3 水遊びをしていたら、魔物に襲われている少年と出会いました。
どうぞよろしくお願いいたします。
森を彷徨い続けて、早五日。
黒凶熊を討伐してからというもの、森は以前と同じような不気味さを取り戻していた。ステラはあちらこちらから感じる魔物の気配の中、相変わらず呑気に歩く。これまで、魔物に襲われること、二〇。それをことごとく返り討ちにしていた。
鼻歌混じりに歩いていると、魔物とは違う音を、スキルで強化された聴覚が捉える。ステラは、その音に誘われて歩いて行った。
「まぁ……!」
音の正体は小川だった。さわさわと流れる水は透き通っている。ステラは小川を見るのは初めてだった。恐る恐る、水に手を浸ける。
「ひゃっ……!」
とても冷たかった。ステラは驚いて思わず手を引く。しかし、水の冷たさに心惹かれて、また恐る恐る手を水に浸した。穏やかな水流が掌にあたり、川上から川下へ向けて指の間をすり抜けていく。何とも気持ちが良いものだった。暫く、手を浸けたり引き上げたりしていたが、ステラは好奇心を抑えられなくなった。バッ、と服を脱ぎ捨てると、裸足の足を水に浸けた。
「うふふ、楽しいですね……!」
小川の中で「えいや!」と足を振り上げれば、巻き上げられた水がキラキラと宙を舞う。暫し、ステラは全身が濡れるのも構わずに水遊びに興じた。
***
「――はぁっ、は、……はぁ!」
少年は息を切らしながら森を走っていた。疲労から、足元が覚束ない。木の根に足を引っかけて転びかけたのを、何とか寸でのところで堪える。護身用の短剣は走っている最中に落としてしまった。
背後から、「シャァ!」「キシャ!」と魔物の鳴き声が聞こえて来る。
今、彼は牙兎の群れに追われていた。
牙兎とは、鋭く長い牙が生えた、耳の長い、Gランクの魔物だ。小型ながらもその性格は獰猛で、群れで行動する。一羽、一羽のレベルは低くとも、少年にとっては、十分、脅威だった。
「はぁ、はぁっ、……くぅっ!」
もう限界だった。少年は痛む脇腹を押さえて何とか走る。
かれこれ、三〇分以上走り続けていた。運動が苦手な彼が、今まで転ばずに走り続けられているのは奇跡だ。少年の脳裏に諦めの文字が浮かぶ。それは恐ろしかったが、疲弊しきった体と頭では、甘美なものにも感じられた。
(――っ、駄目だ! 僕は、これを村に持って帰るんだ!)
少年は肩に下げている鞄を、ぎゅっと掴んだ。この中には、下級ポーションに必要な薬草が入っている。彼はこれを摘む為に、このラゴーリェの森の近くまで来たのだ。
ラゴーリェの森は、魔物の巣窟だ。地元の人間なら、まず、近寄らない。
しかし、森の魔物たちは、基本的に森の中で活動する。森の中に入らなければ、大丈夫。そう思っていた。結果的に、それは甘い考えだった。
いつもなら、より強者の魔物から隠れるように、森でこそこそと活動している筈の牙兎の群れと遭遇してしまったのだ。逃げ惑っているうちに、いつの間にかラゴーリェの森の中に入り込んでしまった。
「――クッ!」
少年は少しでも牙兎を撒こうと高草の中に飛び込んだ。肌に当たる草が痛い。せめてもと、顔を腕で防御する。葉で皮膚が何か所も切れたが、構っている暇はない。少年はそのまま高草を突き抜けた。
*
小川で遊び続けていたステラは、濡れた銀髪を掻き上げた。全身びしょ濡れだ。雫がステラの白い腹を、つぅ、と滴り落ちた。
「ふぅ。……あら?」
水を巻き上げて遊ぶのもひと段落が付き、足元に視線を落とした時だった。何か小さいものが川底で動いたのに気が付いた。小指程の大きさの小魚だった。白く輝く鱗を光に反射させ、すいすいと優雅に泳いでいく。
「お魚さん、ごきげんよう」
ステラは指を川面に近づけて挨拶をした。彼女の気配を察した魚は、慌てて逃げて行く。その姿にステラは、くすくすと笑う。もっと魚を観察しようと腰を屈めた時だった。
「――えっ、ええっ⁉ えええええええええっ⁉」
ステラとそう歳が変らないような少年が、高草を掻き分けて飛び出して来た。息も切れ切れで、苦しそうに顔を歪めている。しかし、魔物の巣窟となっている森でたったひとり、下着姿で水遊びをするステラを見て、訳がわからないという風に、目を真ん丸にして、混乱と驚愕の声を上げる。
「わあああああああああっ!」
そして、今度は、背後から襲い掛かって来た牙兎に絶望の悲鳴を上げた。
何とも、忙しい少年だ。
ステラは、細剣を召喚する。全身濡れているので戦闘服は省略した。
川石を踏み台に彼女は宙を飛ぶ。少年は牙兎に驚いて尻もちを着いている。その少年の頭上を飛び越え細剣を突くように振るった。
「ギャッ!」
「シャァッ!」
牙兎の断末魔の後、ステラは、ストンッ、と地面に着地した。遅れて、頭を剣で貫かれた牙兎が五羽、彼女の足元に転がった。その内の一羽を不幸にもキャッチした少年は「うわぁ!」と悲鳴を上げて牙兎を放り投げた。ステラはそれを尻目に、口角を上げた。
「うふふ」
次々と高草から飛び出して来る牙兎を前に、ステラは美しい微笑みを浮かべて、すぅ、と細剣を構えた。
「皆さん、ごきげんよう。貴方たちのお命、狩らせて頂きます……!」
宣言するや否や、ステラは笑みを獰猛に歪めて、裸足で地を蹴った。
「うわあああ……」
その一部始終を見守っていた少年は、青い顔で呻いた。
十を超える牙兎は、ステラの前では瞬殺だった。しかも、すべて、牙兎の眉間を細剣で一刺しである。
「さて、お怪我はありませんか……?」
くるり、と振り返ったステラに、少年に声を掛けた。しかし、少年は困惑したように口を開く。
「え、えっと、怪我は……ない、です。助けてくれて、ありがとうございます。――って、君が、本当に牙兎を狩ったんだよね……?」
「はい……?」
恐る恐る聞いてくる少年に、ステラは首を傾げた。その姿は儚げな美少女で、今まで細剣を振るっていた人物と、結び付けるのは至難の業だったのだが、彼女がそれを知る筈もない。
「だ、だよね……。見間違いじゃないか……。あ、はは……」
少年は、乾いた笑い声を上げていたが、何かに気が付いて、ハッとした。顔を赤らめて、ババッ、と慌てて後ろを向く。
「き、君! 服を着て!」
「あ、忘れていました……」
