかわかったもんじゃないからさ」
そう言って、へらりと笑うオディウムに、ステラは、彼はステラを助ける為にわざと転び、酔っ払いに水をかけたのだと気が付いた。
そして、あの酔っ払いたちは、ステラに親切をしようとしていたのではないということも、同時に理解する。
ステラは自分の世間知らずさに、恥じ入った。
「助けてくださり、ありがとうございます……!」
彼が居なければ、ステラは連れ去られて、犯罪に巻き込まれてしまうところだった。ステラは深々と頭を下げた。
「いえいえ。それじゃ、料理が出来上がるまで、もうちょっと待っててね」
オディウムは笑いながら、手をひらひらと振ると、他の客の注文を取りに行った。
暫くして、白羊のトマト煮が来た。
初めて食べるそれは、絶品だった。
良く煮込まれた骨付きの白羊の肉はホロホロのとろとろで、トマトの味が良く沁みていた。一緒に煮られた豆も潰れておらず、ほくほくとした食感だ。付け合わせのパンに、汁をつけて食べると、これまた美味しい。柑橘系と思われる果実汁も水で割っているのか、甘すぎず爽やかでさっぱりと飲めた。
ステラはすべて綺麗に平らげると、銀貨一枚支払って店を出る。
旅の間は自炊だ。下手くそでも、自分で作った物は愛着が湧いて、あれはあれで美味しい。しかし、お店の料理には敵わない。
酔っ払いに絡まれてしまったが、ステラは美味しい料理に大満足だった。
(いつでも、お店の味が食べられれば良いのですけれど……)
《調理》のスキルでも獲得しようかとも考えたが、ステラには難しいような気もする。せめて、街に居る間は美味しい物を食べようと決めて、ステラは魔石灯の明かりが照らす道を歩いて宿へ帰った。
***
久しぶりにベッドの上でぐっすりと眠ったステラは、翌朝、予定通りに朝一番に冒険者ギルドへ訪れた。
(大きな建物ですね……!)
ステラの実家の屋敷に比べると小さいが、三階建ての立派な建物だった。早速、中に入る。早朝だったからか、ロビーに人は少なかった。
三か所ある受付の中で、ステラは中央の受付に向かった。受付嬢に声を掛ける。金髪の美しい女性だった。
「おはようございます。本日はどのようなご用件でしょうか?」
受付嬢に、ステラも挨拶をすると口を開く。
「わたくし、冒険者になりたいのです……!」
わくわくしているステラを前に、受付嬢は目を丸くして「えっ」と声を上げた。ステラの見た目と要望がちぐはぐだったからなのだが、しかし、ハッとすると、ゴホンと咳を一つして「失礼しました」と頭を下げる。
「冒険者登録でございますね」
「はい……!」
「まずは、冒険者ギルドについてご説明させていただきますね」
そして、受付嬢は説明を始めた。
冒険者ギルドとは、世界各国に支部が存在する、冒険者連盟でございます。
冒険者の仕事をサポートするのが目的であり、クエストの受発注をスムーズにするだけではなく、不正などの取り締まりもしています。また、魔物資源である魔石の買い取りもすべてギルドが行い、その流通を守っています。
ギルドが介するクエストの受発注には手数料がかかりますが、ギルド加入者は国境や街の行き来で発生する税金を免除されます。
しかし、不正取引や犯罪行為が確認されたら、退会処分となりますので、お気を付けください。
「まずはここまで、ご納得頂けましたでしょうか?」
そう聞く受付嬢に、ステラは頷いた。
「では、続きをご説明しますね」
冒険者は実力からG~Sランクに分かれており、初めは皆様Gランクから始まります。
クエストは同じ等級かその下のみ受注可能です。クエスト内容により点数は異なりますが、クエスト達成でポイントが入ります。そのポイントを一〇〇ポイント溜めると昇格試験を受けることが出来ます。
ちなみに、先程、クエストはご自身と同じ等級かその下を受注可能と申しましたが、下のランクのクエストではポイントは得られません。
昇格試験では、ギルドが依頼したクエストを三件受注して頂きます。その三件とも達成で昇格となります。
また、半年に最低ポイント、五ポイントを達成出来なかった場合、降格、もしくは登録抹消となりますので、ご注意ください。
「これでご説明は終了となります。ご納得頂けましたら、こちらにご署名と登録料銀貨二枚のお支払いをお願いします」
と、受付嬢は微笑みながら契約書と羽ペンを差し出した。ステラは支払いを済ませて、それを受け取る。羽ペンを走らせて、契約書に署名した。
「こちらがギルドカードとなります。この部分に血液を垂らしてください」
今度は、ギルドのエンブレムの入った銅色の金属プレート――ギルドカードと、針を差し出される。
ステラは針で人差し指を刺す。そして、言われた通り、ギルドカードに嵌め込まれた赤い魔石に血液を垂らした。それが終わると受付嬢に渡した。
受付嬢は、契約書とギルドカードを魔道具に設置する。すると、青白い魔法陣が浮かび上がった。垂らした血液が魔石に吸い込まれる。そして、ギルドカードにステラの署名がひとりでに刻み込まれた。
青白い魔法陣が消えると、受付嬢は契約書を回収し、ギルドカードをステラに差し出した。
「ご登録ありがとうございます。パーティーを組んだ場合や従魔を得た場合は、ギルドカードに登録致しますので、また受付までいらしてくださいね。紛失時は再発行出来ますが、手数料を頂きますので、ご注意ください」
「ありがとうございます……っ!」
ステラはギルドカードを受け取り、それを両手で掲げた。真新しいカードは傷一つもなく、キラリと光る魔石が美しい。ステラはにこにこと笑いながら、魔法で彫り込まれた自分の名前を指で撫でた。
「うふふ」
これで念願の冒険者となれた。ステラがいつまでもそうしていると、微笑ましそうにステラを見ていた受付嬢が問いかける。
「この後は、クエストを受注されますか?」
「あっ、はい……!」
ステラは受付嬢に案内されて、フロアの一角へ場所を移した。
「G~Dランクのクエストはこちらです。このボードから受注するものをお選びください」
ボードには、びっしりと魔物皮紙がピン留めされている。薬草や鉱物の採取や魔物討伐、特定の魔物の素材の納品など内容は様々だ。
ステラは、ふと、気になった。
「ちなみに、C~Sランクのクエストはどちらにあるのですか?」
「反対側のボードにありますよ。ですが、Bランク以上の冒険者となるとギルドでも一握りとなります。Cランク以上で上級冒険者という認識ですね。大抵の冒険者がDランクで頭打ちとなります……。あっ、でも、希望は捨てては駄目ですよ! 誰にでも、上級冒険者に成り得る可能性があります!」
受付嬢はぐっと拳を握り、励ますように言う。ステラは彼女の優しさに、心が温かくなった。
「はいっ! 頑張ります……っ!」
満面の笑みで頷くと、改めてボードを眺めた。
昇格試験に挑戦するには一〇〇ポイント必要らしい。この中で一番ポイントが低いクエストは、薬草採取だった。難易度が高くなるにつれ、ポイントが高く設定されている。ステラはGランクの中で一番ポイントが高い依頼書を取った。それを見て、受付嬢が驚く。
「えっ、ゴブリンの討伐ですか? 小型の魔物ですが、戦意旺盛で初心者向きとは言えません。討伐系のクエストがよろしいのであれば、白羊とかの方が……」
ステラを案じる受付嬢を安心させるように、ステラは微笑んだ。
「大丈夫です。ゴブリンなら、ここまでの道中でたくさん狩って来ましたから。あっ、今持っている魔物さんはどこで換金すれば良いのでしょうか……?」
「えっ、え……? あ、ああ、魔物の換金所はこちらです……?」
クエストに出掛ける前に魔物を換金してしまおうと、ステラは疑問符を浮かべながら戸惑う受付嬢に付いて行く。
魔物の換金所には、厳つい大男が居た。鍛え上げられた筋肉が素晴らしい。カウンターの裏は解体所となっているのか、大きな鉈やその他の刃物、用具がずらりと並んでいる。
「何の用かい? お嬢ちゃん」
大男――解体職人はステラたちに気が付くとカウンターに腕を付き、不思議そうな顔をした。
「魔物さんの買い取りをお願いします」
ステラは|《時空収納》《アイテムボックス》から、雷鳥を取り出した。解体職人と受付嬢が「は?」「え?」と声を漏らして固まる。ステラは気にせず、他にもミノタウロス、オークジェネラルを取り出した。
ヘルハウンドを取り出した時に、放心状態から意識が帰って来た解体職人から「ちょ、ちょっと待ったッ!」と声がかかる。受付嬢はまだ放心状態から帰って来ていない。
解体職人の大声に、何事かとこちらを見た冒険者たちから困惑と驚愕の騒めきが上がった。この騒めきは何となく身に覚えがあるような気がして、ステラは首を傾げた。そして、「ああ」と納得する。王子から婚約破棄と国外追放を突きつけられた時に、周囲から上がった声と似ているのだ。
(しかし、今、何故こんな声が上がるのでしょう……?)
