新線と旧線
「詳しく説明して頂けますか?」
城戸が、そう戸田に尋ねると、彼女は、
「時刻表を持ってきてくれるかしら?」
と、秘書の原崎に言った。
「私、長崎で生まれ育ったのでわかるんですけど、長崎本線は喜々津から新線と旧線に分かれるんです。府川さんの殺された市布駅があるのは新線です」
すると、原崎が時刻表を持ってきた。
「刑事さん、これ見て下さい」
戸田が、時刻表の頁を繰り、長崎本線下りの頁を開いた。
「これが私の乗った大村駅九時三二分発の普通列車なんですけど、市布駅のところは時刻ではなく、縦二本線が書かれていますよね?」
確かに彼女の言う通り、市布駅の他、肥前古賀、現川の欄も、四桁の数字ではなく縦に二本線が引かれている。
「黒い二本線は、列車が通らないことを意味します。つまり、私の乗った列車は、喜々津から新線の市布を経由せず、旧線の長与を経由したんですわ。なので、残念ながら市布駅は通っていませんね」
戸田は再び、得意気な顔になった。
「時刻表の路線図を見て下さい。私の申し上げた意味がよくわかると思います」
城戸は、時刻表の表紙の方にある、路線図の頁を開いた。
諫早、長崎間の路線図と、戸田が乗車したと主張する列車の時刻は、以下の様にっている。
確かに、戸田が乗車したと主張している大村駅九時三二分発の普通は、長与を経由していることになっているから、旧線を通ったことは確かで、彼女は新線にある市布を経由していないという事になる。
もし戸田が、証言する通りの列車に乗っているとすれば、府川の死亡推定時刻である午前十時頃、彼女は、東園駅かそれよりも西の駅に居ることになる。
旧線を通る列車に乗っていたのならば、新線の市布駅で起きた殺人事件のアリバイは立派である。城戸は、思わず面食らってしまった。
「それに、刑事さん。肝心なことを忘れてはいませんか?私に府川さんを殺す理由はありませんよ」
彼女は、相変わらず得意気である。
「戸田さん、あの横領事件は、あなたの仕組んだ陰謀でしょう?」
すると、戸田の顔に少し変化があった。
「仰っている意味がよくわからないわ」
「全ては、あなたが派閥の対立関係にある、副社長の木原を追い出すための陰謀ではないですか?」
戸田は、黙っている。
「元経理部長で今の副社長の佐藤さん。彼は、あなたと対立している立場の方ですよね?それが、あの横領事件をきっかけに副社長へと昇格した。しかも、あなたのご判断です。これ、おかしくないですか?」
「何が仰いたいのかしら?」
「あなたは、佐藤さんを、副社長に昇格させるという条件で寝返らせたんじゃありませんか?そして、佐藤が府川に目を付け、彼が一億円を横領したように偽装した。その責任を取る形で、元副社長の木原を退陣に追い込むことに成功した」
再び戸田は、黙り込む。
「しかしそうならば、府川はあなた、そして佐藤にとっても危険な存在だ。あなたが元副社長の木原を追い出し、元経理部長の佐藤が副社長になる事が出来た秘密を握っているでしょうからね」
「だから殺したと仰るんですか?」
「ええ、そうです。しかも、府川に奪い去られた一億円を取り返そうとする、田上という強盗犯にその容疑を着せてね」
「全く、面白いこと仰いますね」
戸田は、そう言って高笑いした。
「横領事件を偽装なんかしていませんわ。府川さんは、間違いなく一億円を所持して長崎へ逃げたわけでしょう?彼が一億円もの大金を持っているという事は、会社の金を横領したという事ですよ」
彼女の目は、城戸に対して挑発的であった。
「しかし、それは違いますよね?あなた方の偽装に説得力を持たせるために、東京・銀座の店から奪った宝石を換金して得たお金でしょう?いや、それだけじゃない。四人で山分けするはずだったお金を独り占めする為、府川さんが仲間を殺してまで得た金だ」
「まあ、好きに言うといいですわ。私には、アリバイがありますからね。市布駅を通っていない私に、府川さんを殺害するのは少し無理がありますわ」
戸田は、再び笑って見せた。
城戸と川上は、戸田食品本社を後にした。彼らは、悔しそうである。
「警部、どうしますか?行き詰ってしまいましたよ」
川上が言ったが、
「とは言っても、このまま東京の留まって諦める訳にはいかない。長崎へ行って、彼女を見送ったという九州工場の工場長と、出迎えた九州支社長に会ってくる」
彼は、自分で言った通り、再び長崎へ飛んだ。今度は、山西を連れて行った。
長崎空港は、大村市にある。
そこで城戸達は、空港からタクシーで戸田食品の九州工場へ向かった。
さすが一流企業の工場というところだろうか。九州工場は、とてつもなく広かった。
そして、環境に配慮する近年の流行りか、周辺は若々しい草で整備されている。
