第1話 第二皇子は気高さに見惚れる
初投稿です(大嘘)
婚約破棄もの? みたいなのに挑戦してみようかというサムシングです
「――――私は、お慕いしておりましたわ。実明様」
アキツシマ国の都、多くの貴族たちが集まり政務にいそしむ宮中であった。
その場は、時の天帝たる『すめらぎ』が子の成人式である。多くの貴族やその子息が集い、第一皇太子たる猿柿ノ宮実明に謁見していた。
そこで発表されたもの、実明と三光あかりとの婚約であった。
三光の家は、アキツシマにおける古い貴族の一つである。多くの貴族たちがめでたいと、お慶び申し上げると口上を述べていた。
だが、この場にてメンツをつぶされたものが、約一人。
あかりの姉たる、りえであった。
「もとより、候補であったことは十分理解しておりました」
栗色がかった長い黒髪は艶やかに光をともし、琥珀の瞳は吸い込まれるような美しさ。背は女としては高い方であるが、決して鬱陶しいというようなものではない。総じて魅力的で、凛とした女性といえる。
その彼女が、ただただ、震える声を抑えていた。
「貴方様がそう選択なさったのでしたら、わたくしは祝福するほかありません」
「はんッ。主が麿にどう言おうと、決定は覆さぬ。諦めるでおじゃる」
「……ッ」
想い人に鼻で笑われようとも、彼女は粗相しない。
りえと実明との出会いは、両者の元服よりはるか昔にさかのぼる。
初めて出会ったときから、りえは実明にぞっこんであった。一目ぼれである。
家同士のやりとりもあり、二人の婚約はほぼ確実だろうと見られていた。
その時より、彼女は一人厳しい妃教育に身を投じていた。
次代の『すめらぎ』たる彼の妻は、それにふさわしい女性でなくてはならない。
だからこそマナーも、知識も、教養も、それこそありとあらゆる夫をサポートするために必要なもの――そういったすべてを、実明のために積んできていた。
家の人々も、それこそ『すめらぎ』の家も三光の家も。どちらも彼女の振る舞いを評価していたといえる。
だからこそ、一切の断りなく下されたこの婚約発表に、関係者の誰しもが混乱をきたしていた。
その中で、いち早く冷静さを取り戻したのが彼女だったのは、まさに僥倖と言うべきだろう。
りえの心は冷え切っているのか? 答えは否である。
好意と、それを好む相手に斬られた傷と、しかしそれでも見っとも無く脇目もふらずとならぬのは、ひとえにそれまで彼女が積み上げてきた日々を、彼女自身が恥じないためであった。
「心より、お慶び申し上げますわ。実明様」
それゆえ、彼女の外面と内面とはひどく複雑に食い違うこととなっていた。
彼女のその言葉に、反吐を履くような視線を向ける実明。鼻を鳴らして視線をとなりのあかりに向ける。あかりへの視線には、明らかな熱情がこもったものである。一方のあかりは、どう反応して良いか困惑していた。
実明とりえは、十五歳。あかりは十二歳である。
婚約と言えど、すぐさま結婚とは相成らない。少なくともあかりが成人するまで、である。
一体何がいけなかったのかと。血の涙を心で流しながら、すました風に、しかし涙をこらえ、震えながらりえは頭を下げる。
そして、その様を。実明の隣から、橘ノ宮頼明は、どこか眩しいものを見るような目で見ていた。
※
「兄上は阿呆なのでしょうか」
「わたくしに問われましても……」
後日、ごたごたが落ち着いたころ。牛車でとある場所へ向かう途中、自らの付き人たる家人に頼明は微妙な表情で問うた。
なお家人からの返答もむなしい。当然不敬を罪に問われることを恐れてのものである。
もっとも、その態度自体が既に答えであったのだが。
「いえ、まぁ百歩譲って人の婚約者を取り上げるのは良しとしましょう。どちらであれ家同士の繋がりは安定しているでしょうし。
しかし、何故わざわざ彼女との婚約を破棄なさるのか。あれでは、わざわざりえ殿を貶めている形にしかなっておりませぬ」
「……聞けば宮中の判において、純愛、とのこと」
「あの兄に純愛と?」
「ええ、まぁ外聞のみで言えば、そうとらえても不可思議ではないかと」
本来ならば、あかりは実明の弟たる頼明の婚約者となるはずだった。実際、両者は婚約者候補という形をとっていた。
それを横から奪う形になったのである。
関係者はそれに訝しむものもいたかもしれない。しかし、実明に誰も忠言や確認をする者はいなかった。
それほどまでに『すめらぎ』の血の権力は大きい。その発言力は大きい。
故に誰しもが、次期『すめらぎ』たる彼に対して、問いただすことはない。
そして、関係者以外はこれを何故か美談ととらえている。
「なにせ実明様、体最良い御仁にござりまする故」
要は実明、イケメンなのである。
必然、容姿によるバイアス、ハロー効果が係るわけだ。
弟の婚約者候補であった彼女に対して、一途に好意を抱き。それを伝え、また想われ人たるあかりも涙ながらに了承したと。彼女に不実はできないと、自らの婚約者候補とは縁を切ったと。
もっとも実弟からすれば、ちゃんちゃらおかしい話ではあったが。
「あの周囲のおべっかをことごとく嫌い、家同士の関係すら平然と無視する兄が純愛か……。世も末だな」
「…………」
藪蛇ゆえ従者は言葉を重ねられず。しかし、それが内心のそれであろう。
もとより父たる真功皇帝が女好きで有名であったことも拍車をかけ、その子供たる実明は婚約者候補が数人いた。側室ではなく、正室候補である。