ステラは小首を傾げる。一方、解体職人は魔物の山の向こう側から顔を出した。
「お、お嬢ちゃん! この魔物たちは一体、どうしたんだ⁉」
「わたくしが、この魔物さんたちのお命を狩らせて頂いたのですけれど……?」
ステラは解体職人の反応に戸惑った。
(まさか、『魔物さん、許可なく狩るべからず』という法があったのでしょうか……?)
否、ない。
これでも、大国オリヴィニス王国の名門校一の才女だったのだ。そのような法がないことは承知している。
(それでは、皆様、何故こんなにも慌てているのでしょう?)
ステラがまた小首を傾げていると、また解体職人から声がかかる。
「一旦、この魔物はしまって! そんで、お嬢ちゃんはこっちに来て! おい、リーナ、ギルドマスターにこのことを知らせろ!」
解体職人の声に、ハッと意識を戻した受付嬢――リーナは、慌てて駆け出した。ステラは指示通り魔物を《時空収納》にしまい、手招く解体職人について解体所の裏へ行く。裏は表よりも狭いが解体所となっていた。解体職人の私物と思われる物も見受けられるので、休憩スペースとしても利用されているようだ。
ステラは、解体職人に用意された椅子に腰かけて、ギルドマスターを待った。
その間、解体職人は「こんなお嬢ちゃんが雷鳥を……? いや、そんな訳……。いやいや、見間違いではなかったぞ……。いや、しかし……」などとぶつぶつ言いながら、難しい顔であっちへ来たりこっちへ来たりを繰り返している。
ギルドマスターは思いのほかすぐに来た。
「トレンス! 雷鳥を狩ったという少女が来たと聞いたんだがッ⁉」
大きな音と共に扉が乱暴に開けられた。解体職人よりも更にガタイの良い初老の男が入って来る。彼がここのギルドマスターらしい。受付嬢が彼の後ろで息を切らしている。
閉じかける扉の隙間を鳥型の魔物が入って来た。青眼鷹だ。ギルドマスターの肩にとまる。彼の従魔のようだった。
「ギルドマスター……。雷鳥だけではないですよ……」
この数分で、どっと老け込んだように見える解体職人――トレンスが疲れた声で言った。
ステラは、彼らに促されて改めて魔物を取り出す。見事、首を切断された高ランクの魔物たちに、言葉もないようだった。唯一、ぐちゃぐちゃに解体された黒凶熊に、リーナは「うっ」と呻く。しかし、流石は、冒険者ギルドの受付嬢だ。解体された魔物には慣れているようで、部屋から出て行かなかった。ゴブリンは魔石だけしか残っていないので、小さい山が三つ分はある魔石を提出する。
「それで、これすべてお前さん一人が狩ったと……?」
「はい」
「Bランク以下の魔物はともかく、Aランクのコカトリスにヘルハウンド、ミノタウロス、オークジェネラル……。しかも、極め付きはSランクの雷鳥だと……ッ⁉」
雷鳥を始め、Aランクやその他Bランクの魔物の山に、ギルドマスターは頭を抱えてしまった。他の二人も似たような反応だ。
「今の冒険者で、単独で雷鳥を狩れる奴など居ないぞ」
「ギルドマスター、こちらの文献のこの記述をご覧ください。雷鳥の特徴と間違いありません。……四八年生きてますが、俺、初めて実物を見ましたよ」
「奇遇だな。俺もだ」
「雷鳥を狩れるとなると、五千年前の勇者だけでは……?」
「馬鹿言え、あれはお伽噺だぞ」
ステラに背を向け、三人は何やら囁き合っている。そして、その囁きがピタリと止む。ギルドマスターが振り返った。
「……ちなみにだが、ステータスを見せて貰っても構わないだろうか……?」
「はい、構いませんよ……?」
ステータスとは、自分の情報がすべて載っている。それを明かすことを嫌がる者は多い。しかし、ステラは頷いた。ステラは、自分のステータスにこだわりがなかった。しかし、何故ここでステータスなのかと、ステラは疑問だった。
一行は、ステータス確認の魔道具があると言う、ギルドマスターの執務室に移動する。
魔法の適性のない者でも、ステータス魔法――自らのステータスを確認する魔法――は使える。しかし、それで映し出したステータスは本人しか見えない。よって、他人がステータスを見る場合は専用の魔道具を使う。
ステータス確認の魔道具は、身分確認が必要な時の為に各種ギルドや役所などに設置されている。
ギルドマスターは、金庫に保管されていた美しい装飾の小箱を取り出す。ステラはその中から取り出された布に包まれた鏡のようなものを渡された。
子供の頃は、親などが成長具合を確認する為にステータス確認の魔道具使ったりもする。よって、使い方は知っている人間は多い。ステラはそれに自分の顔を移した。
フォン、という音に合わせて紫色の魔法陣が鏡に現れる。魔法陣がくるりと回転すると、鏡の裏面から光が溢れ、ステラの目の前、空中にステータスが映し出された。
「なッ、んだ、これは……」
内容を読んだギルドマスターとトレンスは言葉を失った。リーナは目を丸くして、ぽかんと口を開けている。
ステラのレベル99のステータスがそこに映し出されていた。ステラにとっては変わり映えしない内容のものだが、ギルドマスターたちには驚愕に値するものだったらしい。
ステラ・ルナローズ
〈年齢〉16
〈職業〉冤罪で追放された元公爵令嬢で冒険者
〈種族〉人間
〈所持金〉金貨7枚
〈レベル〉99
〈体力〉907
〈魔力〉926
〈攻撃〉945
〈防御〉922
〈俊敏〉983
〈耐久〉909
〈特殊スキル〉
【戦神の寵愛】《戦神ノ剣技》《経験値二乗》《身体能力超人化》《状態異常無効》《戦闘力倍増》《魔法効果倍増》《魔力倍増》《高速治癒再生》《自浄作用》
【戦神の宝物】細剣[アンタレス]、戦闘服[マールス]の召喚
〈スキル〉《時空収納》
〈魔法〉火魔法、水魔法、風魔法、氷魔法
「……凡人はレベル30が頭打ちだ。天才であってもレベル60が限界だし、現上級冒険者たちもせいぜいレベル40だぞ?」
ステータスを読み終わったギルドマスターは、額に手を当てて天を仰いだ。
「レベル99なんて、お伽噺の勇者くらいしか……」
リーナは口に手を当てて、信じられないと言った表情で囁いた。
「レベル60が人類の限界とされているのに、レベル99? 聞いたこともない! しかも、何だ【戦神の寵愛】とは! 《経験値二乗》だと⁉ いや、それだけではないッ!」
「オリヴィニス王国の社交界では、笑われていました……」
ステラはギルドマスターに言った。
嗤っていた彼らは、流石に特殊スキルの詳細までは知らない。しかし、貴族の教養として褒められるようなスキルではなく、公爵令嬢として、まったく必要のない戦闘系のスキルを持つステラが野蛮だと嗤っていたのだ。
「社交界……。そりゃ、お貴族様には必要ないだろうが……」
「冒険者には垂涎もののスキルだぞ。は、ははは……」
突っ込みたいところが山程あると言う顔で、ギルドマスターは目頭を揉んだ。トレンスはもはや、驚きを超え呆れて乾いた笑い声を上げている。
「それで、お嬢ちゃん……いや、ルナローズ様はなんでまた冒険者に?」
「国が違いますし、追放された身ですので、身分は関係ありません。どうぞ、ステラとお呼びください。わたくし、冒険者になることが幼い頃からの夢だったのです!」
『追放』の言葉にまた何か言いたげな顔をしていたギルドマスターだったが、うっとりと、キラキラした表情のステラに、何かを諦めたように、ふ、と笑った。
「そうか、夢か……。そういう冒険者は多い。何せ、この俺もそうだった。ガキの頃、お伽噺の英雄に憧れてな」
「英雄! つまり、勇者様ですね! わたくしも、かの勇者様のように、世界すべてのダンジョンを攻略出来るような冒険者になりたいのです……!」
英雄――勇者とは、世界中で語られているお伽噺の主人公だ。
――魔王とその率いる魔物によって、世界は支配されていた。
――その世界を救うべく、勇者はたったひとり立ち上がる。
――魔王の仕掛けるダンジョンを次々と攻略した勇者は、ついに、魔王と対面し勝利する。
――こうして、世界は魔王の支配から解き放たれた。
勇者が魔王を倒すという英雄譚だ。
地域によって内容に差があるが、子供の頃は必ず一回は聞いたことのある有名な話である。
冒険者になる者の多くは、少なからずこの物語の影響を受けている。ステラもその一人だった。
ギルドマスターたちは顔を見合わせた。そして、ギルドマスターは、大きな声で豪快に笑い出す。ひとしきり笑うと、大きく息を吐いた。
「そうか。お前さんなら、なれるだろうよ!」
そう言って、ギルドマスターはステラの肩を叩く。しかし、すぐ真顔になって「いや、本当に」と付け加える。トレンスとリーナも、うんうんと何度も頷いた。
「まぁ、とにかく、お前さんのような強い冒険者が居てくれた方が、ギルドとしては頼もしい。魔王は居ないが、ダンジョンや魔物の脅威は計り知れんからな。俺の名前はウォルダーだ。よろしく」
「ステラ・ルナローズです。よろしくお願いいたします……!」
ステラは優雅に礼儀正しくお辞儀した。
「ハハハ。【戦神の寵愛】ね。まさに、戦神に愛された姫さんだな」
ギルドマスターは呟く。
「ギルドマスター、では、ステラさんのランクを如何しますか? Gランクのままという訳にはいかないでしょう?」
「そうだったな……。ステータスや狩って来た魔物を見る限り、Sランクで良いだろう。俺の権限で暫定的にSランクに任命する。このことはギルド本部へ持って行き、会議で正式に決定させよう」
リーナの問いかけに、ギルドマスターは椅子に腰かけながら言った。机の引き出しから書類を取り出す。今から会議要請の書類を書くらしい。羽ペンの先をちょっと舐めて書き出したが、「そうそう」と顔を上げた。
「ステラ、正式に決定するまで、この街に留まっていてくれ。Sランクはほぼ決定だろうが、諸々の手続きがある。高ランククエストも控えてくれ。高ランクとなると、必然的に遠出になるからな。二週間以内にまた連絡する。それと、買い取りの件だが、今すぐには支払えん。何せ、雷鳥やAランクやらがごろごろだからな。また明日、ギルドへ来てくれ」
「かしこまりました」
ステラとトレンス、リーナは部屋を出た。そして、扉が閉まった後にリーナは口を開いた。
「ステラさん、ごめんなさい。貴女がそんなにすごい人だったなんて知らなくて、私、失礼なことを言ってしまいました」
リーナは頭を下げる。一方、ステラは、失礼とは何のことだろうと、首を傾げた。
「失礼……? よくわかりませんが、わたくしは何とも思っていませんので、どうか、頭を上げてください」
リーナは、ほっとしたように胸を撫で下ろした。
「ありがとうございます。私は、このギルドの受付嬢をしています。リーナと申します。何かわからないことがあれば、何でも気軽にお声がけくださいね」
と、リーナは、にこ、と微笑んだ。
トレンスは、ステラに大きな手を差し出した。
「俺は、このギルドの解体屋、トレンスだ。魔物は責任持って俺が解体しよう」
ステラはその手を握った。
「お二方共、よろしくお願いいたします……!」
と、ステラは微笑んだ。
この後、仕事に戻ると言うトレンスとリーナと別れ、ステラはギルドを出る。
(さて、これからどうしましょう……?)