ステラは少年に急かされて服を着た。しかし、彼女は眉を寄せて、「むう」と小さく声を上げた。濡れた体に麻の服が張り付いて、気持ちが悪かったのだ。彼女は風の魔法を発動させた。ステラを中心に風が巻き起こる。彼女の銀の髪が巻き上げられ、服がバサバサと音を立てた。
「わあぁ! え、何⁉」
突然、強風に煽られた少年はビクッとした。それでも、律義に振り返ることはなかった。
「もう、良いですよ」
完全に乾いたステラは少年に声を掛ける。風の余韻でふわりと舞い上がった髪が、すとん、と背に落ちる。櫛いらずの美しい髪だった。
少年は恐る恐るステラを見た。彼は、ステラとは違い、強風で茶髪の髪がぐしゃぐしゃだった。
「い、今の何?」
「風の魔法です」
「あ、魔法も使えるんだ……」
少年は、感心したような、呆れたような、何とも言えない乾いた笑みを浮かべる。
「……それで、今度は何をしているの?」
牙兎の耳を、むんずと掴んで、火の準備を始めたステラに、少年は聞いた。
「お腹が空いたので、ご飯にしようかと……」
「まさか、このまま丸焼きにするんじゃないよね?」
何故か、顔を引き攣らせて聞いて来た少年に、ステラは安心させるように優しく頷く。
狩ったのはステラだが、連れて来てくれたのは、この名も知らぬ少年だ。勿論、独り占めなんかせず、一緒に美味しく食べようと、ステラは思っていた。
「はい。貴方の分もしっかり焼きますので、ご安心ください……!」
「いや、そうじゃなくて!」
ぐっ、と拳を握り、女神の如く美しく微笑んだステラに、少年は目を剥いた。
ステラは少年の剣幕に首を傾げた。
「焼いて食べるのはお好みではなかったのでしょうか……?」
「そ、そう言う訳じゃないけど、ここ何もないよ⁉」
少年は、森の中の川原に牙兎の屍が転がる辺りを見渡す。
ステラも嘆息すると、頷いて少年に同意する。
「ええ、塩でもあれば良かったのですが、生憎、国外追放された身でして、何も持っていないのです……」
ステラが持っているものと言えば、スキルで召喚出来る剣と防具、魔物から取り出した魔石くらいしかない。これでは、せっかく新鮮な獲物が手に入っても、ただ焼くことだけしか出来ない。
とはいえ、ステラはお嬢様だったので料理経験など皆無なのだが。
「はっ? こ、国外追放⁉」
一方、少年はポカンと口を開いた。彼には、まったく話が嚙み合わないことを嘆く暇もなかった。しかし、ステラはそんな少年の心中も知る筈もない。彼女は、少年が黙り込んだのを良いことに、牙兎を細剣で豪快に捌き出した。
「ちょ、ちょっと、待って! 助けて貰ったし、僕の村でご馳走させて!」
ステラの覚束ない手際を見た少年は、取り敢えず疑問を棚上げにすることにしたらしい。
「えっ、よろしいのですか……?」
一方、ステラは、願ってもない申し出に浮足立った。実は、ずっと味付けのない肉続きで、ちょっぴり飽きて来ていたのだ。彼女は、牙兎から魔石を取り除いた格好のまま、キラキラと顔を輝かせて少年を見る。
少年はその熱量に若干引きつつ、頷いた。
「も、勿論。僕、こう見えても、料理は得意なんだ。どうかな?」
「ええ……! お願いします……!」
ステラは答えながら、腹が「くきゅぅ」と鳴った。
少年は思わずという風にクスッと笑うと手を差し出した。
「はは、良いみたいだね。僕の名前はフィアン。よろしく」
ステラはその手を握る。
「わたくしは、ステラ・ルナローズです……」
「ルナローズ?」
姓を名乗ったステラに、フィアンは首を傾げたが、恐る恐る口を開いた。
「……もしかしてだけど、君って貴族様だったりする……?」
「ええ。ですが、先程お話したように、永久に国外追放されましたので、身分はないも同然です。是非、ステラとお呼びください……」
そう微笑んだステラに、フィアンは言いたいことが山程あるような表情を暫く浮かべていたが、最終的には、諦めたように頷いた。
ステラたちは森の近く、フィアンが馬を待たせていたところまで歩いて行った。馬も魔物に襲われてしまったのではないかと恐れたが、幸いにも馬は無事で、のんびりと草を食べていた。
村は馬で二時間はかかる場所にあるということで、ステラはフィアンの後ろに乗せて貰う。乗馬は屋敷でもしていたので、ステラは何だか懐かしい気持ちになった。
「それで、国外追放ってどういうこと?」
走り出した馬の心地よい風に目を細めていたステラは、オリヴィニス王国の学園で起きた事の一部始終をフィアンに話した。
「そ、そんな……酷い。それって、冤罪でしょ? 抵抗しなかったの?」
フィアンはまるで自分のことのように悲痛な表情で言った。
「抵抗?」
ステラはきょとんとしてフィアンの言葉を復唱した。
抵抗とは何だろうか。今回の場合、自分に課せられた罪を受け入れず、無罪を主張することだ。場合によっては、体を張って反抗しても良かったのかもしれない。しかし――
「考えもしませんでした……!」
「ええ……、嘘でしょ……」
フィアンは引いたようにげんなりとしたが、ステラ本人も内心驚いていた。
(わたくしは、何故、抵抗しなかったのでしょう?)
ステラも初めは無罪を主張しようとはした。しかし、衛兵に人生初めての叱責をされ、思わず口を噤んでしまったのだ。
それから、ステラが、されるがまま従っていたのには、彼女の育てられ方が関係した。
ステラは公爵令嬢として、それは大切に育てられた。親や兄はステラを溺愛していたが、周りの使用人たちも彼女を溺愛していたのだ。
その溺愛はとどまることを知らず、ステラが健やかに、快適に、何の不自由なく、穏やかに生活出来るようすべてが完璧に整えられた。
それは、ステラが欲する前に、すべてを余すことなく与えられるという過剰なものだった。
よって、ステラは何かを訴えるということをしたことがなかった。訴える前に、一つも二つも三つも先回りして与えられるのだから、その必要がなかったのだ。
ステラは、常に、いそいそと世話を焼く周囲にされるがままの生活を送っていた。その生活はステラに自分で考えて行動するという選択肢を奪っていた。
国外追放され、すべてを失って初めて、ステラは自分で考えて行動するということをしたのだ。
(今までの生活が当たり前だと思っていましたが、それは一般的なものではなかったのでしょうか……?)
