埋まらない穴
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ん、こりゃまた、盛大に水をぶちまけてんな。どーれどれっと。
あー、アリの巣だよ、アリの巣。やけにありんこが浮かんでいると思ったぜ。
つぶらやも、小さいころにやったことないか? アリの巣をつぶすために、水攻めしたり、砂攻めしたりしてよ。
これらは子供が育つうえでの、必要悪ととられることもある。生き物の生死を学ぶために、おもちゃ感覚でぷちぷちと命を絶っていく。
どれくらいの力で、どのようにしたら相手は死んでしまうのか。それを知るための、かっこうの相手。たとえ必要に迫られていなくても、ちょっとした気まぐれで巣を壊したり、きれいに続く行列を乱してやったり……加虐心がくすぐられるような、魔が差す瞬間があるもんだ。
だがそんなアリの巣も、一方的にやられるばかりじゃなかったレアケースがある。逆襲、と呼べるかは微妙だが、俺が小さいころに体験した話だ。ひとつ、聞いてみないか?
俺が住んでいた家の近くは、公園や空き地が多く、道路も未舗装の部分がちらほらあった。
自然、車や自転車で踏み固められる恐れがあまりない、端の地面などでは、アリたちが自分たちの住まいを持つことが、多分にあったんだ。
俺は気が向くと、その巣をつぶして回る。先に挙げたようなアリの生死には、俺はさほど関心がなかった。
ゆがんだ完璧主義? とでもいえばいいのか。とりあえず、気になった「穴」は埋めておかないと気になるんだ。壁とか床の傷、へこみなどにも同じような感覚を抱いたよ。
表面上だけでも、ちゃんと整っていないと、どうにも気持ちが悪いんだ。穴なんか、その「不完全」の最たる形。面白くないものの筆頭さ。
――あん? じゃあ、耳や鼻に穴が空いている、人の顔はいいのか?
俺はあるべき姿であってほしいと願うだけだ。元から空いているものだったら、埋めようなんてしない。むしろその、埋める行為こそ不健全に思うな。
その点、地面や道路はもとは滑らかなものだろう? そこに水を差すように、空けられる穴が個人的に気に食わなかった。自分のやっていることは、あくまで「矯正」なんだ、という自覚があったな。
そんな身勝手な正義感のもと、アリの巣を埋めていく俺だったが、不思議な巣穴に出くわしたのは、流れ星をよく見かけるようになった、とある夏の日のこと。
その巣穴は、俺の住まう家の近くにある公園。南側にすぐアパートが控えるその場所の、片隅のベンチ近くにあった。
石造りで、一段高くなった花壇と地面の境目に空いた、指ほどの幅しかない小さな穴。見つけてしまった以上は捨て置けず、俺は足元の砂をざざっと靴底で集めながら、穴へ流し込んでいく。
ところが、アリの巣はなかなかいっぱいになる気配を見せなかった。
たいていの巣ならば、穴の周りの土も一緒にボロボロと中へ落ち込み、ほどなく受け止められなくなった砂たちを吐き出して、自らもまた土の中へ埋まっていくはず。
それが、いくらこぼしても底が見えてこないんだ。すでに辺りから砂をかき集めた地面の色は、砂利含みの薄青から、その下に敷かれているこげ茶色のものをのぞかせ始めている。
なのに、この穴は埋まっていくばかりか、ふちからこぼれる砂たちも吸い込んで、わずかずつ口を広げていく。
あまりに俺がかかりきりになっているせいか、公園にいる何名かが、俺のことをちらちらと見やってくる始末。俺は自分のやりたいことを、誰かに見られながらするのは嫌いだ。
その場は立ち去ったものの、「次は絶対埋めてやる」と、次の休みに子供用の小さいシャベルを持って行ったのさ。
すると、アリの巣はその数を増やしていた。
あの構っていた穴は、俺が去った時より二回りほどサイズを増し、俺の親指がすっぽり入るほどになっている。
それどころか、公園のそこかしこに――とはいえ、いずれも気にしない人なら、本当に気にならないほどの小さいものだったが――アリの巣が口を開けていたのさ。
俺は一時間ほどをかけて、砂をかき集めては詰め込んだものの、本当に埋まってしまったものは、全体の半分ほどでしかない。最初の穴を含め、残ったいずれの穴も、俺に限界を見せないままだったんだ。
さすがに、気味が悪くなってきた。
これらの穴には、突っ込んだ端から土が消えていくような、そんな錯覚を感じだしたんだ。
もし、何かの拍子でこの穴がもっと広がったら、土もろとも、俺自身も地面の底へ一緒に引き込まれてしまうんじゃないか……。そう思わせるほどの「健啖家ぶり」がこいつらにはあったんだ。
俺は直接穴へ手を出すことはやめたものの、何かと件の穴たちを気にかけていた。
そういえば、当初は穴の近くで姿を見かけていたアリたちも、とんと姿を見なくなっている。
アリを全滅させる薬の話は、少しはきいたことがある。外で働くアリに餌と一緒に持ち帰らせて、毒を広めるのだとか。
もしかして、その被害に遭ったのだろうかと、俺が考え出した矢先のこと。
不意に、頭上に熱を感じて、顔を上げかけたとき。
目の前の巣穴の中へ、光を放ちながら飛び込んだものがある。まるきり、カメラのフラッシュのような強さで、つい俺は顔をそむけてしまう。
視界を奪われている間、公園のあちらこちらからも、一瞬だけ熱を感じ、すぐにそれが消えていった。
ようやく目を開けた俺が見たのは、細い一筋の煙をあげる、あの巣穴の姿だった。広くなった穴の周りには、先ほどまでなかった真っ黒い焦げつきもある。
ぐらり、と足元の地面が揺れる。アパートの干してある洗濯物も揺れて、俺だけのめまいじゃないと分かった。
地震だ。
後でこの地震はマグニチュード5.2相当。俺の住んでいるところでは、震度4相当の揺れを記録したことを知ったよ。おさまった後に、公園を振り返った俺は、あの埋まらなかった穴たちが、あまさず煙を放ち、ふちが焦げ付いているのを見て取ったんだ。
数日後。俺はニュースで、あの巣穴へ光が飛び込んだ日に、直径120メートル近い隕石が、地球の近くを横切っていったことを知る。
この大きさの隕石が落ちると、東京都に匹敵する面積に壊滅的被害を与えるのだとか。このサイズの隕石だと、角度や太陽の位置によっては、ぎりぎりまで発見ができない可能性があるらしい。
ニュースでは隕石の被害はないとのことだったが、俺はまゆつばものだと思っている。
あのとき、巣穴へ飛び込んでいった、光と光を放つかけららしきもの。あれは、その隕石の断片だったのではないかと。
実際、落ちてもたいした被害は出なかったかもしれない。
でも、あの穴たちは万が一に備えて、落ちてくる隕石を被害なく受け入れるために、口を開けていたんじゃないのかと思ったのさ。