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こうやって楽しむのもありでしょう

 庭園の花々が咲き誇る春の中頃、暖かい昼下がり。

 きちんと手入れがなされている四阿(あずまや)で、一組の男女が向き合って駒を動かしている。

 さらさらとした長い栗色の髪の毛を持つ女性は一切表情を変えることなく一手ごとにハーブティーを飲んでいるが、深い海を思わせるような髪を持つ男性は苦戦していた。


「チェックメイト」


 白の(ルーク)を黒の(キング)のそばに寄せ、嫣然と微笑みながらそう言う彼女の名前はアメリア。


「また負けたよ。まったく君には敵わないな」


 肩をすくめながらそうぼやく男性、バルゼディッチ公爵レオに、あら、天下の公爵様がそんなことをおっしゃっていいのですか?と挑発するような言葉を彼女は投げかける。


「五手前、この僧侶(ビショップ)をこう動かせば勝ちは公爵様のものでしたのに」


 そう言って、その盤面に戻し駒を動かしていく。すると黒の歩兵(ポーン)が白の(キング)を追い詰める形になっていた。


「まったくそんな先の手を読んでいたとはな……君の優秀な頭脳を手放すなんて、バドス王国、いやあの王族は馬鹿だねぇ」

「あら、それは貶していらっしゃるのかしら?」

「もちろんアメリアを(・・・・・)褒めているんだよ」


 今のアメリアの立場は隣国のバルゼディッチ公爵家に匿われた追放者。

 しかし、レオは一人の淑女(レディ)として丁重に扱っている。元から彼自身も次期宰相候補として魑魅魍魎はびこる貴族社会を生き抜いてきたが、彼女の知識と彼をも上回る頭の回転の良さによって次々と政敵を葬り、良きパートナーとして彼女のことを見ている。


「現にこの国でもすでになくてはならない存在になってるじゃないか。手をこまねいていたあの馬鹿皇子や愚か者の伯爵に引導を渡したのは君だよ?」

「そういえばそうでしたわね」


 レオはもう一局しようと駒を並べなおそうとすると、アメリアは仕方ありませんわねといって今度は私が黒でと言いながら駒をかき集めて並べていく。並べ終わって、今度はレオから駒を進めはじめた。その間も二人の会話は進む。


「二年前、“バドスの頭脳”と言われたフォルツァンガ侯爵も末娘の嘘を飲み込んで君を追放するなんて。長女である君の頭脳がよっぽど怖かったんだろうねぇ」

「あら、私はなにもしていませんのに」

「やれやれ、無自覚なところが怖いったらありゃしないよ。だって、社交界デビューと同時に清廉潔白と言われた宰相コンデルッツ元公爵を領民誘拐、婦女暴行で更迭させたり、二年前に起きた放火事件の真犯人である近衛副騎士団長を捕縛したり……ああ、もちろん言い逃れのできないような証拠をきっちりそろえてね」

「それは光栄ですわね。しかし、もう二年。そんなこともありましたわね」


 くすっと笑いながら駒を進めるアメリア。

 彼女はこの国の人間ではなく、バドス王国から追放された()侯爵令嬢。もともと同い年の王太子ユージンと婚約していたものの、妹のユリアの奸計にはまり、ユージンから婚約破棄を言い渡された挙句、彼女の頭の回転の良さを恐れていた両親もユリアを選び、他国へ追放されたのだ。

 命があっただけでもマシとしか言いようがない。


 隣国であるこの国、バスリア帝国の職人街で放置(ポイ捨て)された彼女は当然のことながら無一文であり、ぼろぼろの服しか着ていなかった。唯一の救いは従者のリカルドが彼女を追ってここまで来て、その後の世話はすべて彼がしてくれたことだった。

 災い転じて福となるということわざがあるように、どう見ても訳ありである彼女たちを通りがかった鍛冶屋の主人が拾い、住む場所や食の提供をしてくれた。さらに彼が作った剣で藁人形をアメリアとリカルドがそれぞれ試し斬りしたのを見た主人は、知人の青年貴族――目の前の男、バルゼディッチ公爵レオに紹介してくれたのだ。

 彼が最初から打算ありきで彼女と仲良くしてる姿は彼女にとっても新鮮で、むしろその打算さえ利用しようとしていた時分もあった(・・・)