だがだがらこそ、彼女たちが家のことしか見ておらず、自らのことなど全くみていないと。実明は内心でそう荒れ、彼女たちのことを嫌っていた。
それは本当に、一途に彼を慕っていたであろうりえに対しても同様である。
「もとより、あの兄があかりに惹かれたのも、私とあかりが友達感覚の延長上だったからだろうに」
頼明の分析である。実際のところは確認してもはぐらかされるだけなので不明だが、おおむねそれが正解であろう。
あかりと頼明とは、第二皇子とその婚約者候補であった。皇位継承権で言えば第三位であり、よほどのことがない限りは彼が『すめらぎ』になることはない。それ故に、二人はほぼ縛られずに、ある意味で自由な子供同士のままでいられた。
お互い家同士のこともあったが、嫌いあっていたわけではない。あかり本人は恋愛感情など「わからない」とか「知らない」とか言っていたため「そういう」関係にはなっていなかったが、それでも両者の仲は良く、何であるかと言えば友達のそれに近かった。
その、あかりの様子に兄は見惚れたのだろうと彼は考えていた。なにせ実明からすれば、自らの婚約者候補は「おべっか」しか言わない女ばかり(に見える)。正妻候補たるりえにしても、日々苦しいような表情を浮かべ、それでもなお自らに侍ろうとする様は、どこか卑しく感じた。
頼明に言わせれば、見当違いも甚だしいところではあるが。
それほどに、自らに尽くしてくれていたと何故考えられないのかと。
あかりがおべっかを言わないように見えるのは、所詮は他所の家の庭がきれいに見える程度のものでしかないのだと。
「疑心暗鬼に陥っているわけでもないだろうに、何故兄は……」
「……、到着したようですな」
「おう」
牛車が止まり、御簾を開けて降りる頼明と従者。
目の前の館を前に、思わず絶句した。
「……本当にここが、九条一の屋敷か? 只の荒れ屋敷にしか見えぬが」
「はっ。……その、間違いございませぬ」
「う、うむ……」
都の外れにあるその屋敷は、一見するとあばら屋のように見えるそれであるが、しかし建物自体はしっかりとしていた。
見えるのは、ひたすらに草木が生い茂っているためであろう。
家人が足りていないのか何なのか、整備に回せる人員がいないのか何なのか。
「四方の家の古老より、実家と折り合いが悪いとは聞いていたが……。この荒れ様は……」
「……何、お客さん?」
ひょっこりと。屋敷の中途半端に開かれた扉から、少女が一人。
年は頼明よりわずかに上といったところか。和装の上からでも、年の割に胸が大きいように見える。顔は愛らしいのだが、どこか目つきが小生意気だ。
従者が前に出て身分を検めようとするのを手で制し、頼明は微笑みながら言葉をかける。
「拙はあさひこと言う。訳あって九条一草薙殿と相まみえたいのだが、叶うだろうか」
「お客さん……。まぁ今日は非番だし、大丈夫かと。付いてきて」
扉を開けて手招きする彼女。それに続く頼明と従者であったが、ある程度進んだ時点で扉が「勝手に締まり」、二人は飛び退いた。
「ひぃッ」「も、物の怪……⁉」
二人の反応にくすくすと笑う少女。「まぁ通過儀礼みたいなものか」と呟くも、特に説明はせず、靴を脱ぎ廊下をすすむ。
ふと、興味を覚えたのか。頼明は彼女に聞いてみた。
「失礼だが……、貴方は九条一殿の、従者? それとも奥方か?」
「は? ……へ、いや、奥方は流石に……っ、いや、従者でもないしっ」
一瞬固まると、慌てたように反論する。ほのかに頬に朱がさしているように見えるが、そのあたりの表情の作りがどういった意味合いをもつかは頼明たちにはわからなかった。
「職場の後輩よ、後輩………………、そ、それだけだからっ」
やがて開け広げられた広間にて、昼間から酒盛りしている男が二人見えた。共に動狩衣 (※狩衣を動きやすきした風の胴衣)であり、片方は玄と赤、片方は浅黄と白。
そのうち、こちらを見た白い男の方が声を上げた。
「先輩、お客さん連れてきた」
「ん? ……おお、これはこれは! 久しぶりになりますね、三年ほど経ちましたか」
変哲もない顔、という風ではないが妙に落ち着いた風貌である。実明と同い年くらいだろうに、纏う雰囲気はそれこそ古老めいたものがあり、そしてその目は「青く」うっすらと光っているようでもあった。
向き合ってこちらに背を向けていた、黒い服の男が向く。線は細く、しかし体はがっちりとしている。
「知り合いか? 草薙」
「ええ。嗚呼、先に紹介しておきましょう。この男、一文字座龍。友人です。そちらは一文字こいぬ、座龍の従妹にあたります」
どうも、と。彼の隣に腰を下ろす少女。座龍共々会釈され、従者と頼明もまた頭を下げた、
敷物をすすめられ、それに倣い腰を下ろす二人。
「さて、本日はどういったご用件でしょうか。ええと……、宜しいでしょうか?」
草薙の示したニュアンスを解し、頼明は頷いた。
「何? このえっと、あさひさんだっけ? 何かあんの?」
「席を外すか? 草薙」
「いえ、構いませんよ。こういう問題の場合は、多く人の意見を求めた方が良いでしょうしね――――橘ノ宮頼明様」
草薙の一言に絶句する二人。と、頼明は草薙に頭を下げた。
「どうか貴殿の、星詠み、ないし呪師としての知恵を借りたい。猿柿ノ宮様の婚約者候補だった、三光りえ殿を救いたい」
頭を上げ、草薙の目を見る頼明。
彼は、かつて出会った時のように、やはりうっすらと笑みを浮かべていた。