ステラは首を傾げた。とはいえ、それはもう過去のことだ。今更、気にしても仕方がないだろう。ステラがそう切り替えた時だった。
「じゃあ、ステラはこれからどうするつもりなの?」
ステラは、フィアンの質問にうきうきした。それは、自由を認識した時に、もう決めてある。自分の意思で。
「わたくしは、冒険者になりたいのです……!」
「冒険者かぁ。……ステラは、剣も強いみたいだし、いいかもね」
フィアンは笑顔で、うんと頷いたが、ステラは少し気になった。フィアンの顔に、ほんの少しだけ影が差したように感じたからだ。しかし、その疑問もフィアンとの会話を続ける内に消えて行った。
*
「――さぁ、ここが僕の村、ナディス村だよ」
そう案内された村は、小さな村だった。煉瓦の塀で囲まれた中には、煉瓦作りの民家が立ち並び、麦や野菜などの作物の畑がある。ステラには新鮮な光景だった。
「何もないけど、食べ物は美味しいし、長閑でいいところだよ」
「それは、素敵ですね……!」
ステラは物珍し気にキョロキョロとした。しかし、すぐに違和感を覚えて首を傾げる。土を掘り起こされたように荒れた畑が目に映ったのだ。よく注意して見れば、そんな畑は幾つもあった。作物を見る限り、収穫はまだ先のように思えるのだが、時期を早めたのだろうか?
「気づいた? 本当に、いつもなら長閑な村なんだ。……けど」
顔を曇らせたフィアンが口を開いた時だった。
「――フィアン! 今までどこに行っていたんだ! ったく、村が大変な時だと言うのに、少しはフィアナを見習って剣の練習をしたらどうだ⁉」
フィアンと同じ髪色の逞しい中年の男性が声を荒げて近づいて来た。腕を怪我しているのか、包帯を巻いている。彼に声を掛けられたフィアンは、ビクッとして俯いた。
「……父さん」
「今は、村の外をフラフラ出歩くなと言っていただろう」
「……うん。ごめん」
フィアンは何かを言いかけた。しかし、怒った父を一目見ると言葉を飲み込んで謝った。フィアンの父はそんな息子の様子に溜息を吐いた。
「……それで、この子は? 見たところ、村の人間ではないようだが」
フィアンは言い難そうにしていたが、父の睨みに観念したようだ。
「それは……、…………僕がラゴーリェの森で魔物に襲われているところを助けて貰ったんだ。そのお礼に家でご馳走するって約束したんだ」
そうフィアンが言い終わらない内に、父は血相を変えた。
「ラゴーリェの森⁉ なんでまた、そんな危険な場所へ行ったんだ!」
父の大声に、フィアンは目を瞑ってビクリとする。そして、おずおずと鞄の中から草を取り出した。
「……これが、欲しくて。最初は森の中に入るつもりじゃなかったんだ。けど、牙兎の群れに追われていつの間にか……」
「薬草? そんなものの為に、わざわざ危険を冒したのか? それに、牙兎とは……フィアナだったら、討伐出来ていたぞ」
心底呆れたとばかりに父は言った。フィアンは俯いてひたすら地面を見ている。そんな息子に父はまた溜息を吐くと、ステラに向き直る。
「お嬢さん、愚息を助けてくれたそうだな。……感謝する」
「いえ……。わたくしは、自分に出来ることをしたまでですので……」
「俺は、この村で村長をしているステファンだ。息子が言ったように、今日はうちでご馳走しよう。大したものは出せないが、ゆっくりしていってくれ。……フィアン、俺は村会議に行ってくる」
「……わかった」
フィアンはステファンを見ることなく頷いた。ステファンは息子のその様子に再度、溜息を吐くと歩き出した。
「ステラ、行こうか」
「はい……」
フィアンは明らかに肩を落として、黙って家に向かって歩き出した。結局、畑の謎はわからず仕舞いだった。
フィアンの家は周りの民家よりも立派だった。フィアンは扉を開けようとドアノブに手を伸ばした。しかし、それよりも早く扉が開く。
「フィアン、おっかえり~! ってその子、ダレ?」
中からこれまた、フィアンと同じ髪色の少女が飛び出て来た。後ろで一つ結びにしている髪が、彼女の活発さを表すかのようにぴょこぴょこ動く。抱き着かれたフィアンは「うぐっ」と呻いた。少女は、彼に抱き着いたまま、小首を傾げる。
「ぷはっ! フィアナ! いきなり抱き着くなって、いつも言ってるだろ」
フィアナと呼んだ少女から解放されたフィアンは、はぁはぁと息を整える。しかし、フィアナは悪びれずにニコニコしていた。
「え~、いいじゃん。双子なんだし」
「それとこれは、話が違うだろ……」
半眼でツッコんだフィアンは、気を取り直した。
「彼女は、ステラ。ステラ、こいつはフィアナ。僕の双子の妹。それで、ステラは、僕がラゴーリェの森で魔物に襲われてたところを助けてくれたんだよ」
「えっ! ラゴーリェの森に行ったの⁉」
フィアナもステファンと同じように驚いた。地元の人間にとって、ステラが彷徨っていた森は、近づくのも考えられないような場所だったらしい。
「うわ~、助けてくれてありがとうね、ステラ! でも何で、ステラはラゴーリェの森に居たの?」
「それは……――」
場所をリビングに移し、ステラはフィアナにも経緯を話した。フィアナは「うわ~」「ひえ~」などと言いつつ熱心に話を聞いていた。中々、表情豊かな子だった。ステラは自分の周りに――興味がなかったとも言うが――このような子は居なかったので、少々、驚いた。しかも――
「その王子さんとその相手の子、めちゃくちゃムカツクね!」
と最後に言い放ったフィアナに、ステラはまた、目を丸くする。
「そうですか……?」
「そ~だよ! 相手の子は明らかに確信犯だし、それに気が付かない王子さんも見る目がな
い! ってゆ~か、ただの馬鹿! そんな駄目男と結婚しなくて本当に良かったね!」
国が違えども、王子に対して不敬なことを、フィアナはバンバン言い放つ。そうして、フィアナはステラを労わるように、ぎゅうと抱き締めた。
(そういう考え方もあるのですね……)
ステラは、フィアナの胸に顔を押し付けられながら思った。目から鱗が出る思いだった。
今まで、冤罪で結婚破棄を突きつけられたのには、何か自分が至らないところがあって、それを遠回しに指摘していたのだろうと、漠然と思っていたのだ。ステラが至らない点もあったのかもしれないが、ステラがすべて悪い訳ではないらしい。