念願の冒険者になれたものの、会議が終わるまでクエストは受けられない。完全に手持ち無沙汰だった。
(取り敢えず、今日は、街でも見て回りましょうか……)
そうして、ステラが歩き出した時、「ちょ、ちょっと待って、くだ……あっ!」という声がして、ステラは振り返る。目の前では、目を見開いた赤毛の小柄な少女が、宙に浮いて手を突き出していた。そして、べちゃん、と地面に張り付いた。否、転んだのだ。
「だ、大丈夫ですか……⁉」
ステラはびっくりして、少女を助け起こした。顔から滑り込んだので、少女は鼻を擦りむいている。痛々しいその鼻に、ステラはハンカチを当てた。
「わっ、す、すみませんっ!」
「そのハンカチを使ってください」
心配で少女の顔を覗き込めば、少女は恥ずかしそうに耳まで赤くした。そして、ハンカチの上から鼻を押さえ、鼻声で言った。
「だ、大丈夫、です! すみません……!」
何度も謝罪を繰り返すこの少女に、ステラは既視感を覚えた。そして、「あっ」と思い出す。
「あの、昨日、わたくしが驚かしてしまった女の子ですよね……?」
「あっ、は、はい。き、昨日は、すみません。その、逃げてしまって……。は、恥ずかしかったんです。すみません……」
と、少女は俯いた。ステラは、ここで初めて昨日、少女に逃げられたのだと知って目を丸くする。しかし、それは別に気にすることではなかった。
「構いませんよ。ええと、わたくしに何か御用でしょうか……?」
「あ、えっと……さっき、換金所で大きな魔物を渡しているのを見て……。あなたも冒険者なんですよね……?」
「はい、本日から冒険者です……!」
ステラは胸を張った。しかし、少女は「えっ」と声を上げる。
「今日から?」
「はい……!」
「えっ、でも、あの大きな魔物は?」
「わたくしが、お命を狩らせて頂きました」
「……!」
少女はくりくりとした大きな目を見開くと、何かを言い難そうにもじもじと俯く。ステラは少女の言葉を待った。そして――
「あのっ、お願いがあるんですっ! 私に、魔物との戦い方を教えてくださいっ!」
少女は切羽詰まったように懇願した。
*
ステラは、少女に理由を聞くためにカフェに訪れていた。
テラス席に少女と向かい合って座る。
「あ、あの、私、メロと言います」
「わたくしは、ステラ・ルナローズと申します。ステラとお呼びください」
「ス、ステラさん、いきなりあんなことを言ってすみません……っ」
メロは、林檎のように赤面させて俯く。
「いいえ。大丈夫ですよ。それで、理由をお聞きしても……?」
「……はい。実は、私も冒険者なんです。でも、いつまで経ってもGランクから上に上がれなくて……。同じ頃にギルドに登録した人たちは皆、もうFランクなのに……」
「わたくし詳しくないのですが、皆様、どのくらいでFランクに昇格するのですか……?」
「そうですね……大体、半年くらいで昇格試験を受けます。だけど、私は未だに昇格試験すら受けられなくて……」
「メロさんは、今、何ポイント貯まっているのですか?」
「今、やっと八六ポイントです……」
「まぁ! あと少しではありませんか……!」
「そうなんですけど……。私、魔物を倒せたことがないんです……っ!」
「魔物さんを倒せたことがない?」
「はい。……以前、ゴブリンの討伐クエストを受注したことがあったんです。けど、まったく敵わなくて……逃げているところを、たまたま近くを通りかかったパーティーに助けて貰いました。それ以来、怖くて……」
「そうですか……」
ふむ、とステラは考えた。
「そう言えば、メロさんはパーティーを組んでいらっしゃらないんですね」
パーティーとは、複数人で結成する、同じ目的を持つ者たちの集まりだ。
ステラはソロ――つまり、ひとりで活動しているので馴染みはないが、冒険者の大半がパーティーを組んで活動していると聞いたことがある。
ひとりでは無理でも、皆で力を合わせれば魔物にも立ち向かえるのではないかと、ステラは考えたのだ。そうして、少しずつ経験値を稼いで行けばいい。
「……前は組んでいたこともあったんですけど……。私が弱いから外されてしまって……」
メロは俯き、カップを掴む手に、ぎゅっと力を入れた。
「そうだったのですね……」
「ポイントは薬草採取とかのクエストで稼ぎました。けど、昇格試験には、当然、討伐クエストも含まれます。でも、このままじゃ、昇格試験を受けても合格出来ません……っ!」
「なるほど。それで、わたくしに魔物さんとの戦い方を教えて欲しいと……」
「……はい」
(何とも素晴らしい、向上心です……!)
ステラは、メロに感動した。
仲間に見捨てられても、現状に満足せず更に高みを目指して努力する。
そして、恐怖の存在である魔物に打ち勝ちたいとは!
「かしこまりました」
「えっ? い、良いんですか……?」
頷いたステラに、メロは戸惑ったように聞き返した。まさか、了承されるとは思ってなかったようだ。ステラはメロを安心させる為に微笑む。
「はい。実は、冒険者になれたものの、Sランクが正式に決定するまで、何もすることがなくて困っていたのです……」
「え、S……⁉」
メロは、ぽかんと口を開ける。くりくりの大きな瞳が零れ落ちてしまいそうだ。ステラはメロの手を取る。そして、力強く言った。
「メロさん。共に、魔物さんを倒しましょう……!」
*
ステラとメロは街から少し離れた森の中に来ていた。この森は街の近くということもあり、高ランクの魔物は早々に冒険者に討伐されているので比較的安全だ。それでも、低ランクの魔物は繫殖力が強い。大量繁殖して街へ危害が及ばないように、低ランク冒険者に向けて討伐クエストが定期的に張り出されている。
ステラは細剣と戦闘服を召喚して、魔物を探して歩く。メロは武器と戦闘服の召喚に驚いていた。しかし、今は気を取り直して自身の剣を手に周囲を警戒している。
「受付嬢のリーナさんが、ゴブリンさんは初心者向きではないのだと仰っていました。ですので、まずは白羊さんの討伐へ行ってみましょう……」
「あ、白羊だったら、こっちの草原に居る筈です」
メロの案内で白羊の繁殖地に到着する。数匹の白羊が草を食んでいる。二人は白羊を警戒させないように、低木の陰にしゃがみこんで隠れた。
「メロさん、詳しいですね……」
ステラは感心して、メロにコソコソと囁いた。
「あ、はい。この辺りの地形や魔物出現地域は勉強していますから」
「なんと、素晴らしいです……!」
ステラはここまでの道中、メロに話を聞いた。魔物の討伐に行けずとも、毎日のように素振りをして鍛錬しているのだと言う。
(メロさんは、努力家です! わたくしも、メロさんのその努力が実るよう、きっちりと魔物さん討伐の術を伝授しなければなりませんね……!)
