第八話 川原ではバッタが飛び跳ねている
乾いた風が吹き、草花が揺れた。
巳波が葉を口元にやり曲を吹いている。
聴いたことのない曲だがどこか懐かしい。いつまでも聴いていたくなるような曲だった。
昔から変わらない川原も、もう随分涼しくなっている。
「よぉ、こんなとこで何やってるんだ?」
「草笛を吹いているのよ」
いつものように春樹が話しかけ、巳波が顔を上げて返事をした。
彼は巳波から少し離れた位置に腰を落とす。川原に並んだ二人とも冬服に衣替えしていた。
「草笛吹けるのか。凄いな」
「吹けないの?」
「小さい頃は外に出て遊ぶって事をあんまりしなかったからな」
「そう。吹いてみる?」
巳波が手に持った葉を差し出す。表面がつるつるしているツツジの葉だ。
「お、じゃあ……」
春樹は葉を受け取り、さっきの巳波を思い出しながら口元に持っていこうとし、止まった。
——あれ? これ間接キスじゃね?
気付いてしまうと、意識してしまう。
巳波は気付いていないのか? いや、しかしこれで止めるのはなんだか勿体ない。間接キスぐらい気にしてないって可能性も……
「どうしたの?」
固まる春樹に巳波が話しかけた。
「いや、なんでもない」
そう言うと彼は意を決して葉を口に当てる。草の苦みが口内に広がった。
吹くと汚い音が出る。緊張からか手に力が入るのが分かった。
「ぶーーぶーーぶーー」
ビリッ
「あ……」
巳波の口から声がこぼれる。
春樹の手にある葉っぱは見事に真ん中で破れていた。
「ごめん……」
申し訳なさそうに手の中の葉っぱを見つめる彼を安心させるように巳波は笑いかけた。
「そんな落ち込まなくて良いわよ。所詮そこら辺でちぎった葉っぱなんだし、私のキス付きだからって持ち帰って栞にされちゃたまんないわ」
「お前……! 気付いていたのか!」
「ええ、葉っぱ一枚を目の前に葛藤する春樹君はそれはもう面白くて、笑いを我慢するので大変だったわ」
「くそッ! なんか悔しい」
春樹は破れた葉っぱを投げ捨てる。風に揺れて川に落ちるとそのまま流されていった。
「小さい頃にやった草遊びと言ったら、草相撲とか知っているかしら?」
「ああ、それならやったことあるぞ」
「草野球と同じ意味の「草」相撲じゃないわよ変態。私が相撲をやるわけがないじゃない」
「分かってるよ! 草を引っ張り合ってちぎれた方が負けってやつだろ?」
「知ってるじゃない。因みに、オオバコっていう草を使うのよ」
「へぇ、博識だな」
「あなたは無知ね」
鞭で叩くような叱咤が飛んでくる。
「後は花冠とか作ったわね」
「へぇ、以外だな」
「なによ。悪い?」
「いや、ただそんなイメージがなかっただけだ」
「私にもそんな時代があったのよ」
気付けば空が赤く染まっていた。二人は太陽を背に、その姿は影になってよく見えない。
巳波は足下の草をちぎって春樹に投げつけた。少しすねているような表情でそっぽを向く。
それはとても可愛らしい表情で、春樹の顔が赤くなっているのは夕日のせいだけではないだろう。
「……作ってあげようか?」
「花冠?」
「他に何があるのよ!」
「いや、確かに……」
「はぁ」
巳波はため息を吐くと後ろを向いてなにやらやっている。春樹の側からは影になってよく見えなかった。
「目をつぶって」
彼は言われたとおりに目をつぶる。
「頭もっと下げないと届かないでしょ!」
「悪い」
非難の声に口の中で謝り、頭を下げた。
困惑と期待が混ぜ混ぜになったような思いで待っていると、頭の上に何かが置かれた感覚があった。
「もう良いわよ」
「お前、まさか……」
目を開け、頭を上げると頭上から何かが飛び降りてくる。
「うわっ!」
「相変わらず良い反応するわね」
悲鳴を上げて、頭の上を一生懸命払う。
飛び降りたのは一匹のバッタだった。
「この子、元気が良いわね。凄い飛び跳ねてる。あ、背中になにか入ったわよ」
「うわーー! ちょ、この!」
春樹は立ち上がり、服の中のなにかを出そうと跳ね回る。
パニックになる彼を見つめる巳波は楽しそうに笑ったのだった。