その後、ステラたちはキッチンで夕食の用意をした。フィアンは恩人で客人でもあるステラは手伝わなくて良いと言われたが、彼女は手伝った。とはいえ、ステラは料理などしたことがない。フィアナも料理は苦手なようで、殆ど、フィアンが調理した。
フィアンとフィアナの母親は、数年前に病で他界したらしい。それからというもの、フィアンが台所を守って来たという。
会議から帰って来たステファンを加え、四人で食卓を囲む。
牙兎のシチューに、そのロースト。黒パンにサラダという庶民的なものだった。しかし、とても美味しく、ステラは出された分をしっかりと胃に納めた。
「そうだ、ステラ。君は街まで行きたいと言っていたが……ここ暫くは用心した方が良い」
食後の白湯を飲んでいたステファンが唐突に言った。
「何故でしょう?」
「今、村周辺に高ランクの魔物がうろついているかもしれない。……奴は、三日前に村を襲ってな。俺のこの腕も、奴にやられた。今日も、その対策会議を開いていたんだ」
ステラは、村で見た畑を荒らしたものの正体を知った。しかし、ステファンが大怪我をしている中で不謹慎かもしれないが、高ランク魔物と言われて、冒険者を目指すステラは、つい気になってしまう。
「その魔物さんは、どのような方なのでしょう?」
「黒凶熊だ」
「えっ」
ステラが目を丸くしたのを見て、ステファンは重く頷いた。
「奴は、大喰らいな上、凶暴だ。普段はラゴーリェの森で魔物を食っていた筈なんだが、何の気まぐれか村を襲った。見回りは強化しているが、まだこの周辺に居る可能性がある。今までも冒険者ギルドにクエストを申し込んでいたんだが、ランクが高すぎて今まで棚上げになっていたんだ。今回、直接的な被害が出たから、近々、雇った冒険者と村人たちのパーティーを組んで討伐に出る予定だ。ただ、奴を狩れるレベルの冒険者が都合よく近くに居るかが問題なんだが……」
そう言って、ステファンは悩まし気に嘆息した。
「……あの」
「……まさかステラ、討伐に行きたいとか言わないよね?」
もじもじと口を開くステラに、ステラの剣技を知るフィアンが先手を制するように言った。
「それは、言いません……! ……その、その黒凶熊さんですが、私が食べてしまったかもしれません……」
「「「……は?」」」
ステファン親子の声が重なった。目が丸くなっているのも、ポカンと口が開いているのもお揃いだ。ステラはしみじみと、この三人は親子なんだなぁと思った。
「え、今、黒凶熊を食べたとか言った?」
「はい……」
「ちょっと待て、Bランクの黒凶熊だぞ?」
「ええ……」
「えっ、美味しかった?」
「それはもう……!」
唯一、フィアナだけ毛色の違う質問をした。ステラは美味しさを思い出して微笑んだ。その微笑みを見て、フィアンとフィアナがぽっと頬を染める。しかし、ステラはハッとすると、
「あ、魔石とか素材が残っていますが、見ますか……?」
と言った。黒凶熊の肉はこれまでの旅で食べてしまっていた。素材は金になると聞いていたので、剥ぎ取りたかったが、如何せん、解体方法がわからない。よって、ステラはそのまま【時空収納】に放り込んでいた。ちなみに、【時空収納】は時の止まった空間に収納しているので、生肉などを持ち歩いても衛生上、何の問題ない。
そして、ステラが【時空収納】から取り出した魔石やその他の残骸を見たステファンは「本当のようだな……」と半ば放心しながら呟いた。
「……これは、会議を至急開く必要があるな」
疲れたように「……ふ~」と深く息を吐いたステファンは、会議の準備に家を出て行った。
ステラはこのまま泊まることとなった。
「ステラ~、お風呂に一緒に入ろう~」
ステラはフィアナと風呂場へ行った。共に裸になると、洗い場で彼女の見様見真似で石鹸を泡立てて体を洗う。今まで貴族だったステラには自分で初めてのことだらけだった。それが終わると、湯が張られた浴槽にゆっくりと浸かった。浴槽は、少女二人が丁度入れる大きさだった。浴槽から二人分の湯が音を立てて流れ出た。
「……はふぅ」
ステラは目を瞑って、その心地よさに息を吐く。疲れが湯にじんわりと溶けていくようだ。ステラはスキルで《自浄作用》を持っていたが、やはり、風呂は格別だった。国外追放されてから初めて風呂に入った。
「はぁ~、ね、気持ちいいでしょ?」
フィアナがステラにもたれかかった。
「はい……」
「……ね、ステラ。フィアンのこと、本当にありがとうね」
「フィアナさんは、フィアンさんと仲が良いんですね……」
改めて感謝したフィアナに、ステラは微笑んだ。しかし、フィアナは俯いた。
「……そうかな。そうだったら良いな……」
ステラはフィアナを見た。いつも明るいフィアナらしくない、自信のなさそうな消え入るような声だった。
「……フィアンはね、《剣術》とか《槍術》とか、魔物の討伐に活かせそうなスキルがないの。あっ、でもその代わりに《調合》とかのスキルを持っててすごいんだよ! フィアンが調合した傷薬とか、すぐに傷治っちゃうし! ……だけど、お父さんはフィアンに《調合》のスキルよりも《剣術》とかの、腕っぷしが強そうなスキルを持ってて欲しかったみたい」
フィアナは手ぶり身振りを大きくして、どんなにフィアンがすごいのか話したが、父の話になると段々声が小さくなった。
「……あたしは、体を動かすのが好きで、お父さんに教わっている間に《剣術》のスキルも持てたんだけど、フィアンは運動が苦手でね。それで、いつも比べられてた。……でね、比べられ始めた頃からかな、なんとなく、フィアンがあたしとの距離を置くようになっちゃったような気がして……」
そこまで話して、フィアナは、ハッとした。
「ご、ごめんっ! なんか、暗い話をしちゃって!」
誤魔化すように、バシャン、とフィアナは顔に湯をかけた。
ステラはなんと声を掛けたら良いのかわからなかった。ステラには兄が居るが、兄は何と言うか、――父もそうだが――愛の重い人でステラが黙っていても、何かと世話を焼かれたし、愛を囁かれた。それは歯が溶ける程甘ったるいものだった。
(それも、当たり前だと思っていたんですよね……)
フィアンとフィアナを見ていると、それも、どうやら違うらしい。それでも――
「わたくしには、フィアンさんとフィアナさんは、お互いを尊重する、とても仲の良い兄妹に見えましたよ……」
ステラは自信をもって、微笑んだ。フィアナは目を見開く。
「そ、そうかな? うん、ステラがそう言うのなら、そうなんだろうね! えへへ」
「……!」