ステラは決意を新たに、メロに向き直る。
「魔物さんの急所は、種類によって異なります。しかし、どんな魔物さんも心臓部分にある魔石を破壊すれば、確実にそのお命を絶つことが出来ます」
「はい……っ!」
「ですが、魔石はわたくしたちの生活に欠かせないエネルギー源でもあります。売ればお金になりますし、出来れば破壊せずに持ち帰りたいです」
魔石はすべて冒険者ギルドに集められる。そして、低ランクの魔石は、魔石製造局へ渡る。そこで、魔石は一度溶かし魔力値を均一にさせて再結晶される。それが生活魔石として、社会に流通するのだ。
メロを見れば、真面目にステラの話を聞いている。ステラは嬉しくなった。そして、とっておきを伝授する。
「ですので、わたくしは、首を狙うことが多いです。眉間でも良いでしょう」
「えっ、く、首……? み、眉間……?」
驚き戸惑うメロに、ステラは気合を入れて立ち上がる。
「さぁ、メロさん。参りましょう……!」
「えっ、あっ、は、はいっ!」
メロは躓きながらも、颯爽と歩いて行くステラに慌てて付いて行った。
「きゃああああああ!」
メロは白羊に追われて逃げていた。
魔物は多かれ少なかれ人に対し、敵愾心を持っている。可愛らしい見た目であっても、牙を剥き襲い掛かって来る。比較的、大人しく臆病な白羊も例外ではない。
白羊は初め、剣を構えて恐る恐る近寄るメロから逃げようとした。しかし、その剣が白羊に掠った時、白羊はメロに牙を剥いた。
ある意味、当然の反応だ。
世界は弱肉強食。弱い者は奪われる。ならば、奪うのみ。
突然、襲い掛かって来た白羊に、メロは恐れ戦いた。そこから、形勢逆転する。メロは白羊に追い立てられて逃げ惑った。
「あっ……」
メロは草に足を取られて転んだ。そこに、白羊の角が迫る。ステラは細剣を振った。剣から放たれた斬撃が白羊の首を刎ねる。
「きゃあああぁぁ……」
メロの顔に白羊の鮮血が掛かった。そして、彼女は白目を剥いて、ことり、と糸が切れた人形のように仰向けに草に沈んだ。
「えっ、メロさん……⁉」
ステラは慌てて走り寄った。メロを抱き起して介抱をする。およそ三十分後、メロはステラの膝の上で目覚めた。彼女は目を開けて、一瞬、きょとんと不思議そうな顔をしたが、ガバッと飛び起きた。
「わ、私……⁉ す、すみませんっ」
「わたくしこそ、申し訳ありません……。まさか、気絶させてしまうとは……」
しゅん、として、ステラはメロの手を握った。手の中で労わるように優しく撫でる。でも、ステラには聞いておかなければならないことがあった。
「……メロさん。あの時、何故躊躇ったのですか?」
白羊に剣が掠った時だ。あの距離であれば、白羊の首を刎ねる……ことは出来なくとも、喉元を斬ることは出来た筈だ。
ステラの視線を受けて、メロはたじろいだ。そして、そっと目を伏せて、口を開いた。
「……私が握るこの剣で、白羊の命を奪ってしまうんだなって思うと、急に恐ろしくなってしまって……。すみません……」
「そうでしたか……。確かに、魔物さんの――生き物のお命を奪うということは、心が痛むかもしれません。しかし、わたくしたちはこの命を頂いて生きているのです。ならば、せめて苦しまないようにと、わたくしは心がけています……」
「ステラさん……」
「それに、魔物さんが増えすぎてしまうと、わたくしたちも生活が難しくなってしまいます。誰かが、やらねばならないことなのです」
「そう、ですよね……。すみません……」
「いいえ。謝らないでください。わたくしも、メロさんのお気持ちに気が付かず、申し訳ありませんでした……」
ステラは頭を下げた。
「さぁ、気を取り直して、魔物さんのお命を狩りに行きましょう……!」
それから、ステラとメロは魔物を狩る為に森を走り回った。
途中、ゴブリンの小さな集落が出来ているのを発見し、怯えるメロを引き連れて突撃した。
メロは以前、襲われてからというものの、ゴブリンに苦手意識を持っていた。初めこそ手間取ったが、最終的には、メロは自力で五体狩ることが出来た。
壊滅後、ステラは何故かメロに激しく怯えられたのだが、あれはなんだったのだろう。
最終的に、メロは白羊を二体、ゴブリンを五体。
ステラは白羊を一体、ゴブリンを五〇体、狩って一日が終わった。
初めてにしてはよく頑張ったと、ステラは我が事のように誇らしかった。
二人はギルドに戻り、換金を済ませる。メロは換金分を含め、ステラに報酬を渡そうとしたが、ステラはそれを断った。自分が狩った魔物の報酬は、自分の為に使って欲しかった。
ギルドを出たメロは、ステラに深々と頭を下げた。
「今日は、本当にありがとうございました……っ!」
「本当に、もう、よろしいのでしょうか……?」
魔物を討伐し、自信をつけたメロは、明日からは一人でクエストを受注すると言う。
「はいっ。ステラさんにいつまでも甘える訳にはいきませんから!」
暇を持て余しているステラとしては、メロに付き合うのは別に苦ではない。しかし、メロの自主性を尊重したかった。
「かしこまりました。それでは、メロさん、明日から頑張ってくださいね……! もし何かあれば、わたくしは『妖精の繭』という宿に宿泊していますので、相談に来てください」
ステラは微笑んだ。
こうして、ステラはメロと別れた。
***
翌日。ステラはウォルダーと約束していた通りに、ギルドへ訪れた。
ギルドは、剣、メイス、弓、槍、ボウガン……様々な武器や防具を身に着けた冒険者で溢れていた。ステラはその喧騒の中を、すいすいと歩いて行く。
「おはようございます」
「これは、ステラさん。おはようございます。お待ちしていました。こちらへどうぞ」
受付に居たリーナに声を掛けると、彼女は、にこっと微笑んで立ち上がった。彼女はトレンスを呼んで、ステラをギルドの二階へ連れていく。てっきり、ギルドマスターの執務室へ行くのかと思ったが違った。ステラたちは、昨日、訪れたギルドマスター執務室を通り過ぎる。
ステラの不思議そうな顔に気が付いたリーナは説明した。
「お呼びしておいて、申し訳ありません。ギルドマスターは、ギルドマスター会議の為に冒険者ギルド本部へ出掛けていまして、現在は不在なんです」
会議は早速開かれることになったらしい。昨日の今日にもかかわらず、迅速な対応だ。
「ギルド本部はどちらにあるのですか?」
「ルヴィーノ帝国です」
「なんと……!」
ステラは喜色を浮かべて目を見開いた。
ルヴィーノ帝国とは、世界最大のダンジョンがある大国だ。そして、ステラの憧れの地でもある。ステラは常々、かの帝国のダンジョンを攻めてみたいと夢見ていたのだ。
(いいえ! 冒険者になったのです。何としても、潜りに行きましょう……!)
