第六話 川原にはよく謎の物体が落ちている
「よぉ、こんなとこで何してんだ?」
夕暮れの川原で春樹は巳波に話しかける。
彼女は何かを探すように腰を曲げ、地面を見つめながら歩いていた。
「見て分からない?」
「落とし物?」
「違うわ。ゴミ拾いよ」
「ゴミ拾い?」
彼女の手には鉄製の長いトングと半透明の袋が握られている。
目をこらせば半透明のゴミ袋の中に、彼女が集めた川原のゴミが溜まっているのが分かった。
「ぼろぼろのゴミ屋敷に住んでいるあなたは知らないのでしょうけど、余裕のある人間は時々ゴミを拾うボランティアをするのよ。道に落ちているゴミを拾ってきて、ゴミ箱に捨てるの」
「いや、ゴミ拾いは知ってるわ!」
「良かったわ。ゴミはゴミ箱に捨てるって事も知らない人間が多すぎるもの。じゃあ早くそこの袋を持ってきて」
巳波はそう言うと川の近くに置かれたレジ袋を指指す。
「ああ、手伝うよ」
「違うわ。あなたが入るのよ」
「誰がゴミだ!」
流れるような毒舌に言い返す。
春樹は彼女の調子に慣れた様子で袋を拾い上げた。
百均のロゴが入ったレジ袋には40枚入りの小さなゴミ袋が入っている。一緒にウェットティッシュもあった。お昼はもう食べたし、夕飯時にもまだ早い。お菓子でも食べるつもりなのだろうか?
彼はゴミ袋を一枚取り出すと口を広げる。川の水で指を濡らすとすぐに開いた。
ゴミを拾おうと川原を見てみればあちらこちらにゴミが捨てられている。
毎日この場所に来ているというのに気が付かなかった自分に少し恥ずかしくなった。
「俺の分のトングはないのか?」
「ないわ」
「素手で拾えと?」
「ウェットティッシュが入っていたでしょ? ゴミ拾いの後で手を拭くと良いわ。私の優しさに感謝しなさい」
「そのためのウェットティッシュだったのか……」
春樹はウェットティッシュを持ち上げる。蓋は開いていない新品だった。
仕方がないのでゴミ袋だけを持って、巳波とは反対側へゴミを拾いに行く。
わざわざ捜さなくてもゴミはすぐに見つかった。
泥にまみれた吸い殻や、まだ少し残ってベタベタする缶ジュースを手づかみでゴミ袋へ入れる。初めは抵抗があったが、すぐに慣れた。
この時期、この時間の日差しは黄金色に見える。落ちていたラムネの瓶から覗く夕日が綺麗だった。
「うわっ!」
「どうかしたの? 借金取りに見つかったのかしら?」
「違うよ! 貧乏を押しつけるな!」
春樹の悲鳴に巳波が歩いてきた。言葉とは裏腹に少し心配しているようだ。
言い返す春樹を見て小さく胸をなで下ろしたのが見て取れた。
「手でも切ったの?」
「岩をどかしたら大量の虫が出てきて」
春樹の足下には両手でやっと持てるほどの岩と、その岩が置いてあっただろうくぼみがある。
巳波がのぞき込むと、土色のくぼみからはぞろぞろと虫が湧き出ていた。
「本当ね。岩を元の場所に戻して上げましょう。私たちが彼らの家を壊したのだから」
「へぇ、虫大丈夫なのか……」
「私はあなたと違って虫ごときでいちいち悲鳴を上げないだけよ」
「う……」
「男なんだからこの程度で一々驚かないで欲しいわ」
彼女は春樹のすぐそばで顔を上げる。呆れたような顔で春樹を見つめ、ため息を吐く。そんな彼女に言い返す言葉もなく、彼は蓋をするように岩を戻した。
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「そろそろ終わりにしましょうか」
カラスが夕焼け空を飛び、虫の鳴き声がやけに聞こえるようになった頃、巳波が言った。
「そうだな。暗くなったら出来ないし、十分頑張ったろ」
春樹が答え二人は荷物の置いてあった場所に集まる。
そこにはいっぱいになったゴミ袋がいくつか置いてあった。まだまだ川原の全てのゴミを拾ったわけではないが、それでもやる前に比べかなり綺麗になっただろう。
「良いことをすると気持ちがいいな」
「ポイ捨てをする人がいなければこんな事をする必要もないわ。知らない誰かの後始末をしたって考えたら腹が立つわね」