フィアナは照れくさそうに笑うと、ステラに抱き着いた。バシャバシャと湯が零れる音が風呂場に響いた。
風呂を出たステラは、フィアンに貸して貰った服を着て、与えられた部屋でひとり休んでいた。フィアナはいつも就寝時間が早いらしく、もう自室で眠っていた。
ステラも、もう寝ようかとランプの炎を消した。すると、窓の外が明るいことに気が付いた。家のすぐ隣の小屋から光が漏れている。ステラは好奇心を擽られて部屋をこっそりと出た。
ステラは、音を立てずに小屋に忍び寄ると、窓からそろり中を覗き込んだ。そして、目を丸くした。
中では、フィアンが何やら作業をしていたのだ。ステラは窓をコンコンと指でノックした。フィアンは顔を上げ、きょろきょろと周りを見渡す。窓の外のステラに気が付くと、「おいで」と合図した。ステラは出入り口の扉を開けて中に入った。
「ステラ、もう寝たのかと思ってたよ」
「はい。寝ようかと思っていたのですが、この小屋の光が目に入って……」
フィアンは小さな黒い鍋の中身をかき混ぜていた。周囲には独特な薬品の匂いが充満している。
小屋の中を見渡すと、天井から数種類の薬草が吊り下げて乾燥させていた。他にも小さな棚には手作りの薬品らしきものが並び、机には書物と書きかけの魔物皮紙が置かれている。
「それは何をしているのですか……?」
「これ? ポーションを作ってるんだ」
ポーションとは、液体の薬だ。幾つも種類があり、体力を回復させるものや、怪我を癒すもの、毒を消すものなど様々存在する。これは、《調合》の上位スキル《魔法薬精製》がなければ作れないものだ。
「ついこの間、《魔法薬精製》を獲得出来たんだ。まだレベルが低いから大したものは作れないんだけど、低級のポーションでも《調合》で作った軟膏とかよりも効果が高いからね。父さんの怪我もこれで少しは良くなる筈だ」
ステファンの腕の怪我は、完全に良くなるまでに時間が掛かるらしいと聞いていた。それでは、村長としての仕事や、農家としての仕事に支障が出てしまうと、彼は村を守る為とは言え怪我をしてしまった自分を責めていた。
「では、お父様の為にラゴーリェの森に行ったのですね……」
「うん。……怒られちゃったけどね」
「それは、理由をちゃんと話せばわかってくださるのではないでしょうか……?」
「……どうだろう。きっと、変わらないよ。父さんはそういう人だから」
そう言って、フィアンは俯いて溜息を吐いた。鍋の中身を杓子で掬って確認すると、別の薬草を入れた。その薬草は、ぐつぐつ煮えたぎる薬品の底へ消えていく。それを見届けると、フィアンは口を開いた。
「……僕はさ、出来損ないなんだよね。フィアナみたいに《剣術》のスキルはないし、低ランク魔物にすら逃げることしか出来ない。父さんは村を守る為には腕っぷしが強くないと駄目だって言うんだ」
「ですが、フィアナさんは、フィアンさんの薬はすごいって話していらっしゃっていましたよ……?」
「そうなの? ……でも、僕はフィアナの方がすごいと思うな。《剣術》のスキルもあっという間に獲得したし、いつも剣の鍛錬を怠らない。能天気に見えて、実はすごく努力家なんだ」
フィアナを褒めるフィアンは誇らし気に見えた。
「……ふふ」
「ん? どうしたの?」
「いえ……、フィアンさんもフィアナさんも、本当に仲が良いなと思って……」
何だか、ステラは嬉しくなってしまったのだ。
不思議そうな表情を浮かべるフィアンに、ステラは微笑みかける。
「二人とも、お互いを尊敬しているんですもの……。それに、二人とも、努力家でそっくりです」
「フィアナはともかく、僕は……」
眉を寄せ、暗い顔で否定しようとしたフィアンを、ステラは首を振って制する。
「この部屋を見ればわかります。フィアンさんも、いつもここでお薬のお勉強をしているのでしょう? それを、人は、『努力』と言います。それに、村を守ることだって、腕が強いだけがすべてではないでしょう? お薬は多くの村人の助けになります……!」
フィアンは目を瞬かせた。
「ふふ、『剣士』に『医師』。二人はとても素晴らしい兄妹ですね……」
「……うん。ありがとう、ステラ」
にっこり笑ったステラに、フィアンは照れたように頬を赤らめるとはにかんで頷いた。
ステラはフィアンの許可をとって、ポーション作りの見学をしていた。そして――
「出来た……!」
「素晴らしいです、フィアンさん……!」
フィアンは出来上がった黄緑色のポーションを瓶に詰めると、額の汗を拭った。ステラはパチパチと手を叩く。
その時だった。何者かが、家の扉がドンドンと荒々しく叩き、大声を上げているのが聞こえて来たのは。ステラとフィアンは驚いた顔を見合わせる。
「――おいっ! フィアン、フィアナ!」
何事かと、玄関に行ってみれば、村の男が血相を変えていた。
「コニーさん? どうしたんですか?」
「フィアン! お前の家にステラという少女が泊っているらしいな! 君か? 大至急、村会議所に来て貰いたい!」
コニーと呼ばれた男は、フィアンに詰め寄ったが、隣のステラを見ると、懇願した。
「え?」
事態を把握出来ていないフィアンは、間の抜けた声を上げた。丁度その時、玄関扉が開く。フィアナだった。眠たい目を擦って、「なになに~?」と聞いてくる。
「魔物が出た! 軽傷だが怪我人も出ている! 早くしてくれ!」
その言葉に、三人はハッとする。コニーは頷くと、三人を先導して走った。
村会議所の外は、てんやわんやだった。村の男たちが集まり、剣や槍、松明の準備をしている。その中にステファンは居た。男たちに指示を飛ばしている。そして、ステラたちに気が付いた。
「来てくれたか、ステラ! ……フィアン、フィアナ! 何しに来た! お前たちは家に帰っていろ!」
どうやら、ステラを呼びにコニーを寄こしたのは、ステファンらしい。ステファンはステラを見て安堵したが、その後ろに居る子供たちを見て目尻を吊り上げる。
「父さん、魔物が出たって……! それに、怪我人も!」
「お父さん、あたしに出来ることある⁉」
「お前たちには関係ない。さっさと帰れ!」
ステファンは、言い返そうとする子供たちを無視すると、ステラに向き直る。ステラも口を開いた。
「わたくしに御用のようですが……」
「ああ。見回りをしていた者が魔物に襲われた。証言によると、Gランクの角猪だ。それも、大群で行動しているらしい。一度引いたが、このままだと村を襲撃されるかもしれない。恐らく、この辺りのボスだった黒凶熊が討伐されて活性化したんだろう」