ステラは密に野望を抱いた。しかし、ふと思う。ルヴィーノ帝国は、スリュダー王国から遠く離れている。
「ギルドマスターは二週間以内に連絡すると仰っていましたが、二週間で行き来出来る距離ではないですよね?」
「はい。ですので、スリュダー王国の宮殿にある移転の魔道具を使います。そうすれば、ルヴィーノ帝国への行き来は二週間で可能です。まぁ、この方法をとれるのは、緊急会議の時のみですが……」
「緊急会議……」
ステラの知らないところで、そのような大事になっているとは。
ステラがびっくりしている間に、リーナは目的の場所に到着したらしい。とある部屋の前で立ち止まった。
「こちらは、副ギルドマスターの執務室です」
リーナは扉をノックもせずに開けた。礼儀正しい彼女には似つかわしくない行動だった。彼女に続き、ステラも部屋の中に入る。しかし、誰も居なかった。
「現在、当ギルドには副ギルドマスターがいないんです。副ギルドマスターが決まるまで、トレンスが副ギルドマスター代理を務めているんですよ」
「俺はこのギルドに在籍して長いからな。俺が後任に、って話もあったんだが、俺は魔物を解体している方が性に合ってるからな」
ステラの後に部屋に入ったトレンスが頭を掻きながら言った。
「そうだったのですね」
トレンスは金庫の前に行き、何やら取り付けられている装置を弄る。魔術式のようで、時折、魔法陣が浮かんでは消えた。最後に鍵を懐から取り出して、鍵穴に差し込んで回す。ガチャリ、と金庫の扉が開いた。
「そんで、これが魔物の買い取り分だ。しめて、金貨一七三〇枚だ」
トレンスは、金庫から、どさっと大きな袋を取り出してステラの目の前に置いた。
「こんなに……」
「クエストじゃないからな、討伐報酬は入っていない。《時空収納》のお陰で肉も新鮮だったから、買い取れる部分はすべて買い取っている。それと、黒凶熊だが、ありゃ自分で解体したのか? 奴はBランクだが、状態が悪かったからかなり値を下げさせて貰ったぞ」
「黒凶熊さんは、森を彷徨っていた時に食料にしたのです……。それでも、残りの部分を買い取って頂けて嬉しいです」
「「森を彷徨う……?」」
トレンスとリーナの声が重なった。二人とも、何を想像したのか、ゾッとした顔をしている。
「と、とにかく、支払いはこれで終わりだ」
トレンスは、ゴホン、と咳をした。
「はい。ありがとうございます……」
金貨を《時空収納》に入れて、ステラは二人と別れた。
再び、多くの冒険者で溢れているロビーを、するすると人を避けて歩く。ギルドを出たステラは、デュアルの街の探索に繰り出した。
*
魔物を換金して懐が温まったステラは、この数日、デュアルの街を堪能していた。
とは言え、ステラ本人としては、物欲というものは殆どない。よって、売られている様々の物を物珍し気に眺めて回った。
特に気に入ったのは、朝市だ。大通りにたくさんの露店が並び、野菜や果実などの季節の食材が所狭しと並んでいた。色とりどりのそれらは、お嬢様だったステラには新鮮な光景だった。街の住人の活気にも触れられ、中々楽しいものだった。
そして、ステラの心を――否、胃を鷲掴みしたのは、美味しい食事。
朝昼晩、違う店に入っては、知らない料理を頼んだ。味や盛り付け……どれも、客を楽しませる工夫が凝らされており、ステラは喜んで食べた。
そんな日々に変化が訪れたのは、デュアルの街に来てから一週間とちょっと経過した、とある夜のことだった。
この日も、ステラは探索という名の食べ歩きを終えて、宿――『妖精の繭』に帰って来た。そして、その玄関前でよく見知った姿を発見する。
「メロさん、どうかされました?」
「うひゃぁっ⁉」
ステラが声を掛ければ、メロは飛び上がった。
「あっ、申し訳ありません! 驚かせてしまって……」
「いえっ、私こそ、すみませんっ!」
「それで、もしや、わたくしに御用でしょうか?」
話があると言うメロと一緒に、ステラはデュアルの街に初めて来た時に訪れた酒場――『ケンタウロスの宴』に行った。
この街に来てから様々な店を試したが、この酒場が一番、美味しかった。
『ケンタウロスの宴』の扉を開けて中に入れば、まだ宵の口だというのに客で溢れている。流石、人気の大衆酒場だ。
「わっ、に、賑やかですね……」
メロは酒場に慣れていないのか、ステラの背に隠れるように歩く。
「ええ。こういう酒場に来れば、皆様とお食事しているような気がして楽しいですよね……」
ステラは、空席を見つけて座った。メロもおずおずと隣に座る。
「さて、何を注文しましょうか……? メロさん、お好きな物を頼んでくださいね」
「は、はいっ」
メニューをメロに渡し、ステラはそれを横から覗き込んだ。この数日で、料理名も味も勉強したので、メニュー表を見て困るということもなかった。
今までは一人で利用していたので、一人前しか頼めなかったが、今回はメロが居る。せっかくなので小盛の料理を色々頼んで、二人で分けて食べることにした。
メニューはメロに選んで貰い、店員を呼ぶ。
「はぁーい、お待たせしました。って、また来てくれたんですね、お客さん」
伝票を持ってやって来たのは、酔っ払い客から絡まれた時に助けてくれた黒髪の店員――オディウムだった。オディウムはステラのことを覚えていたらしい。
「こんばんは。うふふ。こちらのお料理が美味しかったので、また来ました……」
「わぁ、それは嬉しいな~」
にこやかに会話をしながら、注文を終える。オディウムが立ち去った後、メロが口を開いた。
「ステラさん、すごい……」
感心するメロに、ステラは首を傾げた。
「何がでしょう……?」
「こんな、オシャレなお店を知ってて、店員さんとも仲良く話しているし……」
内向的なメロにとって、ステラの行動力は感心に値するものらしい。
しかし、ステラは少し恥ずかし気に話す。
「このお店はですね、この街に来た日に親切な衛兵さんに教えて頂いたのです。わたくし、これまでこのようなお店とはご縁がなくて……その日はお料理を注文するにも手間取ってしまったり、酔っ払いのお客様に絡まれてしまったりと、色々あったのですよ」
「へぇ……。ステラさんでもそんなことあるんですね……」
そう話している内に、飲み物が運ばれてくる。ステラは周りと同じようにメロと乾杯をして飲み物を飲む。乾杯をしてくれるような人が出来て、ステラはとても嬉しかった。
焼いたソーセージ、ジャガイモの素揚げ、チーズがたっぷり乗ったピザ、キノコのアヒージョ、サラダなど。次々と運ばれてくる料理に舌鼓を打ちつつ、ステラはメロの話を聞いた。
「それで、お話とは何でしょう……?」
「あっ、そ、そうでした……っ。えっと、ですね……」
メロは齧り付いていたピザを皿の上に置き、姿勢を正した。もじもじしつつ、口を開く。
「じ、実は、Fランクに昇格しましたっ!」
「えっ、本当ですか!」
「はいっ!」
「素晴らしいです! メロさん、おめでとうございます……っ!」
「あ、ありがとうございます」
「これは、お祝いをしなくてはなりませんね! もっと、お料理を頼みましょう! ほら、メロさん、何が良いですか」
「わぁっ、ステラさんっ!」
ステラの圧に目を丸くしつつ、メロは嬉しそうに笑った。
ステラは、追加の料理と飲み物を口に運びつつ、ふと、気になっていたことを聞いてみることにした。
「そういえば、その剣は、元は誰かのものだったのですか?」
「えっ?」
「とても使い込まれているようですから……」
ステラはメロの腰に差されている剣を見た。かなり年期が入っている。しかし、手入れは欠かしていないようで、共に魔物を狩った時に見た刃はとても鋭かった。
「これは、お父さんの剣だったんです」
「まぁ、お父様の?」
「お父さんも冒険者だったんです。……もう死んじゃったけど」
「そんな……。申し訳ありません……」
ステラはせっかくのお祝いの席で、繊細な話に踏み込んでしまったかと、メロに頭を下げた。しかし、意外にもメロの反応はあっさりとしたものだった。
「大丈夫ですよ。お父さんはBランクの冒険者だったんです。強い魔物も討伐して、本当にすごい冒険者だったんですよ」
「そうなのですね」
「お父さんみたいな冒険者になるのが夢なんです。だから、明日からもっと頑張ります」
「はい。わたくしも応援いたします……っ!」
こうして、楽しい夜は更けていった。
*
それから、僅か三日後だった。
宿――『妖精の繭』のベッドで健やかに眠っていたステラは、夜明け前に叩き起こされた。連絡役のギルド職員に急かされて、ギルドへ向かう。ギルドの中は真夜中だというのに、ギルド職員と冒険者が忙しなく動き回っていた。
ステラは、ギルド職員の案内で大会議室へ行く。部屋の中央では、机の前で険しい顔で地図を睨んでいるウォルダーとトレンス、リーナと完全装備の冒険者が数人居る。
「――ステラ、待っていたぞ!」
「ギルドマスター、帰って来ていたのですね……!」
「ああ、昨日の夕方にな。それよりこっちに来てくれ!」
ステラがウォルダーに声を掛けると、彼は手招きした。