「初めて聞いたゴミ拾いの感想だよ」
気持ちは分かるけど、ポイ捨てをする人は消えないだろうな。
春樹はウェットティッシュで手を拭きながら言った。思いは伝えずに思うだけにとどめる。口を縛られた半透明の袋には皆の身勝手が詰まっていた。
「結構集まったな」
「そうね」
小さめの袋にパンパンに詰まったゴミはよくもこんなに落ちていたもんだと感心するほど。彼はどんなゴミが落ちていたのか覗いてみた。
たばこの吸い殻や、食べ終わったコンビニ弁当、空き缶、ペットボトルに鼻をかんだティッシュなど何処にでも落ちている物から、珍しいところではテストのプリントまであった。
春樹も巳波も居ない川原には、二人の代わりに誰かが居たのだと思うと少し不思議な気持ちになる。
「これ17点ね」
「言ってやるな」
妙にリアルな出来ない点数だった。
「悪い点数のテストをこんな所に捨てるなんて馬鹿にしてくださいって言っているのと一緒よ」
「名前は消されてるな。そこまでするならちゃんとゴミ箱に捨てれば良いのに……」
出来の悪いテストを両手に座り、やりきれずにくしゃくしゃに丸めて投げる姿が目に浮かぶ。
「これ、あなたのが拾ったの?」
巳波はトングで一つのゴミ袋を指した。その中には青色の浮き輪があった。
「ああ、誰のだろうな」
「誰のって、ここ足が着く深さよ?」
「だから捨てたんじゃないか?」
彼女はなるほどと首肯する。
「これは……なんだ?」
今度は春樹が聞いた。
彼がしゃがみ込んで観察しているのは何かの機械だった。一つだけゴミ袋の外に置いてある。
彼が触ろうとしないのはその錆びのせいだろう。塩水にでもつけたように、黄土色に錆び付いていた。
金属の立方体で、いくつもの歯車と大きなボタンが一つ付いている。ボタンを囲むように付いているランプの光は失われており、ボタンの上の大きな液晶はただ彼の顔を反射しているだけだった。
「あなたが拾ってきたものじゃないの?」
「いや、俺はこんなの拾ってないぞ」
「じゃあなんでここにあるのよ」
「巳波が拾ったんじゃないのか?」
「私がこんなよくわからないものを拾ってくるわけないでしょ? あなたじゃあるまいし」
「いや、今日はゴミ拾いなんだから拾えよ……。そして俺は小学生男子みたいなことはしない」
二人は謎の立方体を見つめる。
機械仕掛けの立方体は無機質に、ただそこにあった。
「なんなのかしら」
「爆弾だったりして」
「宇宙人と交信する機械かも」
「本気で言ってる?」
「あなたこそ」
言葉の応酬と共に小さなゴミが川を流れていったのを二人は見逃した。
歯車で出来た立方体は、真っ赤なボタンが押してくれとでも言うように存在感を放っている。
「ボタンを押してみましょう」
巳波はそう言うと止める間もなくボタンを押した。
——ピピピピピピピピ
ランプがカラフルに点滅し、液晶に数字が現れる。
10、9、8、
数字は10から始まり減っていく。カウントダウンをしているようだ。
「おいおいおいおい、何やってるんだ! カウントダウンが始まったじゃんか!」
「私はボタンを押しただけよ」
「どうしよう。どうすれば止まるんだ?」
「0になったら何が起こるんでしょうね」
春樹が慌て、巳波は冷静を保っている。いや、よく見ると彼女も目が泳ぎまくっていた。
そうしている間も川原にはせかすような音が鳴り続けている。
——ピピピピピピピピ、ピ、ピーン……
間延びしたような音を出し、音は鳴り止んだ。
「……なにも起こらない」
春樹が言った。
「ねぇ、あの機械何処行ったの?」
巳波が言う。
彼が視線をやるとそこにあったはずの立方体は消えていた。
二人は目を見合わせた。
カラスの鳴き声が遠くで聞こえ、川の虫の合唱が煩い。
あれがなんだったのか、結局答えは出なかった。
今回のこだわりポイントは虫のくだりで「虫唾が走る」とか「苦虫を噛みつぶしたような顔」という慣用句を使わなかったとこです。