帰京
城戸は急遽、帰京の途に就いた。
突然の出発にも関わらず、五十嵐警部の見送りを受け、城戸は長崎を発った。
彼が羽田空港に着いたのは、少し辺りが暗くなった頃である。
城戸は、そのまま警視庁の捜査本部へと向かった。
「ただいま」
彼がそう言って、捜査本部へと入るとすぐ、
「警部、戸田の足取りを調べておきました」
と、川上刑事が言った。
「結果を教えてくれ」
「はい。社長の戸田ですが、府川の殺された前日の午後から、警部の言われた通り、大村市の九州工場の視察に来ていますね」
「その九州工場の視察の後、長崎市の九州支社に視察へ行ってないか?」
「それが、その通りなんです。工場視察の翌日、つまり府川の殺された当日です。彼女は、長崎市の九州支社に出向いています」
川上は、少し驚いた感じで言った。
「もっと、詳しいことはわからなかったか?」
「府川の殺された前日ですが、午前の定例会議を本社で済ませた後、全日空六六三便で長崎へ向かっていることが確認されています。その後、大村市の九州工場を視察した後、その近くのホテルで一泊。これも裏が取れています」
「そこから九州支社への交通手段は何だ?」
「鉄道です。大村駅から大村線に乗り、最寄りの浦上駅で下車したようです」
「どの列車に乗ったか、あとそのルートを使ったことの裏は取れているか?」
「どの列車に乗ったかまではわかりませんでした。しかし、裏は取れています。まず、大村駅で九州工場の工場長が、戸田社長を見送っています。彼に電話で確認したところ、戸田社長が列車に乗り込んだところを見ているそうなので、間違えないようです。そして浦上駅では、九州支社の支社長が、ホームで戸田社長の出迎えをしています。彼にも確認しましたが、列車から降りたところを見たというのです。よって、彼女が鉄道を利用したというのは間違いないでしょう」
それを近くで聞いていた中本が、
「城戸君、なぜ君は、戸田社長の動向をそんなに調べさせたのかね?犯人は、田上だと言っていたじゃないか」
と、城戸に言った。
「確かに、そうは言いましたが、昼の記者会見を見ていると、どうもそうでない気がしたんです」
「あの記者会見なら私も見たが、どうして気が変わったのかね?」
「私が不自然に感じたのは、その記者会見で発表された人事の件です」
「確か副社長が退職処分で、その空いたポストに経理部長の佐藤が入るという人事のことか?」
「ええ。その人事の件で、帰りの飛行機の中、ずっと考えていました」
「一体、何を考えていたんだ?」
中本が、城戸の顔をじっと見る。
「結局、この事件で一番得をした人間は誰かという事ですよ」
城戸は、目を鋭くさせた。
「誰が一番得をしたか?」
「ええ。私が考えるに、この事件で一番得をしたのは戸田食品社長の戸田でしょうね」
捜査本部のホワイトボードに貼ってある、戸田の顔写真を見ながら、城戸はそう言った。
「何故、そう思うのかね?」
「社長の戸田は、結果的に、横領事件を理由に副社長の木原を会社から追い出すことに成功したんです。課長もご存知の通り、社長と副社長は、会社の分裂で敵対関係にありました。つまり、戸田にとって木原は邪魔者だったんです」
「つまり、警部が仰いたいのは、この事件の首謀者は戸田社長という事ですか?」
南条が、目を大きくして訊く。
「ああ、あくまでも私の推論だがね」
「何故、戸田が犯人になるのかね?説明してくれ」
中本が、そう尋ねた。
「まず、戸田社長と経理部長の佐藤、この二人は恐らくグルだろう」
「しかし、佐藤が部長を務める経理部は、どちらかと言うと副社長側ですよ?」
小国が、そう口を挟んだ。
「そこなんだが、恐らく佐藤は社長側に寝返ったんだ。戸田は、副社長への昇格を条件として提示し、佐藤を釣ったんだ。逆に社長の戸田からしてみれば、副社長側の誰かを仲間にし、その仲間が不正を働いたことにする。そうして、その不正の責任を取る形で木原を会社から追い出そうと企んだ」
「なるほど。その不正が横領事件だったわけですね」
小国が、そう言って肯いた。
「社長の戸田は、経理部社員が一億円を横領したように偽装することを思いついたんだ。その指示を受けた佐藤が目を付けたのは、府川勉だった。戸田は、その偽装に説得力を持たせるため、実際に一億円を用意することにした。そこで府川に、田上率いる強盗団の一員になって宝石店の強盗を働かせ、彼を含めた四人で一億円を手に入れた。府川は、一億円を独り占めする為に仲間を殺害。田上を見つけ出すことはできなかったが、府川は戸田と佐藤の指示で長崎へ逃げることにする」
「何故、逃げる必要があるのかね?」