机の上には大きな地図が広げられている。
「何があったのですか?」
「ネラル渓谷の橋が落ちてな。偶々、そこを通っていた者たちが巻き込まれた。目撃者によると、Dランクパーティーと商隊らしい。恐らくは護衛任務か何かの仕事の最中だったのだろう」
ウォルダーは地図のとある部分を指でトントンと叩いた。辛うじて助かったという冒険者の青年が青白い顔で何度も頷いている。その後、彼はリーナに支えられて退出した。
「何ということでしょう……!」
ステラは被害者の安否を案じた。しかし、ウォルダーは「大丈夫だ」と言った。
「幸いなことに、そのパーティーに居たテイマーの従魔によって、全員の生存が確認されている」
月燕がウォルダーの肩にとまった。彼は一枚の魔物皮紙を取り出した。そこには、『全員生存、怪我人あり。救助求む』の文字がある。
「そこで、ステラ。これをSランク緊急クエストとする。頼む、救助に向かってくれ!」
「かしこまりました!」
「ありがたい!」
ステラの即答に、ウォルダーは頷いた。
「ここに居るBランクとCランク、Dランクパーティーも救助に向かうことが決まっている。今この街に居る中での精鋭たちだ。ステラ、お前さんがこいつ等を率いてくれ」
どうやら、彼らはそのパーティーのリーダーたちのようだ。
冒険者たちはステラに戸惑いながらも、彼らの中でも実力者と思わしき筋骨隆々の男性が手を差し出した。ステラは力強くその手を握る。
「メンバーが決まったのは良いが、問題がある。谷底に行くには、下道を大回りして行くしかない。そうなると、数日かかる。要救助者たちの体力が持つかどうか。今、その準備を急がせているが……」
ウォルダーが悩まし気な溜息を吐いた。
「しかも、谷底には何の魔物が潜んでいるかわからん。下手したら、Aランク以上の大物が居る可能性がある。一刻も早く向かわなければ……」
トレンスが険しい顔で腕を組んだ。
冒険者たちはゴクリと喉を鳴らした。救助に向かう彼らとしても死活問題だ。救助へ向かっても魔物に襲われれば、救助どころではなくなる。Aランクの魔物と遭遇すれば生きては戻れまい。
問題は山積みだ。しかし、ステラにはその一つの問題を解決する方法を思いついた。
「一刻も早く谷底へ向かう方法は、わたくしに考えがあります……!」
救助部隊は、二手に分かれた。
第一部隊のステラは馬を飛ばし、元はBランク冒険者だったというトレンスとCランクパーティー冒険者たちと共にネラル渓谷の橋の崩落現場まで来ていた。Bランクパーティーのリーダーが率いる第二部隊は下道から谷底へ向かうことになっている。ギルドマスターのウォルダーとリーナはギルドで待機していた。
「……ステラ、本当にあの方法で谷底へ行く気か?」
大剣を背負い、いつもの解体用のエプロンから冒険者用の防具に身を包んでいるトレンスは神妙な顔で聞いた。ウォルダーの従魔である青眼鷹がその肩にとまっている。ステラの肩には要救助者の従魔の月燕がひらりと翼を翻してとまった。
「はいっ!」
ステラが大きく頷いたのを見て、トレンスは天を仰いで深く長く息を吐く。そして、冒険者たちに向き直った。彼らもトレンスと同じく、死後の世界で神の審判を待っているような顔をしている。
「おい、お前ら覚悟は良いか⁉」
「おお!」
冒険者たちの雄叫びが渓谷に響いた。未開の谷底へ向かう直前であっても、皆、仲間や商隊の者たちを救いたいという気持ちは変わらないようだ。
ステラは崖に立った。月燕と青眼鷹が道を示すように先に飛んで行った。トレンスと冒険者たちはがっちりと肩を組む。
「さぁ、参りましょう……っ!」
ステラ率いる第一部隊は、谷底へと向けて命綱もなく飛び降りた。
*
ネラル渓谷の底、暗い森の中でメロたちは崖の窪みに身を隠していた。
ある者は痛む怪我に呻き、またある者は己のこの先を悲観して涙を流していた。
神の奇跡か、怪我を負いながらも皆無事だった。
橋が落ちた時、鬱蒼と茂る木々が緩衝材となったのだ。
しかし、メロたちの幸運はそこで尽きる。
ここにはグレンデルが住み着いていたのだ。
グレンデル――沼地を好む残忍で凶悪な魔物だ。巨体で異常に発達した腕を前に垂らし前屈姿勢で歩く。しかも、奴の毛皮は魔法攻撃が効きにくい。人を簡単に縊り殺し食べる、Sランクの魔物だった。
相手に気が付かれる前に何とかその場を離れることが出来たが、このままでは見つかるのは確実だ。
つまり、メロたちの運命は既に決定されているのだ。
(お父さん……)
沼地が近く、じめじめと湿っている地面に座り込んでいたメロは、足を抱いていた腕に力を入れた。喉元まで込み上げてきている絶望を必死に飲み下す。そうしなければ、気が狂ってしまいそうだった。
メロは本来なら、この場に居ない筈のメンバーだった。
Fランクに昇格したメロは、冒険者としてより学ぶ為に、Dランク冒険者パーティーに話を付け、今回の仕事に同行させて貰うことになったのだ。
内向的な性格のメロとしては、こうして他の冒険者に頼み事をするのは勇気が居ることだった。しかし、ステラとの一件で、自信をつけたメロは、更に自分を成長させる為にこうして積極的に活動していたのだ。
(でも、間違いだったのかな……)
調子に乗った結果がこれだ。
自分は冒険者には向いていない。今も、魔物を相手に尻尾を巻いて怯えていることしか出来ない。
(私は、お父さんみたいにはなれない)
じわり、と滲んでくる涙を乾かそうとメロが顔を上げた時だった。
「――ウオォ、ウオオォ……」
グレンデルの鳴き声が聞こえて来た。ずしん、ずしん、と重い足音は地面を揺らし、メロの体を揺らした。木々の遠く向こう、グレンデルが居た。
誰かが「ヒッ」と小さく悲鳴を上げる。皆、息を殺して固唾を飲んだ。
大丈夫。奴とは遠く離れている。
どうか、このまま気が付かれませんように。
皆の心が一つになった瞬間だった。
――しかし、その願いは叶わない。
「ウオオオオオオオオオォ!」
グレンデルはこちらを振り返った。
Dランクパーティーの施療師の女性が悲鳴を上げた。
不意に、メロはグレンデルと目が合った。メロは死を覚悟した。
*
渓谷に身を躍らせたステラたち第一部隊は、ごうごうと鳴る音を聞きながら自由落下していた。ステラ以外は、はぐれないようにしっかりと肩を抱き合っている。しかし、流石は、精鋭たちか。悲鳴を上げる者は誰一人として居ない。
落下地点の木々が近づいて来た。ステラは魔法を発動する。
「〈風よ〉!」
下から巻き上げるように吹く強風に、落下の速度が落ちる。バサバサと音を立てて木々が揺れる。強風に耐えられなかった葉や枝が吹き飛ばされていった。
落下する一行は、次第に落下速度よりも風の力の方が勝るようになる。彼らの体が、ふわりと持ち上がった。そして、緩やかに風量が落ちていく。そして――
「――っはぁ! 死ぬかと思ったぜ……」
胸を押さえたトレンスが「ぷはぁ」と息を吐いて、額の汗を拭う。
無事、谷底に着地した第一部隊は、地面のありがたさを心の中で咽び泣いた。
自前の翼で飛んで降りて来た青眼鷹と月燕は、決死のダイブをした冒険者たちを尻目に優雅にステラの両肩にとまった。
「皆様、急ぎ向かいましょう……っ!」
ステラは従魔を飛ばすと、走り出した。それを、トレンスが止める。
「ちょっと、どこへ行くつもりだ、ステラ⁉ 無暗に探しても――」
「わたくし、耳が良いのです。先程、女性の悲鳴が聞こえました……!」
ステラは落下中、【戦神の寵愛】で強化された聴覚で、女性の悲鳴を聞いていた。
「何⁉」
「わたくしが先行致します。付いてきてください……っ!」
「お、おい! 待て!」
トレンスが目を剥いた。ステラの目の前に黒凶熊が現れたのだ。
「わたくし、今、とても急いでいるのです。貴方のお命、狩らせて頂きます……!」
黒凶熊が吠える間もなく、ステラは剣を一突きさせる。黒凶熊は魔石を貫かれ後ろへ倒れた。今は悠長に狩っている暇はないのだ。黒凶熊の屍を踏み台にステラは森を駆ける。
冒険者たちは戸惑った。てっきり、この場に居る全員が一丸となって黒凶熊を狩ることになると思っていたからだ。構えかけていた武器をそのままに、彼らは固まる。
「な、なんだ、今の速さは」
「さっきの風魔法もヤバかったが……」
「Bランクだぞ……?」
「同じ人間か? 何もかもが違い過ぎる……」
「戸惑うのは、後だ! 俺たちも行くぞ!」
トレンスが叱責する。
既に姿が見えなくなりつつあるステラを彼らは慌てて追いかけた。
*
グレンデルはメロたちを今日の食事とすることに決めたらしい。
奴は木々をなぎ倒し、メロたちの元へ一直線に向かってくる。
冒険者も商隊のメンバーも、誰も動けなかった。そもそも、この中で一番の実力者の冒険者は足の骨を折っている。他のメンバーも似たような状況だった。商隊の面々も頼りの冒険者が動けず、ひたすら、神に祈りを捧げていた。
「ウオオオオオォ! グルルルル……ッ!」
腹に響く低い鳴き声と地を揺らす足音。
それは、メロたちにとって、この場所が地獄と化すカウントダウンに聞こえた。
(お父さん……ッ!)
