第四話 雨の日の花火
「よぉ、こんなとこで何してんだ?」
「あなたも飽きないわね。常に暇なのかしら?」
部活帰り、バッグを肩に掛けた春樹は川原に座り込んでいる巳波に声を掛けた。
季節は夏。空は赤色に染まっている。
川には透き通った水が流れ、魚の泳いでいる影が見えた。
「今日は花火を待ってるの」
「花火? ああ、そういえばもう花火大会の季節か……」
この町の花火大会は町を横断するもう1本の広い川の川辺で開かれる。二人のいる川からは遠くに花火が見えるだけだった。その代わりといってはなんだが、二人の川には人気が一切無かった。
春樹は彼女の隣に腰を下ろす。石の冷たさが制服のズボンから伝わってきた。
「それにしても早くないか?」
「なにが?」
「時間だよ。まだまだ明るいだろ」
「すぐ暗くなるわ。大体あと一時間半ってとこね」
この時期の夜は遅い。
腕時計を見ながらそう言った彼女はつまらなそうに石を川に投げた。川は小さな水しぶき立てる。水しぶきが消えるとそこには波紋が残った。
「それに今年は春樹君が居るわ。あなたをいじめていれば時間なんてすぐに経つわよ」
「そうかよっ」
毒吐く巳波に苦笑いしながら、春樹も手元の石を川に投げ込んだ。石は巳波の波紋の少し左側に落ちて、新たに大きな円を作った。
「去年までは一人で待ってたのか?」
「そうよ」
「こんな時間から?」
「そうよ」
「お前こそ暇人じゃん」
「違うわよ。少なくとも花火大会の日は「花火を待つ」っていう理由があるもの」
「じゃあ、いつもは特に理由もなくここに居るのか?」
「そうね。ここに居る理由はないわ。……強いて言うなら「景色が良いから」かしらね」
「ま、確かに十分な理由だな」
巳波は一瞬春樹に目をやった。
彼は最後に付け足された言葉に納得したのか、川の景色を眺めるように遠くへ視線を向けている。夏の夕日は赤く、力強く、なんだか懐かしい気持ちになる。良い景色だと視線を戻そうとしたとき、彼の頬に水滴が落ちてきた。
「ん?」
「どうしたの?」
春樹の様子に巳波が声を掛ける。
「いや、今なんか……」
ぽつ、ぽつぽつ、ポツポツポツポツポツ。
ザー、ザーーー、、ザーーーーーザーザーザザザザーーー
川の波紋は数を増していき、一瞬のうちに天気は大雨となった。
二人はすぐさま立ち上がると雨から逃げようと走り出す。
「近くに屋根のあるとこ無いか?」
「駐車場がある!」
叫ぶような春樹の問いに、叫び返すように巳波が答える。
辺りは住宅街になっていて、雨宿りできるような場所もない。彼女の言った立体駐車場は近くといっても今居る場所と花火大会が行われる方の川の中間。——つまり15分は走らなくてはいけない場所にあった。
巳波が土手を駆け上り、追うように春樹が続く。
と、巳波が足を滑らせた。
「キャッ!!」
彼女の口から甲高く短い悲鳴がこぼれる。体は土手に叩きつけられ、泥が飛び散った。
「馬鹿! なにやってんだ」
手をつく彼女を春樹が起き上がらせる。支えた体は雨に濡れて冷たくなっていた。
「ごめん」
「いいから、駐車場はどっち?」
「あっち」
巳波は学校と反対方向へ指を指した。それにうなずき春樹は足を進める。気遣うように振り返ると、彼女は未だ元の場所にいた。
彼は巳波の元へ駆け戻る。
「どうした?」
「ごめん、ひねったみたい。先に行ってて」
「わかった」
春樹は話を聞くとすぐさま背を向けた。
そしてそのまましゃがみ込む。困惑する巳波に背中に乗るよう促した。
「でも……」
「早く乗れって。濡れながらのんびり歩くのか?」
巳波は何かを言いかけるように口を開いたが、結局何も言わずに恐る恐る彼の背中に体を預けた。
「立つぞ」
一声掛けて春樹が立ち上がる。そして早足で歩き出した。
「落ちるなよ」
「うん……」
春樹の声に巳波は小さく返事を返す。
いつもより高い景色は雨模様。ふと見た川は荒れ狂っていて彼の首に回した腕に少し力が入った。
「大丈夫だから」
春樹が言った。
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「下ろすぞ」