「工場長の坂田さんにお会いできますか?」
城戸は、受付の女性に警察手帳を示しながら尋ねた。
「はあ、今すぐでしたら可能です」
彼女は、工場長の詰める部屋まで案内してくれた。
「突然、失礼します。警視庁捜査一課から参りました、城戸です。こちらは、私の部下の山西刑事です」
城戸は、そう言って一礼した。
酒田は、眼鏡をかけた、身長の低い小太りの六十代ぐらいの男だった。
「警視庁の方が、何の御用ですかね?」
彼は、そう言いながら城戸達にソファに座るように促した。
「十月十六日のことについて尋ねに来たんです」
山西が、酒田に言った。
「十月十六日──」
酒田は、そう言って考え込んでいたが、
「ああ、わかりました。戸田社長が視察にいらっしゃった日の翌日ですね」
と、大きな声で言った。
「ええ、その通りです。その時、長崎市内の九州支社へ移動する戸田社長をお見送りしたそうですね?」
「確かに、大村駅までお見送りしましたよ。そのことが何か?」
「その時彼女は、大村駅九時二三分発の長崎行き普通列車に乗ったと証言していますが、それは間違いありませんか?」
これは、城戸が質問した。
「ええ、その通りですよ」
「あなたは、その列車に戸田さんが乗り込むところを確かに見たんですね?」
城戸は、念を押す様に尋ねる。
「見ましたが──?彼女の乗った列車が、大村駅のホームから見えなくなるまで見送っていましたよ」
酒田は、そう言って笑った。
「戸田社長は、一人で視察にいらっしゃったのですか?」
「いいえ。原崎さんという、社長の秘書の方も一緒に視察なさいました。そう言えば、彼も戸田社長と同じく九時二三分発の普通列車で大村駅を出発しましたよ」
「変な質問ではあるんですが、何故、あなたは戸田社長とその秘書を見送ろうと思ったんですか?」
川上が、尋ねた。
「何故って、社長が東京からわざわざいらっしゃったんですから、お見送りするのは普通でしょう」
酒田は、城戸達を少し馬鹿にするかのように言った。
「いや、もちろんそれはわかるんですがね。例えば、向こうから見送ってくれとか、そういうことはなかったですかね?」
城戸が、酒田に言う。
「刑事さん、いくら社長でもそんな図々しいことをするもんですか」
酒田は、そう言って笑ったが、急に体の動きをピタリと止めた。
「あ、でも、そう言えば電話があったね」
「電話?」
「ええ。長崎へ出発する前日の話です。もう、社長達は工場の視察を終えて、多分ホテルから掛けてきた電話だと思います。秘書の原崎さんが、明日の大村駅九時三二分発の普通列車で長崎へ向かうからと私に連絡してきたんですよ」
「それは、見送りに来てほしいという意味でしょうか?」
「さあ、どうでしょうね。でも、その電話を受けた時の私は、見送りに来いという意味だろうと解釈しましたがね──」
二人は、そこで九州工場を後にした。
そして、大村駅から戸田社長と同じルートで、戸田食品の九州支社へと向かうことにした。大村駅から大村線で南下し、諫早から長崎本線で西に向かうルートである。
城戸と川上は、試しに長崎本線の旧線を経由する普通列車に乗ってみることにした。
大村駅で列車を待っていると、やってきたのは真っ青な気動車である。
正面から見ると真っ青だったが、側面を見ると赤いドアがアクセントとなっている。
また、窓の下には、SEA SIDE LINERと白い文字がプリントされている。その文字の通り、列車は大村湾に沿って諫早へと南下した。
諫早から、列車はそのまま長崎本線下りに直通する。
西諌早を過ぎて、列車は問題の喜々津に到着した。
喜々津を発車してすぐの川を渡ると、進行方向左側の線路が、どんどん離れていく。その線路こそ、長崎本線新線である。
城戸は、地図を確認した。
それを見ると新線は、喜々津と浦上をほぼ直線距離で結んでいるが、旧線は、内陸を避ける様にしてどちらかと言うと海岸線に沿っている。
新線には、長崎トンネルなどの長大トンネルもあることから、今城戸が通っている旧線は、トンネル掘削技術の乏しかった時代からあったという事だろう。
先ほども述べた通り、新線はほぼ直線に近く、旧線よりも早く喜々津、浦上間を移動できる。一方、旧線は遠回りである。
考えてみれば、戸田社長の移動ルートは不可解なものだった。
一流企業の大物社長である戸田が、わざわざ旧線を使って遠回りするだろうか?
どう考えても、諫早で新線を通る市布経由の列車に乗り換えた方が早く到着できる。
もっと言えば、彼女は、諫早で特急列車に乗り換えて浦上へ向かうことも可能なのである。大村から浦上まで、延々と鈍行列車に揺られる必要はない。
城戸は、そこに何か秘密がある、そう確信した。
そんな彼を乗せた列車からは、再び大村湾が望めるようになった。