「君はあの王太子がもう憎くないのかい?」


 レオはさらりと髪をかき上げながらアメリアに問いかける。

 彼女が追放されてから二年。

 最初は気性の荒い猫のような彼女がだいぶ丸く落ち着いてきたのを知っている彼は、もう復讐する気はないのかと言外に問いかける。


「憎いですわ。でも、真実の愛とやらには勝てないんですもの」


 最初は彼女も信じたくはなかった。だから、あらゆる手を使って王太子をいさめようとした。しかし、それは無駄だった。達観したような言葉にくだらないなと吐き捨てるレオ。

 アメリアもくだらないですわねと頷く。

 高位貴族に愛だの恋だのなんてくだらない。そう思っているのは変わらない。でも、それ以上に今の生活が心地よかった。





「そういえばあの国は偽造エメラルドの製造を黙認しているのを知ってるかい?」


 しばらくの間、黙って駒を進めていた二人。今度はレオがアメリアの(キング)を追い詰めながら新たな話題を彼女に振るも、驚く様子を見せなかったアメリア。


「あの噂は本物でしたのね」

「君がそんな噂を知っているとは意外だな」

「そうでしょうか? 私はもともと近衛騎士団に所属していましたので、ある程度の情報は知っていましたわよ」

「レティシア王太后の護衛、女性騎士で構成される第八近衛騎士団だろ? 頭脳明晰で剣術の腕も並大抵の男どもよりも上、君が所属した当初、うちの上層部は頭抱えていたからな」


 彼女は侯爵令嬢でありながらも近衛騎士団に所属していたのだが、彼女の(レイピア)捌きの腕前はすごく、男女混合剣術大会でも常に上位入賞していたくらいだったので、アメリア自身、その様子が想像できてしまい、意外ですわねとは言えなかった。


「一緒にあの国を治めないか?」


 レオが歩兵(ポーン)を右斜め前に動かし、黒の(キング)を守っていた女王(クイーン)を弾き飛ばしながら、そうアメリアの耳元で囁く。チェックメイトとは言わずに、彼女の反応をじっと見つめながら、どう考えてもあの国は終わりだろう?と嗤う。


「そうね。先代国王陛下がご健在のときは変な動きを見せなかった周辺民族たちも、三年前に身罷られてからどうも動きが変ですものね」


 アメリア自身もあの国に執着しているわけではないから滅ぼしたって別に問題ないし、むしろ今の諸国情勢を見ている限り、さっさとあの国は滅ぼしたほうがいいとさえ思えるくらいだ。

 先代国王が健在のころは力と知性で抑えていたから、まだ周辺民族たちも納得してその支配を受け入れていた。しかし、今の国王とその取り巻きたちは力だけで押さえつけようとしている。だから、彼らが大きく動き出すのも時間の問題ではないかとあの国にいたときにも感じてはいた。


「ああ、内部でも横領やら不正、権力争いが横行しているからな」

「そのとおりね。そのとばっちりで私は今、こんな目に遭っているわけですからね」


 アメリアが追放されたのはただのお家騒動、婚約破棄事件ではない。

 王宮における力関係の争い、すなわち派閥争いの一端でしかない。()宰相一派と王太子が組んで、新宰相とアメリアをともども追い落とそうとした結果があの婚約破棄と追放劇。すでに現在国王夫妻の権力がこれっぽっちもなかったからこそ、なせた荒業だった。それでもギリギリのところで国が機能しているのだから、余計にたちが悪い。


「だから、そんな奴らをバッサリと斬ってしまわないか? そうすればウチんところの復讐だってできるし、君だって見返してやることもできる……――ああそうだな。なんなら二人で国を作り上げるのもいいかもな」


 レオの実家、バルゼディッチ家はもともとこの国の人間ではない。五百年前に政変でバドス王国を追われていた元伯爵の子孫。すなわち今のアメリアと似たような立場であった。この国に匿われてからは皇帝の信を得て爵位を上げていき、今では皇族と縁続きになる人物も出ているくらいだ。

 そんな家の当主である彼も虎視眈々と王国を狙う一人であり、アメリアの復讐心に付け込んでいたのだが、今では彼女、アメリアに心底ほれ込んでいた……のだが彼女は気づいていない。


 素敵な口説き文句ねと言いながら、手元では反撃に出るアメリア。一度だけ(キング)(ルーク)を動かすことができる特別ルール、いわゆる王の入城(キャスリング)と呼ばれるもの。ゲームの最初の手で使われることが多いが、アメリアはわざとこの時を待っていた。

 レオが焦った様子を見せるが、彼女はもう手持ちの時間はないわよとぼやきながら冷めてしまったハーブティーを一口すする。いつの間にか、アメリアの(ルーク)がレオのキングを追い詰めていたのだ。