「じゃあ、僕が牙兎に襲われたのも……」
まだ、家に帰らないフィアンがそう呟いたのが聞こえた。フィアナもその隣に居る。
状況はこうだ。
まず、普段ラゴーリェの森で魔物を狩っていた黒凶熊は何の目的か、ナディス村を襲った。その後、ラゴーリェの森に帰るも、ステラがその黒凶熊を狩った。こうして、危険なボスを失って自由となった他の魔物の動きが活性化し、村の周辺まで出て来たということだ。
「わたくしが、黒凶熊さんを狩ったせいで……」
「いや、元々、黒凶熊は討伐依頼を出していたんだ。それに、村が襲われ、本格的に討伐に乗り出す予定でもあった。大猪が現れたのは、君のせいじゃない」
ステファンは首を振った。そして、真剣な目でステラを見た。無事な方の手でステラの細い肩を掴む。
「君に頼みがある。――角猪を討伐して欲しい」
「と、父さん⁉」
「角猪単体であれば、村の男たちでも狩れる。しかし、今は夜だ。視界が悪い中、しかも大群となれば、俺たちには分が悪い。勿論、俺たちも戦うが、手が足りない。君の手を貸してくれ!」
「かしこまりました……!」
ステラは細剣と戦闘服を召喚した。一瞬でステラの恰好が変ったことにステファンやフィアン、フィアナ、周りの村男たちが驚愕した。しかし、そのことを聞いている暇はない。ステファンは疑問を飲み込んだ顔で「頼む」と頭を下げた。
そこに、バタバタと足音を響かせて飛び込んできた村男が息も切れ切れに報告した。
「村長! 先行していた部隊が角猪の大群と交戦中です!」
「何ッ⁉ ステラ早速で悪いが……――なッ⁉」
ステラは全速力で飛び出した。そのあまりの速さに皆、目を剥いた。彼らの目にはステラが一瞬で消えたように見えたのだ。
ステラは村の外へ飛び出すと、【戦神の寵愛】で超人レベルまで引き上げられた身体能力で交戦中の村男と大猪たちを探す。そして、ステラの碧い瞳が彼らを――角猪を目視するや否や、顔を喜色に歪めた。
「うふふっ。さあ、皆さんのお命、狩らせて頂きます!」
ステラは駆け出した。
*
「はぁ、はぁ……! チッ!」
暗い夜中、松明を持ちながら剣を振るのは一苦労だった。しかも、突進してきたと思えば、松明の光が届かない場所まで逃げられる。そしてまた、闇から出てくるのだ。
普段なら、戦闘系のスキルを持つ村男たちでも狩れる角猪だったが、悪条件が重なり苦戦していた。
「――グア⁉」
「ッ! おい、大丈夫か⁉」
先行したパーティー数組の内、一パーティーが角猪の突進により吹き飛んだ。それに気を取られ、陣形が崩れる。
「しまった……ッ!」
そう思っても、もう遅い。一行は、角猪の群れに包囲された。
総崩れを覚悟した時、何かが傍を通った。その途端――
「――ンブヒィッ!」
「――フゴォッ!」
角猪の断末魔が闇の中、あちらこちらから上がった。
その正体はわからない。ただ、見えるのは、キラリ、キラリと煌めく白い閃光。その閃光は、大猪が居るらしい場所を一閃すると消え、また別の場所で一閃する。その速さたるや、流星の如く。村男たちは、大流星群を目の当たりにしているような心地になった。
村男たちは、呆然とその不思議な光景を眺める。
「――おい! 無事かっ⁉」
「村長!」
前回の黒凶熊の件で村人を守る為に怪我を負ったにもかかわらず、もう片方の手で剣を持った村長のステファンが後続部隊を率いて現れた。
「はい。皆、軽傷を負っているものの、全員無事です! ですが、あれが……新手の魔物でしょうか?」
それが一番の心配であった。角猪の大群を蹂躙する何かが、敵なのか、味方なのか。敵であるならば、勝てる筈がない。そう、怖れていた。
「いや、あれは――」
ステファンが口を開いた時だった。角猪の断末魔がピタリと止む。
次は自分たちの番なのではないかと、村男たちは得体のしれない存在に恐怖した。しかし、その直後、皆一様に「は?」と目を見開いた。とことこと、歩いて来たその存在が、まったく予想もしていない風貌をしていたからだ。
「あの、皆さま。大猪さんのお命、狩らせて頂きました……」
松明の明かりが照らしたのは、儚げな美少女だった。この少女が大量にいた角猪を狩ったとは思えない。しかし、彼女の戦闘服は返り血で赤く染まり、手に持つ細剣からは鮮血が垂れている。
「え……、えっ?」
「そ、村長?」
村男たちから一斉に説明して欲しいと視線で訴えられたステファンが、頭をガリガリ掻いた。
「あ~、黒凶熊の件を話しただろう。あの黒凶熊を狩ったのが、この少女――ステラだ」
「「「はあああああぁ⁉」」」
「「「ええええええぇ⁉」」」
男共の絶叫が夜の闇に響いた。
「あ、あの、旅人のことですか⁉」
「もっと野太い大男かと思ってたんですけど⁉」
「そうそう、バイキングのような!」
散々な言われようにもかかわらず、少女――ステラは、こてん、と可愛らしく首を傾げた。自分のことを話されているとは思っていないらしい。
「……おい、村の恩人に失礼だぞ。ステラ、前回に引き続き助かった。村長として、感謝する」
頭を下げたステファンに、村男たちも慌てて頭を下げた。
「いえ……。わたくしに出来ることをしたまでですので、頭を上げてください……」
そう言って、ステラは微笑んだ。
***
角猪との戦闘から二日後、ステラはフィアナに貰った洋服を身に着けて村の門に立っていた。
彼女の出発を見送ろうと、多くの村人が集まっていた。あの夜から今日まで、角猪の処理や周辺の魔物の討伐などを村の人たちと共に行い、打ち解けたのだ。
「あ~ん、ステラぁ、本当に行っちゃうの~?」
「はい……」
フィアナがステラに抱き着いて離れない。ステラが困っていると、それを兄のフィアンが引き剥がした。まだくっつきたそうにしている娘を横目に、父のステファンがステラに近づくと、布袋を手渡した。何かがたくさん入っており、ずっしりと重い。袋の中でジャラジャラと音が鳴った。
「これはなんでしょう……?」
「報酬だ。今回は、本当に助かった」
ステファンに促されて中を確認すると、金貨7枚と銀貨10枚が入っていた。
「えっ、こんなに頂けるのですか……?」
銅貨26枚で、銀貨1枚。銀貨12枚で、金貨1枚。
果実や野菜は一つ、大体銅貨1枚。低ランクの魔物の肉だと部位によるが500グラム当たり銅貨3枚。種類や時期によって変動するが、最低でもこのくらいなのだとフィアンとフィアナから教わった。
