第七話 カラオケよりも川で歌いたい
川が夕日を反射しキラキラと流れている。涼しい風が吹き、伸びた草が揺れた。
「ら〜ら〜ら〜♪」
風に乗って歌声が流れてくる。
春樹が自転車を止めていつもの場所へ視線を向けると、岸辺に座り歌を口ずさむ少女がいた。——巳波である。
「よぉ、こんなとこで何やってるんだ?」
巳波はハッと振り返った。すぐに声の主に気が付き緊張が解ける。
「聞いていたんでしょ?」
「上手かったよ」
春樹が手を叩いた。
「そう」
彼女はつれなく視線を川に移す。しかし、春樹には頬が朱に染まったのが見て取れた。
「よくカラオケに行くのか?」
春樹は巳波の隣に腰を下ろす。座りながら聞いた質問に彼女は首を振って答えた。
「歌う場所はどこでもいいもの。わわざわざお金を払ってまで行かないわ」
「家じゃうるさいって言われない?」
「だからここに居るんでしょ?」
「ああ、なるほど」
巳波が地面を指指し、春樹が納得した。
「それにカラオケは嫌いだもの」
「カラオケにはカラオケのいい所もあるだろ」
「例えば?」
「飯が食える」
「私は歌いたいの。食べたいんじゃないわ」
彼女は呆れたようにため息をする。
「あいにく食事には困ってないわ。一日三食ちゃんと食べている死ね」
「あれ? 今、語尾おかしくなかったか?」
「ほんと、なんでカラオケにフードメニューがあるのかしら? 必要なの?」
「歌っていて小腹が空いたときにありがたいだろ」
「じゃあ、ポテトとかでいいじゃない。ピザとかカルボナーラとか売っている場所もあるわ」
「それは勉強しに来た人用とか?」
蛙が鳴いて川に飛び込んだ。
「いるわよね。カラオケで勉強する人。理解できないわ」
「そうか? 意外と集中出来るぞ」
「バカなの? 集中とはかけ離れた場所じゃない。うるさい上に、側にはカラオケ機器、フリーwifiまで完備って……。遊んでくれって言っているようなものでしょ」
「まぁ……実際遊ぶ場所だしな」
「昨日クラスでカラオケ行って勉強会しようぜ! って言っていた人がいたけど、絶対勉強する気ないわよね」
「確かに……」
「それなら素直に遊びに行こうって言えば良いのに、中途半端に勉強しなきゃって日和って……。どうせろくな点数とれないんだから、開き直って零点でも取ればいいのよ」
「そうだな。ってか俺の事だな」
二人の目の前で蛙が川を流れていった。
「そうだったっけ?」
「身に覚えがあり過ぎる。昨日そう言ってカラオケに行ってきたところだ」
「楽しかった?」
「ああ。いや、勉強しに行ったんだけどな」
「カラオケも今日のテストも零点だったと」
「取ってねぇよ!」
流れていった蛙が川の流れを遡っている。見事な平泳ぎだった。
「案外教室での会話とか聞いてるんだな」
春樹が言った。
「偶々よ」
巳波が答える。
「いつも一人いるから、クラスメイトには興味ないのかと思っていた」
「そんなことないわ。ただ……一人の方が気楽なの」
「ふーん」
春樹はおざなりな返事をすると空を見上げた。雲が日の光で黄色く色づけされている。教科書に出てくる絵画に使われているような、水に溶いていない絵の具のような黄色だった。
「聞いておいて生意気な反応ね」
「一人の方が気楽な巳波が俺とは一緒にいてくれるんだなって」
「そんなこと?」
彼女は「簡単な話じゃない」と笑った。
「あなたとなら気楽に話せるのよ」
そう言った表情が余りにも可愛くて、春樹は言葉に詰まってしまう。
「からかうと面白いし」
巳波の細い指が彼の額を軽く押した。
春樹は額を手で押さえる。
「なにすんだ」
「あははは」
彼女は笑った。肩の力が抜けるような気楽な笑い方だった。