メロの脳裏に、父と過ごした日々が蘇る。
メロは父子家庭だった。母はメロがまだ小さい頃に家を出て行ったという。その理由は知らない。しかし、メロにとってはどうでもいいことだった。
父の話す冒険譚はいつも、メロをわくわくさせた。
父が狩って来た魔物の素材を見ては、父の偉大さを感じていた。
(お父さんと一緒に居られれば、私はそれで良かったの)
二人きりの生活でも、幸せだった。
しかし、その生活も長くは続かない。
メロが父の訃報を受け取ったのは、家で父の帰りを待っていた時だった。その日、父は冒険者仲間と共に狩りの仕事に出かけていた。しかし、その帰り道で格上の魔物と遭遇してしまったのだ。
父の仲間たちは命からがら帰って来た。しかし、そこに父の姿はなかった。
父は仲間を助ける為に、殿としてその場に残ったのだ。
冒険者ギルドは、すぐさま討伐隊を組み現場へ駆けつけた。しかし、そこには魔物の姿も、父の姿もなかった。残っていたのは、父の剣だけだ。
討伐隊が持ち帰ったという父の剣を受け取り、メロは泣いた。
大人たちは、父たちが何の魔物に殺されたのかは教えてくれなかった。メロが仇を取りに行くことを恐れたのかもしれない。
(私はお父さんの仇を取る勇気なんてない)
それでも、気が付いたらメロは冒険者として登録していた。
父のようなすごい冒険者になりたかった。
(でも、私はお父さんみたいにはなれない)
今も、仲間を守る為に殿を務めた父と違って、震えて剣も握れないのだ。
グレンデルはメロに迫っていた。そして、メロは見た。
グレンデルの肩にある、きらりと光る何かを。
それには見覚えがあった。かつて、父がまだ生きていた時のことだ。父は剣を武器としていたが、他にも投擲武器も使っていた。父が使っていた小型のナイフの形をしているそれは、奴の肩に刺さっているものと酷似している。
「――ッ!」
メロは理解した。
奴は、――グレンデルは、父の仇なのだと。
父は最期の力を振り絞って、小さなナイフをグレンデルの肩に刺したのだ。
「ああああああ!」
メロは剣を握って立ち上がった。
怖くないのか、と聞かれれば、――怖い。
本当は、最後の瞬間まで震えて、神に祈り続けることしか出来ない。
それでも、メロは立ち上がった。
(だって、あそこにお父さんが居るから)
情けない姿を、尊敬する父に見せたくはなかった。
「やああああああッ!」
メロは剣を振り下ろした。しかし、その剣は呆気なくグレンデルに弾き飛ばされる。
剣はメロの手から飛んでいった。
「……あ、…………お父さん……」
「ウオオォ! ウオオオオォォ!」
呆然と立ち尽くすメロの頭部に、グレンデルの鋭い爪が食い込んだ。筈だった――
メロはいつまでも襲ってこない痛みに、恐る恐る目を開いた。
いつの間にか昇っていた朝日に照らされて輝く銀の髪。
純白の戦闘服から、すらりと伸びる細い手足。
「――もう大丈夫ですよ」
細剣を構えていなければ、まるで天使様か女神様が迎えに来たのかと錯覚してしまう程、美しい姿がそこに居た。
グレンデルの巨大な爪は、ステラの細剣で阻まれていた。巨体から繰り出されているにもかかわらず、ステラは細腕で軽々と受け止めている。何とも、ちぐはぐな光景だった。
「ステラさん……」
メロの声に、ステラは少し振り向き、にこと微笑む。そして、グレンデルを蒼い瞳に映した。
「さぁ、グレンデルさん。貴方のお命、狩らせて頂きます……」
ステラは、一緒にゴブリンの集落を壊滅させた時に見せた、残酷な嬌笑を浮かべた。メロは息を呑んだ。
ステラは細剣で、グレンデルを押し返した。グレンデルは飛びのき、土を抉りながら着地する。
「ウオオォ!」
グレンデルは両手を地面に突き、土魔法を発動した。奴の左右、湿地から土が盛り上がってステラたちに襲い掛かる。このままでは土に押し潰されるか、埋もれて窒息するかの二択だ。
メロたちが震えた。しかし、ステラは詠唱する。
「〈凍れ〉!」
ステラから魔力が溢れ、辺りがピシピシと音が鳴り出したかと思えば、ピキィン、と彼女の前から一面が氷の世界に変貌を遂げる。木も草も何もかもが凍り付く。襲い掛かる土まで凍っていた。
「グルルルル!」
グレンデルはその凍った土の向こうから姿を出す。奴の体当たりで砕け散った凍った土が大きな礫となって飛んでくる。
「――ふ」
ステラは一度、剣を鞘に納め、瞳を閉じた。そして、見開くと剣を抜き放ちまた納める。メロたちは何が起きたのかわからなかった。ただ、ステラの目の前に迫っていた礫が粉々になって地面に落下した。
ステラは剣を抜き放った時、神速で腕を振ったのだ。その網目のように繰り出された斬撃が、礫を木端微塵に斬り落とす。
「うふふ……」
その粉が舞い散っているにもかかわらず、ステラはグレンデルに突撃した。グレンデルも爪で刃を防御する。先程ステラがやって見せたように、それで防御出来る筈だった。
しかし、ステラの突進にグレンデルの爪は耐え切れなかった。ピシ、と音が鳴り、罅が入ると砕け散った。そのまま勢いが収まることなく、ステラの細剣はグレンデルの胸に食い込んだ。
ステラが剣で草木をなぎ倒し、出てくる魔物を斬り伏せ、荒々しく作った道を進んでいたトレンスは、なんとかステラに追いついた。そして、目の前の光景に息を呑んだ。
異常な氷の世界の中、Sランク魔物のグレンデルがそこに居たからだ。
グレンデルは、トレンスのかつての仲間を殺し、トレンスに引退を考えさせた因縁の相手だった。
トレンスも今回の救助任務で、もしかしたらかち合うかもしれないと考えはしていたが、本当に出会うとは思ってもみなかった。しかし、もっと驚愕することになる。
「――なッ⁉」
何故なら、ここには居ない筈の、その仲間の忘れ形見である少女が呆然と座り込んで、ステラとグレンデルの戦いを見ていたからだ。
「トレンスさんッ!」
先に進ませていたCランクパーティーのリーダーが自分の名前を呼んで、トレンスはハッと我に返る。
「ッ! おい、要救助者を保護しろ! 俺たちはグレンデルには敵わない! せめて、邪魔にならねぇようにしろ!」
指示を飛ばしつつステラを見た。そして、ゾッと背筋を凍らせる。
「――ッ!」
ステラは恐ろしい魔物を相手に嗤っていた。否、喜んでいた。
美しい顔を花のように綻ばせ、かつ、獰猛に猛毒に歪めて――狂喜していた。
ステラの細剣はグレンデルの強靭な爪を容易に砕き、胸を斬り裂く。ステラは、ひらりと優雅に身を翻すと、一度、グレンデルから距離を置いた。それは、逃げる為でも、攻撃を躱す為でもない。
――ただ、グレンデルの首を刎ねる為にだ。
異様な殺気にグレンデルは恐れをなした。後退りする仕草を見せたが、ステラを相手にそれは叶わない。
グレンデルは今まで、捕食者であった。
己が捕食されるなど、一度たりとも考えたこともない。
グレンデルは、今日初めて、捕食される側の恐怖を知った。
「うふっ、うふふふっ!」
捕食者の哄笑を聞きながら、グレンデルはその首を落とした。
*
グレンデルとの戦いを終えたステラは、要救助者たちの応急処置を始めていたトレンスたちと合流した。
グレンデルを倒したとしても、谷底では他に何が潜んでいるのかわからない。周囲の警戒をしなければならなかったが、しかし、ステラの魔法で周囲一帯、広範囲に氷の世界が広がっていた。
その威力は、Aランクの魔物も凍り付く程で、魔物は森の異常事態に警戒して、余程のことがない限り近寄って来ないだろうということだった。
念のため周囲を警戒してはいたが、安定して応急処置を施すことが出来た。
その後は予定していた場所に移動し、第二部隊の到着を待った。
待っている間、ステラが周囲の高ランクの魔物を討伐して回った為か、第二部隊との合流も予定より早く完了した。
そうして救助部隊は無事、全員を救出してデュアルの街に帰って来た。
***
帰還から数日。
ステラはデュアルの街のとある家に訪れていた。ここはメロの家だった。居間のテーブルの上には、ステラが見舞いの品として持って来たスイトピーが飾られている。メロは紅茶を淹れてくれた。ステラは、それにお礼を言って、一口飲むと口を開いた。
「メロさん、お加減はいかがですか……?」
救助された時のメロは、放心状態でステラはとても心配していたのだ。しかし、メロは少しはにかんで、頭をちょこんと下げた。
「ご心配をおかけして、すみません。元々、私は大きな怪我もしていなかったので……。先生も、もう大丈夫だと仰っていました」
「それは、良かった……!」
恥ずかしそうに頬を染めていたがメロに笑顔が戻り、ステラはほっと胸を撫で下ろした。
暫く、何気ない会話をしていたが、ふと、メロが黙り込んだので、ステラは首を傾げた。
メロは何かを言おうか言うまいか逡巡していたが、ぎゅっと目を瞑り、意を決したように言った。
「ステラさん、私、冒険者を辞めることにしたんです……っ! せっかく、色々教えて貰ったのに……、すみませんっ!」