今度は、中本が口を挟む。
「それは、強盗事件のほとぼりが冷めるのを待つためです。東京で一億円を所持しているままで、もし警察に目を向けられると、府川を横領犯に仕立て上げる計画が台無しになってします。そこで、長崎へ逃げてもらうことにしたのだと思います」
すると、中本は静かに肯いた。
「次に見てもらいたいのはこれです」
城戸が、長崎県の地図を広げた。
「九州工場のある大村市から、九州支社がある長崎市。この二つを鉄道で移動する場合、府川が殺された市布駅を通ります。先程の報告にあった通り、府川の死亡推定時刻付近に、社長の戸田が現場付近を通っている可能性があります。つまり、彼女は十分犯人になり得ます」
「しかし、動機がないんじゃないか?」
また、中本が口を挟む。
「戸田にとって、府川は協力者でもありますが、かえって危険な存在でもあるはずです。恐らく、計画通り副社長を会社から追い出し、事が上手く言った時の報酬が府川には約束されていたでしょう。しかし府川は、戸田の仕組んだ陰謀で副社長を追い出したという真実を握っていることには変わりない。佐藤にとっても、府川には、自分が副社長に昇格できた秘密を握られている。そこで、二人にとって危険な府川も殺してしまい、今回の陰謀を闇に葬ろうとしたんです」
「では、田上は一体どうしているんだ?我々があれだけ全力を挙げても探しきれなかったが──?」
「戸田は、府川の殺害容疑を田上に着せる計画でした。そこで、戸田、あるいは佐藤と田上も繋がっていたでしょう。戸田か佐藤は、田上の雲隠れを支援していると思われます。そして、警察が必死に田上を探している間に、副社長を退職処分にして会社の邪魔者を排除。その計画に協力した見返りとして、佐藤を副社長とする人事を発表したんです」
城戸が、得意気にそう言う。
「それで、君は今からどうするつもりかね?」
中本が、尋ねる。
「戸田社長本人に会って、彼女の反応を確かめたいと思います」
城戸は、覚悟を決めたように言った。
会社に連絡すると、翌日の朝なら面会可能との回答を得ることができたので、約束の日時に城戸は、川上を連れて戸田食品本社へと向かった。
約束より三十分遅れたが、社長の戸田は一人で現れた。
「刑事さん、今度は何の様かしら。記者会見も終えて、今回の件はもう終わったはずですが──?」
彼女は、そう切り出したが、城戸はそれを無視して、
「九州工場と九州支社が長崎県にあるそうですね?」
と、言った。
「ええ。そうですが、それが何か?」
「府川さんが殺害された前日と当日、あなたはその二つへ視察へ行ってらっしゃいますよね?」
「実は、その通りです。まさか、府川さんも長崎に居たとは、後に知ってとても驚きました」
そう口にする戸田の顔は、変わらなかった。
「その時のスケジュールを詳しく教えていただけませんかね?」
「何故、そんなことをお尋ねになるのですか?」
城戸は、彼女の語気が少し強くなるのを感じた。
「尋ねられて困る事でもありますか?」
すると、戸田は何か反論したそうだったが、それを抑えて、
「わかりました」
と、言って、彼女の秘書を呼んだ。
原崎という男性秘書が、戸田に手帳を渡した。
「十月十五日から、十六日のスケジュールかしら?」
「十六日の、大村市から長崎市への移動スケジュールのみで結構です」
「大村駅を九時三二分に発車する、長崎行きの普通列車に乗りました。九州支社の最寄り駅は、浦上益なので、そこで降りましたわ」
戸田が、手帳を見ながら言った。
「それを、証明できますか?」
すると戸田は、目を鋭くして、
「刑事さん、これはアリバイ調べってやつかしら?」
と、言う。
「お答え願いますか?」
城戸の隣の川上が、戸田に言う。
「証明できるわ。九州工場の工場長の酒田っていう方がいるんだけども、彼にっ見送って頂きましたわ。坂田さんは、私がその列車に乗り込むところを見ているはず。そして、浦上駅のホームには、井上っていう九州支社長がホームで出迎えてくださいましたわ。彼も同じように、私が列車から降りるところを見ているはずですわ」
戸田の顔は、得意げだった。
「大村駅を九時半ごろ発車となると、ちょうど府川さんが市布駅で殺害された時間、あなたもそこを通ってらっしゃるのではありませんか?」
すると、戸田の顔が曇った。
「刑事さん、どういうおつもりで仰っているのですか?」
だが、しばらくすると戸田は、得意気な顔になった。
「刑事さんが何を考えているかわからないけど、残念ながら私は府川さんの事件に全く関わりはないわ。何故なら、私は市布駅を通ってませんから。アリバイと言うやつですわ」
彼女は、少し笑って見せた。