ちなみに、4人家族の庶民の一か月の生活費は金貨5枚程度らしい。
「黒凶熊と角猪の大群の討伐報酬だ。ギルドの相場に合わせている。それに多少、色をつけている。本音で言えば、もっと支払いたいところだが、小さい村だからな」
Bランクの黒凶熊討伐が、金貨5枚。Gランクの角猪の大群討伐が、銀貨7枚なのだと言う。
申し訳なさそうにしているステファンに、ステラは首を振った。
「いいえ、村に居る間、大変良くして頂きましたし、服も旅道具も頂けました……! 十分です……! 本当なら、わたくしの方がお礼を言わなければなりません……!」
「ふ、そう言って貰えて嬉しいよ」
ステファンの、ステラを見るその瞳が優しかった。フィアンとフィアナと同い年のステラは、どんなに強くとも、ステファンから見るとまだ子供だ。
ステファンは手を差し出した。ステラはその手を握る。
「……では、わたくしはこれで……」
村の人々と離れるのは名残惜しかったが、別れの時間だ。早く村を出なければ、日が暮れてしまう。ステラは村の皆の顔を一人ひとり見た。それぞれが笑顔だった。
最後に、フィアンと目が合った。昨夜、フィアンと交わした会話が蘇る。ステラは微笑んだ。
「ふふ、お互い夢に向かって、頑張りましょう……!」
「……ああ!」
ステラとフィアンは頷き合った。
そして、ステラは、村人たちの声援の中、村を出発した。
*
ステファンは息子と娘と共に、ステラの姿が見えなくなるまで門に居た。この三日間で、子供たちはステラとすっかり打ち解けたようで、フィアナなどはいつまでも彼女に声を掛け続けていた。
ステラの姿が見えなくなり、フィアナは、しょんぼりと肩を落とした。同じ年頃の子供がフィアン以外に村に居ないということもあり、彼女にとってステラは特別だったようだ。暫く、萎れていたが、ぱっと顔を上げると、フィアンに抱き着いた。
「ね、さっきステラと話してたことって、なぁに?」
去り際、ステラはフィアンとお互いを鼓舞する言葉をかけていた。ステファンも少々気になっていたことだった。
「ん、ちょっとね。……父さん、ちょっと良い? 話があるんだ」
フィアンはステファンに向き合った。
まっすぐ、父であるステファンを見ている。しっかりと意志を持った真剣な瞳だった。ステファンは、フィアンのこんな瞳を見るのは随分と久しぶりだった。彼はいつも父に萎縮して、俯いて目を合わせようとしなかったのだ。
「……何だ」
意外な物を見た心地で問い返すと、フィアンは「ついてきて欲しい」と言って、家の小屋までステファンを案内した。
小屋の中には、初めて入った。フィアンが趣味の薬の調合をする為に使わせて欲しいと言った時に、渋々許可してから一度も入っていなかった。彼のスキルを認めたくなかったのだ。
このナディス村は、辺境の地にある。
街と違い村を守る衛兵は居ない。冒険者も村には滅多に立ち寄らない。魔物から身を守る為には、村の住人自ら立ち上がる必要があった。
よって、村人――特に男には、《剣術》や《槍術》、《弓術》などの戦闘系スキルが求められた。
しかし、フィアンはそれらのスキルがない。
勿論、人には得意不得意がある、とは理解している。
それでも、ステファンは村長として、息子のフィアンには腕が強くあって欲しかった。いずれ、自分の後を継ぎ、村長として村を守る為に。
だから、剣の鍛錬よりも薬作りに精を出すフィアンが認められなかったのだ。
この小屋の中には、薬草の匂いが充満しており、ステファンは複雑な気持ちになった。
フィアンはそんな父の気持ちを知ってか知らずか、何やら黄緑色の液体が入る瓶を差し出して来た。
「……これ、父さんに使って欲しいんだ」
ステファンがその瓶を観察していると、フィアンはその正体を教えた。
「低級のポーションだよ」
ポーションは、軟膏よりも高い効果がある魔法薬のことだ。確か、スキル《魔法薬精製》でしか作れなかった筈である。フィアンはいつの間に《調合》の上位スキルを獲得していたのだろうか。ステファンは知らなかった。
「ラゴーリェの森で襲われた時に採って来た薬草で作ったんだ……」
(つまりは、俺の為にわざわざ危険を冒したという訳か……)
当時が頭ごなしに叱ったが、そんな事情があったとは。
ステファンは、腕の包帯をとって傷を曝け出した。黒凶熊の爪によって、肉が抉れていた。爪が掠っただけでこの様だ。直撃していれば、この腕はなかっただろう。適切な処置を施していたが、その傷は四六時中痛む。全治数か月だと医術を齧っている村人に言われた。
ステファンは、その傷にポーションをかけた。低級のポーションだ。傷が塞がることはなかったが、膿んでいたのが和らぎ、痛みが緩和されたように思う。
「……どうかな?」
緊張した面持ちでそう聞いてくるフィアンに、「……まあまあだな」と答えると、息子は「そ、そっか」と俯いた。それでも、すぐに顔を上げてステファンを見る。
「それで、本題なんだけど」
「何だ」
フィアンは緊張を和らげるように、深呼吸を挟むと、意を決して口を開く。
「僕、医者になりたいんだ!」
彼は、まっすぐステファンを見て言った。一点の曇りもない瞳だった。
ステファンには、ある程度、予想していた言葉だった。いつかは、言ってくるだろうとは思っていたのだ。
「本当は、ずっと思ってたんだ。でも、言えなかった。父さんをがっかりさせると思って。だけど、やりたいことに突き進んでいくステラを見て、本当にやりたいことを僕もやりたいって思ったんだ。……あっ、勿論、家の仕事もちゃんと手伝うよ。でも、薬を作ることを認めて欲しい」
フィアンは一息で言った。そして、様子を窺うように上目遣いで父を見る。
ステファンは、フィアンのその願いを許すつもりはなかった。
――以前までは。
ステファンの脳裏に、一人の少女の姿が浮かぶ。
明かに育ちが良い、儚げで美しい少女。
しかし、その見た目を裏切る圧倒的な強さ。
角猪の件の後、ステファンは彼女――ステラに聞いたのだ。
「君の正体は、何だ?」と。
彼女は自分に起きた事を淡々と話して聞かせた。それは、ステファンにとって、許しがたい内容だった。隣国の王子はそんな愚かなことを仕出かしたのかと、我が耳を疑った。しかし、当事者のステラは、ケロリとしていた。
しかも、これでやっと自分のやりたいことが出来ると喜んですらいた。