「そんな……、謝らないでください」
勢いよく頭を下げるメロに、ステラは少し驚いたが優しく囁いた。すると、メロは目を丸くして恐る恐る顔を上げた。
「え……。お、怒らないんですか……?」
「怒る……? でも、どうしてですか? あんなに頑張っていらしたのに……」
ステラはメロが何を恐れていたのか、本気で首を捻っていたが結局わからなかった。その代わりに、別の疑問を投げかけてみる。
「……今回の件で、冒険者は私には向いてないとはっきりわかったんです」
「……そうなんですね」
「はい。私はあの時、グレンデルに剣を向けたけど、それが私の限界なんです。もう、これ以上は剣を握られない。……お父さんの剣もどこかへ行ってしまったし」
グレンデルに弾き飛ばされてしまったメロの剣は、その後、探しても見つからなかった。
「でも、それで良いんです。私には、お父さんみたいな冒険者にはなれないし、ステラさんみたいにグレンデルを倒す力はなかったけど、剣を向ける勇気はあった。それがわかっただけで十分です」
メロはそう言って、笑った。
等身大の彼女の、心からの笑顔だった。
メロと別れたステラは冒険者ギルドへ足を向けた。
簡単な用事を済ませ、ギルドマスターの執務室へ行こうとギルドの中を歩いていると、トレンスから声が掛けられた。聞けば、彼もギルドマスターから呼ばれて執務室へ行くところだという。二人は並んで執務室へ向かった。
ステラは、トレンスが気になっているだろうことを話すことにした。
「メロさんは、冒険者を辞めるそうですよ」
トレンスは暫し黙った。そして、口を開く。
「……形見になれば、と思ったんだ。俺が剣を渡さなければ、あいつの娘が今回の件に巻き込まれることはなかったんだろうか?」
メロの父とトレンスの話は、デュアルの街に帰って来てから聞いた。
トレンスは、かつてメロの父とパーティーを組んでいて、グレンデルから生き残った一人だと。
そして、討伐隊から受け取った剣をメロに渡したと。
トレンスの苦悩に触れ、ステラはなんと言うべきか言葉を探した。そして、口を開いた。
「それは……。どんな道を歩むかは、その方自身が決めることです」
そう言いながら、ステラは自分で決めることが出来ているだろうか、と考える。
ステラは、今までは流されるまま人生を生きて来た。
だからこそ、これからは自分の意思で決めていきたいと、切に思う。
「……そうだな」
トレンスは小さく頷いた。
「それで、あの投擲ナイフはどうするのですか?」
グレンデルと戦ったステラは当然、グレンデルの肩に食い込んでいた投擲ナイフに気が付いていた。そして、トレンスがグレンデルを解体したことも知っている。
「……渡すさ。これをどうするかは、あいつの娘が決めることだ」
「そうですね」
ステラは微笑んだ。
きっと、メロであれば、最善の答えを出すに違いない。
そう、ステラは信じている。
「ところで、正式にSランク冒険者になったそうだな」
「そうなのです! 本日は、新しくなったギルドカードを受け取りに来たのです……!」
ステラが煌めく笑顔でそう言った時、丁度、執務室へ到着した。
トレンスが扉を叩くと中から「入れ」と声が掛けられる。
「失礼します」
「おう。トレンス。それにステラ、よく来たな」
「ほれ。これがSランクのギルドカードだ。遅くなって悪いな」
渓谷の橋の件でドタバタしており、ステラへの報告も手続きも遅くなってしまっていたらしい。
ステラは一度、ウォルダーに預けていた自分のギルドカードを受け取った。
それは、今までの銅色とは違い、金色に輝いている。心なしか、魔石もピカピカつやつやしているように感じられ、ステラは頬を桃色に染めて喜んだ。
ギルドカードは、魔術式になっている。
小さなカードの中に、持ち主の冒険者としての経歴がすべて書き込まれている。これにより、スムーズなクエストの受注が出来るのだ。また、信用性の高い身分証としても使用出来る。
ステラのこのギルドカードには、今回のグレンデルを始め、雷鳥やその他高ランクの魔物の討伐履歴が書き込まれているという。
「それで、本当に良かったのか? 今回のクエストの報酬とグレンデルの換金分を、橋の修理費と被害者への見舞金にしても」
「はい。わたくし、特にお金に困っていませんし……。皆様が有効に使ってくださった方が嬉しいです」
「そうか。では、ありがたく頂戴する」
「……で、俺を呼んだのは何の用ですか?」
話がひと段落着いたのを見て、トレンスがウォルダーに聞いた。
「おん? それはだな。お前を副ギルドマスターに任命することにしたから報告だ」
「はぁ⁉ 俺は、魔物を解体している方が――」
「今回の件で確信したんだよ。お前さん以外に適任は居ないってな。ちなみに、これはギルドマスター命令だ」
「な、ん……ッ! ……って、あんた、今回の報告書やらなんやらを一人でやりたくないだけでしょう?」
トレンスは絶句していたが、半眼にして核心を突いた質問をした。
「……はっはっは。何のことだ?」
「やっぱり、そうじゃないですか!」
しらを切り通すウォルダーに、トレンスは呆れたとばかりに深い溜息を吐いた。
「はぁ……。ったく、しょうがないですね……」
「おう、期待しているぞ!」
ウォルダーは、にやりと笑ってトレンスの肩を叩いた。
ステラは、そのやり取りを微笑んで見ていた。
「それで、ステラは、これからどうするつもりだ?」
ひとしきり笑ったウォルダーは、心底呆れ果てるトレンスを尻目に、ステラに聞いた。
ステラは、とっておきのものを二人に見せた。それは一枚のクエスト用紙だ。
「実は、先程、素敵なものを見つけてしまったのです……!」
「これまた、Sランククエストじゃないか! しかも、ウリルクンミときた……!」
トレンスは内容を読んで呻いた。
ウリルクンミとは、石化の魔法を使う巨人の魔物だ。全身、石で出来ており、物理攻撃は効かない。その上、魔法攻撃も効き難く、厄介な魔物だ。
「先程、受付を済ましてきましたので、早速、向かおうと思います……!」
その時にリーナとは別れの挨拶を済ませている。ちなみに、メロとも同様だ。
「まったく……、お前さんは何もかも規格外だな」
今度は、ウォルダーが呆れたように溜息を吐く。そして、机に肘鉄を付いた。
「まぁ、お前さんなら心配するだけ無駄か……」
ステラは知らぬことだが、ウォルダーはトレンスから谷底でのグレンデルとの戦いや、それ以外の戦闘の様子の報告を受けている。
一番に信頼を置く部下の衝撃を持って語られたそれらに、ウォルダーも衝撃を受けた。
「それでは、お二人もご機嫌麗しゅう」
礼儀正しく、優雅に礼をしたステラは、まるで、楽しい予定に向かうような、うきうきとした軽い足取りで執務室を後にした。
ステラが出て行った部屋で、ウォルダーとトレンスは顔を見合わせた。しかし、二人して肩を竦める。
優雅で、儚げな風貌。
礼儀正しく、上品な淑女。
そして、戦いに狂喜する獰猛な狂戦士。
ステラ・ルナローズとは、そういう人間だ。
短い間だったが、思い知らされた。
そこに、ノックの音が聞こえた。まさか、今しがた出て行ったステラではあるまい。ウォルダーは入室を許可した。入って来たのはリーナだった。
「ギルドマスター、至急の連絡が届いています」
「何?」
ウォルダーはまた厄介事が舞い込んできたのかと、顔を顰めた。リーナからどこかの紋章の入った封蝋の付いた手紙を受け取る。
開けて、内容を読んで目を丸くした。
「どうしました、ギルドマスター?」
トレンスとリーナは顔を見合わせた。何か、よっぽどの緊急事態なのだろうかと、息を呑んだ。
「ステラはもう出たか? 至急、連れ戻せ」
「は、はい……!」
リーナは執務室を急いで出て行った。
「ステラが何か……?」
トレンスの問いに、ウォルダーは無言で手紙を差し出す。読んで良いということだった。
トレンスの怪訝な表情は、内容を読むにつれ、みるみる驚きに変っていく。
「これは……!」
「ああ。ステラの父親からだ」
手紙には、短くこう書かれていた。
『我が娘、ステラ・ルナローズをデュアルに足止めしておくように。フィエリド・ルナローズ』
大方、ステラがSランク冒険者に認められたことを、聞きつけたのだ。
Sランク冒険者が誕生したということは、近いうちに世界中に報じられる予定だ。
その情報をいち早くつかんだのだろう。
暫くして、慌てたリーナが戻って来た。
「すみません! ステラさんは、既に、デュアルを発ってしまったようです!」
「……だそうですが、いかがします? ギルドマスター」
「はぁ。追いかけても無駄だろうな。何せ、あのステラ・ルナローズだぞ?」
「……でしょうね」
ひとりだけ状況がわかっていないリーナが、大量の疑問符を浮かべている中で、ウォルダーとトレンスは同時に笑い出した。
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