「ところで一つ聞きたいんだけれど、あなたは偽造エメラルドの証拠は持っているのかしら?」


 あの時分のアメリアとて、嘘だと思ったわけではない。確たる証拠を得ようとしても無理だったのだ。情報提供者は殺され、証拠とされていた工場も燃やされていたから。

 そんな状態なのになぜ隣国の彼が、二年以上前の王国とはほぼ関係ないはずの彼がその話題を持ち出したのか理解に苦しんだアメリアが尋ねると、口角を少しだけあげたレオは頷き四阿の外に向かって入っておいでと声を掛けた。

 すると一人の見慣れた従者が入ってきて先にレオに軽く頭を下げ、そしてアメリアに一礼する。

 レオがアメリアの従者であるリカルドを呼びつけるというのは不自然だったが、リカルドがレオへ先に礼を取ったことで、なんとなく彼らの関係に気づいた。


「あら、リカルドじゃない」

「そうか、君は“リカルド”としてしか見ていないのか」

「どういうこと?」


 入ってきたのは彼女が王国を追放されてからもずっと付き従ってくれていたリカルド。彼はレオとアイコンタクトを取り、アメリアに向かって再び深々と頭を下げる。


「大変申し訳ありません。“私”は公爵様の従者であり、侯爵家へ間者として潜り込んでおりましたマリアと申します」

「あら、女性だったのね。道理で男性にはない細やかな配慮がしばしばあったのね……それはそうと、フォルツァンガ侯爵家(あのいえ)も愚かなものね。内部から崩壊させていたなんて」


 なるほど。

 アメリアはすべてのつじつまが合ったと納得した。

“彼”は成人男性にしては線が細く、アメリアが素肌をさらそうとも一切顔を赤くせず、貴族成人女性のトレンドを知り尽くしていた。

 しかし、普段の“彼”は自分のことを“俺”と言っていたり、妙に色気があったりしたもので完全に男性だと勘違いしていた。

 とはいえ、“リカルド”が女性だったことについて、そしてレオに送り込まれた間者(スパイ)ということについて呆気にとられたが、悪感情を抱けなかった。


「で、彼女が証拠を握っていると?」

「その通り。観察眼、洞察力の鋭い君でさえ欺き続けた。それだけでも十分彼女の能力は分かるだろう?」


 レオがここにマリアを呼んだ理由。それだけで察した彼女に、レオは肯定する。

 アメリアは肩をすくめ、本当だわと苦笑いする。

 自分が彼らの粛清対象じゃなくてよかった。心の底から思える種明かしだ。


「証拠はこちらに。ちなみに工場自体は王国北西部に集中しています。普通の鍛冶屋と同じ作りなので外観だけでは判断がつかず、情報収集するのに苦労しましたが、尋常じゃない荷物の量などから判断させていただきました。こちらが各工場に人を派遣している家のリストになります」


 アメリアとレオのやり取りがひと段落着いたのを確認したマリアは、分厚い束の書類をチェス盤の脇に置く。

 ちらりと横目でその内容を確認したアメリアは、なるほどねぇとため息をつく。


「フォルツァンガ侯爵家もこの工場に人を送り込んでいたなんて、ご先祖様の“頭脳”が嘆くわね」


 実家が犯罪に加担していたなんてと言うが、その言葉には全く感情がこもっていなかった。

 レオもそれに気づいたようで、嘆いているようには見えないんだけれどとクスクス笑うが、あら、そうかしら?とあえてはぐらかすアメリア。






 しばらくこの書類(えさ)を肴にどう王国側に突き付けるか検討していたとき、バルゼディッチ公爵家のメイドの四阿の外からレオを呼ぶ声が聞こえた。

 彼がどうしたのか尋ねると、メイドは息を整えながら、皇太子からの招集があったと話す。


「アメリア様もお連れするようにと」

「どういうことかしら?」


 アメリアは仮にもよそ者だ。いろいろあって皇太子リヒトとは何度もあっているが、特別宮殿に入れるような立場ではない。

 しかし、メイドは詳しくはこちらにと言って、皇太子の紋であるフリージアが描かれている封書をアメリアに手渡す。ざっと目を通したアメリアは無表情でレオにもそれを渡す。彼もまた、それを読んで無表情になった。


「行かなきゃいけないみたいだな」

「ええ、そうですわね」


 こちらからなにも仕掛けてないのにのこのこやってくるなんて、最高ですわねと言葉にしなかったものの、二人共通しての思いがあった。

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