――「ルナローズ家に帰れば、冒険者には決してなれません。やりたいことを、思う存分出来る。それは、なんて素晴らしいことでしょう! わたくしは、この機会をくださった殿下に感謝しているのです……!」
生き生きとそう話すステラを前に、ステファンは殴られたような気分になった。
子供は親の道具ではない。
ステラの親もそんなつもりはないだろうが、親のエゴとして娘には何不自由なく幸せに暮らして欲しいと思っていることだろう。しかし、それが本当に娘の幸せとは限らない。
ステラは、お姫様として暮らすよりも、冒険者として暮らすことが幸せなのだ。
だから彼女は、何とか家族と再会出来るように手配しようとしたステファンの申し出を断った。
――「確かに、家族のことは心配です。それに、家族もわたくしのことを案じていることでしょう。しかし、わたくしはこの機会に、冒険者になる夢を叶えたいのです……!」
ステラは、冒険者になる為に、貴族の身分もすべて捨てる覚悟なのだ。
だからこそ、ステファンは思った。
「駄目だ」
ステファンはフィアンにすげなく言った。
フィアンは、ショックを受けたように顔を歪めると、俯いて歯を食いしばった。涙が出て来そうなのを、ぐっと我慢しているようだ。
「……お前の覚悟はそんなものか?」
ステファンは、俯いて涙を我慢するフィアンに聞いた。
ステラの覚悟を知ったからこそ、息子の決意は弱いと思ったのだ。
「家のことをやりながら、片手間で出来る程、薬作りは簡単なのか?」
ステファンの言葉に、フィアンはステファンを睨みつけた。
「ッ! 僕だって本当は、村や家での仕事を放り出してでも専門の学校に行って、ちゃんと勉強したい! 村の皆の薬に立てるような医者になりたいよ! でも、僕は父さんやフィアナを置いて行けない。母さんと約束したんだ。『僕が家を守る』って」
大人しいフィアンが、父に対して大声を上げるのも、こんな態度をとるのも初めてだった。彼は息を荒くしながら泣いていた。
そして、フィアンが亡き妻とそんな約束をしていたと、ステファンは初めて知った。
確かに、母親が死んでから、家のことはすべてフィアンが行ってきた。フィアナにもさせたかったが、フィアンが率先しているようなので、それでも良いかと放任していたのだ。しかし、そんな裏話があったとは。
子供は親の道具ではない。
妻もフィアンに自分の代わりに家のことを差せる為に、こんな約束をした訳ではない。家族皆仲良くして欲しかったから、言ったのだ。
自分もそうだ。
息子には強くあって欲しかった。それが、フィアンの為になると信じていたのだ。
しかし、それはフィアンの幸せとは限らない。
ステファンは、溜息を吐いた。
認める他なかった。
「……なれば良いだろう。すべて捨てて、医者に。ただし、捨てるのは『一旦』だ」
「……え?」
フィアンは、ポカンと口を開けてステファンを見た。父親が何を言ったのか、すぐには理解出来なかったようだ。
ステファンは書きかけの魔物皮紙が散乱する机に近づいた。そして、フィアンの書き込みが大量にある古本を手に取った。……これは、フィアンが村で一番医学に明るい爺さんから貰って来たもので、ステファンの怪我を診たのもこの爺さんだった。
「クラウスの怪我を、お前のポーションで治したらしいな」
「あ、うん……」
クラウスとは村人の一人だ。フィアンにとって気の良い兄貴のような存在で、角猪との戦闘で怪我をしていた。
彼にフィアンは、出来たばかりだったポーションをあげていたらしい。
「クラウスの女房がお前に感謝していた。それに、他にも話は聞いた。今まで、色々な村人に薬を渡していたらしいな」
クラウスの女房がステファンに礼を言いに来た時、他の村人もフィアンに助けて貰ったのだと口々に礼を言いに来たのだ。
まったく、初耳だった。
薬作りという名の、遊びのようなものだと思っていたのだ。それが、こんなにも村人の助けになっていたとは。
「……今まで、村を守るには腕が強くなければいけないと思っていた。しかし、それは間違いだったようだな。医者も村の者を守る為には必要だ。……ちゃんと、学校で勉強して来い。村の為にな」
ステファンは古本を置くと、フィアンを見た。
「それって……でも、家のこととか、父さんたち、家のこと何も出来ないでしょ? それにお金も……」
フィアンは、ようやく父親の許可をとれたというのに、喜ぶよりも困惑していた。自分が認められるとは思っていなかったようだ。
否、それ程、ステファンやフィアナのことが心配なのだろう。
「それは、どうにかする。……なるんだろう、医者に」
逆に息子に心配されたことに、不甲斐なく思いながらステファンは言った。
フィアンは目を見開く。その顔は喜色に染まっていた。
「――うん!」
同時に、バン! と大きな音がした。
「フィアン~! 良かったね!」
振り向くと、フィアナが小屋に飛び込んできた。そして、フィアンに正面から抱き着く。フィアンは「んぐぅ」と呻いた。ステファンは双子の兄を絞め殺しにかかっている娘を引き剥がした。
「ぶはっ、フィアナ⁉」
「フィアンが学校に行っている間は、私が村を守るから! ステラみたいにもっともっと強くなって、村を襲う魔物を狩るから!」
ステファンとフィアンは目を見開いた。フィアナが泣いていたからだ。この娘は嘆くことはあっても、絶対に泣かない。母が死んでから一度も。
そんなフィアナが、顔を涙でぐしょぐしょにしている。
「ず、ずっと……あたしが、《剣術》のスキルを持ったせいで、フィアンの居場所を奪っちゃったって思ってたの」
「フィアナ……」
ステファンは、いつも明るいフィアナが胸に抱えていたものを初めて知った。フィアンもおろおろとしている。
「でもっ、フィアンがお医者さんになるなら、私はもっと《剣術》を磨く。そして、いつかフィアンと一緒にこの村を守っていけるように頑張る!」
フィアナは、ぐし、と涙を拭うと、にぱっと笑った。
娘にも肩身の狭い思いをさせてしまっていたことに、ステファンは胸が苦しくなった。
しかし、今日で終わりだ。これからは、そんな思いはさせない。
「…………」
ステファンは何も言わずに、二人の子供たちの頭を乱暴に撫でた。フィアンとフィアナは、「うわっ」「きゃっ」と声を上げて、顔を見合わせた。そして、同時に笑った。
最後までお読みいただきありがとうございます。