第一話 目に焼き付いた色
夕方。川を見下ろす堤防を自転車に乗って進んでいく。
虫の音に合わせて自転車が悲鳴を上げた。部活帰りの春樹の体も悲鳴を上げていた。
中学のとき帰宅部だった春樹には体力がない。高校生になり陸上部に入ったものの、急に体力が付くわけでもなく、部活が終わった頃には息も絶え絶えで家に帰るのが常だった。行きは別段辛くもない通学路も帰りはペダルが重い。汗でべたついた制服が肌に張り付くようで鬱陶しかった。
春樹が制服に風を入れたとき目の端に何かが映った。
「あれ?」
川原に同じ高校の制服を着た女子が座っている。ショートカットと横顔に見覚えがあった。
頼りのない記憶を探り、思い出す。
どこか寂しげな表情を携えた彼女は春樹と同じクラスの巳波ゆずだった。
何をやっているんだろう
ぐらり。
と体が傾く。
彼女に気を取られていた春樹は堤防の坂にタイヤを取られた。
——気が付いた時にはもう遅い。
「おわッ」
春樹はハンドルを切って体勢を立て直そうとする。
自転車は嫌な音を立てると、堤防から川原へ転げ落ちていった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「痛ってぇ」
世界が回ったかと思うと春樹は草にまみれて川原まで落ちていた。どれだけ転がったのか、体からは草をすりつぶしたような匂いがする。
自転車は近くにあった。
長い間使い込んだ自転車は車輪もハンドル周りも錆だらけになっている。今は土と草も加えて呑気に車輪を回していた。
立ち上がると体中に鈍い痛みが走る。骨は折れていないだろうが、痣くらいは作っただろう。疲れた体にはより辛かった。
なんとか自転車を立たせると、制服の裾に赤いシミがあるのに気が付く。転がったときにどこかを切ってしまったらしい。と、今度はズボンに緑色のシミが見つかった。こっちは草の汁だった。
制服洗わないとなぁ
なんて考えながら自転車を押す。川岸——巳波の方へ向かった。
さっきの騒ぎで気が付いたのか、巳波は春樹の方へ顔を向けている。先に声を掛けたのは春樹だった。
「巳波だよな。こんなとこで何してんだ?」
「何もしてない。あなたは……それ、大丈夫なの?」
巳波は春樹の肘を指さした。肘には赤く血が滲んでいる。
「ここか……」
気が付くとジクジク痛みが訴えてくる。
「ハンカチ持ってる?」
巳波が聞いた。
「持ってない」
「不潔ね」
「男なんてこんなもんだ」
「持っている人は持っているものよ」
「なんで知ってる?」
「ハルトは持ってた」
「誰?」
「……「海の街で」の主人公」
彼女は春樹が分かっていない顔をしているのを見て「小説……」とだけ付け加えた。目を逸らし頬が赤くなっているように見える。
「とにかく。肘出して」
「おおぅ」
春樹が肘を出すと巳波は肘をつかんで川の方へ引っ張る。
川の水で傷口を洗おうとしたのだろう。
——これがいけなかった。
「やばっ!」
「きゃっ」
部活帰りで疲れていた春樹は突然引っ張られたことで足がもつれ、巳波ごと川に倒れ込んでしまった。
短い悲鳴を上げながら、巳波は痛みに備えて身を固くする。
水の冷たさが肌を刺した。しかし痛みはない。
何か大きなものに抱きかかえられているような感覚。見ると春樹が下敷きになっていた。
「なにやってるんだ」
「ごめん」
巳波は直ぐに立ち上がる。水がはねた。
春樹も立ち上がろうと川底に手を突いている。
「怪我はないか?」
「ごめん。私は大丈夫」
「春樹君は……」
彼女は申し訳なさで恐る恐る春樹を窺う。
水に濡れた春樹の髪はいつもより重く、長く見えた。濡れた制服が肌にへばりついて透けている。
川底の岩に体を打ったのか痛みに耐えるようにゆっくり立ち上がった春樹が巳波を見た。
「なっ……!」
春樹の目が見開かれる。
心配そうに彼を見る巳波もやがて視線に気が付いた。
「あっ///」
「変態!!!」強烈なビンタと共に巳波は走り去っていく。
春樹の目に映った下着の色は白だった。
おまけ クールな巳波
「これクールな巳波がデレるまでって題名だけど、絶対お前クールじゃないよな。どっちかって言うと毒舌巳波だろ」
「何言ってるの。私はクールキャラよ。クラスではクールで近寄りがたいキャラで通ってるから」
「お前の教室での立ち位置なんて読者知らないからな!」
「仕方無いじゃない。元々この小説「川原で男女が話す話」って題名だったんだから。センスゴミよね」
「それに触れるな! それは消し去った過去だ」
「まぁ、川原縛りがなくなったから2章辺りで教室での話も入ってくるんじゃないの?」
「良いのかよ。そんなこと勝手に言って。てか、2章とかあるのか?」
「良いのよ。どうせこんな小説誰も読んでないんだから。気楽なもんよね」
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