春樹の言葉と共にゆっくりと巳波の視線が下がる。
地面に足が付くとそのまま力尽きたようにアスファルトの地面に座った。
「ありがと」
「おう」
短く言葉を交わした後には沈黙が残った。春樹が肩に掛けていたバッグを下ろし、巳波が立ち上がる。
たどり着いた立体駐車場はかなり埋まっていたが、人の気配は全くなかった。花火を見に行っているのだろう。二人は赤いコーンが置いてある駐車スペースにいた。
やがて、どちらからともなく暗くなった空をのぞき込む。
「これは花火大会も中止だな」
そう言いながら巳波へ視線を移そうとした春樹を彼女の鋭い声が止めた。
「こっちを見ないで!」
「どうして?」
「どうしてもよ」
春樹は少し考えてすぐに原因に思い至る。いつかの白色を思い出して、頭を振った。必死に忘れようとする。
「あー。そこに置いてあるバッグに使ってないジャージが入ってるから着ていいよ」
「……なんで使ってないの?」
「明日から夏休みだから洗って置いてあったのを持って帰って来たんだよ」
「なるほど」
巳波はバッグからジャージを探し当てると「こっち見ないでね」ともう一度釘をさし、着替え始めた。
やがて衣擦れの音も止み、巳波から許可が出る。
「ありがとう。洗って返す」
「ぶかぶかだな」
「当たり前でしょ」
春樹は笑いながら駐車場のブロックに腰掛けた。
「それより、足は大丈夫なのか?」
「うん。おかげさまで痛みは引いてきた。そんなことよりこれっ!」
巳波は手に持ったものを見せてくる。
「そんなことって……」と春樹が納得いかなそうに見ると彼女の手には大量の手持ち花火が握られていた。
「春樹君のバッグから出てきたんだけど、どうしたの? これ」
「部活で余ったのを持って帰ってきたんだ。袋のおかげで濡れてなさそうだな」
「あなたの部活って陸上じゃなかったっけ?」
「偶には遊ぶんだよ。これから大会に向けて合宿があるからな。その前にってこと」
「なるほど。で、これ使って良いの?」
「まぁ、余り物だし」
「最高ね」
巳波はにやりと笑うと早速とばかりにバッグからろうそくとライターを取り出す。
数回鳴らしてライターをつけ、ろうそくを溶かして白線の上に固定する。
ろうそくの火が二人の顔を照らした。
「じゃ、やろっか」
彼女はそう言うと早速とばかりに花火に火を付ける。そして迷わず春樹に向けた。
「熱っ! 危ないだろ! 人に向けるな」
「あははは」
笑いながら花火を振り回す巳波を尻目に春樹も花火に火を付ける。
シャワーのような音と共に金色の光が飛び出した。
柄を軽く握りながら、光の輪を描いている巳波を目で追う。
両手に4本も花火を持った彼女は腕を大きく振り回して、楽しそうに笑っていた。吹き出る光が消えたらすぐに新しい花火に火を付ける。
すぐに残りの花火は後1本になった。
「あ、もう最後ね」
「お前が使いすぎなんだよ」
3本目に火を付けている春樹が言う。静かになった駐車場に再び花火の音が流れた。
「別にいいでしょ。あなたみたいに1本持って突っ立っているより楽しい使い方だわ」
そう言うと巳波は最後の1本を持って春樹の隣に並ぶ。そっと火を貰い、駐車場が少し明るくなった。
「今日は楽しかったわ」
「俺も楽しかった」
二人は静かな音を立てる花火を見ていた。やがて春樹の花火が消える。
「あ……」
「もう終わりか」
巳波の花火は黄色から白色に色を変えていく。勢いがなくなり火が消えた。
「こらーーー!!! 何やってるんだ!!!」
突如、知らない大声が響く。
驚いて声のした方を見ると警備員の制服に身を包んだ大人が早足でこちらに向かっていた。
「ヤバい逃げよう!」
「う、うん……」
春樹は驚いて固まっていた巳波の腕を引っ張る。
置いてあったバッグを引っつかみ、駐車場の外に駆け出す。
雨はもう止んでいた。
「ちょっと待ってよ!」
「急げ急げ、置いてくぞ」
二人は楽しそうに逃げていく。とっくに警備員は巻いていたが彼らは走り続けていた。
空が明るく光る。
「あっ、花火!」
巳波が春樹の首に回した腕に力を込める描写がお気に入りです